足の怪我
「……へ? 右……足っ?」
思わぬ言葉をかけられてルーベラの声がつい裏返る。
「一応ね、さっきから気にしてはいたんだけど、君、右足をかばうような動き方してるよね。……ああ、隠さなくて良いからね。これでも人体の造りには通じてるつもりなんだ。姿勢を見ればその人の体の調子は大まかに分かるんだよ」
「……え、姿勢で、ですか?」
「そう。背骨と肩と腰骨の角度。その辺の兼ね合いと動き方の癖を見ればその人の体の弱点とかもわかるよ。だいたい人の体なんて骨組みの中に内臓がうまく収まって、その周りのあるべきところに筋肉が付いていて健康を維持するようなもんだからね。骨がしっかりしてないと内臓も弱るだろ? だから骨の形を見ると内臓の悪いところも大まかには分かったりするんだよ。……まあ、それは余談だけど。君の場合、右足をかばって動く癖がついてるから肩も腰も不自然に傾いてるんだよね。そういう癖が最初からあるなら剣の扱い方もそういう偏った扱い方になっていそうなところを、今見た感じだとそうでもないからせいぜいここ最近痛めたってところだろ? 歩くのにそう不便そうでもないからもう治りかけている、とか」
……うわぁ。
ルーベラは思わず尊敬の眼差しを向けてしまう。
そんな風に人を観察できるのか、この人。……ちょっと、凄い。だって、レンブラントなんてあたしが「足を捻っちゃった」と言うまで気づかなかったんだよね。……ということを考えると隊長という者なら誰でもそうというわけでもないのだろう。
「ふーん、図星か」
そんなルーベラの様子を見てハヤトは何かを考えるように辺りを見回し、その視線がふと、ルーベラの背後に固定される。
「ルーベラさ、そこの木の下でいいや。ちょっと座って靴脱ぎな」
「え?……ええっ? ちょっ、ちょっと! 何をいきなり言い出すんですか!」
腕を掴まれて後方の木の方に有無を言わさず引っ張って行かれながらルーベラが声を上げる。
「なんだよ、足の具合を見てやるって言ってるの! 別に服を脱ぎなって言ってるわけじゃないんだからいいだろ!」
そう言い捨てると、ハヤトがルーベラの肩をとん、と軽く押す。
「……え、わぁっ!」
軽く押されただけだったのにルーベラは見事にバランスを崩して木の根元に尻もちをついた。
「ほらね。片足をかばう癖がついてるとバランスも崩しやすくなるんだよ。こんな状態で戦場に連れて行くわけにはいかないだろ」
そう言いながらハヤトはルーベラの前に屈み込み、強制的に右足の靴を脱がせにかかっている。
で。
「……これ……自分でやったの?」
ルーベラの足首が布で固定されているのを見てハヤトがちょっと手を止める。
「え、あ。はい。こうしておいたら思っていたより治りが早かったんですよ。歩いても痛くないし」
「……ま、そうだろうね。……へえ、こんなやり方南の都市でもやる人いたんだね」
慣れた手つきで巻かれた布をほどき、足首の様子を見ながらハヤトが独り言のように呟くのを聞いて。
「あ、それ、最初にやってくれたの多分この都市の隊長さんです。レンブラント……っ! うおっ! あいたたたっ!」
足首を掴んだハヤトの手に思わぬ力が加えられてルーベラが声を上げる。
で、同時にハヤトが顔を上げ。
「え? なに、レンブラント……? 知り合いなの?」
「し、知り合いっていうか……うおおおおっ!あ、あのっ! すみません! 一回その手を離してもらえませんかっ?」
なんというか、すごく絶妙なところに当たっているらしいハヤトの親指がピンポイントでグイグイそこを押しているので、ルーベラはすでに涙目で上体だけでもその場から逃げ出しそうなくらいに身をよじって地面の草を掴んで叫び声をあげる。
「え? ああ、悪い。ついうっかり……」
「ええっ?」
……うっかり……って言った? てっきり……東の方に治療の一環としてツボ押しなんていうのがあるなんて聞いたことがあるからその手の荒療治かと思って我慢しかけたけど……これ、さっさと振り切って良かったの?
