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目が覚めたら天空都市でしたが、日本への帰り道がわかりません  作者: 相内 充希
第4章 最高のメイクは笑顔です

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123.長い一日⑧

 夜の帳が下りる。


 萌香はレストランの窓の下を見て、ホッと息をついた。

 観劇の後のディナーにアルバートが選んだレストランの席は、落ち着いた内装のゆったりとした個室になっていた。やわらかな明かりに照らされた部屋には絵画のような枠の窓があり、ちょうど大通りが見下ろせる。

 今この地区は未成年の出入りを禁止していることもあり、様々な劇場やホールから出てきた華やかな大人たちであふれていた。

 最後の陽光が消えゆく今、街灯に照らされた品の良い光景はまるで水族館の水槽を眺めているような趣もあり、萌香はうっとりと目を細めた。


「華やかで素敵ですねぇ」


 大人たちがおめかしをして、同じ時期に同じように観劇を楽しむ。これからそれぞれ食事をしたりお酒を飲んだりしながら、見た劇などについて語り合うのだろう。

「うーん、なんて天国……」

 贅沢な余韻に浸りながら、声になるかならないかくらいの萌香の呟きに、正面に座るアルバートがクスっと笑った。


「エリカ。まるでミルクをたっぷり飲んだ子猫みたいな顔になってるぞ」


 そのたとえに、萌香は小さく「にゃあ」と答えてにっこり笑い返した。

 長い一日の終わりに、こんなにも心安らかで素敵な時間を過ごしているのだ。満腹の子猫みたいな気持ちにだってになるだろう。


 目の前には大好きな人がいて、その顔はオレンジ色の照明に照らされてドキドキするほどかっこよく見える。そんな顔で愛しそうに微笑みかけられて、萌香ははにかみながらかすかにまつげを伏せた。

 恋人になってずいぶん時がたったように感じるのに、時折無性に恥ずかしくなってしまう。

 彼に見つめられてドキドキしなくなる日がいつかくるのだろうか。


 これが恋をしている欲目だという自覚は十分あるけれど、時々愛しさで泣きたくなるのは、けっして不安だからではないこともよく分かってる。自分がこんな風に恋をすることができるなんてとても不思議だ。



 マリーナたちと別れた後は、予定通りトム達と合流をして一緒に劇を見た。

 それぞれデートなのでディナーではまた別れたけれど、劇場はかなりいい席で舞台を鑑賞した。

 エムーア風なのか。役者の衣装もずいぶん印象が違っていたこともあり、隅から隅まで目を皿のようにして堪能したが、まさかまさかのシェークスピアだった。


「ねえ、ルー君。今日は、本当に楽しかったです。まさかロミオとジュリエットがあんなお話(ハッピーエンド)だとは思わなかったけど」

 美しい舞台をうっとりと思い出す。想像以上のいい舞台だった。


「さっきもそれ言ってたな。エリカの知るロミオとジュリエットは悲劇だって」

 萌香がコクコクと頷くと、アルバートにどんな内容? と聞かれた。

「途中までは同じなの。ロミオとジュリエットが出会って、恋に落ちて」

「こっそりと結婚する?」

「ええ、そう。でもね、さっきの舞台でのジュリエットは十八歳だったけど、私の知ってるジュリエットは十三歳か十四歳で、ロミオもまだ十六歳なんです」

「それは……さすがに若すぎだな」

 唖然とした彼の顔に萌香はクスっと笑い、「本当に」と頷く。

 中学生の時先輩にその話を聞いて、みんなでポカンとしたことを思い出してしまった。懐かしい。


「後半も今日の舞台みたいにただの乱闘じゃなくて、亡くなる人もいてね。色々すれ違いが続いて、ロミオもジュリエットも死んでしまって……。でもそれがきっかけで両家が和解する、そんな悲しいラストなの」

