誤解しないようにせねば。
そして。
見開いた、ルーベラの目の前、その直前で、振り下ろされる腕が、黒い霧になった。
「……だから! なんでそういう戦法なんだよ! 刺し違える気だったのかっ? せめて剣を離して逃げるとかあるだろっ?」
リガトルの顔面に剣を突き立てた時のままの姿勢で固まっているルーベラを、ハヤトが怒鳴りつける。
その声と同時にルーベラが力尽きて、かくんと膝を折り、地面にくずおれそうになる。
「っと! え! ルーベラ! 大丈夫か?」
慌ててハヤトが駆け寄りそのまま倒れ込みそうなルーベラの右腕を掴んだので、ルーベラはかろうじて膝をついたところで支えられる。ハヤトが掴んだ右腕は剣から離れたものの、反動でだらりと下がった左腕には剣がしっかり握られたままでその剣先が地面に当たって音を立てた。
「……え……ああ、はい。大丈夫、です。……だってね、隊長、剣を離したらもう戦えないじゃないですか。逃げることを選んだら、最後、ですよ?」
抑揚のない声でルーベラが答える。
もう、何がどうなったのかよくわからない。
とにかく、気をしっかり持つためには、何かを喋らなきゃ。と思うから、聞かれたことに答えてみる。
「……ルーベラ……君って人は……本当に、どこまで誇り高い騎士なんだよ……」
呆気にとられたハヤトは、どうやらルーベラの返答に度肝を抜かれたようだ。
それでも、九死に一生を得た、しかも体力と気力のギリギリ限界のところでそんなことになった衝撃でほとんど茫然自失といったルーベラの腕をハヤトが優しく引く。
ルーベラの体は自分の意思では全く力が入らない状態なのでそのままストンとハヤトの胸におさまった。
「……ほら、とりあえずリガトルは全部片付けたから剣は離していいよ」
右腕を掴んでいたハヤトの左手はルーベラの背中を支え、右手が剣を握りしめたままの左手に添えられる。
その温かさを感じてルーベラの手から力が抜けた。
剣が手から落ちたことを確認してからハヤトの右手がゆっくりルーベラの頭に回る。
それでも、ルーベラの瞳は相変わらず見開かれたままだ。
ルーベラの体に残る緊張感を感じながらハヤトが静かに息をつく。それはため息、というようなものではなく。
わずかに口元に優しい笑み浮かべた、微笑みと同時につく、そんな息のつき方。
「ルーベラ、教えた通りによく戦えたね。左手と左足の使い方も立派だったよ」
穏やかな声が耳元で聞こえて、ルーベラが顔を上げる。
「……へ? あ、あれ……?」
目の前に、隊長の顔のどアップ。しかも、稀に見る、嫌味のない優しい微笑みなんか浮かべてる。
慌てて瞬きをする。
あたし、どれだけこのままでいたんだろう。……目が、痛い。あ、涙が出てきた。
……あ、いや。別に感極まって泣いてる訳じゃないから……! たぶん。
そう思って思わず下を向いて、ある状況に初めて気付く。
自分の手が、隊長の、鎧の胸の所に当てられていて、隊長は片膝をついた体勢で……隊長の腕が……あたしの背中と後頭部に……回ってる!
これって……たぶん……いや、きっと、抱き締められている、という体勢、か?
かあっと、顔が熱くなるのを感じて思わず肩に力が入る。
「……ふ……くくっ……!」
変な声が聞こえてルーベラが改めて顔を上げると、ハヤトが眉を下げて口元を歪めている。
……明らかに笑いをこらえているようだ。
「すっ、すみませんっ!」
事態を把握したルーベラが、両手を力一杯突っ張ってハヤトから身を離そうとすると、予想外の動きに今度はハヤトがよろける。
「おわっ、と……なに? この体勢、そんなに不満だったの?」
「え……ふ、不満とか、そんなんじゃありませんっ!」
うわあああああ! なになになに? あたし、今、どう反応するのが正解なのっ?
腕を突っ張って下を向いたままのルーベラから、ハヤトはすんなり身を離し今度はその両肩に手をかけた。
「……とにかく、元気になって良かった。……立てそう?」
ルーベラが顔を上げると、やはり精一杯笑いをこらえているようなハヤトと目が合う。
「た、立てますとも! ええ、間違いなく、立てます! 大丈夫です!」
そう言ってルーベラが勢いよく立ち上がる。で。
「お、わ……っ?」
勢いはつけたものの足に力がうまく入らずに、立ち上がった次の瞬間にバランスを崩して再び膝をつく。
「え、ちょっと。……大丈夫? 」
片膝をついた姿勢で見守っていたハヤトがすかさず両腕を伸ばして受け止めてくれたので倒れこむのは無事に阻止されたものの。
「……まあ、不満じゃないならもう少しこのままでいていいよ。……ああ、暴れない暴れない。少し休んでいいから。あれだけ戦って何事もなく馬になんか乗られたらこっちのプライドがもたないからね」
再び抱きしめられたような体勢に逆戻りしてしまったので、ルーベラが咄嗟にどうにか離れようと足に力を入れ直したり、腕を突っ張ったりしているとハヤトが抱き込む腕の力を強めてそう囁く。
「……い、いや……でも、ですね、これはちょっと……」
もう、耳まで真っ赤なのは隠しようがない。
ルーベラはそのまま顔を上げて抗議を試みる。
思いもよらず、柔らかく微笑む隊長の顔は……これはちょっと、反則ではない?
