ヒロインがヤンデレすぎて、攻略対象がみんな私に助けを求めに来るのですが……
貴族令嬢としての務め。それは気高く、凛とし、淑やかであること。
そして私、クラン・アルデリーテはその全てを完璧にこなしていた。
なぜならこれは乙女ゲームの世界。私は、断罪されるために生きている悪役令嬢だから!
(……ふふ、順調順調。そろそろヒロインと王太子が良い感じになってきたわね)
今日も扇子を片手に優雅に微笑みながら、リリア・ホワイトリンテ嬢を陰でこっそり応援する日々。
素直で純真で可憐で、攻略対象たちからも好かれまくってる正統派ヒロイン。
……ただし、表面上は、ね。
彼女、ちょっと目が笑ってないのよ。
一度、舞踏会で王太子が他の令嬢に話しかけただけで、ワインを指でぐるぐる撫で回してたの、私は見逃していない。
(まあ、でもあれくらい可愛いものでしょう)
だが──その慢心が、運命を狂わせた。
「クラン嬢! 開けてくれ! 今すぐ、頼む!」
昼下がりの紅茶タイムを優雅に楽しんでいた私の屋敷に、絶叫混じりの王子の声が響いた。
慌てて玄関に出ると、そこには……顔面蒼白、服もボロボロ、息を切らした王太子アレクト様。
「……え?」
「あの子、リリア嬢が……! “誰にも笑顔を見せないで”って……部屋のドアの向こうに立ってて……! しかもナイフを持って……!」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」
ちょっと待って。話が早すぎる。恋愛の進展どころか、サスペンスに突入してるじゃない!
「お願いだ、クラン嬢。あの子の視界から“消える方法”を教えてくれ……!」
そんなの、私が知りたいわよ!!
数分後、なぜか紅茶を出して王太子をなだめている私がいた。
どうしてこうなったのかしら。いや、本当に。
私はただ、悪役令嬢として静かに断罪されてゲーム終了するだけの存在だったはずなのに。
「もしかして、王太子様がここに来たこと、彼女に知られたら私がターゲットに……」
ガチャ。
屋敷の扉が、開く音がした。
「アレクト様、クラン様……お茶会、楽しそうですわね」
振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべたリリア嬢が立っていた。
目が、まったく笑っていない。
──終わった。
いや違う、始まったのだ。
私の“全フラグクラッシュ逃走劇”が。
***
あの時、私は確かに扉を閉めたはずだった。
外からの音も聞こえなかったし、結界も張っていたはずだ。
なのに、目の前には立っていた。完璧な笑顔のヒロイン、リリア・ホワイトリンテ嬢が。
「アレクト様、クラン様……お茶会、楽しそうですわね?」
その声に、私は心の中で三回死んだ。
王太子アレクトは、すっかり固まっている。私はというと、震える指先で紅茶のカップを持ちながら、なんとか平静を保とうとしていた。
「お、お久しぶりですわね、リリア嬢。まあ、よく来てくださいましたこと」
「ふふ、なんだか……お二人とも、緊張されているご様子?」
あっ、完全に気づいてる。バレてる。命が危ない。
「偶然、アレクト様が訪ねてこられただけですのよ。ね、アレクト様?」
「……あ、ああ、そうだ。べ、別に深い意味はない。暇だっただけで……」
うっそ下手くそ!!!!
リリアは微笑んだまま、ゆっくりと紅茶の香りを嗅いだ。
「……香り高いお紅茶。これは、“西部領の新茶”ですわね? アレクト様のご趣味にぴったりだと、わたくし、覚えていたのですけれど」
「し、知らなかったな……へえ……」
うわああああ、死ぬ! これは完全に死ぬ前の空気! この場にナイフがあったら何人か刺さってる!
「そうですのね。では、次回はわたくしもお招きいただけると嬉しいですわ。クラン様?」
「え、ええ……もちろん……大歓迎ですわ……(断れる空気じゃないわよコレ!!)」
その後、リリアは小一時間ほど滞在したが、何一つ問題らしい問題を起こさなかった。
むしろ完璧なマナー、完璧な受け答え、完璧な笑顔だった。
だが空気だけは、常に冷蔵庫の中みたいに冷えていた。
帰り際、リリアは振り返って言った。
「クラン様……アレクト様を、どうぞよろしくお願いいたしますね。貴女になら、安心してお預けできますわ」
「ええ……(なにそれ!? なにその死亡フラグ!?)」
王太子が青い顔のまま帰ったあと、私はすぐさま執事に「門の結界を二重に張り直しなさい」と命じた。
しかも“魔法を感知するだけでなく、感情の波動を検知するタイプ”に切り替えた。もはや我が家の防衛体制は要塞級である。
「……これはもう、断罪イベントとか言ってる場合じゃないわね」
だってヒロインが、“攻略対象と悪役令嬢を一緒に監視するモード”に入ったのよ!?