 がっつり割愛したが、大筋ではこんな感じだったと萌香が頷くと、アルバートは大袈裟に目を見開いた。

「本当に全然違うラストだな」

「そうなんです。ハッピーエンドのロミジュリなんて、本当にびっくりで」


 すれ違いにドキドキハラハラするのは同じだったけれど、結果は大団円だった。しかもエムーアでは、これが当たり前のロミオとジュリエットなのだそうだ。

 歌劇に近い感じで歌われるシーンが多く、驚いたことに観客も一緒に歌うこともある。同じ旋律の繰り返しが多いからすぐ覚えられるものだったけれど、最後に会場中が大合唱になったのは鳥肌ものだった。


「でもすごく面白かったです。伝達に口笛が使われたのも、最近習ったのはこれかって思って楽しかったし」

 隣にメラニーがいてくれたおかげで、簡単な解説もしてもらえた。エムーアですたれた文化でも、こうやって劇を通して受け継がれていくのかも。そう考えるのも楽しい。


「それにね、エムーアにロミジュリを伝えた誰かがわざとラストを大きく変えたか、あるいは違う世界線のシェークスピアがいて、あんなロミジュリが当たり前の世界があったのか。そんなことを考えるのも楽しいですよね」


 食事を終えてデザートを待つ間、ついいつもの口調で目をキラキラさせて身を乗り出す萌香に、アルバートは柔らかく目を細めた。


「そうだな。そのたくさんある世界の一つを、おまえは往復したんだな」


 そのちょっと羨むような響きに、萌香はからかうように口の端を上げた。


「ルー君、うらやましい?」


 こてんと首を傾げて軽く投げた冗談に、彼は真面目な顔で軽く頷いて手を伸ばし、萌香の頬を軽く撫でた。


「ああ。叶うなら、一緒に行きたかったな」

「一緒に……」


 その言葉に萌香の心臓がドキッと音を立てる。ふいに、彼と離れてた時間がとてつもなく惜しく感じられ、萌香の目頭が熱くなった。


「うん、私も……」


 全てを忘れて萌香として生きてきた時間も大切だけれど、無性に絵梨花がうらやましくなった。

 ――彼のそばで、同じ時を過ごすのは私だったはずなのに――

 そんな、どうしようもない思いがあふれてくる。

 誰のせいでもない。

 不幸だったわけでもない。

 何もかも忘れていた自分に、こんなことを考える資格もない。

 それでも、もしスライドが起こらなかったら? そんなことを考え出すと止まらなくなる日がある。

 そばにいたからといって、アルバートが萌香(エリカ)を見てくれたという確信もないのに。


 萌香の表情に気づいたのか、アルバートが立ち上がって萌香の手を取り、テーブルの横にあるソファに導く。このソファはデザートを食べたりお茶を飲んだりするための席で、ゆっくり過ごすため窓の下側には一見模様に見える目隠しが施してあり、座ると遠くの風景だけが見える仕様になっていた。


 アルバートの肩に頭を預けて、彼に頭を撫でられたまま目を閉じる。甘えべたな萌香でも、こうやってごく自然にアルバートは甘えさせてくれる。

 その心地よさの中で、瞼の裏に浮かんだのはマリーナの顔だった。

 少し気遣うような彼女の顔と共に、様々な情報が濁流のように渦巻く。それが一つの形になってすとんと落ちてきて、萌香は心の中で(ああ、そうか……)と腑に落ちた。


 萌香が一番つらいのは、アルバートが一番苦しかった時期、彼のそばにいられなかったことだ。

 アルバートから彼のダッドについての話題はあまり聞いたことがない。以前ちらっと仕事の先輩でもあったと言っていたのは覚えている。でも彼の表情と絵梨花の日記でその方が亡くなっていることを知っていたから、それ以上尋ねなかったのだ。


「ねえルー君」


 そこまで言って言葉が途切れる。

 できなかったことについて何か言ったところで仕方がないし、彼の傷をえぐるようなこともしたくないと思い直したから。一歩間違えれば、これはただの野次馬だ。

 自分の指輪を撫でると、アルバートの左手首の袖口から萌香が作ったミサンガがちらっとのぞいているのが見えた。彼の好みを考えて、一番一生懸命作ったミサンガだ。そして長い指には萌香とそろいの指輪。


