7.世界の固定
石畳を蹴った硬さも、足の裏を通じて全身に響いた。
さっきまで世界全体を包んでいた、ぼんやりとした膜は剥がれ、全ての輪郭がはっきりとしている。
間違いなく、夢を見てるはずなのに。
このリアルさは何?
混乱した頭を抱えながら、路地を行き当たりばったりに進む。
右の角を曲がると、頭上に赤い鳥が飛んで行くのが目に入った。
それを見上げて遠ざかって行くのを確認した後、前に視線を移すと。
目の前に兎頭が立っていた。
「っ!?」
あわてて引き返し、そこから駆け出した。
ちらりと後ろを振り返ると、追いかけるでもなく兎頭は佇んでいる。
「はぁっ、はぁっ」
自分の乱れる呼吸とバタバタと響く足音だけが聞こえる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
壁にもたれて、なんとか気持ちと体を整えようとするが、うまくいかない。
すぐ隣に、音もなく兎頭が立っていた。
そして、イコの右腕をつかむ。
その瞬間、彼女の腕は赤い羽に変化していく…!
悲鳴が喉の奥から飛び出しそうになる…!
だが、兎頭の体が突然斜めに崩れ落ちた。
イコはホッとして力が抜け、へなへなと座り込んだ。
右腕も元に戻っている。
兎頭を切り払った人物は、剣を腰の鞘に納め、イコを見下ろしている。
細身の体にラベンダー色のワンピースを身にまとい、金茶色の美しいロングヘアを風になびかせていた。
美しい顔立ちに意志の強そうな瞳をしている。
「あっ、あの、ありがとう…」
イコは尻餅をついたまま、お礼を口にした。
「…ったく、冗談じゃねぇよな!」
美しい顔に似合わない乱暴な口調。
美しい顔に似合わない…低い声。
「あなた、男…っ?」
思わずイコはそう問いかけた。
「好きでこんな格好してるんじゃねぇよっ」
彼は片手でスカートを引っ張って、ジロリと睨みつけた。
「ったく、こっちは非常事態で大変だっていうのに。お前、夢を夢だと確信したろ?世界が固定されるから、こういうことになるんだ」
「世界が固定?」
「だいたい、これ、アンドロイド用の夢だろ。なんで人間のお前が使ってるんだよ。どうみても、アンドロイドじゃないもんな、お前」
なんとなく、容姿を馬鹿にされた事はわかった。
「この夢はおじいちゃんが作ったの。だから…」
「大賢者の孫…?」
「おじいちゃんを知ってるの?」
〈ヴァニ!ヴァニーユ!〉
その時、拡声器を使ってるような声が響いた。
〈時間がないぞ、早くしろ!〉
「ギリギリまで持たせろ!」
ヴァニーユと呼ばれた美しい少年は怒鳴り返す。
「私は、おじいちゃんが作った夢が悪夢に変化する原因を突き止めたかったの。1回目の時に助けてくれたのもあなた?」
「1回目?そうか、やっぱり…」
イコの言葉にヴァニーユは表情を曇らせた。
「あ、あと、この夢を使ったアンドロイドの常連さんが目を覚まさないらしいの!なんとか目を覚まさせたくて、私…」
「目を覚まさない?そんな馬鹿な。アンドロイドは世界を固定できないはずなのに」
「あなた何者?私、どうしたらいいの?」
〈ヴァニ、もう限界!〉
再び声が響く。
「くそ、俺もお前に詳しい話聞きたいんだけどな…。次は現実世界で会えるといいな」
ヴァニーユの手が動き、キラリと光る刃が舞い踊ったと思った瞬間、それはイコのお腹に刺さっていた。
痛みも、感覚もまるで感じない。
「…ヴァニーユ?」
「そう、俺はヴァニーユ。お前は?」
「イコ」
「イコ、おはよう」
ハッと目を開けたら、古びた天井が飛び込んできた。
目が覚めたというよりも、帰ってきた、という実感が湧いた。