■第9話 ふたりで
それ以来、マコトは全く姿を現さなくなった。
それは、キタジマの前にだけのようだった。
たまに祖母キヨの口からマコトの話題が出る。
その内容から、マコトは普段通りの元気そうな感じを見せているようで。
それが逆に無理をしているのではと心配にはなったが、キタジマを必要とし
ていないマコトに無理強いも出来ず、何も出来ないまま数日が過ぎた。
それは、とある早朝のこと。
なんとなくいつもより早く目が覚めてしまって、何度もモゾモゾと寝返りを
打ち夢の中に戻ろうとするも、なんだかもう寝られそうになくて布団から抜
け出すと、タバコを咥えてキタジマはひとり辺りを散歩に出た。
霞がかって幻想的な静かな田舎道を、くたびれたツッカケで進む。
ゴムの靴底が砂利に擦れる音が小鳥の囀りにまざり響いている。空から降り
る陽の梯子がそこかしこの名もない緑をキラキラ照らす。
ぼんやりとマコトのことを考えながら当てもなく歩いていた。
まるで溜息を付くようにゆっくり息をすると、右手の人差し指と中指の間で
挟んだ咥えタバコの先がチリチリと赤く燃ゆる。視界に入るその赤と道端に
元気に咲くクロコスミアの花の赤が重なる。
気が付くとキタジマの足はあの墓地に向かっていた。
ひと気のない薄明るい空の下、ゆっくりゆっくり歩みを進める。
すると、小さく鼻を啜るような音が聴こえた。
足を止めふと覗き見ると、背の高い夏草に隠れてマコトがしゃがみ込んでい
る背中が見える。
『マコト・・・?』
遠慮がちに声を掛けたキタジマのそれに、上げたその顔は涙の跡が幾筋も幾
筋も光っていた。
『シュン・・・ちゃ、ん・・・。』 マコトは弾かれるように立ち上がると
思い切りキタジマの胸に飛び込みしがみ付く。そして子供のようにわんわん
と声を上げ泣きじゃくった。
あれほど頑なまでに涙を堪え泣き声を殺してしたマコトが、まるで壊れてし
まったかのように。
それから暫く、切ない悲痛な泣き声だけが辺り一面に木霊する時間が流れた。
マコトはただただ泣き続け、キタジマはそんなマコトを黙って見守った。
しかしそのしゃくり上げる細い身体には決して触れず、マコトに胸だけを貸
して。抱き締めていいのか、抱きすくめてもいいのか分からず哀しげに。
すると、マコトが涙で痞えながら話し始めた。
『夢・・・ 見たの。今朝・・・
綿帽子、みたいな・・・
光の珠みたいなのが、
空にとんでくの・・・
・・・空に、吸い込まれるみたいに・・・。』
マコトの瞳から更に大粒の涙がぽろぽろ毀れる。
『なんか、
なんか、ね・・・
それ見てたら、泣けてきた・・・
心からホッとした・・・
・・・許された気が、したの・・・
天国に・・・
行けたのかも、って・・・。』
そこまで言うと、再び子供のように声をあげて泣きじゃくる。
その泣きはらした真っ赤な目も頬も耳も首筋も、キタジマのTシャツを握り
締める小さな手も、震える身体も全部。マコトの全部を守りたいと、その時
思った。
キタジマが思わず強く強く抱きすくめる。
マコトの痛みを吸収するかのように、強く強く。その心許無く震える身体を
抱きしめた。
そして、抱きしめたままキタジマが小さくマコトに言う。
『これからは・・・
ふたりで、一緒って・・・ どう・・・?』
耳元で熱く響いたその言葉に、マコトは瞬時に身体を強張らせる。
そして、何度も何度も小さく首を横に振った。
それは更に哀しい色を帯びた瞳でキタジマを見上げて。
『あたし・・・
・・・もう、赤ちゃん・・・産めな』
キタジマはマコトの途切れ途切れの言葉を遮って、更に抱きしめる腕に力を
込める。
『 ”ふたりで ”、って言ったろ?
”俺 ”と、 ”お前 ”で、ふたり・・・ だろ?』
その呟きに対する返事はマコトの口からは出て来なかった。
キタジマのタバコのにおいが染み付いたTシャツが、マコトの堪えきれず溢
れだした気持ちで、あたたかく浸み渡った。