第4話
小倉港から鍋島へ。
夜を徹し、凍える北風を背に受けて長崎街道をひたすら歩き続けた一行は、三日目の八つ時に鍋島にたどり着いた。
町外れで彼らの足が止まる。
「邪魔だ、退け!」「あんたも早く逃げろ!」
二台の大八車が街道を塞ぐように怒涛の勢いで迫る。
同じように家財道具を満載した車がまた一台、そしてまた。
砂埃の紗幕を突風が運び去り、姿を現した鍋島の城下は混乱の極みだった。
窓という窓には板が打ち付けられ、店や家を捨てて逃げ出す者たち、大声で祈祷をする白装束の隊列、徒党を組み徘徊する浪人たち……。
火の粉が混じった黒煙が渦を巻く中、火消しの怒声が響く。
「一気に引き倒せ、家事はここで止める」
火消したちの掛け声に続いて、ばきばきと家が崩れる音。
くすぶる火事場からは腐臭が漂って来る。
裕福な身なりの惣兵衛に目を付け駆け寄る浪人たちを、小蝿の如く片手で払い退ける武州。程なく目抜き通りの一等地に、間口が十間はあろうかという呉服店「山崎屋」の看板が見えて来る。
固く閉ざされた薄暗い店内。惣兵衛は踏込(土間)に立ったまま、家族や奉公人たちとの再会を喜ぶのも束の間、不在にしていたひと月余りで鍋島が一変した理由を妻のミネに問い質す。
絣の小袖を品よく着こなしたミネは、惣兵衛が伴った頭半分が鴨居に隠れるほどの大男を気にしながらも訥々と話し始めるのだった。
思えば、ひと月ほど前に遊廓の大夫が殺されたのがこの怪異の端緒だった。
時期を同じくして藩主光茂の正室が急逝したが葬儀は一切行われず、光茂は城に閉じこもったままであること。日が暮れると化け猫が現れ、若い女や子供たちをさらったり惨殺したりするため、みな日没前に堅く雨戸を閉め、息を潜めて日の出を待っているということ……。
「この騒ぎに乗じて無頼者たちが我が物顔で町を歩いているので、どの家も昼間から板戸を固く閉ざして災いが通り過ぎるのを祈っているのでございますよ」
番頭や女中たちに目を向けるが、言葉を継ぐ者はいない。
「無事でいてくれて、良かった」
惣兵衛は噛み締めるように言葉を漏らした。
旅装束を脱いで汚れを落とした惣兵衛と武州。
座敷には既に角膳が並び、食事と酒が運ばれて来る。
ミネに促され、改めて武州を紹介する惣兵衛。すっかり気持ちが落ち着いたのか普段の調子を取り戻し、西宮での出会いを講談の一幕のように語り出す。ミネや番頭たちの表情が驚きから感謝、そして敬意へと変わっていく。彼らの眼差しに堪え切れなくなった武州は「注いでくれ」と角膳に置かれた茶碗を差し出して話を遮る。
ミネが手ずから大振りな徳利を手に取り、並々と茶碗に清酒を注いでいく。小さな動きであと少しと何度も促す仕草に、ミネは目を細める。武州が茶碗の縁いっぱいに波打つ清酒の香りを心ゆくまで堪能し、喉を鳴らす猫のような表情でいざ飲み干そうとしたその時だった。
突然、正面の引き戸を割れんばかりの勢いで叩く音、そして口々に開けろと叫ぶ野太い声。
小さな悲鳴、膳が倒れる音。狼狽する奉公人たちを、これも引きつった顔の惣兵衛が諌める。武州は未練たっぷりに茶碗を見つめるが、ため息と共にそれを膳に戻すとひと動作で立ち上がり、入り口へと向かって行くのだった。
読んでいただきありがとうございます。
まだまだ序章です。
惣兵衛のモデル——十八代目中村 勘三郎、片岡孝夫(十五代目片岡仁左衛門)。
優しい笑顔に隠しきれない品の良さ、そんな感じです。
ミネは八千草薫一択で。
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