小さな始まり
「……うーん......あいたたた......」
ルーベラが目を覚ます。
なんだろう。
頭がずきずきする。
ここ……どこだっけ……?
なんとなく動いてはいけないような気がして、横になったままそっと周りを見回してみる。
薄暗い部屋。
粗末ではあるがきちんとした部屋の、ベッド。
窓の外の暗さからして……明け方か……もしくは夕暮れ時。
部屋の中には誰もおらず……。
あれ……? やばい。頭がぼうっとして何でここにいるのか、ここがどこなのか思い出せない。
危険はなさそうなのでベッドの上に起き上がり、ルーベラは頭に手をやる。
軽くウェーブのかかった、黒くて長い髪がはらりと肩から落ちて「あれ? 確か、髪はひとまとめにしていたはずなんだけど……いつの間にほどけたんだろう」なんて思う。
……あれ? 髪をまとめていた……?
なんのためだっけ?
えーと……確か。
祖父母の家で足が治るのを待っていたけど、二人はあたしを見るたびに自分の娘である母を思い出すらしくその様子があまりにも痛々しくて「もう治ったから」と軽く嘘をついて出てきてしまったのだ。
そして近くの東の都市まで行った。
案の定、兵士の需要はあり、騎士の資格はないまでも南の都市でそれなりの下積みがあったと説明したらその場に居合わせた指揮官が急遽試験を受けさせてくれたのだ。
あれには我ながらちょっとびっくりした。
本当にたまたまそこに居合わせた三級騎士の男の子を呼び寄せて剣の相手をさせたのだ。
そんな試験のやり方にも驚いたが、あの子の腕。
あれ、本当に三級騎士の資格がある子だったのだろうか。
何しろこのあたしがほんの一回剣を振っただけであの子の剣を弾き落としてしまったのだから。
それでも、雰囲気こそ「男の子」だったが……あれ、多分、二十代後半に差し掛かるくらいの、言ってみればあたしとそう年は変わらないんじゃないかっていうくらいの「男」だったのよね。
そんなこんなで、三級騎士を一発で打ち負かして手に入れた「正式な」資格は二級騎士。
この資格を取るまでかなり苦労して、私に散々剣の相手をさせて、勉強にも付き合わせた兄が知ったらどんな顔するだろう……なんてちょっと複雑にもなったのだけど。
……で。そうだ。
そのあと、都市では近隣諸都市からの軍が作られていることが分かり、あたしはそのままそこに配属されたんだ。
あ、そうか。
髪をまとめなきゃいけなかったのは騎士隊の規則のせい、だった。
で、配属されて馬もあてがわれ、南方からリガトルの軍が向かってきているとの情報を受けての遠征、となったのだった。
ところが一日程度の道のりを行ったところでふと気付いたのが。
そもそもあたしが乗っていた馬。
騎士が使う、調教された野生の馬ではなさそうだったのだ。あれは家畜。
見た目が似ていたのと、それまでの展開があまりに非常識だったのとで気が回らなかったあたしも悪かったのだけど……一日歩かせたところで馬の歩調が崩れだすまで気付かなかったのだ。
野生の馬と家畜とでは体力そのものが違う。
農耕作業や荷物の運搬に使われる家畜には従順な気質や、丈夫な脚力は求められるが適度な休息が与えられる中で仕事をするので、行軍したり戦ったりするような種類の持久力や瞬発力、さらには乗り手の急な指示に応えるような機敏さは求められず、持ち合わせていない。
そんな事に思い当たり、ゆっくり進めるように隊の後方に回ろうと隊列から少し離れさせた……ところまでは覚えている。
そのあとの事を思い出そうとすると……
「……いたたたた」
頭の奥がずきりと痛みそのまま頭を抱えてしまう。
「っと、ああ、気が付いたんだ! 良かった! ……あんまり無理しないほうがいいよ。 あんたさ、落馬して頭打ったみたいだから」
不意に若い男の声がしてルーベラが振り向くとちょうど部屋のドアを開けた格好で立ち止まっている若者と目が合った。
……今度こそ本当の「男の子」だ。
年の頃は多分、十代後半かせいぜい二十歳くらい。
明るいブラウンのくせ毛は……しばらく前にお世話になったどこぞの隊長さんを思わせるけどこの子の場合は短髪だ。それに、心配そうな顔で歩み寄る彼の好奇心旺盛そうな大きな瞳の色はブラウンというより黒に近い。
