84.けったいやな
料理教室については、また打ち合わせをしようと約束し、今日はいったんお開きとなる。
しかし自動車に乗る前に、萌香はカイに手招きされた。
「すまん、二分だけ」
と言われ、皆から少し離れる。
「何かありましたか?」
萌香がカイを見上げると、彼はふっとまじめな顔を見せた。それはおちゃらけた雰囲気とはかけ離れた年配者の顔だ。目じりや額に刻まれた皺は彼が生きてきた年数を思わせる。お互い日本にいれば同世代だったのだと思うと不思議な気持ちだ。
「今日は来てくれてありがとな。あの人らが連れてきたアウトランダーがエリちゃんで、ほんまよかったわ」
「いえ。私もカイさんと会えて嬉しかったです」
名字にちゃん付けが、なんだか懐かしくてくすぐったい。
同郷の気安さ、本来の年の近さ、そしてカイの人懐こい性格は、萌香が一人ではないと心から思える安心感があった。だから――
「今、不安だよな?」
ずばり言われ、萌香も頷く。
萌香がここで目覚めてまだ三か月だと知っているのだ。
四十年ここで過ごしたカイも、最初は記憶がないことで余計に不安だっただろう。そう思うと無意識に労いや励ましたい気持ちがわいてきた。自分はまだまだここではひよっこなんだと思え、ほうっと息をつく。
「でも私は、転移より転生者に近いほうだから」
多分通じるだろうと思ってそう告げると、カイは眉をあげた。
「ほう?」
「私はもとはこっちの人間なのに、幼いころ日本のほうに迷い込んでいたらしいんです。小さかったからこっちのことをほとんど覚えてなくて……。つい最近まで自分が日本人じゃないなんて、疑ったこともなかった……」
だんだん語尾が小さくなり、視線が下がる。
カイの理解は早かった。頬を指でカリカリかき、同情を込めた眼差しになる。萌香が覚えていないと言うのは、自分と同じく記憶喪失の類でもあったと思ったのかもしれない。
「あー、俺と反対ってことか。でも帰ってきたんやな?」
「はい……。あの、カイさんは、日本に帰りたいですか?」
これを聞いてみたかった。
エアーリアが戻るときに日本とつながるであろう確信は今も揺らがない。自分がまた飛ばされないよう、絵梨花がこちらに戻されないよう力を尽くすつもりだが、元々日本人であるカイはどうしたいのだろう。
今日は聞けないだろうと思っていたが、思いがけず聞くことが出来た萌香に、カイは「うーん」と唸った。
「今帰ってもなぁ。そこが四十年後の日本だとしても元の時間だとしても……。うーん、どやろ。覗いてはみたいし、メリたちにも色々見せてやりたいけど、帰るのはちょっとちゃうかな。――――俺な、ここに来るまで天涯孤独やったやんか」
「そう、なんですね」
まるですでに知ってて当然と言った感じの独特の言い回しに、萌香がゆっくり頷くと
「高校卒業前に……な」
と、カイは遠くを見、家族を一度に亡くしたとポツリとこぼした。
日本には友人や懐かしい思い出があるけれど、つらい場所でもあると複雑な表情になる。少し前まで家族が亡くなったことさえ、墓の場所さえ覚えてなかった薄情者だと薄く笑うカイに、萌香は胸元で拳をギュッと握った。
待つ人がいないのは、ある意味幸運なのだろうか。
でも、それでもやっぱり、日本は故郷なのだと言われた気がした。カイが口で否定しても、本当は一度くらいは家族に故郷を見せ、墓参りもしたいだろう。
なんとかできないか。そんな傲慢な気持ちに足元がグラつく。しかしカイは萌香をまっすぐ見つめ、「少し偉そうなことを言うけど」と頭を掻いた。
「エリちゃん。人生の先輩として言うからよく聞いてな? ここで生きるなら、絶対大事な人を作り。家族を作るんや。それがきっとエリちゃんの太い根っこになる。俺は、メリと出会えて、ここが故郷になった。記憶があっても絶対そうなったって、それだけははっきり言える」
向こうからこちらをうかがうメリに、カイはひらひらと陽気に手を振った。
