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129.これは芝居の中

 ドクッドクッと、心臓が嫌な音を立てている。

 ゆっくりと振り返ったエリークは、自分の内側で怯える萌香の心に慎重に蓋をした。


 ――仮面を外すな。まだ幕は下りてない。ここにいるのは(エリーク)で、萌香でもエリカでもないんだ。


 自らを戒めて、小さく息を吸い慎重に吐き出す。

 フラッシュバックした光景に囚われていたのは恐らく一瞬の事だろう。何も知らないロナがいぶかし気な目でエリーク見ているのに気づき、安心させるように彼女の手をぽんぽんと叩いた。

 それでもここから立ち去ろうと促す彼女をやんわりと止めたのは、まだうまく歩ける気がしなかったからだ。それを笑い飛ばしたいのに、金縛りのような恐怖が首筋をぞわりと這いあがって来る。


 ――こんな事初めてだ。どうしてこんな……。


 そのもどかしさが顔に出たのだろう。ロナが「大丈夫?」とささやいた時だ。

 アルバートが短く「へえ」と言うのが聞こえた。

「へえ。誰がリュウオーの生まれ変わりだって?」

 その冷たい声が風になり、エリークの背中を叩く。


 ――あ、金縛りが解けた。


 先程まで覗いていた木々の隙間にアルバートの姿がくっきりと見える。その顔には今の声同様、皮肉気な薄い笑顔が浮かんでいた。それを見た瞬間、エリークの足を地面に張り付けていた何かが消えた気がした。

 実際に金縛りにあってたわけではないだろう。それでもこわばっていた肩の力がスッと抜け、心の奥に収めた萌香がリラックスしたのを感じる。


 以前アルバートは萌香に、『あの男は重罪を犯し、外には出られない』と言った。エナの声が、まるですぐそこにデズモンドがいるかのように聞こえたとしても、それはあり得ないのだ。


 ――萌香がおびえる必要なんてまったくないんだ。


 エリークはヒュウと音のない口笛を鳴らし、口元に強気な笑みが浮かべる。エリークのキャラの大元になった役である人形のトムがむくりと頭をもたげ、エリークを背後から支えた。


 もう動けると判断し、ここから去ろうと思ったが、俯瞰(ふかん)する萌香の目が何かを捉えた。笑顔の奥の違和感。その手元。アドリブの芝居の中であっても入れてはいけないイレギュラー。


「ごめん、ロナさん。どうやらこの舞台、僕もキャストとしてあがるべきみたいだ」

「エリーク? え、舞台?」

 ロナの目が焦りの色を濃くしたが、エリークはそれをなだめるように柔らかく微笑んだ。

「ちょっと行ってくる」

「え、ちょっと待って!」


 ロナが焦ったようにエリークを制止した。その声は普段とは違う大人っぽいもので、表情も十は年齢を重ねたように見える。


 ――へえ、これがロナさんの素顔。


 ふとそんなことに気づいたエリークは、年上の女性に甘えるようにかわいく、かつ茶目っ気たっぷりにほほ笑んで、彼女が伸ばした手をするっとすり抜けた。


「大丈夫だよ、ロナさん。これは僕が勝手にすること。君に責任はない」


 愕然とするロナにウインクし、エリークは間を遮っていた低木を飛び越えた。

「エッ」

 低木とはいえ大人の男性より高いそれを軽々超えたのを見て、ロナが小さな悲鳴のような声を漏らす。それに気づいたらしいアルバート達の視線が一斉に向いたのを見て、エリークは優雅に一礼して見せた。

 ジャンプはロナ以外には見られていないだろう。だが、できると確信し、実際にできた。そのことがエリークの心に自信を植え付けた。


 ――だいじょうぶ、やりきれる。


「失敬、みなさん。驚かせるつもりはなかったんだ」

 悪びれもせずにエリークが謝ると、カリンが誰かを探すように視線を走らせ、アルバートが一瞬目に怒りの色を見せる。


 ――あ、アルバートさんを怒らせちゃった。


 見たこともないアルバートの目にエリークの内側で萌香がビクッとするが、(おもて)に出ているエリークの表情はいたずらに成功した少年のもの――萌香らしさが欠片もないエリークの表情だ。

