88.検品
他の箱も検めたが、特に収穫はなかった。
一つだけ箱の隅に挟まってたらしい真珠がコロリと落ちたのが、ある意味収穫だろうか。
「ああ、これ。多分もとはピアスですね」
箱の底に残っていたパーツから、萌香はそう判断する。単純なドロップ型のピアスでデザイン的に対になってるものだと思うのだが、もう片方は無くなっているみたいだ。もしくは、壊れたから一つだけ入れられていたのか。
一つ、カレールーの箱らしきボロボロの箱があって懐かしかったが、劣化しすぎて字はあまり読めそうにもない。ただこれも、日本のものだということだけは分かった。何せあまりにもなじみがあるパッケージなのだ。劣化してても間違えようがない。
――これはカイさんに見せたら喜ぶかも?
集中していたせいか、少しだけお腹が空いてくるし、生唾までわいてくる。
カレーの魔力はすごいと感心しつつ、エムーアでは食べることが叶わないので、カレーを求める胃袋をなだめて蓋をした。
ああ、日本のカレーライスが食べたい……。
気を取り直して彼らが持ってきたものを全てを見終わり、一つ一つの品に感想や予想を付けて彼らに返す。最後に萌香は支倉詩織の手紙を手に取った。
二人が萌香を急かさず、自分のペースで考えられるようにしてくれるのがとてもありがたい。だから他の物を検分する間に気持ちの整理が出来た。
「では最初の紙の話に戻ります。私がちゃんと読めたのはこれだけでした」
手紙を広げ、二人のほうに向ける。彼らには読めないだろうが、気分的な問題だ。
「これはごく最近書かれたものだと思います」
キッパリそう言い切った萌香に、パウルは少し怪訝そうになる。
「なぜそう思う? 確かに新しそうではあるが」
萌香は深呼吸して気持ちを落ち着け
「これは私、恵里萌香に宛てた手紙だからです」
と答えると、二人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり、一瞬沈黙が落ちた。
「は?」
「どういうことだ?」
(さあ。私にもよくわからなくて)
と胸の中で答えてから、手紙を再び自分のほうに引き寄せた。
「この最初の一行に平仮名ですけど、えりもえか様。そう書いてあるんです」
名前の部分を指さす。「こんな字なのか」とアルバートが呟くように言った。その様子が、新しいおもちゃを見つけた少年のようで、くくっと笑ってしまう。
「これは平仮名なので、普段は漢字でこう書いてましたよ」
自分の手帳を出し「恵里萌香」と記して見せた。
二人には、同じものを表すのに文字が違うのが不思議なようだ。
「この字には、何か意味のようなものがあったりするのかな?」
パウルが顎を撫でながらそう言うので、萌香は少し驚いたあと、名前の由来や意味を親に聞く宿題が昔あったことを思い出しニコッとした。
「パウルさん、よくわかりましたね。ありますよ。こっちの二文字が名字の恵里で、意味は恵まれた里ですね。あとの二文字が名前の萌香を表してます。こっちが萌。草木が芽吹くとか、何かが起こる兆しという意味で、香の字は、香りです。萌香は春生まれなので、そう付けたと聞いてます」
厳密には自分につけられたわけではなかったけれど。
「ちなみに絵梨花――あ、ここにいたもう一人のエリカは、手帳に日本語で一条絵梨花と書いていました」
こちらもさらさらと書いてみる。
「誰かに教えてもらったのでしょうね。五歳ではこんな漢字、知りませんもの」
「誰かとは」
――たぶん、向こうの世界のアルバートさん。
「アウトランダーの誰か。鏡の向こうにいた、絵梨花の友人だと思います」
「この字の意味は? え、り、か。全部音は同じなのに萌香の名前とは形が違う」
「そうですね。音は同じでも意味が全部違います。――えっと。一条は一筋でしょうか。こちらでの意味は知りませんけど、日本語でなら一条の光なんて表現がありますから、多分あってるはず。絵梨花は梨の花の絵です。こんな花」
桜に似た花を、おおよそ実物大に描く。うまいとは言えないかもしれないけれど、以前小道具で描いたことがあるからよく覚えていた。
「木に咲く花ですよ」
「へえ」
「可愛いな」
短いけれど温かさがこもった声だ。
ふと、絵梨花の名前で最初に浮かんだ疑問を思い出した。
恵里香ではなく絵梨花なのはなぜだろう。確かそれが不思議だった。
でも、なぜ自分に自然とその字が浮かんだのかは、今も分からないままだ。
――漢字を当ててくれた誰かさんは、絵梨花に花の字を当てようと思うくらい、可愛く思ってくれた、とか?
