第3話 仲間の危機(2)
2 噂の戦士
「うぇーん、うぇーん、ううっう……」
「どうちたの? おねえたん。なんでないてんの?」
「ううっ、ふうちゃん。パパとママが……うっ、しんじゃったあ!」
「しんじゃったの? なんでしんじゃったの? でも、すぐあえるでしょ?」
「だめよ。もうあえないの。もうかえってこない……」
「う、うっそだあ! すぐにあえるもん。おねえたんのうそつき」
「あっ、まって、ふうちゃん! どこいくの? まってえ」
――――「待て! 待たないか」
レディはハッと我に返る。どこからか大声が聞こえてきたせいで現実に引き戻されたのだ。
辺りを窺うと、一人の男が数名の者たちに追われているのが見えた。
早朝の白菊学園、多くの生徒が登校している校庭での出来事だった。
今の彼女は、捜査自体が一時中止されたにせよ、急に姿を消す訳にもいかず――疑われる可能性もあるため――通学だけは以前と同様に続けていた。
そうした中で、事件が起こったのだ。懸命に逃げようとしていた男が、その甲斐もなく捕えられていた。
「放せ! 俺が何やったっていうんだよ?」しかも、その男の顔は康夫だ。龍子たち、風紀委員に確りと腕を押さえつけられていた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだ。お前は結構顔が広いから、何か知ってるんじゃないかと思ってね。学園内で何か変な動きがなかったかい? 私たちに協力して話しなさい」
「誰がてめえらに! 痛いんだよ。放せこらァー」
どうやら龍子が、康夫に目をつけたみたいだ。
だが康夫の方は、必死で拒絶している。
ならば、龍子も次の一手に出るしかないのか?
「おっと、素直に話さないと、この腕がどうなるか」と言って、掴んでいる彼の手を容赦なく締め上げ始めた。
「い、いててー」途端に、康夫の悲痛な声が響く!
その場は、騒ぎを聞きつけた大勢の生徒で取り囲まれていた。とはいえ、誰も康夫を助けようとはしない。この学園では、風紀委員に楯突く者などいるはずもなかったのだ。
が……その時、「止めろ!」突然の大声。レディが見かねて叫んでいた。
すると、龍子は即座に反応を示す。奴の目が、群衆の中から声の主を探しだそうとしているのが窺え、
「止めろ? 確かあんた、八咫神、さんだったわね」と簡単に見つけられてしまう。
忽ち周りにいた生徒たちは、奴の恐顔に慄いて蜘蛛の子を散らすがごとくレディから離れた。
こうなっては、否定もできなさそう……。彼女は自分の発言を認めたうえで、できるだけ龍子を刺激しないように、淑やかな態度で言葉を返すしかなかった。
「や、止めてください。暴力はいけません」と。
けれど、奴に治まろうという気などありはしない?
「ひゃひゃひゃ、暴力はいけませんてか。これのどこが暴力?」と言って康夫の腕を放し、次に何を思ったのかレディの方へ近づいてきた。
これは……弱ったことになったぞ! 今度は彼女を標的と見なしたようだ。奴にとっていたぶる対象は誰でも構わないのかもしれない。ただ逆らう者には異常なほど反目を示した。
これでは、一悶着起こりそうだ! レディは危ぶみ、一旦その場を退こうと試みる……も、無理か、すぐさま委員会の連中に行く手を阻まれ、逃げ道を塞がれた。そしてその一瞬の間に、龍子が猛然と接近してきた。知らないうちに目の前まで迫って、レディを拘束しようと掴みかかってきたのだ!
ところが、彼女も百戦錬磨の兵。容易く相手の思い通りにさせない。持ち前の反射神経で、体を翻し奴の手を掻い潜る。龍子の動きは速いけれど、レディの円を舞うような滑らかな足捌きはそれを上回る。奴の攻撃を紙一重で難なくかわした。
「こ、こいつ!」そうなると、龍子も焦りの色を浮かべる。なかなかレディを捕まえられず、たじたじとなっているみたいだが……諦めるという選択に至らないのか――それが奴の性分?――より一層ムキになって腕を振り回し始めた。それでも、レディには通用しない。さらなるステップで対抗して華麗に奴を阻み続けた。
……ただその一方で、レディにも異変が生じた。自分でも気づかぬうちに、心底の闘争本能に火がついたような……
無意識に足が動いて――龍子の進路を遮る行為――奴の踝を引っかけてしまったではないか!