断罪前に物理的に消されるって何よ、それはホラーなのよ!
でも、それで終わらなかった。
翌日。
「クラン嬢……私も、少しだけ……力を貸してもらえませんか」
やってきたのは、王国騎士団所属、第二の攻略対象レオン・グランバース。
真面目で誠実、でもちょっと融通が利かない好青年。
「リリア嬢が……屋敷に来るたびに“今日もお守りしてくださってありがとうございます”って言って、なぜか刃物を手入れし始めるんです」
「……は?」
「しかも、“女の子と話すときは、必ずわたくしに報告してくださいね”って言われていて……違反すると、庭に埋まってたんです、手紙が。手紙に、私の似顔絵と……燃えた恋文が……」
「ちょっと待って、やっぱりこのヒロイン怖すぎない!?」
私は頭を抱えた。
この世界、どこで間違ったの。
いや間違ってない、私が間違えたんだ。
“ヤンデレ気質にうっすら気づいていたのに、静観していた”自分を呪いたい。
「……わかったわ。あんたも、とりあえず紅茶を飲みなさい。話はそれからよ」
「はい……あ、できればカップの裏を事前に確認させてください。呪いが刻まれてることがあるので……」
「どこの戦場の帰還兵よあんたは!!」
私は決意した。
もう逃げてばかりじゃダメだ。私は、立ち向かわなければならない。
リリアと――いや、“ヒロインという名の狂気”と向き合わなければならないのだ。
「まずはこのフラグを折る。全力で。物理的にでも!」
攻略対象たちを守る? 違うわ、自分の命を守るためよ!!
***
朝の屋敷は静かだった……というのは幻想で、実際は修羅場の痕跡で満ちていた。
「令嬢、玄関のノブに“おやすみなさい”って書かれたリボンが巻きつけられておりました」
「……お焚き上げしておいて」
「それから、食堂の窓に“お菓子作って待ってます”という刺繍の布が──」
「それは捨てずに取っておいて。怖いけどクオリティは高いから参考になるわ」
そう、今や我がアルデリーテ邸は、攻略対象たちの避難所兼リリア対策本部となっていた。
王太子アレクト、騎士レオン、そして──
「お久しぶりです、クラン嬢……ここなら安全だと聞きまして」
そう言ってやってきたのは、学者貴族のルキウス。知性と落ち着きを兼ね備えた眼鏡男子。
でも、今はクマの浮いた顔で震えてる。
「毎晩、屋敷の門前に“記録書”が置かれるんです。今日誰と話したか、誰と目が合ったか、それを記録されていて……」
「監視日誌……!? ヒロインがそんなことまで!?」
「……あれはたぶん、僕の視界をトレースしてる魔法です」
「ホラーじゃん! ストーカー魔法じゃん!! そんなの乙女ゲームにあった!?」
もはやこれは恋愛ゲームではない。戦争だ。
命をかけた、サバイバルラブストーリー。
攻略対象たちは私の部屋の床に座り込み、頭を抱えていた。
皆そろって口にした言葉は一つ。
「……リリア嬢は、愛しすぎるんだ」
でも、それって“愛”なの?
「ねえ、貴方たちは誰かを“好き”になるとき、相手の自由を奪う?」
私がそう問いかけると、皆、答えに詰まった。
私は思うの。リリアの想いは、確かに“強い”。でもそれは“相手のことを思っている”のかしら?
むしろ、“自分が不安だから相手を縛っている”んじゃないかしら?
