その2 正直さだけは評価に値します
そんなはずは無い。あいつは確かに俺の目の前で、この世から消えたんだ。
「何よ汗だくじゃない。だから服を脱ごうとしたの?」
「…」
「大丈夫?瞳孔が開いてるけど」
「…」
開いた口が塞がらない。マラソンの後のように息が乱れ、普段は絶対鳴らないような音が肺から響く。
「おい」
「…」
「いい加減にしなさいよ」
彼女の顔は明らかな憤怒の表情が現れていた。さっきまで向けられていただけの剣が目の前で振り下ろされたのだから。
「え?」
「聞いてんの?いや、聞こえてるんでしょう?」
知らない人です!知らない人に決まってます!まずい、かなりヤバい人だった!今何で俺が怒られてるのかよくわからんけどこの人はあいつじゃなくて、俺に殺意を抱いてることだけはよくわかった!
「おい」
「殺さないでください」
「さっさと答えなさいよ。あたしを誰だと思ってるの?勇者よ?世界を救うために旅をする勇者様よ?」
「勇…者?」
「勇者」
勇者がいること自体は特に驚かない。ここは異世界、勇者の一人や二人いるだろう。でもセリフが完全に悪役のそれだったよ?完全に世界滅ぼす側のセリフだったよ?
いやいや相手のことを深く知らないのに勝手に決めつけるのはよくない。もしかしたら口が悪いだけでいい人かもしれない。
「あんたに質問がある」
「命ごいなら聞いてあげるわ」
「…」
おおっと心が折れそうだ。
「あんたはなぜ勇者をしている?」
「もちろん、この世界に平和を取り戻すため」
「本心は?」
「富、名声、力。言ってみればこの世のすべてね」
「正直さだけは評価に値します」
「だけとは何よだけとは!」
「当たり前だろ!お前の言ってることほとんど海賊じゃねえか!どこのゴールドロジャーだよ!」
「何ですって!?言っとくけどね、勇者のやることなんて海賊王と変わらないからね?富と名声と力を手にして最後は世界の半分を分けてもらう職業だからね?」
「りゅうおうか!?お前はりゅうおうと戦うのか!?てか最後の要求は断れよ!なに配下に下ろうとしてんだ!」
「バカね!そんなの隙を見て寝首をかく作戦に決まってるでしょ!世界の半分も手に入って一石二鳥よ!」
「それがすでに勇者の発想じゃねえんだよ!完全に小悪党の悪巧みじゃねえか!」
「誰が双眼鏡のアクアシティよ!」
「何だよ双眼鏡のアクアシティて!?どう聞き間違えればそうなるんだよ!そもそも文章として成立してねえだろうが!」
「アネゴぉー!どうかしましたかー?」
やはり不毛な言い争いは第三者の介入で終わりを告げるものだ。正直ほっとした。これ以上はいよいよ比喩でなく俺の首が飛ぶところだった。実際、勇者(?)は剣を振りかぶっていた。
口振りからするに彼女の関係者のようだ。やれやれ、何とかこの場をおさめてくれそうだ。と、安心できたのは束の間だった。
「姉御!大丈夫ですか!?この外道!我が魔言にて滅ぼし…あれ、真っ暗で何も見えない?まさか闇魔法!?」
彼女は右目を前髪で隠し、眼帯を左目に着けていた。見えるわけねえだろ何やってんだ。
「あのな、前髪と眼帯が」
「おっと私を騙そうったってそうはいきませんよ!あなたの場所くらい気配で分かります!そこだ!秘技、終ノ枯山水!」
どこからか出した身の丈ほどある杖を取り出す眼帯少女。そのまま出した杖を振り下ろす。
「手応えあり!」
「私にな」
「ま、まさか変り身のじ」
「てめえが前見えてねえだけだろうが!」
そしてキレのあるアッパーをくらった。
「突然だけどあなた、異世界人よね」
音を立てて地面に落ちる眼帯少女をよそに勇者(?)は真剣な表情で俺のほうを振り向く。
「何でそのことを?」
「まあ服装がおかしいしね。それにこの世界ではそんなに珍しいことじゃないのよ。異世界から人が来ることって」
「そ、そうなのか」
そういうパターンもあるのか。まあここは異世界、何があってもおかしくはない。
「じゃあ何で俺、尋問されたの?」
「もちろん理由があるわ」
「理由?」
「人が苦しむ顔って最高じゃない」
「…」
筋金入りのクソ野郎だな、というセリフが頭をよぎったがその後の展開が恐いので口には出さなかった。
「ライカ」
「はい?」
「名前よ名前。あなたは?」
「…トオル」
「トオルね。これからよろしく」
「これから?」
「そう。これから」
「どういうことだ?」
「決まってるじゃない。一緒に魔王討伐に行くのよ」
魔王討伐、いい響きだ。まさに待ち望んでいたドキワクの大冒険が幕を開ける。
「チェーーーンジ!」
「どういうことよ!」
「冗談じゃねえ!お前みたいなやつと魔王討伐になんて行ってみろ、ろくな目に遭わないのが目に見えてるんだよ!」
「何言ってんの!あんたみたいな童貞がこんな美少女に誘われてるのよ!むしろ感謝してほしいわ!」
「どどど童貞ちゃうわ!」
「姉御、そそそういうハレンチなのは…その」
「何顔赤くしてもじもじしてんのよ!自分だけ好感度上げようったってそうはいかないわこのクソビッチ!」
「ビッチって姉御、私、は…初恋すらまだなのに」
「お黙りなさい!その胸に蓄えた脂肪で何人もの男を誘惑してきたんでしょ!この、この脂肪で!」
「痛い痛い痛い!もげる!もげちゃいます!だいたいこんなの大きくったって邪魔なだけですよ。下が見えないし肩は凝るし…私は姉御くらいささやかなほうが」
「骨の髄まで残らず死ね!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛」
おかしいな、女の子同士の絡み合いってもっと色気のあるものじゃなかったっけ?今の俺には醜い嫉妬心しか見えないんだが。
しかし隙ができたな。今のうちにこっそり逃げよう。俺は隠密行動には定評があるのだ。誰にも気づかれることなく登校し、そしていつの間にか下校する。授業中だろうが休み時間だろうが俺のことを認知できるやつはクラスには誰一人としていない。俗に言う幻の四十六人目とは俺のことさ!
…あれ?何だろう目から汗が。
「ト、オ、ル、くぅん?」
「!!?」
馬鹿な!こいつ俺に気づいたというのか!?くそっ、ちょっと嬉しいとか思ってないからね!
「選びなさい」
確信した。こいつと旅をするのはヤバい。俺の本能と理性が大音量で警笛を鳴らしている。まあ怒りに満ちた笑顔と青ざめた顔で倒れている眼帯少女を見て己の危機を悟ることのできない者などそういるまい。
言え!言うんだ俺よ!大丈夫、俺はNOと言える日本人だ!
「俺は!」
「私たちと一緒に来るか、それともここで八裂きにされるか」
「心踊る冒険の始まりだぜ」
俺は後悔することとなる。ここで八裂きを選ばなかむたことを。こいつと出会ってしまったことを。誰よりも悔やむこととなるのだが、それはまた先のお話。