第2話
宿屋の外。
月は高く、風は冷たかった。
通りの灯りはまばらで、世界は静まり返っている。
その静けさの中で、ひとりだけ立ち尽くす影があった。
ゴールド王国王太子、クラレット。
彼は扉から視線を逸らせなかった。
逸らしたいのに、逸らせない。
――ぼくが連れてきた。
――ぼくが、二人を引き会わせた。
幼なじみの恋が成就することを、助けた。
望んでいたことだけど。
それでも、やっぱり・・・・・。
クラレットは、月に向けて赤い石を翳した。
ホワイトからもらった、赤い石。
悲しいときは、いつもこれを見てきた。
けれど今夜は、涙でにじんで、赤い光がまともに見えない。
(・・・・ぼくは、何をしてるんだろうね)
声にならない思いで胸がいっぱいになる。
(だってホワイトはぼくのことを幼なじみとしか、見ていない)
扉の向こうから、微かな物音がした。
たったそれだけで、胸が痛んだ。
クラレットの赤い瞳から、一筋の涙が落ちる。
それでも、彼は背を向けなかった。
――今夜が、今生の別れになるかもしれない。
そんな予感が、どうしても消えなかったから。
風が吹き、月が雲に隠れた。
闇が濃くなる。
それでも扉の向こうの温度だけが、世界の中心みたいに残っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝は、容赦なくやってきた。
薄いカーテン越しに差し込む光が、宿屋の一室を白く染める。
夜の名残は、まだ部屋の空気に残っているのに。
僕は、ベッドの端に腰掛けていた。
ラベンダーは、静かに身支度を整えている。
言葉が、見つからない。
何か言えば、この時間が壊れてしまう気がして、何も言わなければ、このまま終わってしまう気もして。
沈黙の中で、僕は首にかかったペンダントに指をかけた。
小さな、地味な装飾。
けれど、これは――僕の命を一度、確かに救ったもの。
僕は立ち上がり、ラベンダーの前にそれを差し出した。
「これ、返すよ」
ラベンダーが、驚いたように瞬きをする。
「どうして・・・・?」
僕は、うまく笑えなかった。
「これ、すごく効き目のあるお守りだ。実際、僕はこれのおかげで生きてるし」
「これから魔王と戦うんだろ? 僕がラベンダーに渡せるものって、これくらいしかない」
彼女は、首を横に振ろうとした。
でも、僕は一歩、近づいた。
「お願いだ。受け取って」
声が、少しだけ震えた。
「僕は何もできない。何も誇れるものがない。でも、君を思う気持ちだけはだれにも負けたくないんだ」
ラベンダーは、しばらくペンダントを見つめていた。
それから、そっと受け取る。
「・・・・分かったわ」
彼女は、ペンダントを握りしめ、そのまま僕の手を取った。
指先が、少し冷たい。
「全部が終わったら、返しに来るね」
ラベンダーは、はっきりと言った。
「だから、ホワイト君も・・・・受け取って」
「死なないで。生きて」
黒い瞳が、潤む。
一筋の涙が、頬を伝った。
その言葉に、僕は返事ができなかった。
「生きて」
その願いを、僕は――守れないと分かっていたから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ラベンダー一行がこれから魔王へと向かうという、そのとき。
僕は、ラベンダーたちとも、ナイルとも別れて歩みを進めた。
振り返らない。
振り返ったら、足が止まってしまう。
この先に、メイズがいる。
何度も立ちはだかり、何度も打ち砕かれた宿敵。
ラベンダーは、魔王へ。
クラレットも、そちらへ向かっている。
僕は――僕の戦場へ。
道を進むにつれて、身体が重くなっていく。
寿命が、目に見えるように削れていく感覚。
あと、どれくらいだろう。
もたないかもしれない。
それでも、歩く。
ラベンダーと、心も身体も繋がった。
それだけで、胸の奥に小さな火が灯っている。
それでいい。
それだけで、十分だ。
やがて、空気が変わった。
魔力が、肌を刺す。
吐息が白くなるほど、重い圧。
そこに――いた。
「待っていたぁ」
静かで、低い声。
「お前とぉ、再び会えることをなぁ」
元六武威最強。
魔王の側近、メイズ。
その存在だけで、心臓が軋む。
「確信していたぁ。勇者でも、英太子でもないぃ・・・・」
「何の力も持たぬお前がぁ、最後に来るとぉ」
メイズの口角が、わずかに上がる。
「お前がぁ、われの宿命だ」
僕は、深く息を吸った。
怖くないわけじゃない。
けれど、もう迷いはない。
「僕もだ」
声は、意外なほど落ち着いていた。
「あの時――ウィスタリアで、お前と出会った時から思っていた」
「一度目は、僕の負け」
「二度目は、クラレットと2人がかりで引き分け」
僕は、地面に足を踏みしめる。
「そして、今日が最後だ」
「たとえ刺し違えても・・・・僕のすべてを使って、お前を倒す」
魔法を詠唱する。
魔力を、この身体に叩き込む。
火が走る。
魂の奥が、削られていく感覚。
それでも、止めない。
「――人族を、なめるな!」
炎を纏った魔法剣が、姿を現した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
剣が、ぶつかる。
火と闇。
技と力。
互いに、一歩も引かない。
時間の感覚が曖昧になる。
どれほど戦ったのか、分からない。
そして――
ふっと、視界が揺れた。
膝が、折れそうになる。
(・・・・来たか)
傷じゃない。
魔力切れでもない。
寿命だ。
「くっ」
口から、血がこぼれた。
メイズが、動きを止める。
「あきらめろぉ」
「お前はぁ、よくやった。人族にしてはぁ、惜しい魂だぁ」
僕は、歯を食いしばる。
その目に、軽蔑が浮かんだ。
「・・・・泣いているのかぁ?」
違う。
泣いているんじゃない。
悔しいんだ。
ここまで来て、それでも届かないことが。
でも、声はもう、出なかった。
視界が暗くなる。
――ここまでなのか。