「……え……落馬したの? あたしが……?」
思わず聞き返してしまう。
「うん。俺の目の前で。……あんたの馬、年寄りだったみたいだし体力限界だったんだろうね。道路の脇の段差で足を滑らせたんだよ。……あんな馬を使うあたり、東の都市の軍の組織の弱さがよくわかるところだけど……あんた元々東の都市の騎士じゃないだろ? おおかた騎士の募集に引っかかったよそ者じゃない? あそこ、明らかに自分のとこの兵力とよそ者の扱いが違ったからね」
そう言うと男の子はルーベラの目の前に水が入ったカップを差し出す。
「食事になるものも用意するけど、とりあえず喉、乾いただろ?」
なんて付け足しながら。
「……ありがと」
そう言ってルーベラはそのカップを受け取り、素直に口に運ぶ。
確かに、酷く喉が乾いていた。
くすり、と小さく笑う声が聞こえてルーベラが顔を上げる。
「あ、ごめん。つい、ね。……あんたさ、自分の状況わかってる? 知らない場所で知らない男と二人で、差し出された物を疑いもせず口に運ぶって……さ」
笑った事がばれたせいか今度は隠す風もなくくすくすと笑いながらそんな言葉が彼の口から出てくる。
なので。
「……あら。だってホントに喉が乾いていたんだもの。それに……知らない男、なんて言うけどね少年。あたしに危害を加えるなんて十年早いわよ?」
ルーベラがニヤリと笑って見上げる。
まあ、確かに水に毒でも入っていればただ事ではないが、そんな風に命を狙われる理由がない。
それに、目の前の、自分より十……とまではいかなくてもかなり年下に見える男の子はどう見ても悪い子には見えない。
「……言っとくけど、俺、あんたよりはるかに歳上だからね。こう見えて」
ちょっと間を置いて不服そうな声が返って来た。
「はあ?」
ルーベラが眉をしかめて見上げるその表情は、子どもをたしなめる母親のそれに近いものがある。
「俺、アウラってんだ。来年で160歳になるんだぜ?」
憮然とした顔のまま答える少年、いやアウラに。
「え……ひゃく……ろくじゅう……? え? え? なんの話してるの?」
ルーベラが目を白黒させる。
「……だから言ったろ? はるかに歳上だって。あんた人間だろ? 普通の。俺は混血だけど竜族なの」
「……竜族……」
一瞬、何をふざけたことを言ってるんだこの子……もしかして何か患ってる系? くらいに思ったのだがその顔は冗談を言っている感じもなく、まっすぐな瞳にもなんの陰りもなく……ふと、ルーベラはレンブラントが言っていた西の都市の守護者の存在を思い出す。
戦いが激しさを増している今、今までひっそりと身を潜めていた種族までもがこうして出てきているということなんだろうか。
それにしても。
こんなに短期間に、伝説だと信じていた種族の存在をこうも何度も思い知らされるとは。
……世界は案外狭いのかもしれない。
「で、ルーベラはこの後どうするの?」
寝室を出て小さなテーブルでアウラと向き合うようにして座ったルーベラはアウラが用意してくれた食事を食べながらようやく事態を飲みこみつつあった。
つまり。
落馬して気を失ったルーベラはアウラに助けられたが、隊からは見捨てられて二人とも置き去りにされたらしいこと。
他にも行軍の最中に隊から脱落する者はいたようで、それでも隊を率いていた東の都市の隊長も指揮官もそういう者に情けをかけることはなかったらしい。
そんな流れを見ていたアウラは見かねてルーベラを近くの村まで運んで休ませてくれたようだった。この村もこの周辺の例に漏れず、住人は村を捨てて難民となり近くの町や都市に逃げて行ってしまっているようで、誰もいない手近な家を勝手に使わせてもらっている、という状況だ。
「うーん……騎士としては東の都市に戻らなきゃいけないんだろうけど……この状況だと、馬ってもういないんじゃないかしら……馬がいなければ騎士としての出陣って……不可能よねぇ……?」
さすがにあの馬は戦には向きません、取り替えてください。なんて……東の都市で申請する勇気は、ないなぁ……。
そんなことを考えながら目の前の料理を口に運ぶ。
