第二十話 かくれんぼ
ブレザーが風に煽られバタバタと音を立てる。
本当に今俺は空を飛んで、じゃなくて落ちているんだな。
意外と地面に落ちるまでは長く、今丁度校舎の屋上を通過した。
ゆっくりと映像と脳内が動く。
まあ、上手くやろう。
三階あたりを通過したところで俺は瞼を上げ、仰向きだった体勢をそのまま起こすようにして火花を散らしながら教室の中へとぶっ飛んだ。
空気を押し除け教室の窓をら飛び越える姿はさながら陸上選手の様ではあったが、入った時の勢いでカーテンと机のテーブルクロスが全て吹き飛んでしまった。
終わったら直すので許してください。
どうか誰もこの教室に帰ってきませんように。
そう神に願い考えながら教室に橋本がいないことを確認し俺はまた教室から飛び出した。
廊下に出て左右を確認するがやはり橋本の姿はない。
雲隠れしやがったか。
わかってはいた、だが何処に隠れたのかはもう見当もつかない。
こういう時古水みたいに何でも見えたら楽なんだけどな。
願望をどっちかに優先されたらそれはそれで嫌だからさっきのこと一つだけにしておこう。
俺はもう一度目を瞑り呼吸を整えた。
最初に、順序を考えよう。
まずは橋本を見つける。
多分そう距離は離れていない、というかきっとまだ学校の敷地内のはずだ。
どこに逃げたのかはわからないが見つけるのはそう難しくない。
なぜなら一階には一年生が屯していて、三階からは人の声と机を動かす音が聞こえていたから橋本を見た人の確率は高いはずだ。
そして次に妖術の断定。
この赤くなった腕の跡から見てわかることは色々とある。
が、もちろん勝手に判断して思い込むことも油断することも良くわない。
ふぅ、さてさてあいつは何処に行ったのやら。
先も言った通り一階からも三階からも声がすることから校内に人気がまだあることはわかる。
だとすれば二年の教室の何処かに隠れた可能性が高い。
まずは二階全ての教室を調べてから他の階も確認してそれから……
「あ、あれ神代君じゃない?」
「あほんとだ、おーい神代」
一瞬ドキッと動いた胸をゆっくり下ろし落ち着く。
よく見るとそいつらは確かE組のクラス委員長を務める者たちだ。
お互い手には段ボールとガムテープ。
E組は巨大迷路のはずだったからその材料で間違いないだろう。
「えーと橋本を見なかったかな」
「橋本君? あー橋本君ならそこの階段を降りて渡り廊下の方に歩いて行ったよ」
一階の渡り廊下の方ってことは甘夏の教室の前か。
「ありがとう」と一言感謝をして俺は駆け足で階段を降りた。
やはり一階は一年生たちが未だ騒いでいる。
甘夏は帰ったのだろうか。
少し期待を込めながら教室のドア前から中を覗くが甘夏の姿はなかった。
もしいたら手伝ってもらおうと思ったんだがな。
踵を返し渡り廊下の方に体を向ける。
この先は昇降口と事務室を挟んで実習棟が建てられており、放課後は二階の科学部、三階の吹奏楽部、同じく三階の天文学部が各教室を使用している。
一階は会議室等があるためこの時間帯はドアも開かれていないし使用もされていないはずだ。
つまり二階か三階、とにかく見て回ろう。
一階を一通り見て次に俺は二階を探索した。
こっちの棟に入った時から気づいていたがさっきから薬品臭が酷い。
それはもちろん科学室に近づくと匂いを増していき教室の中では白衣と丸眼鏡をつけた部員たちが顔をニヤニヤとさせ机の上で鍋を回している。
毒々しく湯気を立ち上げ他の机には鍋に入れたのかもしれない野菜や粉類、それに正体不明の肉が銀のトレイに置かれ鳥肌が立つ。
見つかったら何をされるかわからない。
バレる前に行ってしまおう。
そろりそろりと歩いて俺は階段を登った。
今度は吹奏楽部の音がでかくなる。
右には音楽室、すぐ左には天文部の教室がありこの階には他に三つの教室が存在するはずだ。
見るなら三つの教室か。
そう考えながらも一応音楽室と天文部が使用する暗室の中を確認した。
暗室は名前通り暗く、外から中の様子はわからない。
だが階段を登る際確かに暗室の中から物音がしたはずだから中に人はいるはずだ。
仕方がないので扉をコンコンと叩く。
……返答はなし、本当に誰もいないのか?
