96.ダンス
萌香はアルバートと向き合い、まずは軽く上げた右の手の平同士を合わせる。音楽のないまま、足の基本ステップを合わせてもらった。萌香にとってはかなり複雑で早い動きなので、一歩間違えればパートナーの足を確実に踏んでしまう。
でも意識を切り替えた萌香の意識は、動画の中で踊っていた絵梨花の奥にある。
一番基本だというダンスも王宮でよく踊られるダンスも、この世界ではごく簡単な部類のものだ。みんなで踊れる、いわば学園祭後のフォークダンスに近い。
アレンジして自由に踊るものとはまた別なので、基本に忠実であることが大事。
萌香が何度も見てトレスした動きは、思った以上に滑らかに出すことが出来、アルバートが驚いたように眉を上げた。
「ここまでは問題なさそうだな。曲をかけて合わせてみようか」
アルバートの言葉に及第点だと感じた萌香は、「はい!」と笑顔で頷き、今度は正式な形をとるため左手でドレスのスカートをつまみ上げた。踊った時にこのスカートが綺麗に見えることも重要なのだと絵梨花の踊りを見て学んでいたため、摘まむ位置もしっかり計算済みだ。
イナが音楽をかけてくれ、基本のダンスを踊り始める。距離は近くても、触れるのは手のひらだけ。
萌香は指先まで神経を行き届かせ、足の動きに集中しつつも、途中からはだんだん楽しくなってきて目の前のアルバートしか見えなくなる。
自然と柔らかい笑顔が浮かび、最後にアルバートに手を取られターンの後優雅に一礼するまで、二人だけ違う世界、空間にいるようだった。
――すっごく楽しかった!
はあはあと肩で息をしながらアルバートを見上げると、彼が
「上出来」
と言った瞬間、萌香の左頬にちょんと唇があてられる。
「へっ?」
心臓が飛び出すんじゃないかというほど大きく脈打ち、思わず両手を左頬にあてると、アルバートに「ご褒美」とニヤリと笑われ真っ赤になった。
カイの「ほぉぉ、やるねぇ」というからかいの声にオロオロしつつ、イナが柔らかく微笑んでいるので、たぶんこれは普通のことなんだと気持ちを落ち着ける。
――あ、頭を撫でることの亜種みたいなものよね? ご褒美って言ってたものね?
初めましてのあいさつでも指にキスをするくらいだ。きっとエムーアにはよくある習慣なのだろう。
――でも私は日本育ちですから! 心臓持ちませんから!
ダンスのせいで心臓が早鐘を打っているのか、それともアルバートのせいなのか、もはやよく分からなくなってくる。そんな萌香をカイがニヤニヤ笑って見ていることにも気付いているので、早く気持ちを切り替えなきゃと、何度も深呼吸をした。
萌香にとって役だと思えば切り替えは早い。
大丈夫。今はダンスが得意なお嬢様の役だ。普段使わない筋力のせいですぐに息が上がるけれど、萌香は心の中で幕開けまでのカウントをする。
アルバートの視線が甘やかに見えるのは、萌香のダンスが思ったよりまともだったことに満足しているだけだ。今彼は萌香のアイドルでもヒーローでもなく、ダンスのパートナーであり、お兄ちゃん。
――よしっ。落ち着いた。
呼吸も表情も落ち着いたところで顔を上げ、その後もしばらく練習をする。途中からイナやカイがまざってアレンジダンスが始まると、練習というよりはミニパーティーだ。
「人がある程度いたほうが、雰囲気に馴染みやすいかもしれないわね」
というイナの提案で、後半は手の空いたフットマンやメイドも混ざりはじめた。
人数が増えたおかげでパートナーを変えながら踊る練習もでき、予想外に楽しい夜になった。
◆
「萌香、寝る前に散歩に行かないか?」
ダンスの練習後、疲れてるなら休んでもいいけどと、珍しく遠慮がちなアルバートに誘われ、萌香は彼と二人で海辺のほうまで散歩に出ることになった。
シャワーを浴びたばかりの体に、風が心地いい。
「アルバートさん、今日はありがとうございます。ダンス、楽しかったです」
明日もしましょうと大いに盛り上がったため、多分明日はもっと盛り上がりそうな予感がする。男性パートも覚えたいという萌香に、フットマンたちが面白がってふりを見せてくれたり、メイドたちが女性役で付き合ってくれたり、協力者の多さに大感謝だ。
「ここにいる間にダンスはものにできそうだな」
「どうですかね。絵梨花の域にはまだまだですけどね」
動きのトレスはできる。
でもカイに萌香のスマホで撮ってもらった動画を見る限り、やっぱりまだまだだ。初心者にしてはかなりマシというところだろう。
それでもアルバートと踊る萌香は本当に楽しそうなので、自分で見ていてもちょっと笑ってしまった。
カイたちに「見てて楽しい」と言われたのも納得だ。