アウラが出してくれた食事はそこそこ形になっていた。
さすがに新鮮な肉とか野菜は無かったようだが、家人が持って行きそびれたのか持ち切れずに置いて行ったのか地下にあった倉庫の片隅に干した肉が少しと保存されていた根菜類が少しあったのだ。さらに袋の底に穀物が少し。
炒った穀物と、干し肉と一緒に煮込んだ野菜のスープはルーベラにとっては異国の食事のようでなんだか新鮮だった。
「え……ルーベラ、あの都市に帰る気でいるのか?」
大きく切った野菜をスプーンで崩しながら口に運んでいたアウラがぎょっとしたように手を止めた。
「あれ? やっぱりだめかしら?」
そうよね。隊から脱落したような者は戦死したも同然と思われているだろう。帰ったところで都市に入ることなんて出来ないかもしれない。
「……あ、いや。駄目っていうか……ルーベラってもしかしてすごくお人好しなのか? あれだけひどい扱い受けておいて帰ろうとするなんてさ。……ちなみに、俺たち北の都市からの軍はね、東に到着するなり休む間も無く南に向かわされたんだぜ? 一応付け足すけど、北の都市からの軍って、難民とかじゃなくて正式な援軍ね。うちは俺みたいな竜族の戦士が多くてさ。……そういう奴らの体力は人とは比べ物にならないからそれでもいいとして、いくら屈強な兵士でも人間には酷な扱いだよ。多分、戦そのものまで体が持ちこたえる者なんてそういないと思うよ」
「げ……」
ルーベラも思わず手を止める。
東の都市って……もしかしてすごく頭悪いんだろうか? そういう行動って自分たちにとって利益があるの……?
「……まあ、形式だけにこだわる都市の典型ってところだろうね。事が終わってから、西の都市に対して協力をしたっていう事実が欲しいだけなんだろ? 自分のところには元々あった兵力の大半を残しているわけだからそのあとの都市の機能も大した犠牲も苦労もなく元に戻せるだろうし」
……だって、その、今ある体制が滅びるかもしれないっていう事態に直面しているんだよね? そのあとの事なんか考えている場合なんだろうか……?
「……あれ? じゃあ、アウラはこれからどうするの?」
都市の考えることなんてよく分からない。
でもこの流れからすると、アウラは東の都市に戻る気はないようだ。
「うん。西の都市に行こうかと思って。……まあ、元々俺たちって西の都市への援軍なんだ。うちの都市の司が西の都市のやり方が気に食わないらしくて、西と手を組んでいる東の都市にまず合流するようにしたってだけで。……でも多分この感じだと南に向かった仲間たちだって役目を終えたら東の都市なんかに帰るより西の都市に向かうと思うよ」
あ、なるほど。
そんなことを話すアウラを見ながら、ルーベラは「ふーん」と相づちをうつ。
「とりあえずさ、今日のところはこれ食べたらもう休もう。何をするにしても明日の朝になってからでいいだろ?」
アウラはそう言うとスープの残りを美味しそうに食べはじめた。
明かりを落とした寝室で、ベッドに横になってルーベラはひとつ大きく息をつく。
「……西の都市、か……」
聞こえるか聞こえないかという程度の独り言。
レンブラントは、自分がどこの都市に所属しているかは話さなかった。
でも恐らく。
彼が想いを寄せている女は西の都市の守護者だと言っていたし……。
「……ふふ」
つい笑いが漏れてしまう。
ちゃんと想いを伝えられたかどうか、見届けてあげられるかもしれないんだ、あたし。
こんな時ではあるけれどなんだか、明日からが楽しみだ。
アウラという名のあの子も、なんだかいい子みたいだし。
食事を済ませた後、アウラはルーベラにバスルームを使わせている間、気を利かせてくれたのか家の外回りを見てくると言ってしばらく帰ってこなかった。
まあ、城壁もない小さな村だ。いつリガトルが現れるか知れない時にそれはなんの不自然さもない行動なのだが、なんだかんだ言いながら自分を女の子として扱う彼の親切心にルーベラはつい微笑みが漏れる。
ルーベラが部屋に戻った後、家に入ってきたアウラはどうやら隣の寝室に落ち着いたようでその後は静かだ。
あたし、やっぱり運がいいんだろうなあ……。