68.数多の世界?(アルバート視点)
萌香はこれから当分アルバートの実家の離れで生活するため、王宮からは直接ダン家に向かった。
新しい部屋に萌香が案内されるのを見送り、しばらく遊戯室でシモンやトムとゲームに興じる。メラニーは萌香を待ちながらクリステルと茶でも飲んでいることだろう。
あとで萌香がまとめて説明すると言っていたので、皆が彼女に聞きたがっていることを我慢している分アルバートを気にしているのは分かった。だが本人が話すと言っている以上、アルバートが余計なことを言うわけにもいかない。それでもその前にアルバートはシモンに話があった。萌香の求婚者として無言のやり取りで了承してもらった件だ。
「先程はありがとうございました」
「いや、君がそばにいてくれて良かった」
シモンがゲーム台でそろえた球に向かって専用の杖をつく。九つの穴に落ちた球の色の順番で点数が決まるゲームだ。全部一気に落とすと最高点が取れるのだが、シモンの球は黄色が残ってしまった。
「結局、あの子はどうなるんだ」
その短い問いに萌香が聖女としての覚悟を決めたらしいと答えると、シモンの顔が苦いものになった。だから王家には近づけたくなかったのだと思っていることが、その表情からもうかがえる。それでもその日が来るまでは、彼女が普通の生活を送るということで安堵したようだ。その日は来るかもしれないし、来ないかもしれない。そんな曖昧なものだと言うのが一般的な認識だからだろう。
彼等もまだ、アルバート同様萌香はエリカだという可能性を捨てきれていない。女王も認めていたのだ。アウトランダーであり、エリカだと。事実彼女は自分がエリカであることは認めていた。ただ、前のエリカとは違うだけだ。
「彼女には、また改めて求婚します」
その言葉にトムはビックリしたように目を見開いたが、アルバートの顔をまじまじと見つめたあと「本気か?」と聞いた。それもそうだろう。今までのエリカはできる限り避けてきた。自分が結婚するということを考えられないから、最近は恋人さえ作らなかったことをトムはよく知っているのだ。
「本気だ」
だから短く答えたアルバートをしばらく見つめたあと、トムは複雑そうな顔でシモンを見、何か考えているのかしばらく沈黙したあと頷いた。
「そうだな。萌香はお前にあってると思う。アルなら安心だ。萌香を――妹を頼むよ」
トムの言葉にシモンも頷いてくれたことに気をよくするが、実際彼女を説得するのは少し難しそうなのが問題だ。
アルバートは自分の分の球を落とした後、順番を待ちながら髪をかき上げる。
――さて、どうしたものか。
脳裏に浮かぶのは謁見用のドレスに身を包んだ萌香。
控えめでありながら、満ちた月のように光り輝くその美しさに完全にやられた。あの日、樹の上で精霊と見間違えた時からずっと萌香に惹かれている自覚はあったが、もう否定はできない。守りたいのは「妹」ではない、生涯を共にしたいと初めて思った「ただ一人の女」だ。
彼女を誰にも渡したくないという思いが強くなった今、他のやつが出てくる前に目に見える形に収めてしまおうと思った。
母の思惑に乗った形になるのは気に食わないが仕方ない。まさか自分がエリカを欲しいと思う日がくるなんて思いもしなかったが、だからといって自分の本心を誤魔化す気はない。いつだって自分の直感は信じていたし、迷っている時間は無駄だと思った。
萌香は多分気付いていないだろうが、オーラフが求婚云々言っていたのは半分本気だ。もし本当にエアーリアが戻ってきて萌香が聖女だと世間に認知されれば、彼女のために地位を用意するだろう。謎の男リューオーと結ばれる、もしくは次期国王の妃になる。それが一番納得させやすい立場だからだ。冗談ではない。
だが今の萌香には、きちんと言葉にしないと通じないと分かっているからそうした。これが純粋な気持ちでの求婚だと分かるようにだ。彼女の潤んだように輝く目も、少し開いた艶やかな唇も、絶対に「はい」と答えてくれるものだと思っていた。
「いたんだけど、な……」
――今一通じてないみたいだ。
通じていない、そう考えざるを得ない。焦りすぎたかとも思うが、ふられたという感じでもない。これは自意識過剰ではない、と思う。
萌香の知る世界では、まだ結婚を考えるには早すぎるらしいことに衝撃を受けた。だがそれならそれで、じっくり口説けばいいだけだ。今まで自分から口説いた経験はないに等しいが、なんとかなるだろう。