涙を浮かべたルーベラが睨みつけて来るのを見てハヤトは慌てて手を離した。
「いや、ごめん。意外な名前が出たものだからつい、ね。でも、この感じならあんまり無茶しなければもう間もなく治ると思うよ。良かったね」
そう言うとハヤトは再び足首を固定するように布を巻きつけながら。
「この固定の仕方ね、うちの駐屯所の軍医がいろいろ研究した結果編み出した最も実用的な固定の仕方なんだよ。こういう場所を一度痛めると、後を引くことが多くてね。何ヶ月も経ってからまた痛みが出るとか、何年か経ってから動きが悪くなるとかあるから完全に治るまで安静にしていられるように考え出したらしいよ。騎士とか兵士なんて動き回ってなんぼって仕事だろ? 結局それで無理して使えなくなっちゃうってことがよくあったんだよね」
「あ、なるほど」
そう言えばレンブラントも、あたしが「大丈夫」って言ってもなかなか歩かせてくれなかったっけ。
そんなことを思い出しながら、下手すると靴まで履かせてくれそうなハヤトの手から逃れるように体の向きを変えてルーベラが傍に放り出していた靴をひっつかんで自ら履く。
そんな様子を眺めるハヤトからくすりと軽い笑みがこぼれる気配を感じて、ちょっと照れくさくなりながら。
「ああ、そう言えば、レンブラントって、やっぱりここの隊長さんだったんですね。あたし、行き先が同じ方向で、しかもこんな怪我しちゃってたからお世話になったんです。……あの人、無事に目的地に着いたのかしら」
なんて話題を変えてみる。
「ふーん、そうなんだ。たぶん、無事だと思うけど。……まあ、これは皆が知っていることじゃないけど……あいつ、今この都市の守護者の援護者として旅に出てるからね。あいつが無事じゃないと都市どころか世界の今後が左右されると言っても過言じゃないってわけ」
ルーベラの目の前で腰をおろしたハヤトがなんとも言えない複雑そうな表情を浮かべる。
「……これからその人と合流するって言ってたけど……ここから一緒に出発したわけじゃないんですか?」
守護者と援護者の関係なんて大昔の歴史書くらいなら詳細が出ているだろうけど、好き好んで勉強しているんじゃなければ伝説や昔話として知っている程度だ。その限られた知識の範囲内だと、確か援護者は守護者と対になって行動するはず。都市から離れるなんていうことならなおのこと初めから一緒にいるものではないのだろうか。
ルーベラがそんなことを考えていると。
「ああ、そうだね。レンブラントね、その職務についたのがリョウがここを出た後だったんだ。あ、リョウってその守護者の名前ね。最初に彼女が向かったのが北の水の竜が住む地だったから……まあ、人間がついていけるようなところではなかったし、仕方ないんだけどね」
「ふーん……あ、だから東で合流、だったんだ……」
独り言のようにルーベラが呟く。
東の果てに竜の住む地と呼ばれる地域がある。人間は大抵怖がって近づかないところだったけど。もしかしたら次にそこを目指す守護者に合流するっていう事だったのだろうか。……って事は。
「じゃあ、守護者の目的って……竜族の統合か何かですか?」
もう長い間、伝説としてしか知られていない竜族の存在。
それがここに来て人の目の触れるところとなっている。
都市の守護者なんていう目立った立場に就く者がいるだけでもちょっと信じがたい事なのに、その守護者が他の竜族の地に赴くなんて。
「……ああ……こんな時期だからね。敵対する相手の勢力を考えると人間だけじゃ太刀打ちできないんだ。色々あってね、竜族の力を借りに行ってもらってる。成功するかどうかは行ってみないとわからない任務だけどね」
「……あ、なるほど」
成功するかわからない。確かに。
他の竜族の地がどうなっているかわからないけど、あたしの知る限り、東の果ての竜の住む地は。
母親から子供の頃によく聞いた昔話。
竜族というのは人から怖れられて、敵対視されていたはずだ。その地に足を踏み入れる人間の目的は長い歴史の中で「竜族退治」や自分の「武勇伝作り」みたいなものだったはずだ。竜族に対して敵対心しか抱いていなかった人間に、竜族が力を貸してくれる事なんてあるのだろうか。とさえ思える。
「ま、君が気にする事じゃない。俺たちは自分に出来る最善を尽くすしかないんだから」
そう言うとハヤトが立ち上がり、右手を差し出す。
「……結構です。……どこまで人をけが人扱いするんですか」
ルーベラはその手を拒否して自分でさっさと立ち上がり、軽くハヤトを睨みつける。
「別にけが人扱い、ってわけじゃなかったんだけどな……」
ハヤトはそう呟くと用をなさなかった自分の右手をしげしげと見つめた。