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式典に向けて(後)

「でもさ、結局、水の部族も表向きには承諾したんだろ?」

 西の都市の城壁の外。

 いまだに「腑に落ちない」という文言を顔に張り付けたようなスイレンを楽しそうに眺めながらセイリュウがそう声を掛けてくる。

 表向きには。

 そんな言葉を付け足す辺り、セイリュウはスイレンの気持ちをそれなりに思いやっているのかもしれない。

「まぁ……な」


 あの後。

 水の部族でも話し合いが持たれたのだ。

 そしてやはり、西の都市の司の提案は承諾された。

 理由は土の部族と同じようなもの。

 人の社会が平和であれば、自然界の不浄は減るだろう。

 人を恨む理由もなくなる。

 といったものだ。

 スイレンとしてもセイリュウの考えを聞いた後だったので、なんとなくすんなりとその決定を受け入れてしまっていた。


 そして、スイレンの頭の中に残っていたのはセイリュウの「個人の感情はさておき、皆にとって何がいいかを考えるのが頭たる者の責任」という言葉。

 頭たる者の言葉は絶対というしきたりの中で、その言葉は重かった。

 自分の不用意な発言が部族の者全てを縛ることになるのだ。

 だからこれまでにないくらい、発言を控えた。

 これまでにないくらい、感情を抑えた。

 そんなスイレンを見るラザネルの驚いた顔が今でも忘れられない。

 それを思い出すと、スイレンはつい笑みが漏れる。

「……なに? そんなに楽しい話し合いだったわけ?」

 訝しげな顔をするセイリュウに。

「……いや。ラザネルが……」

 スイレンはラザネルの言葉を思い出して口にしかけたがなんとなくそのまま口をつぐみ。

「いや、なんでもない」

 口元に笑みを作ったままその目を伏せる。

 その表情は、やはり若者には似つかわしくない、なにかを悟ったような、ゆったりとした柔らかい表情だ。


 会議の後、ラザネルは言ったのだ。

 今この時に、変化が訪れるというのは、何か意味のあることなのかもしれない。

 長く続いた水の部族のしきたりもこの機に覆すことがあっても良いのではないか。

 特別な立場であるゆえに家族の繋がりを断ち、(まつりごと)と力の維持に精力を傾けたこれまでのやり方も、人の世の不浄が減り、浄化のために注ぐ力もこれまでほどの必要がなくなることを思えば、その分そういう自然なものを阻害する必要もなくなるだろう。

 むしろそうすることによって、水の竜の弱まっていた力ももとに戻って行くのかもしれない。

 そんなことをラザネルはスイレンに話してくれた。


 そして。

「水の竜、あなたの持ちうる知識と力をもって、変えていってごらんなさい」

 そう言ってラザネルは微笑んだ。

 ……微笑んだのだ。

 あの、ラザネルが……!

 それを見て、スイレンはもしかして、と不意に思わぬことが頭をよぎった。

 ラザネルに表情を失わせていた原因は。

 水の部族の、頭たる者が受け継ぐ習慣。

 その昔、母に心を寄せた彼はきっと母の考え方を認めていたのだろう。もしかしたら、直系として、その愛する人の気持ちをしきたりの中に取り入れるように尽力さえしたかもしれない。

 それでも叶わず、先代によってその努力を阻まれ、愛する人とも引き裂かれ……。


 私は父をよく知らない。

 恐らく私が幼い頃は共に住んでいたのであろう父は私の物心が着く頃にはうちを出てよそに女を作り……その身分ゆえに咎められることもなく我が家とは縁の無い者となった。

 そんな母は、結局は部族の中で疎まれる立場に逆戻りし、ラザネルは。

 立場上、それをただ見ていることしかできなかったのだろう。

 そして、その過程で表情というものを無くしてしまったのかもしれない。


 人の心というものに何度も触れてきた今だから分かる。

 そして、痛みが伴うとしても自分自身の心の動きというものを直視して、自分を知った後の今だから分かる。


 心というものは、とても繊細なのだ。

 その拠り所となるものを失ったり、大切にしていたものを守れなかったと嘆いたりするだけで、容易に壊れてしまうことだってあるほどに。

 だからラザネルは。

 自分に出来なかったことをこの私がやり遂げるかもしれないという希望に気付いたときに、微笑みを取り戻したのかもしれない。

 そう思うと。


 人間の意のままに動いてやる義理はないはずだという感情とは別のところで、それに乗っかることによって得るものもあるかもしれない、なんていう思いもまた、頭をもたげるのだ。


