子供の頃、『遠慮』に憧れていた話
私がまだ純粋な子供だった頃のこと。
どうしても理解できない大人たちの言動があった。
それは、『遠慮』。
親戚がうちにやって来る。
お母さんがお茶とお菓子を出そうとする。
その時、親戚のおばさんが言う。
「あら、〇〇さん、いいんですよ。私たちちょっと寄っただけだから、お気遣いなさらずに。」
「いえいえ。たいしたものじゃないけど、せっかくだからゆっくり召し上がってください。」
「悪いわねー。じゃ、ちょっとだけ甘えさせてもらおうかしら。」
―なんだこれは…?
『おいしいお菓子です。ぜひ食べてください。』
『嬉しいわ、ありがとう。』
これじゃダメなのか?
おばさんはなぜ最初に断ったのか??
お菓子をもらって嬉しくないのか???
不思議だ。
おばあちゃんの家に行く。
おばあちゃんが私にお小遣いをくれる。
その時、お母さんが言う。
「いやだ、お義母さん。この前もいただいたばかりなのに。」
「いいのよ、こうして〇〇ちゃんにあげるのが私の楽しみなんだから。〇〇ちゃん。これで好きなものを買いなさいな。」
「本当にいつもすみません。」
―なんだこれは…??
『お小遣いよ。これで好きなものを買ってね。』
『いつもありがとうございます。』
これじゃダメなのか?
いや、そもそもお小遣いをもらったのは私じゃないか??
なぜお母さんが断ったり、お礼を言ったりしているのか???
不思議だ。
一度断っておきながら、結局もらう大人たちの謎の言動。
これが分からないのは私が子供だから?
…そうか、これが大人のルールなんだ。
これができれば、大人なんだ!
私がまだ子供だから、お母さんが代わりに大人のルールでお小遣いをもらってくれていたのか。
おばあちゃんの家に行く。
今日は私一人。お母さんはいない。
今日もおばあちゃんは私にお小遣いをくれる。
おばあちゃんの手には…せ、千円札!
いつも私が使うのはせいぜい50円玉とか、100円玉とか。
それが紙のお金なんて…大金だ!
嬉しい。おばあちゃん、ありが…
いや待てよ。
ここですぐにもらってしまったら今までの私と同じだ。
もう、私は子供じゃないんだ。
私が前よりも成長したんだってこと、おばあちゃんにも見せてあげないと。
こんな時、お母さんなら何て言うだろう。
『いやだ、お義母さん。この子にそんな大金―。』
うん、だいたいこんな感じだ。
よし、やってやろう!
できるだけ、自然に言うんだ。
落ち着いて、深く息を吸って…
「おばーちゃん。わたしね、紙のお金、いらないよ。」
言えた!
あんまりスラスラ言えなかったけど、まあいいや。
私は大人の仲間入りしたんだよ、おばあちゃん!
「あら、そう? 確かにそうね。ちょっと待っててね。」
ん? おばあちゃん?
「○○ちゃん、お手手だして。はい。」
じゃらじゃらじゃら
100円玉が10枚。
「〇〇ちゃんにはこっちの方がよかったね。ガチャガチャもできるし、駄菓子屋さんでもいっぱい買えるね。」
「うん。ありがとう。おばーちゃん。」
うーん。大人になるって難しい。
頑張れ、子供の頃の私。