「もしええ男がおらへんようなら、俺が探してやるわ」
ニヒッと笑うカイに萌香も笑顔を返す。彼もここでいい人に囲まれてきた。人生の伴侶を得て幸せなんだ。そのことが嬉しいと素直に思った。
「大丈夫。私には父も母も、おまけにかっこいいお兄ちゃんまでいるんですよ。もうすぐお姉ちゃんもできるんです」
だから自分も胸を張る。自慢げな表情を見せた萌香に、カイも安心したように少しだけニヤリとした。
「さよか?」
「そうなんです」
「でも男は別やろ――って、聖女様だから難しいんか」
その言葉に萌香がハッと息を飲むと、カイは申し訳なさそうな顔になった。
「エリちゃんが卵焼きを作ってるときな、偶然耳の後ろの痣を見てしまったんや。――あ、多分メリたちは気付いてへんから安心し。いきなり崇められても困るやろ?」
「カイさん」
「記憶はなかったけどな、漫画とかラノベが好きやったのは気持ちの奥のほうに残ってたんやろな。この国の伝説とかは面白くて色々聞いて知ってた。中でも竜とか聖女なんてのは、厨二心をくすぐるやん?」
おどけた様子で肩をすくめたカイは、「最初は魔物でも退治するんかと思ったわ」と冗談めかして笑う。
日本の記憶を取り戻したとなれば、聖女だの竜王だのは荒唐無稽なものにしか映らないはずだ。自分が宙に浮く島にいるにもかかわらず。
「エムーアでいう聖女は、どちらかと言えば昔のアイドルに近いかもしれませんね。テレビもネットもないから」
あえて、娯楽に近いのではと肩をすくめておどけて見せる萌香に、カイは「あー、一理あるかもしれへんなぁ」と眉を寄せた。萌香たちの世代から見ると昔のアイドルは手の届かない、遠い憧れの存在らしいというイメージだ。
「けったいやな」
「ですね」
目を見合わせて笑い合う。
「でもね、カイさん。それとは別に、やっぱり常識とか日本と違うじゃないですか。こんな非常識なの、家族には諦めてもらうにしても、第三者は巻き込めないですよ」
「そんなもんか?」
「うん。だってカイさん、もし日本に異世界人が来てたら、その女の子を嫁にできます?」
相手が子どもだったり記憶喪失だったりで何も知らないだけならましだが、下手に知識があるだけ面倒なことは、火を見るよりも明らかだ。日本の社会の中で、役所の手続きひとつ、コンビニの買い物ひとつ、自分が当たり前だったことを一から教えていかなくてはいけないような相手。
そのことに気付いたのかカイは一瞬うめいたが、気を取り直したようにニヤッと笑った。
「いや。別嬪で巨乳ならありやったな」
こっちだと胸より足とか尻やんかぁと、なぜか悔しそうなカイに萌香も「そうなんですか?」と、クスクス笑う。いやらしさが微塵もないのは、親子以上に離れてしまった年のせいだろうか。
「でもなぁ、エリちゃんならどや?」
「逆の立場ならですか?」
「せや。なんとなくエリちゃんなら一生懸命面倒みるんちゃうか。そんな風に思ったんやけど」
こてんと首を傾げ、妙に自信たっぷりなカイに、萌香も想像を働かせ頷いた。
「そう、ですねぇ。誰かに面倒をかけたり迷惑をかけるのは嫌ですけど、面倒をみるほうなら頑張っちゃうかもしれませんね」
かもではなく、きっとそうする。
その相手を好ましく思えば、迷惑だなんて思うことはないと断言できた。それでも苦労は並大抵ではないことは考えるまでもない。
萌香は甘えることは苦手だ。迷惑をかけるのも助けを求めるのも、申し訳ない気持ちのほうが勝ってしまう。
――でももし、ずっとエリカとして生きてきたら全然違ったのかな……。
ふとそんなことを考え、むしろそれなら、こんな不思議な事態に遭遇することはなかったのだと気づく。
二分はとうに過ぎてしまった為、改めて挨拶をしてオーサカ屋を後にした。
エムーアの人には言えない本音を漏らした萌香。
甘えることが苦手で世話焼きな長女気質が強いのは、ずっとお姉ちゃんとして頑張ってきたからなのでしょうか。
次は「カードの返事」です。