 不意にスイレンは後頭部に優しい手の温もりを感じる。

「えらい、えらい。ちゃんと頭の役割果たしてるじゃん」

 振り返るとセイリュウが腕を伸ばしてスイレンの頭をわしゃわしゃとかき混ぜている。

「うわ! こら! 何するんだ!」

 その衝撃でずれたティアラがそのまま落下しかけてスイレンは慌ててそれを受け止める。

「……お前はホントに……加減というものを知らんのか!」

 セイリュウの手を振り払って軽く睨み付けるスイレンだが、その口調は決して嫌そうなものでもなく。

 そんなスイレンをクスクス笑いながら見るセイリュウはなんだか楽しそうだ。

 と、そこへ。

「なんだ?スイレン、その頭。……レジーナのやつ、まさかお前の頭にまで止まるのか?」

 背後から近づいてきたグウィンが辺りを見回しながらそんな声をかけてくる。

 幾らか起伏のある地形のせいで遠くまで見渡せる訳ではないこの場所では背後から近づかれると死角になって気付きにくいのだ。

「あ? グウィン? さすが竜族だね。気配が全くわからなかったよ」

 セイリュウが笑顔で振り返る。

「ああ、すまん。故意にやってる訳じゃないが……なんとなく気配を消して近づくのって癖になってるみたいだな」

 グウィンはそういうと決まり悪そうに頭をかく。

「なんだかね。あんな旅をしていたし、皆、本能的にそういうの、身に付いちゃってるよね。しかも人間と違って割りとそういうの得意だしね、竜族は」

 セイリュウの笑顔は相変わらず人懐っこい。

「……へぇ……グウィン、なかなかいい格好してるじゃないか」

 そんな二人のやり取りに髪を手で直しながらスイレンが加わる。

「え? ……ああ。グリフィスのやつが調達してくれたんだ」

 どことなく決まり悪そうなままグウィンはそう答えると地面に座っているスイレンを挟むように、少し間を空けてセイリュウの隣に腰を下ろす。

 式典が始まる午後のその時間まで、都市では軍の上層部が集まって会議をしている。

 その式典に出席を求められた竜族はそれなりに正装することになってはいたが。

 結婚式で主役ともなるリョウはともかく、残りの三人はそれぞれの部族の正式な装いで臨むのが流儀だろう、ということになったのだが。

 風の部族は水や土とは異なり、勝手気ままに方々を歩き回るような部族だ。長い歴史の中でいつの間にか部族特有のしきたりなどは必要最低限を残して失われており、正式な装いもまたしかり、といった具合だった。

 なのでグリフィスがグウィンのために西の都市での正装を用意したのだ。

 それは典礼用の軍の上層部の服でもある。

「風の竜らしくていいんじゃない?」

 全くいやみの無いセイリュウの台詞。

 それもその筈。

 白を基調にした高級そうなその服はグウィンが力を発揮するときの髪の色や胸元の竜の石に良く合っている。

 飾り付けに使われている金糸や銀糸も品が良くてくどくない。

「……それにしても……その髭はどうにかならんのか……」

 そう呟くスイレンにグウィンはやはり決まり悪そうに、顎をさすりながら。

「この方が性に合ってるんだ」

 と、ボソッと呟く。

「……で? 結局、グリフィスのやつの提案、乗ることにしたのか?」

 グウィンが仕返しとばかりに、足元でこちらを見上げているスイレンと目を合わせるように上体を屈ませながらニヤリと笑って尋ねる。

 途端にスイレンは顔を背けて、可愛らしくぷっとふくれて見せる。

「ふん……! 仕方ないから乗ってやることにしたぞ。お前の顔を立ててやる」

「ほう……なんだスイレン。大人になったじゃねぇか!」

 グウィンがそう言ってさらに人の悪そうな笑みを浮かべ、隣でセイリュウがくすりと笑みを漏らす。

「なんだ! その言いぐさは!……だいたいだなっ……」

 食って掛かる勢いで振り向いたスイレンに。

「まぁ、待てって」

 グウィンが真顔になる。

「あの話、な。あれ、グリフィスにとっては相当な覚悟の表れなんだぞ」

 その言葉に一瞬「?」という顔をするのはスイレンだけてはない。セイリュウもだ。

 グウィンはそんな二人に向かって口を開く。

「人の社会と竜族の和平なんてもんを公に確約しておけば竜の力による圧政から免れる。それに豊かな自然という恩恵も必然的についてくるわけだ。それを確約させたという栄誉は西の都市のものだし、そうなれば諸都市におけるこの都市の立場の確立にも繋がって効率的な政治の定着に一役買うだろうな」

 そんなグウィンの言葉にスイレンは「そうだろうとも」という冷めた視線を寄越す。

 それを見たグウィンは、意味ありげにニヤリと笑って見せて。

「でもそれと同時に、だ。竜族の力が自然界の調和に必要であることを知らしめる必要がある。そうしなければ恐れに負けて攻撃する人間の行動を阻止できないだろ? 和平を結ぶということは人間の側からも好戦的にはならないということだ。つまり、人間の側にも竜族を受け入れる努力が必要なんだよ」

 その言葉にセイリュウが「なるほどね」と小さく呟く。

 相変わらず不満げな視線を向けているスイレンにはまだ良くわかっていないといったところか。

 なのでグウィンが諭すような口調で語り続けることによれば。


 人間の側にはあれで相当の責任が生じる、ってことなのだ。和平を結ぶ以上、全ての人間に竜族が敵とはならない存在であるということを周知させ、その記憶を植え込まなければならない。……全ての人間に、である。