一時間ほどでアルバートの父が帰宅したのを合図に晩餐になり、その後はリビングに移動し本題に入る。萌香の謁見の件だ。
話せる範囲を話すというが説明が難しいのだろう。萌香は何枚か粗い織りの花瓶敷きのようなものを数枚メイドに用意してもらったようで、テーブルにそれを広げ始めた。
「これからお話することは、おそらく信じがたいことだと思います。上手に説明できないかもしれませんが……。まずはおとぎ話だと思って聞いてください」
そう言って一枚の小さな織物をテーブルに広げる。
「この横の糸が時間と考えて下さい。縦に並ぶのは次元――さまざまな似て非なる世界です」
横に広がる数多の世界には何人もの「自分」がいるという。
例えば右の道を選んだ自分と左の道を選んだ自分。そうやって無限の世界が広がり、離れていくほど様相も変わるという。
「例えば今のエムーア、つまりこの世界がこの赤い糸だとします」
そう言って一番右端にある縦糸を萌香は指さした。その一本以外が外の世界、アウトランドだと。
「私がいた世界は、この青い糸ということにしましょうか」
そう言って、真逆にある左端の糸を指さした。
間には複雑な模様が織り込んである敷物の端と端。途中に穴やねじれがある。横の糸がまっすぐではない織物は時間のずれを指しているのだと萌香は説明した。
「こんなに離れているのに、私は偶然ここに飛び込んできた――別の世界で生きていたエリカみたいです」
数多にいる「自分」。その中の一人だと。
「私は偶然、もしくは何らかの理由でここに迷い込んだのだと思います。あの黒いものに連れてこられたのかな……。多分、それは聖女の役割があるからだって思うんです。だからエアーリアが戻ってくるとき、私は日本へ帰れるのではと考えてます。その時、ここのエリカが、エムーアの本物の絵梨花が戻ってくるって思うんです」
しんと皆が考え込むのを見回しながら、それは違うとアルバートは思った。
――アウトランダーは一方通行だ。例外などない。
萌香がエリカでありアウトランダーなのは、何か他に理由があるはずだ。
もしエリカが二人いるのなら、アルバートの知るエリカはエムーアのどこかに隠れているのだろう。自分の意思、もしくはなんらかの事故で。消えたとは誰も考えてなかったから探してなかっただけだ。
だがそんなことはどちらでもいい。
アウトランダーはここに来た以上帰ることはできないし、幸い萌香がトムたちを家族として受け入れているなら、このままここで生きていくのだと理解してほしい。故郷を忘れることはできないだろうが、新しい人生を生きていくのも悪くないはずなのだ。――だが萌香がそう考えるには、まだ早いのかもしれない。
「それじゃあ、同じような違う世界に私も複数存在しているということ?」
沈黙の後口を開いたメラニーに、萌香がこくんと頷いた。
「たぶん近い世界なら、家族や世界も変わらないんじゃないかと思います。――よくわからないですよね」
うまく伝えられないと言った風に苦笑した萌香は、「そうだ」と言って自分のカバンをあさり始める。そこでスマホと呼んでいた手のひらサイズのタブレットを取り出した。
「写真……あったかな。――あった。これは私の両親と弟です。そして……これは叔母なんですけど」
そう言って見せた色付きの写真をのぞき込み、シモンとクリステルが息を飲むのが分かった。
「エマ?」
アルバートも覗いてみると、萌香と面差しの似た女性が笑顔で映っている。
「やっぱり似てますよね。父の妹なんです」
「……名前は?」
「斉藤真由子。旧姓は恵里真由子です」
穴が開きそうなほど画面を凝視するシモンたちに、萌香は小さく微笑んだ。
「似てるだけかもしれない。でももしかしたら、日本で生きている別のエマさんかもしれない。私はそう思いました」
「そうか……」
あとでイナにも見せてやってくれと言い、シモンは何か考え込むように黙ってしまう。
「もう少し見せてくれる?」
そういうメラニーに萌香はスマホを渡すと、ほかの写真の見方を教えた。
メラニーの手にあるスマホを、トムとアルバートで覗き込む。
服装は違うが、それ以外は特にこことの違いは感じないと思った。何枚か見ていくと町の風景が映り込んだりし、どこかの店で友人らしき女性と笑っている萌香が出てきてアルバートは微笑む。