「……そうね、今夜、彼女と話すわ」
「えっ、無理だ! 危険すぎる!」
「逃げてください! クラン嬢だけは!!」
「どの口が言ってるのよ、あんたら!!」
その夜。私は、リリアのもとを訪れた。
彼女の部屋は、まるで絵画のように整えられていた。白と金を基調とした優雅な調度品。
紅茶の香りと花の匂いが漂っていた。でも、その中に――かすかに感じる、“閉じた空気”。
「いらっしゃいませ、クラン様。お一人で来てくださるなんて、嬉しいですわ」
「ええ……話がしたくて」
私は彼女の前に腰を下ろす。冷や汗をぬぐいながらも、視線は逸らさない。
「リリア嬢。貴女は、どうして攻略対象たちを……あんなに縛るの?」
彼女は、一瞬だけ――笑わなかった。
「……だって。皆さん、すぐに誰かに奪われてしまいそうで」
ぽつり、と零れた言葉は、あまりに寂しげで。あまりに小さくて。
「わたくし、昔から“選ばれなかった”んです。
誰かにとっての“特別”になったことが、なくて」
思わず息を呑んだ。
彼女の笑顔の奥に、そんな哀しみが隠されていたなんて――
「だから……“好き”になってもらったら、もう絶対に失いたくないんです。
どんな手を使ってでも、“自分のもの”にしたいんですの」
――それが、“恋”だと思っていたのね。
「でもね、リリア。それは、恋じゃないのよ。恋は“独占”じゃなくて、“尊重”なのよ」
私の声に、彼女は目を見開く。
「貴女の“好き”は、誰かを傷つける。自分も、誰も、幸せにできないのよ」
長い沈黙の後、リリアは初めて俯いた。
「……そんなふうに、考えたこと、なかったですわ」
私の紅茶はもう冷めていた。でも、彼女の紅茶のカップは――震えていた。
リリアはぽつりと呟く。
「クラン様って、怖いくらい……綺麗ですわね。綺麗で、正しくて……憧れてしまう。“恋”じゃない、別の言葉で……貴女の隣にいたいと、思ってしまうんですの」
それが、彼女の――初めての、“正しい気持ち”だったのかもしれない。
私は、微笑んだ。
「それは、“友情”って言うのよ」
***
その日、リリア・ホワイトリンテの笑顔は消えていた。
いや、正確には――“つくろうことをやめた”のだ。
「……友情、ですのね」
そう呟いたリリアは、紅茶のカップを持ったまま、少しだけうつむいていた。
その横顔があまりに儚くて、私は思わず手を伸ばしそうになった。
「リリア……少しだけ、昔の話をしてくれない?」
彼女は黙ったまま、しばらく何かを飲み込むような沈黙を続けた。
そしてぽつり、と、言葉を零した。
「……わたくしは、孤児でしたの」
私は息を飲んだ。
ゲーム内の設定には“平民出身”としか記されていなかった彼女の背景。
でも、その実情は、もっとずっと重いものだった。
「名前も、持っていませんでした。ただ、番号だけ。“子供4番”、それが、わたくしに与えられていた呼び名でした」
なんてこと。
「貴族の視察があるたびに、わたくしたちは整列させられて、“物”のように扱われました。わたくしは、“選ばれる”ために笑顔を練習しましたの。お人形のように、完璧に。選ばれれば、食事が増えて、布団がもらえて、名前が与えられるから」
彼女は、ほんの少し、微笑んだ。
でもそれは、私が知っているリリアの笑顔じゃない。
壊れた硝子細工のような、乾いた微笑だった。
「そしてようやく、“ホワイトリンテ家”に引き取られたとき、わたくしに与えられたのが“リリア”という名。でも……もう誰かに嫌われるのが、怖くてたまらなくて。“捨てられたくない”一心で、ずっと、笑い続けてきたのですわ」
私は、言葉を失っていた。
彼女の笑顔は、誰かを癒すためのものじゃなかった。
生きるためのものだったのだ。
だから、攻略対象に向けるあの“愛”も、
根底には“恐怖”があった。
誰かを好きになることと、
誰かにすがることは、
まったく別のものなのに――
「わたくしは……ずっと、恋をしているつもりでした。でも……それはただ、怖くて、怖くて。自分が嫌われるのが……誰かに“いらない”って言われるのが、怖くて……!」
彼女の手から、紅茶のカップが落ちた。
高価な磁器が床に砕ける音が、やけに静かに響いた。
私は、立ち上がって、彼女を抱きしめた。
「大丈夫。リリア、私は貴女を“いらない”なんて言わないわ」
彼女は、驚いたように目を見開き――
やがて、その頬を一筋の涙が伝った。
それは、ただの水滴ではない。
きっと、彼女がようやく“ヒロイン”になれた瞬間だった。
“愛されること”ではなく、“愛そうとすること”が、彼女に訪れた初めての変化。
私は静かに、彼女の背を撫でながら、こう告げた。
「貴女はもう、誰にも選ばれなくていいのよ。私は、貴女を“対等な友達”として、ここにいるから」
