第九話 最終話(4)
2 足掻き
「警官どもめ! 遂に見つかってしまったか。後少しで、海外への逃亡用に手配した貨物船の準備が整ったというのになぁ……」狭い部屋の中で、声が響いた。
すると続いて、「まだチャンスはありますよ。日没は近い。夜まで凌げれば闇に紛れて逃げられる可能性も出てきます」という返答も聞こえてきた。
ここは、屋敷の中でも一番存在の薄い部屋。長い廊下を歩いた末に辿り着く、八畳ほどのスペースにテーブルと二脚の椅子だけが置かれた、まるで隔離されたような所だ。とはいえ、暗く閉ざされた場所ではなく、崖に面した壁側に最低限の建具として、明り取りと換気を兼ねた一メートル四方のガラス窓が設置されていた。所謂、有事の際に一時だけ身を隠せる小屋だ。ただ、そうなると、窓がある所為で、発見され難いとはいえ外部から侵入され易いのでは?……。と考えがちだが、それも抜かりはなかった。その窓から外を覗いてみたら、誰しもが恐怖で震え上がるだろうから。もう目も眩むばかりの断崖絶壁が眼下に広がっていたのだ! つまりこの建物は、人一人でさえも安全に歩けないぐらい狭い幅だけを残して、崖に沿うように建てられた避難所だったという訳だ。
そして、そんな場所で、
「しかし何故、皇虎は倒されたんだね? 何度考えてもおかしいじゃないか。あれほどの力があったのに、どうしてだ?」
「私にも分かりませんが……もしかすると、総監の娘も薬を打っていた可能性もありますよ」
「チッチッチッ、やっぱりな! あいつら、わし一人を悪者に仕立てて、この世から抹殺するつもりなんだ」と、まるで自分たちが被害者であるかのような口振りで、北条と大門寺が息を潜めて話し合っていたという。
ところが、その後、急に雲行きが怪しくなった。何やら外が騒がしくなったか? どうやら、襲来直後に危険を察知して取る物も取りあえず潜んだというのに、早々と警官に見つかってしまったようだ。
「き、来たか?」よって北条は、忽ち怯えた。
一方、大門寺は冷静なまま? ただし……何か腹に一物も抱えている様子だ。「私が始末します」と落ち着き払って言い切った後、銃を取り出しドアの真横に身を伏せた。
まさか、入ってくる者を狙い撃ちするつもりか?
すると、そうこうするうちに、外ではとうとう銃声までも聞こえてきた。
それから、鍵が打ち壊される音が鳴って数秒後、ゆっくりと扉が開いた。
そしてその直後、大門寺の目の前に、侵入者の頭部らしきものが現れたのだ!
――ただちに、銃声音が響いた!――秘書は、無我夢中で発砲したよう。
何と、敵を一発で仕留めたみたいだ。
……と思ったが、何かおかしい。その頭部が、「へっ?」転がり落ちたからだ! (ほおー? 人の頭だけが弾け飛んだのか?)
否、そんな訳はなかった。あれは、ただの、〝ヘルメット〟だったのだ!
どうやら、突然目の前に突き出されたもんだから、大門寺は反射的に発砲してしまったようだ。(というより、まんまと撃たされたと解釈した方が正しいかもしれない)
しかも、そうなってしまっては、その後の展開もお決まり通り。打撃音が鳴るとともに、侵入者の強拳を貰っていた。
哀れ大門寺は、銃を放り投げ床に倒れ込んだ。呆気なく、気絶してしまったみたいだ。
全く、頼りにならない奴よ。
それなら、これほど大それた策を仕掛けてきた者はいったい誰であろう?
それは、言うに及ばず……〝レディMだ!〟怒りに燃えた表情で、肩を怒らせながら登場してきたのであった。
「クソッ、来るな! 来るんじゃない」忽ち、北条の喚く声が聞こえてきた。
しかしレディは、構うことなくずんずんと奥に向かって進んでいった。奴は拳銃を握り締め、今にも撃ちそうなのに……。とはいえ、俄仕立ての老兵など恐るるに足らない。ただちに、鎖分銅を振り抜き、電光石火の早業で銃を叩き落とす。それから後は、立ち所に距離を詰め、力任せに殴りつけた。《いやはや、全く相手にならないことは、周知の事実か?》
北条は、腹を押さえ苦しそうに呻いた。「うううっ!……」まるで、酔い潰れた浮浪者が顔を歪めて嘔吐する時のような恰好を見せて倒れ込んだという。〝それは、誰が一見しても哀れな有り様に見えたであろう〟
とはいえ、その一打だけではレディの気持ちが治まらなかった。それ故、北条の襟首を持ち上げたなら、「死んでいった者の怒りを知れ!」と言いいながら次は顔面を殴りつけた!
奴は体を反り返らせ、後ろへ倒れ込んだ。……が、それでもまだ許す気にならず、さらにもう一度立たせ、「雅の、恨みだ!」と叫ぶと同時に拳を振るった。そうして結局は、「立石の、無念を知れ!」等の言葉を浴びせて、何度も何度も殴打していた。どうやら、タガが外れてしまったか?
すると、北条の顔が見る見るうちに腫れ上がり、口からは鮮血が流れ落ちる。同様にその容姿も、まるで谷底へ真っ逆さまに投げ捨てられた木人形のごとく、全身がぼろぼろの状態になっていた。
だが、レディの方は、そんな悲惨な姿を目にしようとも、全く情けを掛けようとしなかった。そのため、とうとう最後の一線を超えるほどの暴挙にまで進展する羽目になったッ!
「これが……康夫の分だ!」と叫んだ後、奴の首根っこを掴んで無理やり壁に押し付けたなら、渾身の一撃を放ってしまったのだァー!
「止めろ、M!」ところが、その時だ。突如、彼女を戒める声が部屋中に響いた。「殺す気か? それ以上やったら、お前も殺人者になるんだぞ!」さらに強い言葉も付け加えて……
〝工藤の登場だった!〟彼を含めて、既に数名の警官たちの姿もその場にあった。
レディは、どうにかその声のお陰で……我を取り戻し堪えることができた。北条の顔を掠めただけで、代わりに彼女の拳は――ただし、数メートルに及ぶ蜘蛛の巣状のひび割れを残していたが――壁を貫くという結末になっていた。
「ひぃーー!」とはいえ、北条の方は無事だったものの、鼻先三寸を稲妻のような強拳が走ったのだから慄いたに違いない。腰を抜かし、その場に崩れ落ちた。それから、もう十分後悔したみたいで、自ら終焉を告げるかのように懺悔し始めた。
「悪かった……もう勝手なことはせんよ。だから、お前の親父に言っといてくれ。わしは、あんたらの指示通りにする。薬を二度と横流しはせんとなぁ!」と。
かくして、大捕り物劇はここに完了?……
(――うむむっ? 否、待て! 今、何と言った?――)
〝何てことだ! まだ予想もしない事実が残されていたのだァー!〟
彼女は、その聞き捨てならないキーワードを耳にして、忽ち体を硬直させたのであった!――――




