春、閉ざす
僕らは、僕らを殺したかった。
これは、春を思う時期の僕たちにとって、最も重要な声であり、また、最も不要な思考でもある。
そして、そんな僕たちを相手にする大人たちにとって、最も重要な声にすべきものであり、無論、最も不要な思考だと気づかせるべきものである。
そんな拙い僕たちの日々に転がっている、小さな、すごく小さな抗議を、誰でもいいから届けたい、と。
一過性の願いに過ぎないのかもしれない。
これも含めて「思春期」なのかもしれない。
現在ではわからないこれが、未来で振り返ればわかるのかもしれない。もしかすると、永遠にわからないのかもしれない。
けれども僕は、それでも僕らは伝えたい。伝えなきゃならない。密かに、ただ切実に、そう思っていた。
───あの夏を創る、僕らの総戦記だ。
風が吹いた、カーテンが揺れた、宙を舞った、桜の花びらが落ちた。庭にある桜の木は早々に花を咲かせていた。あんなにも積もっていた雪は、いつの間にか解け、春を迎えた。15回目の春。久しぶりに顔を合わせる地面は心做しか元気がなさそうだ。なぜだろうか。空はこんなにも澄んでいるというのに。
そんなくだらない、日々の端くれと向き合っているうちに、私の鼓膜が揺れた。
「花音。ほら、ケーキ。食べよう?」
母だ。今日で15歳になる私は、どうやらケーキが食べられるらしい。まぁ、毎年のことなのだけれど。適当に返事を済ませ、窓辺から離れた。
リビングに入ると、家族は皆席についていた。長方形の机に、向かい合う形で4つ椅子がある。母、弟、父、と視線を動かした。父の隣が空いている。私の座る場所。向かいには母がいる。既に切り分けられたケーキを食べようとすると、母に止められた。
「写真。撮ろう」
全く撮りたくないがそれが母のエゴなのだ。仕方ない。弟と一緒に写った。
母は、私が写真に写るのが好きだと思いこんでいる。面倒くさそうな態度をとると期限を損ねてしまう。たまにスタジオに行ってプロに撮影してもらうのも、こんな奴のために…なんて思ってしまうのも、出来上がった写真を見て惨めになるのも、全部嫌いだ。文句こそ言わないものの、本当はやめてほしい。
うんざりを隠してケーキを食べ終え、部屋に戻ろうとすると今度は弟に止められた。「ねね、遊ぼ」らしい。しかし私は受験生だ。勉強したい。だが、断ると泣くのは目に見えている。だから弟のことは父に頼んだ。
部屋に戻って勉強をはじめた。本当はやりたくないし、高校だってなんとなく行くだけ。何も目的なんてないしやりたいこともない。周りはみんな高校での目標とやらがあるらしい。
こんなに呑気なのは私だけなのだろうか、といつも考えては答えが出ない。ただ、悶々とした考えが吐き出せず私の中で行き場を失っている。
はぁ、とため息をついて問題に向き直った。
「もういい。どうせわかんないんでしょ?」
母の声だった。ただの声ではない。怒声だ。あぁ、またか。また、これか。
手が震える。鼓動が高まる。呼吸が早くなり、やがて息の吸い方を忘れる。目の前がぼやけてきて、怖い。
弟が生まれてから、両親はよく喧嘩をするようになった。前まではとても仲が良かった、ように見えていただけなのかもしれないけれど。夜、お金のこと、子供のこと、仕事のこと、家庭のこと。色んなことで喧嘩をしていた。その声が何より怖くてたまらなかった。早く、早く眠りにつこうと必死に目を瞑っても、恐怖には勝てなかった。
喧嘩が終わると、母は決まって私の部屋に来る。泣きながら、抱きついてきて、父の愚痴をこぼす。父と2人になることはそうそうないが、たまに2人きりの車内で父も母の愚痴をこぼすのだ。ましてや、母方の祖母まで、私の父を悪く言う。
私はそういう両親が嫌いだった。でも、好きだった。そんな毎日を繰り返していくうちに、私にとって両親は、「感謝はしているけど、尊敬はできない存在」へと化した。
私は慣れている。何度も何度も同じことがあったから、私は私の対処の仕方を知っている。でも弟は知らない。見たことがない。理解ができない。
ことある事に母に連れられる家族での外食後に、決まって両親が喧嘩すること。今両親が何を思い、何をぶつけているのか。弟は何も知らないのだ。私は弟を守らなきゃならない。まだ5歳の無垢な弟を、傷つけてはならない。
そう思って私はいつも、両親の機嫌が悪くなると弟と部屋で遊んでいる。今日は、ちょっと、遅れてしまったけれど、同じことをした。
すると、母も来た。母も、私の部屋に来た。喧嘩は終わったのか?父はまだ怒っているみたいだけれど。
予想外の展開に口がふさがらない。まぁ、いいか、と弟をなだめた。
しばらく時間が経って、父が会社に行かなければならなくなった。皆で見送りに玄関に行く。我が家の決まりだ。
いかにも不機嫌そうな顔の父は、荷物をまとめる際、物に当たっていた。こんな父は見た事がなかった。更に、家を出る寸前、突然大きな声で
「俺裏切ってねぇから。こっちの気持ちもわかってくれよ。」と吐き捨て、家を出た。
───父はそれっきり、帰ってくることはなかった。
別れは、あまりに突然で、衝撃的で、私の心は受け止められなかった。
あの時、私に何ができたのか。私がもっと早く気づいていれば、いや、父に弟を頼まなければ、こんなことにはならなかったのか。
それとも、もっと根本を辿るべきなのか。両親が崩れたきっかけはなんなのか。
まだ子どもな私にはわからなかった。ただ、自分を責めることしかできなかった。
悶々とした思いは永遠に私の中で渦を巻いた。
蝉の声が鳴り響く、夏の暑い日だった。