襲った衝撃(チェリア視点)
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それは突然だった。祈りを捧げていた時に、全身に強烈な雷を受けたような衝撃があり、チェリアは祈りを中断する。両手で己の身体を抱きかかえるように支えた。痛みは感じない。けれどもただ事ではない。
「チェリア王女殿下、いかがしたのですか?」
「……お兄様……?」
傍にいた司教の言葉はチェリアには聞こえていなかった。その時チェリアには声が聞こえた気がしていたのだ。双子の兄であるイオリスの声が。
『ありがとう、チェリア』
小さく今にも消えそうな声だった。胸騒ぎがする。何かがあったのかと、チェリアは立ち上がり慌てて自室へと戻った。
「お早いお戻りでしたが、どうかしましたか?」
「王城に行くわ」
「え? 何を仰って――」
「いいから行くの、今すぐに!」
控えていた侍女を急かし、チェリアはすぐに動いた。護衛たちの準備など待っていられないとばかりに、馬車へ乗り込むと御者に王城へ向かうことを伝える。ここから王城までは一日近くかかる距離だ。当然、御者は躊躇い、慌てて追いかけてきた司教や侍女たちにも引き留められてしまう。すぐには無理だと何度もたしなめられて、チェリアは急く気持ちを抑えながら明日に向かうと言うことで納得した。
翌日になり、チェリアは王城へと向かう。到着したのはその次の朝だ。予定にない王女の到着に王城内も一瞬騒がしくなった。そのようなことなど気に留めないチェリアは走る。目的の場所は双子の兄であるイオリスの部屋。その部屋の前には、いつものように護衛騎士たちが立っていた。
「イオリスお兄様に会わせて!」
「……チェリア王女殿下」
「お願いだから」
いくら妹といっても、断りなく突撃することはできない。それくらいは理解していた。けれど、チェリアの言葉に騎士たちは困ったような顔をするだけだった。
「何か、あったの?」
「……聞いて、おられないのですね」
「聞いてない? 何を?」
騎士たちは悲し気に目を細める。そして仕方がないと扉を開けてくれた。チェリアは急いでその部屋の中に飛び込む。だが、その中にイオリスの姿はなかった。
「お兄様……?」
「イオリス様はここにはおられません」
「じゃあどこにいるの? 早くお兄様に会いたいの!」
「……わかりません」
「え?」
わからない。仮にもイオリスの護衛騎士でありながら、何を言っているのか。だが、チェリアは次の言葉に愕然とする。
「イオリス様は、一年ほど前に……王城から姿を消しました。誰もその行方は知りません」
「……どういう、こと……? お兄様が、どうしてそんな……」
「……申し訳ありません」
一年も前から姿を消していた。王城にイオリスはいない。護衛の皆も、侍女たちもいるのに、イオリスだけがいない。理解できなかった。何よりも一年近くもそれを知らされていなかったことに、怒りを覚えずにはいられない。
「どうして誰も教えてくれなかったの……? どうして」
「それは、陛下を初めとして皆様がお怒りになられているから、かと」
「怒るのは当然かもしれないけれど、でも……お兄様が何の理由もなくそんなことをするわけがないわ」
突然姿を消せば、王族として咎められるのは当然だ。しかし、チェリアが知るイオリスは、突拍子もないことをするような人ではない。いつだって優しく、他人を気遣う人だった。迷惑をかけるとわかっていて、そのような行動をすることなどありえない。何より、チェリアにも黙って出ていくことなんて絶対にしないはずだ。
チェリアはイオリスが使っていた机へと移動すると、それに触れた。埃は溜まっていない。侍女たちが定期的に清掃をしているからだろう。一年も不在だという部屋なのに、それでもここは清潔さを保っていた。
何気なく引き出しの一番上を開ける。するとそこには手紙が入っていた。手に取り宛先を確認する。そこには、チェリアの名が記されていた。
「お兄様からの、手紙」
「え?」
護衛らから驚きの声がする。出奔したとはいえ、机の中まで物色はされなかったらしい。チェリアはその手紙の封を解き、中を取り出す。そこにはイオリスらしい、丁寧な文字が羅列してあった。
『親愛なる妹、チェリア』
そんな書き出しから始まった手紙。そこには、イオリスからここを出るという旨の言葉が綴られていた。
「ど、して……お兄様っ」
『今まで黙っていたこと、すまなかった。本当は黙っているつもりだったが、たぶんチェリアには気づかれてしまう。その時が来たら。だから、こうして遺すことにした。チェリアが読んでいるということは、きっと俺はもういないだろうから』
それはイオリスからの最期の言葉たちだった。イオリスはもう自分が長くないことを知り、それで城を出たのだ。どうしてそうしたのか。非難を浴びる形で出奔をしたのか。そうすれば、レティシャがイオリスの非によって婚約を解消できるから。不義理をする王子など相応しくないと、バレンシア伯爵は激昂するだろうと。王子であることがレティシャと婚約者である理由ならば、別にイオリスである必要はないのだからと。
『みんなを責めないでくれ。これは俺の我儘だ。皆は俺の意志を尊重してくれただけだから』
イオリスの事情を知っている者たちは、みんなが口を噤んでいるのだろう。イオリスが非難されても、ただそれに黙って耐えている。事情があることも言えず、何も知らないと白を切ることしかできない。それを強いていることは申し訳ないと。そんなこと、イオリスが考える必要などない。これまでだって、イオリスは国のために、王太子である兄のために力を尽くしてきたのだ。一つや二つの我儘を言ったところで許されていい。