 そう。これは芝居、舞台の中なのだから。


「エリークさん、どうしてここへ?」

 目を丸くしていたカリンが、ここが舞台だと思い出したかのようにニコッと微笑んでエリークに声をかけた。なぜか後ろにいるロナをにらんだように見えたが、多分気のせいだろう。

「うん。ラウさんがこっちにいるんじゃないかなと思ってさ」

「ラウ?」

「えっ、俺?」

 エリークの言葉にカリンが首を傾げ、ラウが大きく瞬きをした。

「そうだよ。そろそろロナさんと仲直りをしてほしいなぁと思ったんだけど――――」


 すっと正面に視線を流すと、ポカンとしているエナと目が合った。


「なんだか面白いこと言ってるのが聞こえて、思わず出てきちゃった。リュウオーの生まれ変わりとか、エリカがどうとか」


 エリークはあえて斜め方向に歩を進めるとリンダの隣に立ち、親友にでもあったかのようにがっしりと肩を抱いた。

「ね、リンダさん」

「え、あ、はい」

 いつものように面白そうに目を輝かせていたリンダだったが、突然男の子に肩を抱かれたことに動揺し頬を赤くしながら頷く。そんな彼女に人懐こい笑顔を向けながら、エリークは素早く彼女のポケットからペンのようなものをこっそり抜き取った。

 すかさずリンダの兄にベリッと引き離されるが、エリークは愉快だというようにくすくすと笑い、彼らに軽く謝罪しながら、そのペンを自分の袖口に隠した。

 スリもかくやといった早業だが、これは弟が小さかったころ、よくセミの抜け殻やトカゲのしっぽと言ったものをポケットに忍ばせていたのだが、それらが苦手な母に見せないために編み出したものだ。こうするとどこかで落としたのかなと思い込んでくれるため、下手に取り上げるより平和だったから。


 ――リンダさん、後で返すからね。


 そのままひらひらと気まぐれな蝶のように振り返ったエリークは、エナの目ににぴたりと視線をとめ、不思議なものを見たというように首を傾げた。


「ねえエナさん。デズモンドとかいう人がリュウオーの生まれ変わりなら、聖女の生まれ変わりは貴女かもしれないよね?」

「え?」

 エナが笑顔の仮面をかぶろうとするが、そうさせる前にエリークが満面の笑みを浮かべて爆弾を落とす。

「だってエナさん、貴女も本当はエリカでしょう?」

「っ!」


 この国でエリカという名は珍しくない。生まれたときに体のどこかに花のような印がある女の子は、王からエリカの名を授けられるのだから。


 エナというのがニックネームだと、萌香が気づいたのはいつだっただろう。ミアたちが絵梨花について話しているとき、ふとした時に自分が呼ばれたかのような仕草を見せた時だろうか。あるいは偶然、彼女の左の肘上に薄いあざが見えた時だろうか。薄くていびつではあるものの、栗の実くらいの大きなアザはたしかに、萌香と同じ五弁の花の形をしていた。見えたのは一瞬。でもそれで勝手に親近感を覚えていた。

 彼女が聖女だったらいいのにと思ったのは秘密だけれど。


 エリークが自分の肘の上に手を当てて見せると、エナも驚いたように同じ格好になる。


「な、なんで」

 動揺し声が震えるエナの後方に、エリークは視線を投げた。さっき萌香が見つけた違和感のひとつは、ここにいてはいけない観客だ。


 ――あの男じゃないかもしれない。けど、近い気配を感じる。


 デズモンドが近くにいるのだとしたら、ここに萌香がいてはいけないだろう。アルバートがピリピリしているので、彼も多分気づいている。いや、気づいていたからこその芝居なのかもしれない。しかし見過ごせなかったのは、彼が注視していたのがエナ一人だからだ。