「私、ルー君の手、好きだな……」


 慈しむような目で萌香を見下ろすアルバートを見上げると、彼は少しだけ息を飲んだあと、からかうように笑った。


「手だけか?」

「声も好きでしょ。広い背中も好き」

「ふむ?」


 まんざらでもないと言った風に首を傾げたアルバートにクスクス笑い、萌香は指を折りながら彼の好きなところを一つ一つあげていく。


 そこにデザートが届いた。カットされたフルーツを練りこんだ素朴な焼き菓子だ。


「パイナップルも好き」

 菓子に入っていたのは細かく刻んだパイナップルだった。

「それは俺じゃないぞ?」

 くくっと肩を揺らすアルバートに、萌香はわざとすまし顔でツンとそっぽを向く。

「選んでくれたのはルー君だし。それに――今日のデートはずっと、私の好みをよく考えてくれたものだったでしょう?」

 そう告げると、アルバートは目元をかすかに緩ませる。

「楽しかったか?」

「ええ、とっても」


 にっこり笑い合って、二人で窓の外に目を移すと、遠くに山の影が見えてドキッとした。


「富士山……」


 特徴のある山の影は富士だ。

 他にも何か見えないかと食い入るように外を見つめる萌香の手を、アルバートが握りしめる。その手を握り返して、萌香はおどけて軽く肩をすくめて見せた。


「残念。今日は東京タワーは見えないみたい」


 他の人には雲の影にしか見えないかもしれない。それでも久しぶりに富士の形を見た萌香は、前回とは違った気持ちでアルバートを見て微笑んだ。


「また一緒の時でしたね」

 そんな偶然が、なぜかとてもうれしかった。

 萌香の気持ちが通じたのか、アルバートも軽く頷いて改めて外の風景を見つめる。二人でしばらくそうした後、彼がおもむろに口を開いた。


「今日会った親子だけど」

「マルコさんとマリーナ先生のことですか?」

 まさか彼のほうから話題にすると思わなかったが、次に口にした疑問で理由が分かった。

「ああ。さっき彼女に祝いの言葉をかけていただろう? どうしてだ? モエカとして何か聞いていたとしても、お前がそれを出すとは思えないし」

 エリカとして会ったのは初めての相手だけに、彼が疑問に思うのも無理はない。


「ええ。モエカとしても彼女のプライベートは一切聞いてません。今日子供がいるって知ってびっくりしたくらいだし」

「それじゃあ」

「マリーナさん、指輪をしていたでしょう。仕事の時はしていなかったわ」

「え……」

 アルバートが言葉を失ったようになる。


「気づかなかった?」

「ああ」


 アルバートの表情は、本当なのかと疑うような、少し安堵したような、それでいて悲しそうな複雑なものだった。だから萌香はそのあとの言葉を言うべきかどうか悩み、それでも結局口に出すことにする。

 これは、いいことなのだから。


「マルコさんがね、これからレンスという方に会うって教えてくれたの」

「レンス?」

「うん。その呼び方がね、レンスお父さんだったから。特別なんだって思ったの」

 おめでとうと伝えた萌香にマリーナが見せた笑顔は本物だから。


「そうか」

 ほっと息をついたアルバートは、再び窓の外を見つめてもう一度「そうか」と呟いた。「いい男に出会えたんだな……」と。

 「聞いてくれるか?」と、遠慮がちに尋ねるアルバートに萌香が黙ってうなずくと、彼は遠い日を思い出すように語り始めた。


「マリーナさんはヒデオン――俺のダッドで、仕事の先輩でもあるヒデオンの妻だったんだ」


 ヒデオンはアルバートより二歳年上で、アルバートにとって実の親兄弟よりも近しいと思える存在だったこと。

 そのヒデオンが学生だったころマリーナに一目惚れし、熱烈に求愛して卒業と同時に彼女と結婚したこと。それが我が事のように嬉しかったこと。

 アルバートがかねてからつきたかった仕事に就き、そこでも先輩になったヒデオンが、一から仕事を教えてくれたこと。

 でもその仕事中に事故で彼が帰らぬ人となり、幼いマルコを抱えたマリーナの精神状態が不安定になったこと。


「彼女と一時期付き合ったのは、マリーナやマルコを守るためでもあったけど、俺のためでもあったんだ……」


 少しためらいながらも、かつてマリーナとアルバートが恋人だったことに気づいていたと素直に打ち明けた萌香に、アルバートは絞り出すようにそう言った。アルバートの話に、彼の仕事が危険を伴うことを実感して震える。


