63.汽車の旅
ラピュータまでの汽車の旅は約二時間。動き出した汽車は一瞬微かに振動した後は滑るように進み、あまり登っているという感じもない。気圧の変化が心配だったが、今のところ問題なさそうだ。
おかげで萌香の緊張も徐々にほぐれていき、車窓から離れた位置で青空を眺める余裕も出てきた。ちらりと見えた線路はゆるやかに蛇行しながら登っているのだが、あまり負荷もかからない滑らかな走りだ。
遠くに見えるラピュータからは幾筋もの線路が垂れ下がるように見える。加護の糸なるものを可視化したらあんな感じかもしれない。
「島の下中央を見て。水の柱が見えるでしょう?」
メラニーが指さす方を見ると、確かに大きな柱のようなものが見える。薄目で見ると、まるで大樹だ。昔の人が空想した世界樹ってあんな感じだろうか。銀色の幹のようですごく綺麗だ。
「海に流れた水がああやって上に上がっていくの。あの中で淡水になって、街の水路を流れるのよ。生活用水としても使われているわ」
「へえ」
巨大なポンプみたいなものだろうか?
怖さより好奇心が勝ってきた萌香は、思い切って窓の側に立ってみる。トムが萌香を守るように肩に手を回してくれるため、彼のシャツを軽く握った。それだけで命綱のような安心感がありトムに感謝の笑みを向けると、彼は甘やかすような笑みを返した。それはメラニーに向けるような甘いものではなく、小さなもの、幼いものに向けるような保護者のような笑みだ。
反対側にはメラニーが寄り添い、同じように守ってくれるような笑みを向けられ、萌香は姉が出来たようなくすぐったさに少し微笑んだ。
それは今までにない感覚だ。萌香は素直に甘えることに慣れてない長女体質だという自覚がある。なのに、知り合って間もないはずのこの二人には、素直に無条件に甘えられるのが不思議だった。
線路は上りと下りの二つの水路が並び、並行して自動車やバイク用の水路もあるらしい。だが左右に壁のようなものがあるため、時折すれ違う汽車や車の頭が見える程度だった。
しばらくしてトムが何か軽食を買ってくると席を離れると、メラニーが面白そうに萌香を見ていることに気づいた。彼女が来てから二人きりになるのは初めてなので、萌香は「どうしました?」と尋ねる。女の子同士の秘密の話が始まりそうな雰囲気だ。
「萌香さんもかわいいなぁって思ってたのよ」
「え、あ、ありがとうございます」
部活のOGを思わせるメラニーの言い方に、少し慌てつつも礼を言う。メラニーは萌香のひとつ年上なためか、なんとなく学校の先輩を思わせる親近感があるのだ。
「本当にエリカさんとは別人なの?」
「年も違いますし、たぶん、別人、だと思うんですけど」
証拠があるのに歯切れが悪くなるのは、トムが兄ならいいという願望が半分と、まだ謎が解明しきれてない為、ここでメラニーに向かってはっきり否定していいものか自信がないからだ。
「メラニーさんからはどう見えます? 私がアルバートさんと話してると、とても面白そうにしてますよね」
「あら、バレてた?」
「はい」
アルバートがいるときのメラニーの目は、いたずらを企んだ子供のようだ。彼女の見た目が“できる女風”なので、そのギャップが可愛らしく、萌香はとても気に入っていた。
「アルと萌香さんの会話が面白くて」
「そうなんですか?」
「ふふ。そうなんです」
ニコッと笑ったメラニーは、たとえ話として汽車の話をしたときのことをあげた。
絵梨花は高いところが平気だったが、もし萌香と同じ状況だったとして、あんな風にバイクで行くことを誘われたとしたら痛烈な返答をしてただろうという。
「でも、仲は良かったんですよね?」
首をかしげる萌香に、メラニーは「そうねぇ」と遠くを見た。
「もう知ってると思うけど、アルはエリカさんが少し苦手だったわね」
「はい。本人から聞いてます」
「そう。でもエリカさんは、うん、複雑な目で彼を見てたなって思うわ」
複雑……?