しかし扉に手をかけ力を入れると扉は最も簡単に動いた。
すると、
「あーすみません生徒会の人ですか? 日野部長なら今先生に呼ばれてて……」
「あー俺、生徒会の人間じゃないんだ」
「そうなんですか」と言うとその一年の女子部員は扉の横にあった照明のスイッチを押した。
明かりがつくと部室内には他に三名生徒が何かを取り囲んで座っていたがそこにあいつの顔はない。
ここもハズレ、か。
再び教室を見渡す。
少しの机と大きな段ボール、それにロッカー。
引っかかるし鎌をかけてみるか。
「あれはなんなんだ?」
「あ、あれ? ああ、プラネタリウム用の投影ライトです。天文部では六月祭の際これを使ってプラネタリウムの観望体験会をするんです」
ほープラネタリウムの観望体験会。
プラネタリウムというものはそういった専門の施設でしかできないと思っていたが家庭でもできるようなものがあるのか。
田舎にはない情報だな。
俺は頷きながらライトについて説明する部員たちの姿を見る。
やはり明らかにこいつらは何かを隠している。
最初の女子生徒の発言。
あれは普通なら日野部長の話などせず、直ぐに出れなかったことに対して謝る行動をとるはずだ。
それともう一つはわかりやすく暗室を暗くしていたこと。
一般的にプラネタリウムを使うときは部屋を暗くする必要がある。
そのためには部屋を暗くした後部室の扉につけられていた目隠しを閉じなければいけないはずだ。
だがこいつらはそれをしていなかった。
まるで、ここの前を立ち寄ったやつに「天文部は部活動を行っていない、人は誰もいない」と思わせるように。
その時、教室の角にあった掃除用ロッカーから電話の鳴る音がする。
ロッカーはガタガタと揺れ始め次第に電話の音が止まるとそれも同時に止まった。
部員たちは隠すのを諦めたのか、全員黙り込み真っ直ぐにロッカーの方を見て頭を抱えていた。
俺は恐る恐るロッカーの前まで歩み寄り扉に手を触れる。
もしかしたら橋本が居るのかもしれない。
そんなあるはずないことを少し感じながら呼吸を整え、手に力を入れて思い切り扉を後ろに引っ張った。
「ごめんなさいすぐ行きますから!」
ロッカーの中には雑巾を頭に乗せ眼鏡を白く曇らせた細身の男子生徒が合掌をしながら座り込んでいた。
橋本じゃない、ブレザーのワッペンからして三年の生徒だ。
俺は少し驚いたが落ち着いて眼鏡の男をロッカーから引っ張り出した。
こいつ、もしかして日野部長とやらか?
「日野部長すみません、私がドアの鍵を閉めなかったまでに……」
「こちらこそごめん、電話の電源を切り忘れていた」
やはり日野部長というのはこいつのことか。
確かに、よく見るとこいつの顔を昇降口前にある六月祭部活動紹介の動画に写っていたような気がする。
うろ覚えだがこの吊り目の感じが印象的だった。
……そんなことより、俺への誤解を解かないとだな。
「あのー俺、本当に生徒会の人間じゃないんですけど……」
俺の言葉にうんうんと頷き納得してくれたのかと思ったら急に首を振り返り驚いた表情で俺の方を見る。
間違ったことは言っていない。
そもそもそんなに生徒会の接触を嫌がる理由はなんなんだ?
