式典に向けて(前)
「……セイリュウ、空って……あんなに青かったか……?」
西の都市の城壁の外、その西側の木の下で柔らかく繁った草の上に腰を下ろしたスイレンがぼんやりと空を眺めながら呟く。
「ん?……ああ、君のところは日の光が弱いからね。この辺の方が陽射しが強くて明るいんだろ?」
スイレンが寄りかかっている岩に腰かけたセイリュウがふと空に目をあげたあと足元に座っているスイレンに視線を落として何でもないことのように答えた。
「そういうことを言っているのではない! ……まったく、お前という奴には言葉の背後にあるものを読み取る情緒がないのか……」
可愛らしく胡座をかいた膝の上に肘を乗せたスイレンはそのままその右手で頬杖をつきながら呆れたような声をあげる。
でもその声の調子はどことなく楽しそうだ。
都市の襲撃のあと、つまりリョウが自分の身を呈してこの都市を守り、皆で力を合わせて戦ったあと、都市の復興作業が始まっていた。
セイリュウやスイレンのように取り立てて労働力になるわけでもない者としては、せめて邪魔にならないようにと城壁の外でこっそり……というよりのんびり時間を潰す日々。
とはいっても、実戦で手柄をたてた者たちなので都市としても是が非にも休んでいただきたい、と、城の一部を提供して歓迎の意を表してもいたのだが。
何しろグウィンのように、人好きである上どう考えても労働力の塊みたいな竜族の頭が率先して土木作業を「楽しみ」、それを見た北から来ていた風の部族の者たちまでもがそれを精力的に手伝うので……二人はどうにもそれを見下ろすような位置にある城の部屋から日中は遠ざかってしまっていたのだ。
「リョウの働きのお陰で、南方からの不吉な闇がなくなって、明るくなったな、という意味だぞ」
スイレンがゆっくり言葉を区切りながら若干のいやみを込めてそう付け足す。
そして、セイリュウの方に振り向き、軽く睨み付ける。
「ああ、なるほどね。悪かったね、わびさびの足りない男で」
なんていたずらっぽい視線を返しながらニヤリと笑う辺り、お互いの間に流れる親しいもの同士の空気がかいま見える。
「わびさび……言葉の用法を間違えていないか……?」
このスイレンの一言は飽くまでこっそりと。
「で、式典にはやっぱり出るの?」
そんなスイレンを楽しそうに見下ろしながらセイリュウが笑顔で尋ねる。
「……見れば分かるだろう?」
恨めしそうにセイリュウを見上げるスイレンの可愛らしく胡座をかいた姿は。
水の部族特有の淡い色彩の、正式な頭の装い。
裾の長い薄紫の服の裾には金色の刺繍が施されており、その上からまとったローブの襟元や裾にも手の込んだ刺繍が施され、宝石が縫い付けられている。
胸元には頭であることの証しともなる青い石の首飾りを下げてもいる。
旅の途中で短くしてしまった髪は、本来正式な場において結い上げるはずなのだがそれができず、小さな宝石を幾つも散りばめた華奢なティアラで飾られている。
そんな出で立ちのスイレンは、その裾をふわりと広げた状態で胡座をかいて、地面に座り込んでいるのだ。
そんなスイレンを見下ろすセイリュウも、土の部族の正式な頭の装いだ。
金糸を混ぜて織り上げたと見える、見るからに上等そうな上着には、装飾の施された品のいい釦や飾り紐があしらわれ、その下からは、これもまたやはり質の良さそうな織物のシャツが見える。
胸元には黒い石が、セイリュウの瞳と同じように日の光を受けてキラキラしている。
「ふーん。……でも相変わらず、不本意なんだ?」
いたずらっぽく笑うセイリュウはそんなやり取りを楽しんでいるようにも見える。
「……ふん」
スイレンは適当にあしらってやろうと思いながら、そっぽを向く。
リョウとレンブラントの結婚式。
それ自体は大賛成なのだ。
正直、飛び回ってはしゃぎたいくらいに楽しみにしている。
しかし。
都市の司、つまりレンブラントのいわば養父でリョウの義父ともなるあの男がしてきた提案。
……だいたい、そこまでしてやる義理が本当に、あるのか?
