第10話
「私は加的斯の町外れにある教会の神父だった——」
大西洋を臨む、西班牙有数の港町、加的斯。
西班牙海軍の拠点でもあり、商船はもちろんのこと、数多くの軍船が停泊する港の周りは、市場や商店街が立ち並び、陽に焼け陽気な人々が集う活気ある町だ。
この町の外れにあるサン・フェリペ教会で、ディエゴは神父として日々神に祈りを捧げていた。
「弟のミゲルは、港で小さな食堂を経営していた。私と同じで小柄なミゲル、身体も心も大きな妻のマリアと幼い娘のブランカ——明るく暖かい家族だった」
地元の者人々も船員たちも愛するその店は常に賑わっており、カウンターの隅にはいつもディエゴのための席が空けてあった。
魚料理を肴にワインを少し飲む——明るい酔客のディエゴは常連客からも人気で、二杯、三杯と勧められ、ふらつく義兄をマリアが支え、ブランカがお気に入りの人形を抱えてころころと笑う。
「そんな、穏やかで満ち足りた人生に感謝し、日々欠かすことなく神に祈りを捧げていた——。あの日が来るまでは」
ある夜のこと。
出航前の景気づけだと、常連の船員たちに囲まれ思いの外酒を過ごしてしまったディエゴは、ミゲルの家で休むことに。
深夜、激しい物音でディエゴは目を覚ました。
足音を殺して廊下に出ると、そこに広がっていたのは悪夢のような光景だった。
ミゲルが血だまりの中に倒れている。
その傍らで、何者かがマリアの白い首に噛みついていた。
ごくりと喉の音がするたび、マリアの指がかすかに動く。
喉から漏れた叫びが、化け物の動きを止める。
振り返った男の顔には見覚えがあった。
ミゲルの店の常連客——その夜、しきりに酒を勧めて来た船医だった。
男の金色の瞳が光り、一瞬でディエゴに迫る。
だがディエゴの胸元の十字架が揺れると、男は怯え、窓を破って夜の闇へと逃げ去った。
沈黙だけが残る。
どれだけの時間が経ったのか、我に返ったディエゴは叫んだ。
「ブランカ、ブランカ!」
見つかったのは、腕を失い、血まみれになった人形だけだった。
その瞬間、世界から音が消えた。
翌朝、港で聞かされたのは残酷な事実だった。
——昨夜、例の船医が乗り込んだ船が遠い東の地、バタヴィアへ向けて出航した、と。
教会で家族の葬儀が行われた。
司教は事情を聞くと、長い沈黙の末に口を開いた。
カトリック教会が隠している秘事がある。数世紀もの間、教会が陰で闘い続けてきた悪魔がいるのだと。
「それは——ヴァンピーロ。夜を渡り、人の血を啜る悪魔だ」
すぐに船医を追うと意気込むディエゴを、司教は厳しく諌める。
神は復讐を禁じている。もしその道を選ぶなら破門するしかないと迫る司祭に、ディエゴは思わず身につけた十字架の紐を引きちぎり、汚い言葉を吐いてしまう。
司教は聖書の一節を引用して説くが、ディエゴはもう何も聞いていなかった。
「手のひらの十字架を見つめながら、悪魔が恐れるなら十字架すら利用する、長年戦い続けて来たカトリック教会の知識を聞き出して、ミゲルを、マリアを、ブランカを襲った悪魔に復讐する——そのためなら信仰など捨てても構わない。そう決意したのです」
司祭に頭を下げ、復讐を諦めて信仰の道に生きると、偽りの誓いを捧げたディエゴ。
逃げた船医を追うため、ディエゴは自らの目的を隠して宣教師として海に出た。
しかしバタヴィアで男の足跡を見失い、絶望のあまり酒に身を沈めるようになる。
それでも宣教の旅は続き、終着地である日本へと辿り着いたが、ディエゴは自分でも生きているのか死んでいるのか分からない、ただ酒に溺れる日々を過ごしていた。
ディエゴの目がぎらりと光る。
「遂に見つけた——」
読んでいただきありがとうございます。
1話あたり1000文字前後→1500〜2000文字に編集していたら、頑張って15話まで書いたのに、10話に減ってしまいました。涙。
次の更新は明日朝8時です。
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