改めて萌香がアウトランダーだという事実が突き付けられたわけだが、それでも彼女が幸せそうに生きてきた、その光景に心が和んだ。
――本当にエリカと萌香。同じ人間だが二人存在する。
愕然としたが、むしろそのほうがいいか――そう自然に考えたときだ。
「あっ!」
驚いたように声をあげたメラニーが、画面が見えないよう自分の胸元にスマホを当てた。
「どうした?」
頬を染めるメラニーにトムが尋ねると、彼女が伺うように萌香を見るので、その隙に彼女の手からスマホを取り上げた。
「あ、ちょっとアル! ダメ!」
「――なあ、萌香」
アルバートの低い声に驚いたのか、萌香が目を丸くした。
「恋人は、いないんじゃなかったのか?」
「いませんけど」
キョトンとしてアルバートの手元を覗いた萌香が、ギョッとしたように手を伸ばしたので、彼女の手が届かないようスマホを上に持ち上げた。
そのまま何枚か写真を横に滑らせていくと、萌香がうめくような声を出し、トムも写真が見えたのか、少し顔がこわばった。
「萌香。一緒に写っている友達は誰だい?」
「黒歴史の人です! もう! 見ないでください」
なんでこんなものがと顔を真っ赤にしているが、萌香をまとわりつかせたままアルバートとトムは写真を見続けた。それは他の写真とは違い、色鮮やかならくがきのような模様や文字のようなもので彩られた写真の数々。そこに萌香の頬に口づけする男がいた。あるいは一緒に笑い合い、そして軽く口づけを交わしているものもある。これが恋人でなくて何なのだ。
「もう最悪。なんでこんなのが入ってるの」
スマホを返してやると、萌香は顔を真っ赤にしながら画面を凝視した後、がっくりとうなだれた。
「萌香、さん?」
トムとアルバートをなだめるように微笑んだメラニーが、萌香の肩をたたく。顔をあげた萌香は「黒歴史を通り越して暗黒だわ」と意味不明のことを呟き、なんとも情けない顔になっていた。
「……じゃないです」
「ん?」
「えっと、恋人だと思ってた人ではあるんですけど。でもそう思ってたのは私だけで、その…‥事故の前の日に、これもフラれたって……言うのかな。この彼に『好きな人が出来た』って言われたんですよ」
うっすら涙が浮かぶ目でそう言う萌香の言葉に、頭の中でフリッツの姿がよぎる。皆同じなのか微妙な空気が流れた。
「消し忘れてたなんて。もう、顔も覚えてなかったのに、最悪」
ブツブツ言いながら、ほかの写真をすごい速度で確認していった萌香は、どうやら件の男と二人で写る写真を消したらしい。しかしアルバートの脳裏にはそれらの映像がしっかり残り、どす黒い何かが腹の底を渦巻く。
自分とは全然違う雰囲気の男だった。目がくりくりとした愛らしい小動物のような雰囲気の男。
――あれが萌香の好みの男ってわけか。
フリッツといい、小動物野郎といい、見る目がない。いや、むしろそれでいいんだ。
自分にそう言い聞かせ、渦巻く何かを鎮める。
トムに「今でも彼を愛してるの?」と聞かれ、驚いたようにぶんぶん首を振る萌香に少しだけホッとした。だが、
「だから恋愛って私には縁がないんですよ。彼にとって私は、恋人でさえなかったんですもの。みじめですよねぇ」
とおかしそうに笑うことにギョッとする。おそらく本気でそう考えているのが分かった。
「そんなことはない。萌香は可愛いし、幸せな恋愛も結婚も似合ってる」
そう言ってチラリとトムがアルバートを見るのに、軽く頷いた。
「それはお兄様のひいき目です」
クスクス笑う萌香に、なぜかメラニーが気の毒そうな目でアルバートをちらりと見るのでムッとする。
「萌香」とアルバートが呼ぶと、萌香が首をかしげるようにこちらを見るので、その可愛らしいしぐさに一瞬口ごもった。くそっ、なんだこれ。
「いい機会だからもう一度言う。俺はお前と恋人になりたいし、結婚もしたい」
これ以上ないくらいにはっきり言ったのに、なぜそこでギョッとする。
予想とはかけ離れた萌香の反応に、アルバートはらしくもなく、どっと落ち込みそうになった。
「ですからそれは、絵梨花が戻ってきたとき本人に言ってください」
萌香の屈託のない笑顔に、なぜかメラニーが細かく肩を揺らすのが目の端に見える。
――くっそ。だからどうしてそうなるんだ。
萌香の元カレ(?)の写真を見て動揺したのでしょうか。また少し焦り気味のアルバートでした(いったん落ち着こう)。
次は萌香視点に戻り、「新しい生活」です。