「あの、変なことを聞きますけど、ここだけの話にしてもらえますか?」
少し身を寄せ声をひそめると、メラニーはこくんと頷いた。
「絵梨花は、フリッツさんではなく、アルバートさんのことが好きだったのでしょうか」
思い切ってそう尋ねるとメラニーがわずかに目を見開いたので、バカなことを言ったかもしれないと萌香は首をすくめる。だが彼女の返答は
「何か覚えているの?」
だった。
「と、いいますと?」
「ええと。エリカさんがアルに恋をしてたかと聞かれれば、よく分からない。ただ何か特別な感情を隠してるのは、時々感じてたの。もしかしてアルのことが好きだったの?」
「あの、私は絵梨花ではないのでわからないです」
ズイッと身を乗り出され、思わず萌香は身を引く。
「ただなんとなく、そういうこともあるんじゃないかなぁって考えてて。もしそうなら、いずれ絵梨花が帰ってきたとき、アルバートさんが求婚者候補なのは嬉しいかな、なんて……」
彼が“絵梨花”を見る目を、絵梨花本人にも見せてあげたい。
「それは、なんというか、複雑な……」
「複雑ですか?」
アルバートと同じようなことを言うメラニーに、萌香は首をかしげる。
するとメラニーはまっすぐに萌香を見て「萌香さんは、アルをどう思う?」と尋ねた。秘密にするから、と。
面白がっているのは分かるが、多分本音を話しても彼女は誰にも言わないでくれるだろう。そう思い、萌香は口元に笑みを浮かべた。
「アルバートさんは、お兄様ではないけど、お兄様みたいな人、でしょうか」
「お兄様?」
「初めて会った時から何度も助けてくれた、頼りになる人です」
年上だけど可愛く思うことがあるとか、笑い上戸のくせに他の人には隠してるようだとか、そんなことは内緒にしたほうがいいかもしれない。ありていに言えば、自分だけが知ってるファンの特権のような感覚だ。ゲイルたちならわかってくれるだろうが、ミア達は目をむきそうだと思うとなんだかおかしい。
「あとは?」
「そうですね。……声が素敵ですし、かっこいいですよね」
サラッと褒めたことが意外だったのか、メラニーはわずかに目を細め首をかしげる。
「そうね。萌香さんが手を入れたアルは、以前のアルよりもずっと彼らしい感じがして魅力的だと思ったわ」
「ふふ、そうですよね」
手ぐしでさっと整えるだけでも以前とは違う雰囲気のアルバートを、メラニーがポカンとして見てたのに萌香は気付いていた。
「えーっと、じゃあ、アルは萌香さんにとって好きな人ってことでいいの、かな?」
「はい。大好きです。メラニーさんと同じくらい大好き」
萌香が大きく頷いて言った言葉にメラニーは一瞬キョトンとした後、大きく笑った。
「やっぱり萌香さんとエリカさんは少し違うわね。エリカさんも私を好きとは言ってくれたけど、こんなあけっぴろげな愛情ではなかったもの。嬉しい」
彼女の目に少し涙が浮かぶのが見えた瞬間メラニーに抱きしめられた萌香は、彼女の背中を優しく叩く。
そこに戻ってきたトムが「何をしてるの?」と笑った。
「私が、お姉さまに甘えてたんですよ」
と萌香が言うと、メラニーが泣き笑いのような顔になる。
――絵梨花は、身内に対する愛情表現が苦手な子だったのかな。
気を抜ける相手だからこそ、うまく感情を表せない子だったような印象を受ける。
彼女が抱えていたことを知らなければいけないと思った。忙しいからと逃げてばかりもいられないだろう。
絵梨花はわざわざ自分のことを詳細に残した。それは普通のことではないと今更ながら気づく。ちゃんと受け止める覚悟を決めよう。
でもまずは、女王陛下への謁見。
そして可能なら、エリカの子、ファン・マリーの見舞いが出来ないものか機会を伺おう。絵梨花ではないことが分かったことで気が引けていたが、なぜか今は、出来るだけ早くそうしなくてはいけないという気持ちが強くなった。
来週は更新をお休みし、次回更新は9/3になります。
次は「王宮」です。




