第9話
神殿を出て、半日。
歩いているはずなのに、地面の感触が曖昧だった。
足が砂を踏んでいるのか、空を踏んでいるのか、よく分からない。
「ホワイト」
ナイルが、僕の歩幅に合わせて声をかける。
「・・・・・なに?」
「無理してるでしょ」
即答できなかった。
否定するほどの余裕もない。
「・・・・・少し、疲れただけだよ」
言った瞬間、自分でも分かった。
これは“少し”じゃない。
胸の奥が、妙に静かだ。
心臓の鼓動が、遠い。
魔法剣を使ったあとの、あの感覚。
それが、消えない。
「座りなさい」
ナイルは有無を言わせなかった。
岩陰に僕を座らせ、自分も隣に腰を下ろす。
「・・・・・魔法剣」
その一言で、全てを見抜かれた気がした。
「どれだけ使った?」
「・・・・・数えたこと、ない」
「馬鹿ねえ」
ナイルは短く言った。
「数えないんじゃなくて、数えたくないんでしょう」
図星だった。
「ねえ、ホワイト」
彼女の声が、少しだけ低くなる。
「あなたの身体、もう崩壊寸前な気配がするんだけど」
「・・・・・」
「削れてるの。体力じゃなくて、“寿命”が」
風が吹いた。
砂が、静かに舞う。
「あと、どれくらい保つの?」
答えるまで、時間がかかった。
「・・・・たぶん三日、だと思う」
ナイルの瞳が、揺れた。
「最大で、三日。魔法剣を使えば、もっと短くなる」
沈黙。
ナイルは、怒らなかった。
声を荒げることもしなかった。
ただ、ゆっくりと息を吐いた。
「・・・・・やっぱり馬鹿ねえ」
責める言い方じゃなかった。
「でも、止めないんでしょう?」
「うん」
即答だった。
ナイルは、苦笑した。
「でしょうねえ。止められるなら、とっくに止まってるもの」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜。
焚き火は小さく、星はやけに近い。
ナイルは、珍しく酒を出さなかった。
代わりに、水を差し出す。
「飲みなさい」
「・・・・・ありがとう」
喉を通る水が、冷たい。
それだけで、少し生き返る気がした。
「ねえ、ホワイト」
「なに?」
「メイズと、何を話したの?」
少し、迷った。
だが、隠す意味はない。
「・・・・・似てるって言われた」
「ふぅん」
「選ばれなかった者同士、だって」
ナイルは焚き火を見つめたまま、言った。
「それ、正しいわよん」
「・・・・・え?」
「でも、決定的に違うのはあ、」
彼女は、こちらを見た。
「メイズは“役割”を求めた。あなたは、“誰かの隣”を選んだ」
胸が、きゅっと縮む。
「それは、弱さじゃないわよ」
「・・・・・」
「執着でもない」
ナイルは、はっきりと言った。
「それは――人族らしさよ。そこが魔族の限界なのかもねぇ」
ナイルはなぜだか遠くを見るような目でつぶやいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜半。
僕は、目を覚ました。
理由は分からない。
ただ、身体が勝手に起きた。
焚き火は、まだ小さく燃えている。
ナイルは、起きていた。
「眠れない?」
「・・・・・うん」
僕は、正直に言った。
「少し、怖くなった」
ナイルは、何も言わず、隣を空けた。
そこに座る。
「死ぬのが怖くなったのお?」
「・・・・・いや」
少し考えて、首を振る。
「目的を果たせないこと、かな」
声が、かすれた。
「英雄でもない。王でもない。最後まで、脇役のまま終わるってのがさ・・」
ナイルは、しばらく黙っていた。
そして、ぽつり。
「あなた、もう十分すぎるほど物語の中心に立ってるわよん」
「でも――」
「でも、じゃない」
ナイルは、珍しく強い口調だった。
「あなたは“選ばれなかった者”なんかじゃないわ」
「”過酷な道を選び続けた”のよ」
その言葉を聞いて胸の奥で、何かがほどけた気がした。
「・・・・・それでも」
「それでも?」
「それでも、僕は・・・・・」
言葉が、続かなかった。
ナイルは、静かに言った。
「最後を決めるのは、あなた自身よ」
「でも、覚えておいて」
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
「あなたが消えても、あなたが“歩いた跡”は消えないわ」
「それを、見届ける人たちがいる」
ラベンダー。
クラレット。
胸が、熱くなる。
「・・・・・ありがとう」
ナイルは、少しだけ笑った。
「礼はいらないわよお。あたくしは、同行者だから」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。
身体は、思ったより動いた。
軽いのだ。身体が。
しかし、それは力がみなぎっているからじゃない。
命の芯が、細くなっているのだ。
ナイルは、僕をじっと見て言った。
「今日から、あなたは“無駄な戦闘”、禁止」
「・・・・・分かったよ」
「魔法剣も、極力禁止」
「それは――」
「禁止」
有無を言わせない。
「使うなら、“決着の時”だけ」
僕は、黙って頷いた。
遠くで、風が鳴る。
進むべき方向は、分かっている。
メイズは、魔王の元へ向かう。
なら――僕も、そこへ行く。
残された時間は、短い。
けれど。
(間に合う)
なぜか、そう思えた。




