29.サイアク
「大丈夫よ、もういなくなったわ」
ショコラはしゃがみ込んでマーガレットの体に触れる。
「体に深い傷はないわね」
注意深く点検する彼女に、少女はガタガタ震えながらしがみついた。
「心の傷の方は深そうだ」
リモーネは静かに言う。
「人工知能に恐怖が深く学習された。これはかなり大きな一歩だ」
皮肉めいた口調にヴァニーユも頷く。
「イコの予想があっていたら、奴らの思惑は大成功だな。…ゼム。マーガレットを確保した。そろそろ引き上げる。そっちの様子はどうだ?」
ゼムに呼びかけるも、室内には沈黙が広がるだけ。
「そういえば、全然ゼムの声、しなかった…」
イコの胸に何か嫌な予感がじわっと広がる。
この夢の中に入ってから、まったく気配を感じさせないなんて。
「おい、ゼム?応答しろ」
「ちょっと、ちょっとぉ」
すぐさまショコラの目が釣り上がる。
「あの坊や、本当に信用できるの?あたしたちを嵌めようとしてるとかないの?」
ヴァニーユは無言で睨みつけると、再び呼びかける。
「ゼム。何かあったか?。ゼム!」
「…じゃない…これは…」
「なあに?」
ショコラに顔を埋めていたマーガレットは何かを呟いている。
「これは現実じゃない…これは夢…これは現実じゃない…これは夢…」
「えっ、夢を認識してるの?夢をわかってるの?」
彼女の両腕を掴んで引き離し、ショコラはその顔を覗き込む。
マーガレットの瞳は焦点があっていない。
「兎頭がそう言ってたの…これは現実じゃない…これは夢…助けはこない…何度でも繰り返して…終わりがなく私を…傷つけられるって…」
そこまで呟くと絶叫した。
「ギャアアアー!」
聞いてるだけで背筋が冷たくなる、恐怖と呪いが口から飛び出したような叫びだった。
〈ヴァニ!〉
「ゼム!」
ヴァニーユはあからさまにホッとした表情を浮かべる。
〈ごめん、こっちも手が離せない出来事があって…離脱して大丈夫〉
「了解」
剣をひらりと抜くと、ヴァニーユは叫び続ける少女の体に差し込んだ。
世界の輪郭がぼやけていき、イコはヴァニーユの腕にしがみつく。
大量の光の洪水が体を包み…目を開くと、ゼムの姿があった。
「マーガレット嬢は知能回路がショートしちゃったね…この夢の記憶を消去したらなんとか行けそうかなぁ」
少女のベッドサイドでため息をついた後、疲れた表情のメンバーに微笑みかける。
「お帰り、お疲れ様〜」
「ゼム、何があったんだ?」
ヴァニーユが被せるように質問する。
「良くないニュース。報道されちゃった。ガンガン問い合わせがきてるみたい」
「報道?」
イコが聞き返すとゼムは大げさにため息をつく。
「アンドロイドたちが強制的に悪夢を見る事件が発生。あまりの恐怖に人工知能回路がショートする被害がありました。原因も犯人も全くわかっていません。いつ誰が同じ目に合うかわかりません」
「誰がそんなこと?研究室の奴らなの?」
ショコラの声が尖る。
「いいや。僕らはパニックは避けたい。何が何でも隠して、こっそり解決したい。違うよ」
「じゃあ兎頭を扱う連中か?」
「多分ね」
リモーネの問いに頷く。
「このニュースはヴァニたちがまだ夢の中にいる最中に流れた。それも人工知能が恐怖でショート、なんてフレーズで。犯人しかそれはわからないだろう」
「これからどうなるの…?」
イコは硬い表情のヴァニーユの横顔を見上げた。
「最悪だ。…恐怖は伝染する」
「そこを付け込まれたら…まあ、最悪ってことだよね」
…サイアク。イコも心の中で呟いた。