その後、話を聞いてみると日野部長は部活の件で生徒会に付き纏われている。
というわけではなく、クラス準備の件で生徒会委員長に追われ今の今までロッカーの中に隠れていたらしい。
よくこんな茶番劇に後輩たちは付き合ってくれたものだ。
それほど尊敬された先輩なのだろうが、側から見たらなんともへっぴり腰で威厳なく見える。
まあ出会って数分の俺に何か言えるわけではないが。
俺は一応全員に橋本の姿を見ていないかと尋ねた。
でも返ってきたのは知らないの一言。
そりゃ、ずっと部屋を暗くして隠れていたのだからそうだろう。
部屋を出て俺は奥の教室を確認した。
結果はわかっていたが全てハズレ、何処にも橋本の姿は無くあったのはパソコンの並ぶ部屋と民芸品が並ぶ小さな部屋と大きなスクリーンが垂れ下がる部屋だけ。
「てか、あいつ何で逃げるんだよ……」
愚痴をこぼし足の裏で床をトントンと叩く。
実習棟は全て見た、絶対に取りこぼしもないはずだ。
鼻に指をやり少し考える。
そもそも最初から実習棟には行っていなく、一般棟の方に……いや、直接見たという奴らが渡り廊下と言ったのだからそれはないだろう。
なら校舎を出た可能性は……それもない。
あいつは俺を殺すと言ったんだ、完全に逃げることは絶対にない。
他のルートを色々と考える。
グラウンド、体育館、事務室。
色々と思いつくがどれも正解だとは思えない。
「あーもう」
むしゃくしゃし頭を掻きむしる。
あいつから俺を殺すと言ってきたんじゃないのかよ。
なんだって俺からあいつを探さなきゃ行けないんだ。
色々と疲れた身体を休めるようにして壁を擦りながら座り込む。
これ以上実習棟に何かあるわけではない。
だったら一体全体どこに言ったん……だ……
目線の先には新たな登り階段が見える。
三階は最上階でその上に四階はない。
これは当たり前のことだ。
が、目の前には登り階段がある。
すっかり忘れていた、三階の上には四階の代わりに屋上があるのだ。
実習棟に足を運ぶことは転校してから約十回ほど、それも科学室がほとんどで三階にはあまり行かなかった。
それにこの登り階段は俺が登ってきた階段と反対側の階段にしかない。
俺が鼻を摘みながら三階に上がった時は階段など無かったのだ。
警戒してゆっくり階段を登ると普段立ち入り禁止のために立てられていたであろうパイロンが倒れている。
ということは、きっとこの先にあいつがいるはずだ。
大きく深呼吸をする。
はぁ、緊張はしていない。
でも俺はどうしたらいいのだろう。
あいつを、橋本を妖怪の手からどうやって救えばいいのだろう。
そもそも俺は妖怪に取り憑かれたやつの対処方をまだ知らない。
だからと言ってここで逃げ今から月冴たちに助けを頼むことはできない。
俺に、本当に俺にあいつが救えるのか?
うやむやな気持ちを胸に抑えこみ扉を開ける。
目線の先にはあいつの姿があった。
ブレザーを暖かい風にたなびかせ顔につけていた伊達メガネを外している。
夕焼け空が相まってまるで最終回みたいだ。
「やっときたか、遅かったな」
「おいおい、そう思うなら最初から潔く出てきてくれよ」
「それだと面白くないだろ?」
確かに、橋本の言う通り面白くはない。
橋本が俺から逃げた理由。
逃げたと言うよりこの屋上に場所を移したのにはきっと何か理由があるはずだ。
警戒は怠らないように動く必要があるな。
とにかく、あいつから目を離してはいけない。
何も見落とさない様に目を凝らさなければ。
「……そういえば眼鏡、どうしたんだ」
「ああ眼鏡。それなら捨てたよ、俺は別に目が悪かったわけではないしそもそもあれは度が入ってないただの伊達メガネだよ」
「そうだったのか」
橋本は俺との会話に動じず、ただ俺の方をニッコリとした顔で一直線に見つめてくる。
明らかに情緒不安定。
妖怪に取り憑かれた場合お互いの意識がぶつかり合ってそうなるのかもしれない。
残っているのは恨みの念でもまだあいつの意識がある。
もしかしたら会話でどうにかなるのでは?
そう思考し俺は口を開く。
だが、言葉が喉から出かけたところで俺は勝手に口が閉じてしまった。
そのものを見て、会話でどうにかなるなんて思った俺がバカだと感じたから。
願望を思いついた直後それを打ち砕かれた俺は力がなくなり握っていた拳を解いた。
そして、温もりを得たため息を大空に吐く。
「返して……返して……」
またか細い女の声。
やっぱりそうだったのか。
「返して……返して……」
段々と女の声は大きくなる。
自分のために早くしろと急かすような声に俺は苛立ったような気がする。
「うるさい」その言葉が頭の中を埋め尽くす。
……はぁ、珍しいな、俺がこんなになるなんて。
まあ、たまにはいいだろう。
「ああ、そんなに返して欲しいならなあ」
全身から火花をバチバチと力強く散らす。
怒りでもなく悲しみでも悔しさでもなく。
橋本の方に顔を向き戻し意思を定めた瞳で突き刺すようにして見つめた。
「地獄まで返してやるよ」
親指を真下に向けた言葉を言い切った瞬間、俺の真横まで伸びた橋本の影から腕が生まれてくる。
声のようにか細く、指の先が尖りまるで怪しげな樹木のようだ。
さあ、上手くやろう。
決めたんだ。
俺は橋本を救うんだと。