そう。
“対等”――
彼女が人生で一度も得られなかった立場を、私は今、与えたのだ。
翌朝――
リリアは、控えめな笑みを浮かべて屋敷を訪ねてきた。
「皆さまに……ご迷惑をおかけしました。お詫びを申し上げますわ」
王太子アレクトは、どこか複雑そうな顔で言った。
「君が、そんな過去を……いや、知らなかった。いや……知ろうともしなかったんだな、俺は」
リリアはうっすらと微笑んだ。
「構いませんわ。知ってもらえたなら、それで」
その笑みは、はじめて――“愛されるため”ではなく、“自分の意思で浮かべた”笑顔だった。
そして彼女は、私の横に立って言った。
「これからは、クラン様と一緒に“普通の友情”を学びたいと思いますの」
「……ふふ、期待してるわよ。友情初心者さん」
***
学園に春が訪れていた。
校舎の回廊には、花の香りと新しい風。
けれど、何よりも驚くべきは――
「おはようございます、アレクト様」
「う、うむ……今日はいい天気だな」
「ええ、クラン様とお弁当をご一緒する予定なので、晴れてよかったですわ」
――リリアが、“普通に挨拶してる”という事実だった。
私の方を見ると、彼女は軽く手を振った。
まるで、普通の乙女のように。
過去のナイフと呪いと埋設物は、どこへやら。
(……この短期間で、人格ってこんなに変わるものなのね)
いや、変わったのではない。
彼女は“気づいた”のだ。
好きになることは、相手を閉じ込めることじゃない。
自分もまた、他人に手を伸ばしてよいのだと。
あれから、リリアは攻略対象たち一人ひとりに“ごめんなさい”を伝えた。
それは涙も叫びもない、静かで誠実な謝罪だった。
「僕は……君のことを、少し怖がっていた。でも、あの時の涙を見て……本当は、すごく寂しい人だったんだと、わかったんだ」そう言ったのはアレクト。
「人に近づくのが怖いって、実は俺もそうだったから……少しだけ、わかる気がする」
これはレオン。
「なら、今度は……人を大切にする方法を一緒に学ぼう」
ルキウスのその言葉には、私も思わず笑ってしまった。
(全員、ちょろすぎでは……?)
けれどそれも、悪くない。
私はといえば、“断罪イベント”がなくなったので、今は暇である。
「ねえクラン様、今日の授業、終わったら一緒に花壇のお手入れをしませんか?」
リリアがそう言ってくる。
もはや日課だ。
彼女は毎日、何かしらの“普通の友情イベント”を私に投げてくる。
一緒に掃除、一緒に昼食、読書、散歩、菓子作り、手紙交換……
(なんかむしろフラグ立ってない!?)と内心で叫びながら、私は全部に応じている。
なぜなら――
「貴女といると、少しずつ、私が“人間”になっていく気がしますの」
そう、彼女が笑って言ったから。
それだけで、十分だと思った。
――そして数日後。
かつての“断罪イベント”予定日。
広場の中央で、私はぽつんと立っていた。
何も起きないのが、逆に不安になるのはどうしてかしら。
「クラン様」
背後からリリアの声。
彼女はそっと、私の手を取った。
「本当に……ありがとうございました。あの日、わたくしを拒絶せず、話を聞いてくださって」
「……あら、別に、そんな大したことじゃないわ。貴女の“恋”が、“依存”になっていただけ。
それを、“友情”に修正しただけよ」
「それが……とても、とても難しかったんですの」
リリアの瞳には、もう影はなかった。
代わりにそこには――
“人としてのまなざし”が宿っていた。
「これからも、ずっと……お友達でいてくださいますか?」
私は、わざとらしく肩をすくめた。
「ええ。面倒はかけないでほしいけれど……まあ、許してあげるわ。“私の初めての友達”だもの」
リリアが、ふわりと笑う。
その笑顔は、はじめて会ったときより、ずっとずっと綺麗だった――
***
その後の学園は、ずいぶんと平和になった。
――のだが。
「クラン様……! 今日も一緒に帰りましょう!」
「クラン嬢、読書室で少しだけご一緒できませんか?」
「クランさん、あの、今日の授業……付き添っていただけたり……」
攻略対象たちの矢印が、なぜか全部こちらに向き始めたのだけが誤算である。
「……私、ヒロインじゃないんだけどなぁ……」
嘆く私の隣で、リリアはまた微笑んでいた。
「大丈夫ですわ。わたくしたちは、“友達”ですもの」
いや、それ、時々“保護者”みたいになってない!?
乙女ゲーム? 恋愛? そんなの知らない。
私は今日も、全力でフラグクラッシュして生きていく。
だって私は――
悪役令嬢、クラン・アルデリーテなのだから!
✦完✦
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