ハヤトはそのまま、体勢をさらに低くして地面に腰を下ろし、ルーベラが楽に座って自分に寄りかかれるように姿勢を変えた。
「……さっき、ここにいた兵士たちが伝令役として行ってくれたし、それに……だいぶ辺りが静かになったところを見るとリガトルも大方片付いたんだろうしね。……何にしてもルーベラ、君、今動けそうにないだろ? これ以上の移動も戦いも無理だと思うからちょっと休んでいいよ」
ルーベラを落ち着かせるためなのか、今までよりさらにトーンを落とした落ち着いた声でハヤトがそう言うので。
ルーベラもちょっと気分が落ち着いて空気を確かめるように周囲の様子を伺う。
……そういえば、静かだ。
さっきまで破壊音とか叫び声とか、近くや遠くに構わずとにかく雑音が多かったのが、聞こえない。何しろ、隊長の囁くような声さえちゃんと聞こえるくらいだ。
戦いは、終わった……のだろうか。
いや、もしかして。
生き残った人がいないとか、そんなことはない、よね……。
そんな考えがふと頭をよぎり、背筋がぞくり、とする。
「……大丈夫?」
微かに震えたのが伝わったようでハヤトがルーベラの顔を覗き込む。
「だい、じょうぶ、です。……でも、あの……」
一度生まれた不安は心の中をどんどん侵食していく。
「あのっ! ……ここにいて大丈夫ですか? 都市の様子を確認しないと……! あたしは動けないけど、隊長だけでも……!」
「なに言ってんの、君をおいて行くわけにはいかないでしょ……それに、言ったよね? 敵はもう片付いてるって。都市の外に出ていた俺たちが一斉に中に入ったから戦力は十分なはずだし、負けるはずはないよ。きっと今頃は各避難所と駐屯所で連絡を取り合って全体の把握をしていると思うからあとは任せればいいよ」
……ああ、そうか。
そういえば、この都市って連絡経路の確保もきっちりしていたんだっけ。伝令役を務める三級騎士がいてそういう人にもしものことがあっても大丈夫なように代役が決まっている。最悪、その場にいる兵士でも上級騎士でも正確な情報を伝えられるようにどこからどこへ情報を流すのかが決められていた。都市ではいつでも、軍や政において正確な情報が上層部に届くように組織されていた。
……あれ?
ということは、少なくとも、隊長なんていう立場の者がこんなところにいていいのか?
「隊長! なにしてんですか! だめじゃないですか!こんなところで油売ってる場合じゃないでしょう! 隊長がしかるべきところに行って流れてくる情報を集めるんでしょう?」
自分がハヤトを引き留めているような状況に気づいてルーベラが青ざめた。
「……だから、言ったよね……? 君を一人でおいて行くわけにいかないって。一応終息したとは思うけど、どっかにリガトルが隠れてて、もし出てくるとかしたらどうするのさ」
呆れたようにため息をつきながらハヤトがそんな答えをよこすので。
「いや……そりゃ……それはそう、かもしれないけど……」
こんな女騎士一人くらい、放って置いてもいいんじゃないかな……とも思ったのだが。
ついさっきの、死を覚悟した瞬間を思い出すと、もう一度あれを体験するのは嫌だ、と、本能的に恐怖を感じてしまった。
「じゃ、おとなしくしてるんだね。君は口は元気そうだけど、それ、虚勢張ってるだけだろ。大体あれだけリガトル相手に戦っておいて元気でいられるはずがないんだ。今、ある程度動けるのは戦闘の緊張状態と興奮状態が続いてるからってだけだよ。本来なら足腰立たなくなって、意識もなくなるくらいに体力無くなって当然なんだからね」
そこまで言われるとルーベラも自分の体に思わず注意を向けてしまう。
……確かに。
あたし、今日、何体のリガトルと戦ったんだろう。
……途中から数なんてわからなくなってるけど。
これって、常識的な女騎士の体力を軽く超えてる、かも。
そう思うと、身体中が悲鳴をあげるように痛んでいることに気付かされる。
あ、大変だ。これ、本当に、当分立ち上がるのも無理だ。
「はい、いい子いい子」
気付いてしまった身体中の痛みに耐えかねて、全身の力を抜いてぐったりとハヤトに寄り掛かったルーベラを抱き締めながらハヤトがその頭を撫でる。
頭を撫でられながらルーベラは。
……うー、これは。
とても、不本意ではあるけど……まあ、仕方ない、か。
なんて思う。
少なくとも隊長が鎧着ててくれて良かった。これ、普通の服装だったらこんな完全に密着なんかしちゃったら……隊長の体の……胸とか腹筋あたりとか……腕の感触とか……直で来るよね。絶対やばい!
