新しい一歩
アウラの言葉の通り、西の都市に着くまでには丸一日かかった。
森を抜けると言っても通ったのはその端にある道路で森をまともに横切る訳ではない。森自体は広大な森林地帯でまともに横切るには相当な覚悟がいるような広さなのだ。恐らく、久しく続くこの時代、そういう通過の仕方をする者はそういないだろう、とさえ思える。
森の中で夜を過ごして、朝になって出発し、昼前には西の都市の城壁が見えるところまでたどり着く。
「さて、と」
ルーベラが馬から降りて伸びをする。
「え……? なに、降りちゃうの?」
アウラがルーベラを振り返った。
「んー、さすがにここまででいいわよ。都市に入ったら別行動でしょ」
ルーベラがさっさと自分の分の荷物を持ちながらアウラには目もくれずにそう答える。
ここまで世話になった事自体、ありがたすぎるくらいなのだ。
そして、ずっと考えていたのだが、この親切でお人よしそうなアウラは、あたしがなにも言わなければきっと都市に入って所属部隊が決まるまで、いや、下手したらそのあとも世話を焼いてくれるつもりかもしれない。
そもそもあたしは二級という形式的な資格は取ったが、あれは本当に他の都市でも通用するか疑問であるくらいの資格だ。実戦に対応できるかどうかも怪しい。それに対してアウラは北の都市のちゃんとした軍隊に所属していた、竜族の騎士。格差は歴然としている。いや、比較対象にすらなっていないはず。そんな怪しい資格を持った者と行動を共にするなんて、誇り高い騎士にとっては汚名に近い影響を与えるように思える。
なので、これ以上迷惑をかけないためにもここからは別行動にして、あたしは単なる流れ者として都市に入り、彼には隊からはぐれた援軍の騎士として入ってもらったほうが今後の待遇も多少良くなるのではないかと思えたのだ。
「……なんだよ。ここまで世話になっといて用が済んだら、はい、さようならっての?」
「いや! そういうつもりはないわよ!」
アウラの言葉に、しまった、そういう風にも取れるのか! と思い直してルーベラが慌てる。
でも、そんなアウラの表情になんともいえない優しさが浮かんでいるところに、ルーベラは気づいてはいないようだ。
なので気づかないまま必死で説明を付け足そうとする。
「そういうつもりはないけど! むしろここまで色々よくしてくれて感謝しているんだけど! ……でも、今のあたしじゃお礼に何かをあげようにも何も持ってないし……。それに、アウラって、絶対あたしの世話を焼く気でいるでしょ? 都市の軍なんていう大きな組織に入るにあたってあたしなんかと一緒だと何かと不都合も出てくると思うのよね。だから、ここは思い切って別々に……」
「あのさ。そういう気遣いいらねーぞ。……ルーベラさ、俺のこと子供扱いしてるだろ? 俺、何度も言うけど君よりはるかに年上なの。しかも軍での経験もちゃんとあるんだぜ? つまり、たかが人間の組織の中でどんな肩書きを与えられようとも、どんな目で見られようとも、気にしないし、実力で見返すくらいの腕も頭もあるの」
まるで子供を安心させる父親のような口調でアウラはそう言うとルーベラの肩をぽんぽん、と叩く。「ほら、行くぞ」とでも言うかのように。
「……うー……でも……」
そう言われると、その通りなのかもしれなくて。むしろ軍の組織というものについて何も知らないのはあたしの方なのだけど……それでもやっぱり、極力迷惑をかけたくないのよねぇ。
そう思うとつられて歩き出しながらも次の瞬間にはつい、足が止まってしまう。
そんなルーベラを振り返ったアウラが足を止めて、くるりと向き直り、腕を組む。
「そういや、お礼って言ったっけ?」
軽く首を傾けながらルーベラの目を見つめてくる。ので。
「あ……うん。でも今は何も持ってないわよ? あ、都市である程度落ち着いたら出世払いでお礼するっていうのもありだけど!」
これはいい考えだ! と思って口に出してしまったが、これだと今後も繋がりを持つことが前提になってしまう。何しろルーベラとしては、自分と関わることで迷惑をかけないために今この場を限りに関わりを断ち切ってしまおう、くらいに思っていたのだ。
なので言ってしまってからあからさまに「しまった!」という顔をしてしまう。
「ふーん……お礼、ねぇ……」
そんな気持ちを知ってかしらずかアウラは意味ありげな視線でルーベラを頭のてっぺんから足の先まで眺めだす。まるで品定めするような視線だ。
「……な、なによ?」
ルーベラが不服そうに声を上げる。
「……うん、じゃあさ……お礼にそれ、くれない?」
にやっと笑ったアウラの視線の先にはルーベラの胸元で鈍く輝く緑柱石。
「え?……これ? だってこれは……!」
ルーベラが石をすくい上げるようにして自分の眼の前に持ってきながら視線をそこに落とす。
だってこれは、持ち主が殺されてしまった、という非常に縁起の悪い物なんだけど!