「絵梨花の踊りは迫力もあったし綺麗だったけど、萌香のは、一緒に踊ってて楽しいし、見てて幸せになるよ」
「そうですか? だったら嬉しいですね」
照れ笑いする萌香の頭を、アルバートがクシャっと撫でる。
海辺に出ると、いくつかあるベンチの一つにアルバートが自分のハンカチを敷いてくれ、萌香に腰かけるよう促した。まるで白黒のロマンティックな映画を見ている気分になり、萌香は少し照れてしまう。
夜の海は波の音が低く響き、ただの黒い空間のようなのに妙に落ち着く。天空にはラピュータの明かりが見え、その不思議な光景に萌香はしばらく見いった。
「綺麗。日本、というか、外の世界では見られない夜景ですね」
夜のせいで、余計に幻想的な光景になっている。イチジョーにいる間は夜に外出したことがなかったこともあり、見ていて全く飽きなかった。
――テレビで見た、函館山から見た夜景を逆転させたら、こんな感じかしら。
ヘレンの別荘が函館にあるということで、いつか旅行で行きたいなどと話していたことを思い出す。父の病気が落ち着いたのだから、本当だったら来年あたり行けたのかもしれないなどと思うと、寂しさに胸が詰まった。
抑えても抑えても、時々ホームシックになるのは、いつになったらなくなるのだろう。
「萌香、泣いてるのか?」
アルバートが萌香の目元を指でぬぐった。思わず照れ臭くなって萌香はニコッと笑って見せる。
「内緒ですよ? ほんの少しだけ、ホームシックになっちゃいました」
アルバートに向かって、帰りたいんだと泣いたのが遠い昔のようだ。
「そう、か」
「そんな顔しないで大丈夫ですよ。夜景がきれいだなって、ちょっと感傷的になっただけです。そんなこともあるでしょう?」
笑って首をかしげると、ポニーテールの先が肩をくすぐる。
アルバートはほとんど無表情で、気のせいか空気が重くなったようにさえ感じた萌香は、心配をかけたかなと申し訳ない気持ちになった。
「萌香」
少しだけかすれたアルバートの声は妙に色っぽくて、萌香はドギマギしつつも安心させるように笑顔で「なんですか?」と答える。でもかえってアルバートの緊張が増したようで萌香は戸惑った。
長い沈黙が落ちる。
その間心地よい波の音だけが聞こえ、風が髪を揺らして遊んだ。
風呂上がりでかきあげられていたアルバートの前髪も、風ではらりとこぼれた。
萌香がそろそろ帰ろうかと言うつもりで立ち上がろうとすると、クイっと手を引かれて座り直させられる。
「もう少し」
「えっと、――はい」
首を傾げつつ返事をする萌香に、アルバートが視線で萌香の頬を撫でたような錯覚にさらに首をかしげる。
――こんな濃密な視線は、アルバートさんの彼女に向けたほうがいいと思うんだけど。
もしかしたら彼には何か悩みがあって、萌香に相談したいことでもあるのだろうか? 萌香で力になれるなら喜んで聞くのだけれど。
「アルバートさん。たぶん図々しい想像なんですけど、もしかして私に相談か何かありますか?」
萌香がおずおずと尋ねてみると、アルバートはなぜか大きくため息をついて膝につきそうなほど顔を伏せてしまうのでビックリした。
「大丈夫ですか?」
どうしよう。そんなに深刻な話なのかしら。
きちんと受け止められるよう、萌香がしっかり心に気合をいれると、アルバートがようやく顔を上げて萌香を見た。
「萌香」
「はい」
どんな悩みもどんと来いです!
「ああ、その……くそっ」
うまく言葉が出ないのか、それとも恥ずかしいのか、なんとなくアルバートの顔が赤くなったような気がして萌香はますます戸惑った。いったいどんな話が飛び出すのか想像もできない。
「アルバートさん、私に話しにくいことでしたら、また今度か、なんでしたら兄がいるとき、兄に相談されたらいいんじゃないでしょうか」
トムはアルバートと親友なのだし、悩み相談なら萌香より適任だろう。
「なんでトム」
「えっと、他の人でもいいですけど。悩みごとの相談でしたら、話しやすい人のほうがいいんじゃないかなぁと」
怪訝そうになる萌香にアルバートはげんなりしたような顔をした後、一瞬ギュッと目を閉じてからフーっと息を吐いて目を開いた。
「萌香!」
「はい?」
「好きです、俺と結婚してください!」
「はっ?」
「早いわ! まずは付き合ってくださいやって、言うたやろうが!」
唖然とする萌香の声と共に、物陰にいたらしいカイが飛び出してツッコミを入れてくる。
――えっと、何これ? コント?
予想外の出来事にさらに首をかしげる萌香でした。
(告白された認識は、残念ながらまだない)