そうは思っても、自分からは動けないわけだし……。
鎧着ててくれてるし……うん、完全に物だと思おう。人じゃない。男の人とかじゃない。あたしは今、金属でできた「物」によっかかってるだけ!……寄りかかるというより、正面から抱きついているような体勢ではあるけど……もはや姿勢を変えるような力もないし。
「……正直、君が無事でいてくれて、かなりほっとしてるんだ」
ハヤトがぽつりと呟いた。
ルーベラの方はぐったりとしたまま声を出すのも億劫になっており、今にも眠ってしまいそうなくらいの疲労感に襲われていたのだがその声に意識が浮上する。
「大切に思える人がね、いたんだよ。……絶対に俺が守ってやる。この命をかけてでも守って、それを俺の生きる意味にしてもいいかなって思えるくらいの人だったんだけど」
相槌を期待しているわけではないようでハヤトがゆっくり話し出す。それはまるで独り言のようにも聞こえる。
「でも、守ってやれなかった。たまたまその場に居てやれなかったってだけで……大怪我させてしまったんだ。いや、あれは怪我なんてもんじゃない……下手したら命を落としてた。……彼女の意識が戻るまでの間……俺はただ後悔することしかできなくて……なんでその場にいてやれなかったんだろうって……いくら悔やんでも悔やみきれなくて。……本当はもっと目を離さずに、ちゃんとそばにいなきゃいけなかったのか、とか思ったりしたけど……どうしようもないことって、あるんだよね。自分がこんなに役立たずだとは思わなかったんだ……少なくとももう少しマシだと思っていたんだけどね」
何かを思い出すようにゆっくり紡がれる言葉は、なんだか苦しげで、とてつもなく、切ない。
言葉が途切れるたびにその語尾が震えて、まるで泣いているようにも聞こえる。
「彼女の目が覚めた時、本当に……心底ほっとしたんだ。生きていてくれて本当に良かった、って、思った。……金輪際、彼女が危ない目に合わなくていいように……自分にできることがあればなんでもするつもりだった。今度こそ、目を離さないでいてやろうと思ったんだけどね……俺は彼女に選んでもらえなかったみたいだ……」
……えーと。
隊長は、見事に失恋してしまった、という話なんだろうか。うん、この流れ、きっとそうだよね。……ということは、あたし、こんな話聞いてていいのかな……。
身動きが取れないままのルーベラが、内心ちょっと焦りだす。
もしかしたら隊長は、あたしにこの話を聞かせたくて話しているって訳ではないかもしれない。
なんせあたし、さっきから全く身動きもせず、相槌をうつでもなく、ただじっとしているだけだ。寝ていると思われてるかもしれないんだわ。
きっと独り言。うん。きっとそうだよね。聞いていないことにしてしまおう。……あたしはあまりの疲労に寝ています!
そう思ってルーベラは目を閉じる。
「……だからね……ああ、だから、っていうのも変か。……目の前にいる人を助けられずにまた後悔するのが嫌なんだ。あんな思いは二度としたくない。……君は、どこかあの人に似ている。……そう思うのは俺の気のせいかもしれないけど……君の方がよっぽどあの人より危なっかしい気はするけど……俺の目の前にいる以上は、君には万が一のことが起こらないようにしてやるよ」
え。
なんだ、この流れ。
ルーベラの心臓が跳ね上がった。
うーん、隊長。そういう言い方は反則だと思います。……女の子にそういう言い方をすると絶対に誤解を招きます。隊長が女ったらしではないというのはなんとなくわかってるし、どちらかというと女性関係より剣一筋なお方であるというのはなんとなく分かってますので、誤解しない方向に聞いてますけど……普通の、なんの免疫もない女の子が聞いたら完璧に誤解しますよ。
わかってない人が言う言葉だから余計に表現が紛らわしくなるんだろうな、これ。例えば、女性の扱いに慣れていて、女の子の気持ちを弄んで楽しむような人なら、わざとこういう言い方をして相手の反応を楽しむ。
でも、そういう発想すら無い人は。
素で、言っちゃうんだよね、きっと。
なんだか、ウィリディスを思い出す。
彼もそんなところがあった。
後先考えずに「だからルーベラって好きなんだよな!」とか、素で「好き」を連発しちゃうような。
この「好き」は、恋愛の好きとは違うんだろうな。と思うようになったのは少し経ってから。だからいつか「大好きなルーベラだから思い切って打ち明けるけど、ちょっと気になる女の子が出来たんだ」なんて相談をいつ持ちかけられてもいいように本気にならないようにしようと心に決めたことがあった。……結局、彼の気持ちを期待するようになってしまってはいたけど。
「……ルーベラ、君は、何があっても無事でいろよ……聞いてる?」
囁くような声が聞こえる。
眠っているのを起こさないように気を遣っているのか、声のトーンは落とし気味で。
なので。
……ぐう。
あたしは寝てます。
なんにも聞いてません。だから誤解もしません。
言いたいことは言い切って、スッキリしちゃっていいですよ、隊長。
そんなことを思いながら。
ルーベラはそのまま、本気で眠気に飲み込まれていった。




