23.まるでおとぎの国観光
ハンスがゆっくりと自動車を旋回させると、ほどなく川の上にでた。いや、川ではなく水路のようだ。萌香が恐る恐る周囲を見渡すと、水路は町全体のあちこちに走っており、一見すると普通の道路よりも多いのではという気がする。
「ずいぶん水路が多いのね。自動車でこの上を通っても大丈夫なの?」
「はい。自動車はどちらかといえば、水路の上のほうが土の道を通るよりも安定するのですよ」
「へえ、そうなのね」
水辺が多い割には、それほど湿気がないのが不思議だなと萌香は思う。
蒸し暑くないのは助かるけれど。
水路の上空を、数は少ないものの自動車が行きかっている。本当に水路の上が通行場所で、水の上にもう一つ透明な道路があるかのようだ。もちろん水路には船も走っている。上も下も交通路として役に立っているのだ。船から手を振る子どもたちが見え、萌香は微笑んで手を振り返した。
町の建物は、茶色や白、赤が基調になっていて、上から見るとおもちゃ箱を眺めているような気分になってくる。萌香にとってのその非現実な光景は、彼女の高さへの恐怖心を徐々に取り除き、段々と景色を楽しむ余裕もできてきた。
マーケットは多くの店が色とりどりのパラソルを広げ、露店も出ているようだ。夏なので、こうして多くの影を作っているという。
「とてもきれいな町ね」
色鮮やかな光景に、萌香はほおっと息をつく。
白黒の写真でも立派な町だと思ったが、実物はなんて生き生きとしてるんだろう。たくさん人が歩いている。ワンピースやドレス姿の女性や、ベストにトラウザース姿の男性、若い女の子はワンピースか萌香のような和ロリスタイルだ。こうしてみると、人々の立場というものが服装でわかる。教えてもらってはいても、実際に目にするとはっきりと違いが出ているのがよく分かった。
ぐるりと町を一周し、海の側を走るとラピュータがよく見えた。イチジョーの敷地は半島になっていて、海を挟んだ反対側にも半島がある。
「海の向こうに見える陸は、もしかしたらテンバ?」
「はい、そのとおりです」
「たしか、ターミナル駅があるのよね?」
「そうです」
地図や本で知った知識が、現実のものとして目の前にある。そのことが萌香はとても楽しく思える。
ラピュータに行くには、テンバのターミナル駅から汽車に乗る。遠くに見える、空に登る線路がとても幻想的だ。
「線路は見る分にはきれいだけど、実際汽車に乗ったら怖くないのかしら?」
つい疑問を声に出してしまうと、ベニとハンスに笑われてしまった。まあ、それもそうだろう。エリカは何度も乗ったことがあるのだろうから。
再び屋敷のほうに戻り、屋敷裏の丘を越える。
丘の上には四方に枝を広げた大きな木が一本立っていて、その奥には少し小ぶりのお屋敷が見える。
「あれが大叔母様のお屋敷?」
「そうです。ですが、今は誰も住んでませんので閉鎖されてます」
「そうなのね」
閉ざされた屋敷は庭も大きそうだ。
萌香は興味をひかれたが、あえてそれを気取られないようすぐに視線を他に移す。以前立ち入り禁止ですと強く言われていたので、興味を持つことが悪いことのような気がしたのだ。
そこで、自動車の横をメタリックブルーのバイクが走り去っていくのを、なんとはなしに眺め続けた。
――ヘルメットもなく体をむき出しで宙を走るのって、怖くないのかしら?
