■第7話 ひとりで
その日、マコトはアトリエに現れなかった。
次の日も、その次の日も。
マコトはアトリエにその姿を見せなくなった。
『バアサン・・・ マコト、来た?』
アトリエから隣の自宅に戻ろうとしたキタジマと丁度玄関先で鉢合わせした
キヨに気になって仕方なくて訊ねるも、『そう言えば、最近見てないねぇ。』
首を横に振る小柄な麦藁帽子。
そんなキヨの腕には、裏の畑から収穫したばかりの野菜が山のように盛られ
ている籐のカゴがあった。ツヤツヤに輝く、お日様の愛情をたくさん受けた
少し形の悪いカラフルなそれ。
すると、キタジマはそれを無造作に数個引っ掴むと、慌ててビニール袋に突
っ込んで玄関の戸も開け放したままに飛び出して行った。
少し離れたのミチの家へ、走りにくいツッカケで全速力で駆ける。夕方の
橙色の空の下、流れくる夕げのにおいにホっとする反面、穏やか過ぎるそ
れになんだか平和ボケしてしまいそうで。
顔に向かって来る羽虫を苦い顔で避けながら、キタジマは必死に駆けた。
『ミチばぁぁぁああああ!!!』
突然のキタジマの騒がしい来訪に、ミチが何事かと驚いて玄関を開ける。
ゼェゼェと苦しそうに息を切らす、滅多に訪ねてくる事など無いその姿。
『どうしたぁ~? シュンちゃん・・・。』
せわしなく瞬きをするミチ。
元々小柄で、なおかつ高齢で曲がった腰をげんこつでコツコツと叩きながら
長身のキタジマの顔を下から覗き込んで。
すると、手に持ったビニール袋をミチへ真っ直ぐ差し出すキタジマ。
中をチラっと見たミチが、不思議そうに小首を傾げ再び顔を覗き込む。
全速力で駆け苦しそうに顔を歪めるキタジマがふと目をやると、目の前には
ミチの畑があった。それも丁寧に手入れされていて、自分が差し出すビニー
ル袋に入っている野菜が全て、たわわに実っている。
暫し、キタジマとミチは無言で立ちすくんでいた。
『ぃや、あの・・・
・・・マ、マコト・・・ いる?』
マコトを訪ねるもっとマシな口実は無かったものかと、我ながら情けなくて
死にそうに恥ずかしい。
手持無沙汰にタバコを咥えようとポケットに手を突っ込み、慌てて出て来た
ものだからそれは家に置いてきてしまった事に気付く。
すると、『マコトーーーー!!』 ミチが振り返り、家の中へと叫んだ。
『シュンちゃんが、お前に野菜持ってきてくれたぞぉ。』
その声に、マコトが出てきた。
そしてビニール袋に入った野菜をまじまじと見る。 『・・・え?』
暫し、キタジマとマコトもまた無言で立ちすくんでいた。
再び、死にそうに恥ずかしい。
手持無沙汰にタバコを咥えようと再びポケットに手を突っ込み、何度確認
してもタバコは無いことを痛感する。
二人の間に無言の時間が流れる。
キタジマは困ったような怒っているような顔で口を閉ざし、マコトは野菜を
貰う理由が思い付かずに、ただただ不思議そうにキタジマを見ていた。
すると、
『いや、あの・・・
・・・なんか、あったかと・・・ 思って・・・。』
やっと声になったキタジマの言葉は、小さくて聞き取れるかどうかのそれ。
『・・・え?』 ちょっと小首を傾げ、暫し視線を泳がせその意味を考え
そして、一拍遅れてマコトがぷっと吹き出した。
『なに? そーんなに会いたかったの~ぉ?』
『正直にいえよぉ~!』と、キタジマの脇腹にふざけてグリグリと肘をくら
わす。思い切りからかってやろうと子供のようなイタズラな笑顔で。
しかし、キタジマは不機嫌そうに俯いたまま反応がない。
マコトは真顔に戻ると、覗き込むようにキタジマを見つめた。
すると、
『ひとりで、隠れて・・・
どっかで泣いてんじゃないかと、思って・・・。』
そう呟いたキタジマの顔の方が、なんだか泣き出してしまいそうだった。
やさしすぎるそのトーンがダイレクトに胸に沁みてゆく。マコトは泣きそう
になるのを必死に堪え、キタジマの握るビニール袋をそっと受け取る。
そして、再びキタジマへ手を伸ばし、体の横で弱々しく垂れた絵具だらけの
ゴツイ手をむんずと掴んだ。
掴んだまま、歩き出すマコト。
泣きそうな顔のキタジマはマコトに促されるまま、夕暮れ道を進んだ。