途端に龍子は、前のめりに倒れ込む。
「き、きさま!」
仕舞った! 余計なことをしでかしたぞ。こんな仕打ちをしては、奴も真剣にならざるを得ない?
そう危惧した瞬間、やはり奴は、怒りに任せて猛烈に襲いかかってきた! 拳が飛び、蹴りが来る、凄まじい攻めに急変したのだ。
然しものレディも、こうなっては後悔するばかりだ。とはいえ、既に手遅れ。己の強気が災いしたからには、今以上に本気で逃げるしかない。手で蹴りをいなし足で強拳を止めて一心に攻撃を防いだ!
だが、そうそう防御だけで耐えられるほど、軟な相手でないことも知っていた。反撃しないとやられてしまう。ならば、一思いに手を出したなら……駄目だ! 確実に正体がばれる。そのうえ、もし最悪の結果として捕えられでもすれば、仲間を危険に晒す可能性もあるのだ。
まさに窮地! 彼女はこのまま耐え忍ぶべきか迷った。そうして思案している間に、とうとう奥の塀まで追い詰められ、これより後方へは逃げられない状況になっていた。しかも、奴の鋭い連打の猛攻は、留まることを知らず、全てを受け止められるはずもなく……そこに、げっ! 奴の強力な右フックが飛んできた?――一見して物凄い強打だ、片手では止められそうにない!――その咄嗟の判断で、レディは思わず両手で掴んだ。が、そのせいでボディが丸っ切し、がら空き……
――打撃音がした!――「くっ!」まさに、強烈な奴の左パンチを、腹へ貰ってしまった! レディは苦しさのあまり腹部を押さえ膝をつく。……されど、これで終わった訳ではない。次こそが最大の危機だ! 彼女の顔面が、全くの無防備なのだから。
そして、予期した通り、龍子の剛腕が、唸りを上げて迫り来たー!
――鈍い音が鳴った!――
遂にレディが……
むっ? 否、違うぞ。彼女ではなく、何故か龍子の方が強音とともに倒れ込んでいた!
いったいどうして?
レディは顔を上げ、すかさず前方を見た。
すると、前を塞ぐ形で、一人の男が立ち尽くしていた? そして、その男とは……えっ、康夫? どうやら康夫が、危険も顧みず龍子に体当たりを仕掛けたみたいだ。
これには、レディも驚き、当然ながら彼の勇気に感謝もした……が、同時に――なんて無茶なことを!――と心配せずにはいられなくなった。何故なら、そんな目にあわされて、龍子が黙っている訳がないからだ。
「ね、ねえさん、逃げて!」続いて、絞りだしたような声が聞こえる中、「おまえーっ!」と叫ぶ、怒りに満ちた大声も耳にした。
よって、場面は案じた通りの展開に! 龍子は、一層険しい形相に変貌しすっくと立ち上がったなら、忽ち康夫の胸倉を荒々しく掴んだのだ!
――大変だ! 今度こそ、康夫が危ない――
そして、彼の怯える顔が目前に見えようとも、奴は構うことなく拳を振るったァー?
「止めなさい! 龍子」ところがその時、それを阻もうとする突然の大声が、校庭の中央から飛んできた!
誰の……声だ?
言うまでもない――追風を背面で遮り、まるで獣王のような風格を醸し出している――皇虎だ!
「もういい。ここは学内だぞ、騒ぎを大きくするんじゃない!」多人数の生徒の前で大立ち回りをすることに警戒心を抱いたのだろう。
流石にその言葉を聞いては、もはや誰も逆らえはしなかった。
「チッ!」龍子は腹に据えかねているみたいだが、すぐに康夫を開放した。
やっとこれで、巨漢の登場とともに事は治まってくれたのか?