そう考えるとなんだか微笑ましい気がして、心の奥にポッと灯火がともるような気がする。アルバートを見ると、萌香が描いた梨の花の絵を見つめる目が優しくて少し照れ臭くなり、微かに目を伏せた。
「話を戻すが、これを書いたのは、萌香の知り合いなのか?」
改めて詩織の書いた紙を示すパウルの言葉にハッとし、萌香は首を振る。
「いえ。まずは読み上げますから聞いてください。とても不思議な内容なんですけど」
質問は後回しにしてもらい、とりあえず全文聞いてもらう。読み終えて二人を見ると、彼らは何とも言えない表情をしていた。
ボトルメールを拾ったら、見知らぬ異国から自分宛ての手紙が入っていたようなものなのだ。しかも萌香の元に持ってきたというのも、たまたまなのかもしれない。
でも偶然だとは思えなかった。
アルバートは少し戸惑ったような顔で、手紙と萌香を交互に見ている。
「次元の谷……?」
その疑問の声に、萌香はパウルのほうをちらりと見た。
女王陛下いわく、エムーア自体が時と次元のはざまにある世界だ。
パウルはそれを知っているのだろうか?
あの時アルバートは知らなかったが、上司であるパウルなら知っているかもしれない。でももしも知らないのなら、ここで話を進めてよいものかと悩む。それでも少し考え、小さく頷いた。
「意味はわかりませんけど、もしかしたらこれは、エアーリアと関係があるのかもしれません」
「エアーリアと?」
「だが見つかったのは、エアーリアがあったとされる場所とは全く方向が違うぞ?」
「ええ、真逆ですよね」
手帳の新たなページを広げ、真ん中に大雑把な六角形を書く。
「これをラピュータとします」
その右上にサラッと丸を書いた。
「ここがバーディア。今回ここにある地底湖の奥で、これらが見つかったという話でしたよね」
萌香が確認すると、アルバートが萌香の書いた丸の周りに飛ぶ鳥のような図を書いた。
「正確にはバーディアの喉元にあるこの島だ」
バーディアは左に向かって飛んでいる鳥のような形をしている。その喉元あたりに小さな島をアルバートは描き、ペン先でコンとついた。
――んー。じゃあやっぱり詩織さんたちは、バーディア方面に向かっていると考えていいのかな。
そんなことを考えながら、今度は左下のほうにいくつか丸を書き、そのさらに下に星印を書く。
「このあたりがエアーリアでしたよね。あ、今は位置だけが重要なので正確に書かなくても大丈夫です」
アルバートに一言断りを入れ、星印からバーディアに向かってまっすぐに一本の線を引いた。
「多分、この詩織さんたちは次元の谷というところを、このように進んでいます」
萌香はそう言うと緊張を押し殺し、目をあげて自信があるように微笑んだ。
「どうしてわかるのか、そう思いますよね。私もそう思います。でも先日王宮に行ったとき、私はこんな風につながる道が見え、何者かが入り込んだことを感じたんです」
何とも言えない表情のパウルとアルバートを交互に見、ゆっくりと頷く。
「時々、どこかから呼ばれるような声も聞こえてました。たぶん、この詩織さんの声だと思います」
「じゃあ、この詩織という男が今のリュウオー?」
微かに眉をしかめるアルバートに、つい噴き出す。
「いえ。名前からすると詩織さんはおそらく女性です。こんな風に可愛く手紙を折ってますし、字のくせなんかを見ても、ほぼ間違いないんじゃないかと思います」
「そうか」
――何人か同行者がいるようですから、その中にリュウオーさんもいるかもしれませんけどね。
そう思ったけれど、今は何かまずい気がして口をつぐんでおく。
代わりにパウルが「それは聖女の力か?」と言って、難しい顔をした。
「どうなんでしょう。私も初めてのことでよくわからないんです。でも生前祖母がエリカのために過去の文献を調べてくれていたそうですから、休暇はイチジョーに帰って勉強してきます」
「ああ。萌香も手探り状態だったな。なんか、その、悪かった」
なんだか一瞬頼もしく見えてとモゴモゴいうパウルに、萌香は肩の力を抜く。
「いえ。私が聖女として色々学んでいれば、お力になれたかもしれませんし……」
そう。ここにいるのが絵梨花のほうだったなら、もう少し何か役に立つことが言えたかもしれない。しかしそんなことを言っても仕方がないのだ。
本物のエリカは自分なのだし、これから頑張ればいい。
助けを求められ、その力になれるなら。大丈夫、うん。頑張れる。
そう思うと、しっかり目標が定まったような感じがして、状況がさらに複雑になったにもかかわらず少し気が楽になった。
相手が悪人でない保証はどこにもないけれど……。
「ああ、もう昼が近いな。いったん終わりにして、また夜話そう。俺は本部に行ってくる。アル、後は頼む。悪いな萌香。もう少し付き合ってくれ」
「はい。あ、手紙の内容だけ、翻訳して書いておきますね」




