5.救世主
兎頭はイコの手首を掴んだ。
彼女の体はすぐに鳥には変化しなかったが、兎頭は力任せに引っ張り、地面に転がした。
その時、膝に痛みが走る。
兎頭の片手にはいつのまにか包丁が握られていた。
イコは見上げることしか出来ない…!
だが次の瞬間、兎頭は煙のように消えてしまった。
代わりにそこには別の人物が立っていた。
剣を握った、スカートをはためかせた少女…?
「っ!」
そこでイコは目を覚ました。
目に飛び込んできたのは、いつもの天井だ。
心臓がドキドキしていて、手のひらに汗をかいている。
…怖い夢を見た。
その輪郭ははっきりしていたが、細かい内容は急速に薄れていく。
そうだ、最初はビーチにいて、寛いでいて…
それで、赤い鳥が出てきて、兎頭に追いかけられて…
誰かに助けてもらった…気がする…
とにかく、商品である夢が悪夢に変わってしまうのは間違いないようだった。
水でも飲もうとベッドから起き上がった時、膝に痛みを覚えた。
部屋の明かりをつけて確認すると、擦り傷のようになっている。
夢と同じ…。
怖い夢を見て、ジタバタして壁にでもぶつけたんだろうか?
その現実の痛みで、夢の中でも痛みをおぼえた…。
普通の夢ならそういうこともあるだろう。
でも、これは元々魔法で作られた夢だ。
逆に『夢の中の痛みが現実にやってきた』…?
あのまま、兎頭に刺されたら、どうなっていたのだろう…?
「はぁ〜」
わざと大きなため息をついて、気持ちを紛らわせる。
このまま、廃業かな。
仕方ないけど。
ただ、どうして急にこんなことになったのか、その原因は知りたい。
枕に顔を埋め、きつく目を閉じる。
が、急いで枕の下のケースを取り出し、放り投げた。
(実際には一度使うともう夢は見れなくなるのだが)
それっきり、目が冴えて眠れなくなったイコは再び祖父の資料漁りを開始した。
夢の木を作った時の記録や日記があればいいと思いながら。
作業に没頭していると、放置していた端末が電子音を奏でた。
その音にビクッとしながら、イコは手に取り、耳にあてる。
「はい」
「イコちゃん、落ち着いてきいて」
声の主はエイトだった。
「エイトさん?」
「リーグが目を覚まさない」
その一言にイコは聞き返すこともできなかった。
「やつの嫁さんから連絡があってね。枕の下の夢を抜いてもみたんだけど、充電状態のまま、起動しない、といったらいいのかな、とにかく目を閉じて横たわってるだけなんだ」
唾を飲み込むのがやっとだった。
短い沈黙が流れる。
「イコちゃんは売らないっていったのに、試してみたあいつが悪いんだ。大ごとにはしないから、とりあえず様子を見てみるから」
イコの動揺を感じ取って、エイトはなだめるような口調で続ける。
「悪夢を見てたとしても、きっとバーバラの時みたいに誰かが助けてくれるだろうし」
「誰かが…?」
かすれた声が出た。
「うん、後で言ってたんだ。誰かが助けてくれた瞬間に怖い夢から目覚めたって」
イコの脳裏に剣を持った少女らしき人物が浮かび上がった。
バーバラも自分と同じような体験をした…
「あの、私も原因や解決方法を探しますから」
ようやくそれだけを伝えることができ、通話は終わった。
イコにも何がなんだかわからない。
全く知らない土地に1人置き去りにされたような気がして、途方にくれる。
それでもなんとかしなくちゃ。
リーグさんに夢を売ったのは間違いなく自分だから。
心細さに襲われながら、そう言い聞かせる。