 観客の反応をさぐる裏方の目が、離れた場所で動きかけて止まる人の動きを察知した。


「花の印はエリカの印」

 歌うようなエリークの声は、内緒話のようでいて遠くまでよく通る。

「イチジョー・エリカはたまたま同姓同名だったけど、だからって昔生きてた人が戻ってきたわけじゃない。だってエリカはいっぱいいる。ねえ、エナ? 君はそんなに大きな花を持ちながら、なぜ自分を卑下するの?」


 悪魔とも天使ともとれるような笑顔は、エナの心の奥の何かに触れたらしい。普段のおとなしやかな笑顔の奥で、いつも何か劣等感を抱えているのが透けていたのは、おそらくこのせい。イチジョーの姓を持つエリカがいなければ、あるいは時代が少しずれていれば持たなかったであろうものだろう。自分は偽物の何かではないか。そんな劣等感。


 ――だってそれは、萌香自身がずっと抱えているものでもあるからね。


 誰よりエリカらしくあろうとした絵梨花に。


「でもでも、デズモンド様はリュウオーの生まれ変わりで」

 焦ったような彼女の声に恋慕を確かに感じ、裏の萌香はゾッと震えたが、表のエリークは面白そうにニヤッと笑った。


 絵梨花には迷惑なストーカーだが、心から慕っている女の子もいる。

 エナの声、言葉、それから表情。

 今見えている情報をつなぎ合わせて推測すれば、彼女はデズモンドに恋をしている。だからあの男が執着するエリカの恋人であるアルバートを、エリカから引き離そうと考えたのだとピンときた。


 しかし頭の中ではそう理解したものの、正直意味は分からない。分かりたいとも思わない。萌香(エリカ)にしてみればいい迷惑だ。


 ――カップルを作るのが自慢だって言ってた、仲人大好きな会社の小母様を思い出すわぁ。


 しかし今はその力にあやかりたいところだ。


「ふむ。その彼がリュウオーなら、エリカは貴女かもね」

 自信をもって頷くエリークに、エナの瞳が揺れる。

「でも」

「否定なんてできないよね?」


 エリークは悪魔が囁くように、確信に満ちた声を遠くへ乗せていく。

 しかし次のセリフを言う前に、カリンが二人のあいだに割って入った。


「はいはい、そこまでよ。エリーク、ロナ。それからラウ。もう会場に戻りなさい。ほらリンダたちも」


 その教師らしいきびきびした言葉を合図にしたように、招かれざる観客が何者かにとらえられたのを察した。おそらく警備のものだろう。

 エリークは己の顔から悪魔の微笑みをぺりっと外した。


 幕引きだ。


  ◆


 その後控室に呼ばれた萌香は、アルバートから一通りのお説教を受けることになるが、エリークの仮面を外した萌香はプクッとふくれた。

 事情は詳しく語られないが、今日は萌香に危険があったかもしれなくて、自分を守るためにアルバート達が動いていたことがわかり、不満だったからだ。

「むしろ少しでも話してくれたら、私だってわざわざ邪魔しにはいきませんでしたよ」

「それは!」

「だいたいさっきは、ルー君のほうが危なかったでしょ?」

 そう言って萌香がペンのように見えるものを袖口から出すと、彼がいぶかしげな顔をする。萌香が指先でくるりと回してから彼に渡すと、それが折りたたみできる剃刀であることに気づいたアルバートがギョッとした。


「何でそんなものをもってるんだ」

 萌香が自衛のために持っていたとでも思ったのだろうか。少し情けない表情になったアルバートに萌香は違うと首を振った。

「これはリンダさんのものです」

今年最後の投稿です。次話で侍女篇終了し新章に入る予定です。

引き続き宜しくお願いします(*^^*)

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