◆
自動車を駐車スペースにとめると、マーケットはすぐそこだ。
石畳の道は広く、両側に多くの建物が並んでいる。だが、実際に目の前で見てみるとどれも似たようなデザインで、日本だと一見店だとは分からないような店が多い。もしも一人で来ていたら途方に暮れるのでは、と萌香は思った。
「生地類は、いつもメリヤで買うそうですね」
萌香がポカンとしているのに気付いたのか、ベニがあちらですよと右の道を指した。
「お店って、どうやって見分けるのかしら」
これは聞いてもいいだろうと思って、萌香は思い切って声に出してみる。
どれもこれもがおとぎの国のように可愛らしいのだが、店に看板らしきものがないのだ。八百屋や果物屋などは、露天にも商品を出しているのでわかる。でも飲食店も雑貨屋も、窓からのぞきこまねば何の店だかわからない。
「中を見ればわかりますよ」
半分予想通りというか、ベニに当たり前のような顔をされた。
「道や建物に目印はないの?」
萌香がそう言うと、後ろからハンスが、
「イチジョーですと、南北に走る道は灰色、東北に走る道は赤茶色になっています」
と教えてくれた。
「私もイチジョーに初めて来たときは分からなかったんですよ。でも道の色を覚えますと、あとは道に番号がついてますので、それで区別することが出来て便利です」
「そうなのね。ありがとう、ハンス」
成程と萌香が微笑むと、ハンスはうっすらと赤面して、照れ臭そうに笑った。
他の土地では、道に番号はついているが、このような色はついてないのだそうだ。
ハンスはロデアの出身ではなく、ラピュータを挟んで反対側にあるイースデストの出身らしい。
「イチジョーは、イースデストとは違う?」
「そうですね。町の作りで言えば、ロデア全体ならそれほどの違いはないです。でもイチジョーは別ですね。ここは、エムーアの中でもトップクラスで美しいところだと思います」
「まあ、そうなのね。ありがとう」
イナが運営している土地を褒められたことを素直に嬉しいと感じ、萌香はにっこりと笑った。
ベニはロデアの出身で、ほぼイチジョーで生まれ育ったようなものらしく、ハンスの言葉を興味深そうに聞いている。
「お嬢様、ここがメリヤですよ」
ベニに声をかけられ、萌香はあやうく通り過ぎそうだったドアの前で立ち止まる。黄色いドアの横にある窓からのぞき込むと、レースのカーテンの向こうに色とりどりの生地が見えた。小さな店に見えるが、奥行きがありそうだ。よく見るとドアには金色のプレートにメリヤと書いてあった。
カラン……
ベニがドアを開けると、軽やかなベルの音が響く。
「いらっしゃいませ、エリカ様。お待ちしておりました」
奥から、海老茶色のベストを着た男性が出迎える。彼がメリヤの主人らしい。エリカの事情は聞いているらしく、軽い自己紹介と簡単に店の案内をしてくれた。
展示してある生地は一メートルほどの長さしかない。それがセンス良く展示されていて、萌香は見ているだけで気分が上がってくる。イチジョーの倉庫もそうだったが、ここは萌香の好みのものが多すぎるのだ。
タブレットで自室のモデルを見せ、いくつか作っておいたファブリックの映像を見せると、店主は面白そうに萌香を見た。
「エリカ様は色々なことを忘れてしまったと伺いましたが、やはりこういうことは体が覚えてるのでしょうね」
タブレットの操作のことらしい。
「そうでしょうか。これが使いやすいからだと思いますよ」
スマホが扱えたなら、そんなに戸惑わない気がするのだ。たしかに立体で出るし、操作方法も違うが、直感で使える分スマホよりも扱いやすいかもしれない。
だが店主は楽しそうに笑うだけで、否定も肯定もしなかった。
――エリカは機械の類が得意だったのかもね?
ふとそんなことを感じ、肩をすくめる。
萌香は家電は使えるが、機械に強いというほどではない。
いくつかの布のサンプルを見せてもらい、タブレットでシミュレーションをするとちょうど理想に近いものができたので、それを注文することにした。
「仕上がりは五日後になりますので、屋敷の方へお届けに参ります」
支払いもしてみたかったのだが、今回は商品と引き換えということで断られてしまう。
「ありがとう、楽しみにしてますね」
それでも萌香は、久々のショッピングに大満足だった。
次は「ウィンドウショッピング」。
萌香はマーケット内に、ある種の店がないことに気づきました。




