125. 王子様みたい
舞踏会まではほとんど日数がなかったため、支度は電光石火だった。
――なんだろ。この時間のなさも懐かしいわぁ。
いつ舞台の台本は全部の役のセリフを覚えていた。その点、出たとこ勝負みたいな状況ではセリフを叩きこむ必要はないけれど、オールアドリブは決められた舞台よりはハードルが高い。
今回役作りの下地として作った設定は、十六歳の快活な少年「エリーク」だ。ロナの遠い親戚だということにした。
今回萌香が男役を演じることを知っているのは、カリンとロナのほかには萌香の家族とメラニー、ミアたち親子、ユリア、それからアルバートだけだ。アルバートには反対されるような気もしたけれどそんなことはなく、なぜかメラニーがノリノリだったことが面白い。彼女に尻を叩かれる形で、トムから夜会服を借りることになったのだから。
――男役は久々だけど、なかなかいいんじゃないかな?
ここは会場であるフテン家の一室。萌香用の控室として準備してもらった、目立たない一角にある部屋だ。
さらしに似た布を入念に巻いて胸をつぶし、トムがローティーンの頃着ていた夜会服には、肩幅を大きく見せるためパッドを入れてもらった。ウィッグはないため、髪を後ろで無造作に一つに束ね髪紐で縛る。
念入りに男装メイクをほどこした顔は、かなり自然に見える自信があった。
――カラコンがあればもっと印象を変えられるんだけど、ここにはないから仕方ないわね。とはいえ……。
「こうして見ると私、けっこうお兄様と似てない?」
あまり似ていると思ったことはないが、鏡に映る今の萌香はどことなくトムに似ている。
今回のメイクは中学時代に演じた役を思い出しながら、少し釣り目気味の元気な少年風にした。そのため王子様風イケメンのトムとは雰囲気こそ違うが、意識して兄のように優しく微笑んでみれば……。
「うん、間違いなく兄弟って感じだね」
一人満足してにっこり笑う。トムに会った時の反応が楽しみだ。
その時ドアがノックされ、先に支度を終えたミアが入ってきた。そのワクワクとした表情が鏡越しに見えた萌香は、ちょっぴりいたずらめいた気持ちで振り向きながら、胸を張って微笑んでみせた。
「ミアさん、どうかな?」
いつもとは違う強気な笑みを見せた萌香に、ミアの頬がバラ色に染まる。
「きゃぁぁ。萌香姉様、素敵ですぅ」
ミアの目は完全にハートマークだ。
「そ、そうかな。いい感じに見える?」
萌香としてはまだ役に入ってないので、予想を大幅に超えたストレートな反応に照れてしまう。
「いい感じどころじゃないですよ! あーん、ロナがうらやましい。アルバート兄様よりもエリーク様がいい!」
ミアが半分本気の口調なので思わず吹き出してしまう。そして、やっぱり昔こんな感じのことがあったなと思うと、不思議と温かな懐かしさを覚えた。
そんな萌香の姿を隅々までチェックしたミアは、至極真面目な顔で頷く。
「知らなかったら萌香姉様だなんて絶対思えませんわ。どこから見ても、間違いなく、ハンサムな男の子です」
ぐっと両手のこぶしを握って太鼓判を押すミアに礼を言うと、ユリアとカリンがロナを連れて部屋に入ってきた。
「へ?」
間抜けな声を漏らし、慌てたように口元に手を当てたのはロナだ。その隣でカリンは口笛でも吹きそうな表情をし、途中まで変身過程を見ていたユリアは、満足そうににっこりと笑った。
そんなみんなの反応に萌香は自分の意識を後ろに追いやった。
幕が開く。
萌香が優雅に一礼してロナの手を取ると、彼女の頬が真っ赤に染まり、うろたえたようにキョロキョロとする。そんな彼女の仕草に、エリークはからかうような笑顔を見せた。
「どこを見てるの、ロナ。今日のパートナーは僕だよ」
「あ、はい。……って、ええ? モ、モエカさん、よね? こ、声が違うんですけど」
「しーっ。モエカは今日いない。ここにいるのはエリークだよ。ちゃんと僕を見てね」
萌香が人差し指をロナの唇のすぐそばに置き、じっと目を覗き込むように見つめると、ロナのすぐ後ろで、カリンが耐えられないといった風に吹き出した。
「ご、ごめん。少しだけモエカさんに戻って。このままじゃロナが倒れるわ」
エリークからモエカに戻っても、カリンはどうやらがっつりツボに入ってしまったらしい。何度もこらえようとしながらも、くっくっくと肩を揺らし続けていた。
つられてミアたちも笑い出すが、ロナはプクッと頬を膨らませる。やわらかなオレンジ色のドレスを着た小柄なロナがそんな顔をすると、普段よりもっとさらに幼く見えた。
――ロナさん可愛いなぁ。こんな妹がいたらすっごく可愛がっちゃうだろうな。
声には出さなかったものの、萌香はそんなことを思いつつ微笑む。
七日程度の付き合いで、彼女を無邪気な子リスのような女の子だと思っていたけれど、意外と照れ屋さんなようだ。
そんな萌香をちらっと見たロナが、何かつぶやきながら目を泳がせ、カリンの背をテシテシッと叩く。
「カリン先生、いつまで笑ってるのぉ」
「だ、だって。ロナってばボーッとなってるからおかしくて。痛っ、痛いって。もう笑わないから」
「仕方ないでしょう。おとぎ話の王子様が出てきたみたいに見えたんだもの」
冗談とも本気ともつかないロナに、ユリアとミアが顔を見合わせて頷く。ロナがいるのでモエカ=エリカだと分かるようなことは言えないが、二人の顔は明らかに「エリカが男でもファンクラブを作ってた」だった。
――ミアさーん、ユリアさーん。二人とも心の声が聞こえてるわよぉ。別にいいんだけどね。なんでか嫌ではないし。
日本にいたら絶対あり得ないし、あっても全力で隠れてしまいそうなのに、エリカでいる自分だと平気だというのも不思議なものだ。
それはもしかしたら、裏方よりも演じる場面が増えたことによる変化だろうか?
「ロナさん。私、王子様に見えました?」
モエカの表情で問うと、ロナは束の間驚いたように目を瞬かせたあと、ようやく落ち着いたようにふにゃっと笑顔になった。
「見えましたよぉ。今だって同じ顔なのに全然違う人に見えるの。不思議ぃ。何も変えてないのにモエカさんに見える」
ロナは角度を変えながら萌香を見て、心底不思議そうに首を傾げた。
「じゃあエリークは、ロナさんのパートナーとして合格?」
「もちろんです! むしろこちらからお願いしたいくらい」
「それはよかった」
――おとぎ話の王子様風が好みなら、もう少しお兄様に寄せようかな。
トム本人も舞踏会に来るから、さすがに寄せすぎることはできないけれど――などと、素早く頭の中で計算をする。脳内で表情やしぐさをシミュレーションし、自分で自分に演技指導だ。
おとなしく座ってるだけに見える萌香の頭の中は、複数の萌香で大わらわだった。
チラッと時計を見たカリンが「時間だな」と頷く。
「私は先に行ってるよ。係の者が呼びに来たら本番だ。みんな期待してる」
「「「「はい、先生」」」」