『何も兄らしいことはできなかったけれど、どうか幸せに。俺と共に生まれてきてくれてありがとう』
最期はそう締めくくられていた。その文字が滲む。涙が零れ落ちるのを止められなかった。これが最期の手紙。濡らしてはいけないと、それを机の上に置き、チェリアはその場に崩れ落ちた。
「いや、お兄様っ……お兄様ぁ!!」
「王女殿下……」
もういない。共に生まれたからこそ、チェリアは理解してしまった。片割れだったイオリスがもういないということに。あの衝撃は、イオリスがいなくなったということを伝えてくれたのだ。大切な片割れだった存在を失ったことを伝えるための。
「もういない……お兄様は、もう……っ」
「っ……そう、です、か」
チェリアの言葉に、騎士たちが動揺する。これは知らなかったのだろう。近くにいた侍女たちの中には、同じように崩れ落ちる者もいた。イオリスはもういないのだと。
「……この、ことは」
「言わなくて、いいわ……どうせ、言ったところで変わらないもの」
「殿下っ」
それはイオリスも望んでない。だからチェリアにだけ手紙を残した。自分の意図が伝わるようにと。知らないではいられないだろうからと。涙を拭き、チェリアは必至に己の心を抑えた。どれだけ泣いても枯れることはないだろうが、今は駄目だ。この城で、これ以上の悲しみを見せるわけにはいかない。
「……聞いても、いい?」
「何でしょうか?」
「レティシャ様は、どうしているの?」
イオリスの婚約者だったレティシャ。彼女のことはチェリアも知っている。幼い頃からイオリスのことが好きだったというレティシャは、婚約者になれたことを本当に喜んでいた。朴念仁だったイオリスは気が付いていなかったし、きっと知らないままだったのだろうが。
「……半年ほど前に第三王子の婚約者になられました」
「そう」
イオリスのことは知らないだろう。チェリアにさえこのような形で伝わったのだ。レティシャは何も知らない。知らないまま、別の男の婚約者になった。イオリスに捨てられたと思ったかもしれない。もしかしたら、イオリスを憎んでいるかもしれない。それならそれでいい。イオリスをよく知る者ならば、そんな真似などしないとわかる。一度でも疑ってしまったのであれば、それまでの想いだったということだ。
「王女殿下」
「……何かしら?」
「イオリス殿下専属の者たちは、全員が止められなかった罪を問われ、ひと月ほど前に解雇を言い渡されております」
それは十分に考えられる話だった。ここに残っているのはイオリスの居室を守るためだけ。そのためだけにいるのだと。
「でも、それじゃあ貴方たちは」
「イオリス殿下から、事前に便宜を図っていただいておりますので、十二分に褒賞を与えていただいております」
「……流石お兄様ね」
こうなることも予期していた。傍にいる者たちが責任を問われるだろうということも。だからこそ前もって給与を渡しておいたと。
「バレンシア伯爵令嬢の件も、前もって第三王子が動くようにと働きかけておりました。乗せられたと王子殿下は気づいていないでしょうが」
「……そっか」
「すべてを王女殿下にお伝え出来たので、我々は王城を去ります。既に職はありませんが」
この部屋も無くなってしまうだろう。侍女たちもいなくなり、騎士もいなくなる。主のいなくなった部屋はさびれていくだけだ。それは仕方がない。
「イオリス殿下の私物については、持ち出させていただきます。捨てられたくはありませんので」
「ありがとう。そうしてもらえると私も嬉しいわ」
「その後、私をはじめとした数人はイオリス殿下の足取りを追うつもりです」
「え?」
「最期……そのお姿を見られずとも、その地を目指そうと思っております」
イオリスの姿を見ることはもはや敵わない。わかった上で、最期の時を過ごした地を目指そうと。どれだけの時間がかかるかわからない旅になる。それでもかまわないと。
「どうして、そこまでお兄様を」
「……今更他の王族の方々に付くことはできません。私たちはあの方を生涯の主とすると、そう捧げてきましたから。あの方の真実を知らず、非難される場所で生きていくことはできません」
イオリスは黙っていなくなってしまった。それを責めるのは当然だ。それを仕方ないと思っても、共に非難することはできない。偽りの言葉を述べることもできない。だからここを去るのだと。
「本当のことを言えば、殿下には怒ってもいますが……」
「そうね……」
もっとやり方はあった。だからイオリスが責められるのは当然だ。どのような理由があっても、すべてを放棄したのはイオリスなのだから。それでも、やるせない思いを抱いてしまう。だからこその行動なのだろう。
「……私も、同行するわ」
「王女殿下⁉」
「だって私はお兄様の妹だもの」
似た者兄妹として責められてももはやいい。チェリアがやってきたことは、国のためだった。それもイオリスが頑張っているから、会えなくても繋がっていたから耐えられた。そのイオリスはいない。チェリアがやってきたことは、別にやらずとも民には影響がない。国の権力者には影響はあるだろうが、そんなこともはやどうでもいい。
「私も、お兄様が見た景色をみたい」
ひとまずこれで完結としておきます。
時間ができたら、レティシャ視点、その後のチェリア視点などを描くかもしれません。