「でも俺はダッドの代わりにはなれないし、マリーナも気づいていた。ふたりとも目を背けてた。失ったものが大きすぎて、互いが支えだったんだと思う。それでも最初に一歩踏み出したのは彼女のほうだ」


 ヒデオンの恋人であり妻であるマリーナだが、同時に幼いマルコの母親だ。守られるだけの存在ではなく、小さな命を守る存在。彼女が夫からもらった指輪を外してネックレスにかけた時、アルバートは自分も彼女から遠く距離を置かれたことを感じたという。


「俺では父親には……ヒデオンの代わりにはなれないときっぱり言われたよ。結構きつかったな。実際父親になるどころか、誰かと添い遂げる覚悟もなかったし」

 アルバートは萌香の頬を撫で、瞳の奥を覗き込むようにじっと見つめた。

「だからもう、誰とも付き合うつもりなんてなかったんだ。仕事のこともあったし結婚する気もなかったから、女性とは期間限定の軽い付き合いだけで十分だった。十分だと思ってたんだ。――――おまえに会わなかったら、きっとずっとそうだった」


 はじめてそれに気づいたかのように目を見開いたアルバートに、萌香は胸が切り裂かれたように痛んだ。はじめて彼の傷を、孤独を見たように感じ、どうにか慰めたくて体を伸ばしてアルバートの頭を抱きしめた。


「今は……?」

 どこかでネガティブな自分が、アルバートが本当は、萌香と出会いたくいなかったんじゃないかと囁く。小さく震えた萌香の背にアルバートが手をまわした。

「今はおまえがいなきゃだめだ。一緒にしたいことも、してやりたいことも山ほどある。他の女じゃダメだったのは、それがおまえじゃなかったからだ。俺もおまえじゃなきゃダメなんだ」


 それは萌香が本来のエリカとして、ココたちの前で宣言した言葉だ。

 離れていた時間を惜しんだのは自分だけではない。

 萌香はそのことをはっきりと感じた。


 涙が出そうなのを抑えて、精一杯優しく微笑んで「うん」と頷く。でもそれ以上言葉にならなくて、かわりにはじめて萌香からキスをした。

 アルバートからもキスを返される。

 互いの想いを交換するような長い口づけの後、はぁっと息をついたアルバートが額を合わせ優しく微笑んだ。


「……ルー君は、私にしてほしいことはないの?」

 与えようとするばかりのアルバートに尋ねると、彼はいたずらっぽくニヤッと笑った。

「キスのほかに?」

「えっ、あの」


 ――またからかってる。


 熱くなった頬を抑えながら萌香がこくこくと頷くと、アルバートは茶目っ気を消した真面目な視線を萌香に送った。


「叶うなら、俺を信じていてほしい」

「信じてますよ?」

「うん。信じて。何があっても絶対、おまえのもとに帰るから」


 その真剣なまなざしと、そばにいるではなく帰ると言った彼の言葉に底知れぬ不安を感じた。夫を仕事中の事故で亡くしたマリーナの表情がちらついて、恐怖で喉が締め付けられたように苦しくなる。

 それでもこれは、アルバートを伴侶にと考えた時点で避けられないことなのだと無理やり納得した。


 命綱だと言われたように感じたから。

 何があっても萌香とのつながりが彼を救うように感じたから。

 アルバートの願いが彼を信じることだというのならば、萌香はそうするだけだ。彼が帰れる場所になる。


 萌香はアルバートのミサンガをもてあそぶように指を差し込み、「はい」と深く頷いた。これが本当にお守りになればいいのにと、心から願って。


「でもお願い。無理だけはしないで」

長い一日はこれで終わりです。

デート回、思いのほか書くのが難しかったぁ( ;∀;)

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