 ある程度の大きさの都市や町であれば政治の力で押さえ込むことも不可能ではないだろう。でもそれでは本当の平和に結び付くことにはならない。

 さらには数多く点在する小さな村なんかの住人の意識を変えるということはそういう力でできることではない。

 きっと今後、大々的な教育プログラムを組まなければならなくなるだろう。

 それは、この案を持ち出したグリフィスが自分の残りの生涯をかけてもやりきれるかどうか、そして恐らく、それはレンブラントが引き継ぎ、自分の妻が竜族の頭であるゆえに全うさせなければならない大きな仕事ともなるはず。


 つまりは、言い出したグリフィスは責任をもってそれを全てやり遂げる覚悟の上であの提案をしたということなのだ。


「それをすべて見越しての、提案だ。彼らの可能性を見守ってやるというのも竜族として必要なことなんじゃないか?」

 そう言ってグウィンはスイレンの頭に手を置き、手加減することなくわしゃわしゃと……。

「わーっ! お前まで何をするんだっ! もうっ! 分かったからいい加減にしろっ!」

 スイレンがグウィンの手から逃れるようにのけ反り自分の頭を押さえて叫ぶ。

 全く! 揃いも揃って!

 本当に、揃いも揃ってお人好しなんだから!

 グウィンも、セイリュウも……そして、この私も。

 そんな話を聞いてしまったら自分の感情なんかさておき、思いっきり人間に、もっと言えばグリフィスという男に肩入れしたくなってしまう。


 人の力と心の可能性を信頼するなんていう不安定な土台。

 その上に乗っかるなんていうことには勇気がいる。

 でも、自分だけにその勇気が求められているわけではないということなのだ。


 そんな仕事を夫と共に引き受けなければならない立場のリョウ。

 人の命がいずれ醜く歪むかもしれない万にひとつの可能性を、もしかしたらその土地柄真っ先に見なければならないかもしれないセイリュウ。

 心を通わせたグリフィスやレンブラントが老いてその後の代にはその意思が正しく受け継がれないかもしれない生々しい光景を、いや、もしかしたら彼らが老いていく過程の上ですらその道からそれる可能性はあるのだから、それを見るのかもしれないというグウィン。

 そして、それだけ大それた事を成し遂げようとしているグリフィスをはじめとする人間たちも、安定した土台の上に立っているわけではないのだという。

 そんな、不安定な土台の上に立つ勇気。

 新しく何かが始まろうというときに、それは必要なことなのかもしれない。


 そんなことをふと思う。

 ならば。

 見守ってやろうではないか。

 その完璧にはほど遠い不安定な土台の上に立つ可能性とやらを。

 水の部族も土の部族も、すでに今までの流れとは違う頭の継承なんていう新しい時代の始まりを経験し始めているのだ。

 全てが新しくなろうとしているのかもしれない。


 人の社会と交わる気はない。

 それでも、一線を画していたとしても、見守ってやることはできる。

 人と交わした約束を、真心こめて守ってやることは出来るのだ。


 そんな決意をスイレンが抱く頃。

「さて……じゃ、そろそろ花嫁をエスコートしに行ってくるか……」

 グウィンがゆっくり立ち上がる。

 と、そこに。

「……グウィン、その花嫁、そのままかっさらったりしちゃダメだよ?」

 セイリュウのとどめが入り。

「んなことするわけないだろ馬鹿!」

 若干顔を赤くしたグウィンは半ば反射的に叫び。「あいつが幸せであることが最優先なんだ」とかなんとか口のなかでもごもご言いながらそそくさと立ち去る。

 そんなグウィンを見送って。

「グウィンってさ、結構いいやつ、だよね?」

 なんて言いながらセイリュウがスイレンの方に視線を送る。

「あ? ……グウィンはいいやつだぞ?」

 当然、と言いたげなスイレンの返答に。

「うん。……あれさ、さっきの。僕たちが心から公約の式典に加われるようにわざわざ説明しに来てくれたんだよね? あいつ、今日は結婚式と後半の式典と両方役があるから本当は打ち合わせとかで忙しいと思うんだけど……」

「げ……ホントだ……」

 セイリュウに言われて初めてスイレンもその事に気づいて絶句する。

 しかも、花嫁を花婿のもとまでエスコートするなんて役、本心ではやりたくないだろうことを考えると、あんな話をするためにわざわざ時間を作る余裕など精神的に無いはずなのに。


「まぁ……じゃあ……僕たちは僕たちなりに精一杯やろうか?」

 くすりと笑いながら立ち上がったセイリュウがスイレンに手を差し出す。

 スイレンはその手をとって立ち上がってから、思い出したように、もう片方の手に持っていた先程落ちかけたティアラを左右で編み込んだ髪の間にそっと差し込むように固定する。

 そんなスイレンにセイリュウが。

「ああそうだ。言い忘れていたけどね、今日の君、とても綺麗だよ」

 そう言って笑う。

「……へっ?」

 完全に硬直したスイレンに。

「ほら、僕ってちゃんと情緒とか持ち合わせてるからね」

 相変わらず人懐っこい笑みを浮かべながらそんなことを言うセイリュウにスイレンが爆発しそうなくらい真っ赤になったのは言うまでもない……。


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