しかも、これから戦いに行くという騎士がそんな物を欲しがるなんて……いくらなんでもあり得ないだろうに……。
「一応確認するけど、それって彼との大切な思い出でルーベラの心の拠り所、みたいなものではないよね?」
「あ……うん。まぁ、そうね」
それは、断言できる。この石を身につけているのはウィリデスとの思い出に浸りたいから、とかウィリデスへの想いに未練があるから、とかそういうことではないのだ。彼が持っていた荷物の中から出てきた見覚えのあるものに、つい手が伸びた。というだけ。
そしてその勢いで……ううん、違う。あの時の気持ちを正直に認めてしまえば。
あの時はそういう感傷的な気持ちで形見分けのようにして貰ってきてしまった。
でも、今となってはそんな気持ちでこれを身につけているわけでもないのだ。正直、自分でもよくわからなくなってきている。
彼への思いは今でも鮮明に心の中にあって、一緒に過ごした日々やそのやり取りを大切に思っている。こんな石にすがらなくてもちゃんと胸の中にあるのだ。それも、決して恋愛に発展しなかった友情のままの思いだ。あたしの彼への気持ちはそんな中途半端な状態のまま、もう過去のものになってしまっている。
そして当のウィリデスなんて、この石を身につけていてくれたのはあげたばかりの頃だけだった。荷物から出てきたことに、あたしがびっくりしたくらいだ。物に執着しない性格の彼を思うと、これをあたしが後生大事に持っていること自体彼が望むとも思えない。
「……俺が思うにね、それを持っていることでルーベラは先に進めずにいるんじゃないかな?」
ルーベラの考えを見透かすようなアウラの言葉に。
「いや! でも、だからって、これから戦う身でこんな縁起の悪いものを引き取らせるわけには……!」
ルーベラはとっさに食い下がってしまう。
「縁起の悪いものなんかじゃないと思うよ? だってそれ、運の良いルーベラが作って、運の良いルーベラが今まで身につけていたんだよね? それを身につけていた彼が最終的にリガトルにやられたとはいえ、そんなのこの時代には避けられないことなんだし、むしろ彼が自分らしい決断ができるように導いた石なのかもしれないだろ。いや。石が導くっていうより、ルーベラが導いてあげたのかもしれねーけどな。……人はさ、自分らしく生きられないなら生きた屍も同然だって考えることもあるだろ。だから自分らしく生きることができたって考えたらそいつも浮かばれるんじゃないかな」
……なんというか。
どこまで前向きに考えるんだろう、この子は。
ルーベラはちょっと唖然としてしまう。
そしてその言葉には否定できそうな決定的要素がない。そう言われると、そうなのかもしれない、なんて本気で思えてしまう。……もしかしたらそうあって欲しいという願いがあるから、なのかもしれないのだが。
「それに」
唖然としたままのルーベラに、アウラがにっこり笑いかける。
「緑柱石って、治癒の石とか冷静な判断力の石とかっていわれてるんだよね。戦場に出る騎士が持つには良い石だと思うんだけど」
くすり、と。
ルーベラは思わず笑みを漏らした。
「……分かった。あげるわ」
そんなことを呟きながら下げていた緑柱石を身から外してアウラに渡す。
「お! やったね!」
なんて喜んで自分の首に石を下げるアウラを見ながら。
「……どうせ石の力なんて信じてなんかいないくせに」なんて聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。
分かってしまったのだ。
竜族であるアウラが、気休めにしか過ぎない石のお守りなんかに頼る必要なんて無いことも。ただ、あたしの荷を軽くするために理由をつけて石を引き取ってくれたということも。
恐らく、あたしは今後も自分からこの石を始末することはできないだろう。潔く捨てるなんてできないように思える。
かと言って誰かにあげるなんていうことも……できそうにない。殺された人の物を貰いたい人なんていないだろうし。
そんなあたしを見透かしてもっともらしい理由をつけて、引き取ってくれた。
新しい都市で、新しい生き方ができるように。
そんな気遣い。
「で、さて。お礼ももらったことだし、これでこれまでのことはチャラだよな?」
アウラが心なしか楽しそうにルーベラに視線を向ける。
あ、そうか。
じゃあ、これで心おきなくここでお別れができるわね、と言いかけたルーベラに。
「改めて、西の都市に一緒に行こうぜ? ルーベラは俺と一緒の方が何かと都合が良いだろ? 俺はさ、こう見えて人見知りだから初めての都市なんて一人で入っていくの嫌なんだよね!」
これで今度はギブアンドテイクだ!とでも言いたげに今度こそ有無を言わさずルーベラの腕を掴んで歩き出すアウラに。
「……見ず知らずの女の世話をこれだけしてきた竜族の騎士、の、どこに人見知りなんていう要素が入り込めるのよ……」
なんてささやかに言い返すルーベラ。
それでも、なんだかとても居心地が良い。気の知れた友達っていうのはこんなものだ。
こんな時代。つまり、いつ人との繋がりが死によって断ち切られるかわからないような時代でも。
それでもやはり、気心知れた友達を作るというのは心地よいことなのだ。こういう繋がりを大事にしたいと思う。
明日この身がどうなるか分からないとしても、明日友がどうなるか分からないとしても、今ここにある気持ちを大事にしたいな。なんて思ってしまうのだ。