スイレンは今さら口に出しても仕方のない、つまり決まってしまったので今さらどうにもならないことに対する愚痴を、分かっているのであえて口には出さずにそっと胸の内で呟く。
グリフィスが持ち出した提案というのは。
十日ほど前になるだろうか。
都市の司からの正式な呼び出しを受けてグウィンとセイリュウとスイレンは集められた。
「花嫁が式はなるべく簡素にしたいというものですから、婚礼の式典は簡略化することにしまして。そのあとに竜族を代表する皆様が人との関わりにおいて再び平和を結ぶ、ということを公約する式典を催したいと考えているんです。もちろん火の竜には話は通してあります」
そんなことを話し出したグリフィスの目は、どことなく策士の目だった。
そりゃ、もちろん、そんなことを公に確約すれば人間にとって将来は安泰だろう。
とはいえ、長いこと人から恐れられ世界の隅に追いやられていた竜族としては……少々面白くない、筈なのだ。
もちろん、共に戦った者としては人間もそう捨てたもんじゃないということは分かっている。でも、頭として公にそれを宣言するとなると、やはり二つ返事で了承するわけにはいかない。
部族の他の者たちの意見というものがあるのだ。
それに、スイレンはリョウを無条件で慕ってはいたが、だからといってこの都市の司まで無条件で信用しようとは思っていなかった。
あの、何か裏でちゃっかり考えているような目が、好きになれないのだ。
リョウやグウィンが彼を信頼しているようだから表だって口には出さないだけだ。
……まぁ、あの二人が信頼するんだから本当にいい人間なのだろうが。
なので、「セイリュウと二人で東の高山と北の山麓に行って式典の支度を取ってくる」などと理由をつけてそれぞれの地へ赴き部族の者たちの意見も聞いてくることにしたのだ。
テラに乗せてもらってセイリュウと一緒に一旦西の都市を後にしたが、さすが聖獣。半日もかからずにまずは東の高山に到着し、東で話をまとめ、その後一日かけずに北の果てまで駆けてしまった。
「土の部族は本当に穏やかなんだな……」
水の部族の地に到着して、一通りの歓迎を受けたあとのセイリュウにスイレンが声をかけた。
「え……? なに急に?」
宮殿の三階の中庭で。
歓迎から解放され、ようやく見知った間柄の二人になって、こぢんまりしたテーブルで頬杖をついて、くつろぎきっていたセイリュウが片眉をあげる。
「あの男の提案、あっさり呑んだのだろう?」
スイレンの口調はどことなくふてくされているようにも聞こえる。
「……ああ、それね。……なんだスイレン、君、道中ずっと無口だと思っていたらそんなことでむくれてんの?」
セイリュウがクスクスと笑い出す。
「べっ、別にむくれてなどいないぞ!」
スイレンは崖の上で暫く眼下の景色を確認するように眺めたあと、セイリュウの隣の椅子に腰かけようと近づいたが、そこに座るなり彼の視線から逃れるように横を向いて腕を組む。
「……だいたい、土の部族は人間のせいで住む場所さえ追いたてられていただろう? なんでその人間との和平を結ぶなんて公約を簡単に承認したのだ?」
むくれてなどいないと言った手前、怒ったような口調は避けつつも、それでもやはり目が合わせられない。
そんなスイレンを見るセイリュウの瞳はどことなく優しい。
クスクス笑いながらも軽くため息をついて。
「簡単に結論を出したわけでもないんだよ。……一応、ビャッコたちとそれぞれの氏族の代表を集めて会議しただろ?」
スイレンがちらりとセイリュウに視線を向ける。
そうなのだ。
テラに乗って西の都市を後にして、土の竜の屋敷に着いた後、グリフィスの提案について話し合いを持つためにセイリュウは部族の中の主だった者達を集めて会議をした。
その中にはビャッコ、スザク、ゲンブは勿論、土の部族を構成する四つの氏族の代表者たちが呼ばれており、一昼夜その話し合いは続いたのだ。
客人という立場ではありながら、事情が事情なのでスイレンはその間ほとんど放っておかれたわけだが。
いつの間にか黒の森の、人間を取り込んだ樹木はスザクにより排除されており、屋敷の周辺は見て回るにもいい場所になっていたのでスイレンは独りで時間を過ごしながら色々考えながらその時間を過ごした。
そして、それでもやはり、あの提案は人間側の都合だけを優先したものに思えてならなかった。
人間にしたら、竜族が脅威ではなくなるというのは願ってもないことだろう。そもそもがその恐ろしさから伝説にしてその存在の実在性を忘れてしまおうとさえしていたしていた竜族だ。
豊かな自然の恩恵というおまけまでついてくる。
そして、竜族の側にとっては。
その提案を受けるということは、竜族は決して力にものを言わせて人間を支配したりはしないと公約するということでもあるのだ。平たくいうと人間の脅威になるような仕方で力を使ったりはしないという約束。
スイレンの脳裏に北の都市のフェンリルの顔がよぎった。まるで竜族を使役しているかのように考えていた男。竜族が歯向かってこないのをいいことに。
竜族の力は今回の戦いで明らかになったように計り知れないものだ。弱い人間にとってそんな力を持つものが近くにいるということ自体が脅威だろう。
私だってそんな風に力を悪用するようなことがしたい訳じゃない。
だから、それは決して悪いことではないのだろうが。
今まで長い歴史においてさんざん好きに戦って、竜族を目の敵のようにしてきた人間だ。その、人の地を流れる水は北の地に着く頃には我が力を削ぎ落とすほどに不浄なものになっていた。
しかも土の部族などはあの黒の森が証明していたように、あからさまな敵意を受けてきていたのだ。
そんな人間の、自分達にだけ都合のいい提案を土の部族が承諾するとは、正直思わなかった。
だからあえて東を先に回ることにしたのだ。土の部族がその提案を受けないと突っぱねるか、もしくは何か条件でもつけるかすれば水の部族もそれに便乗できるかと思って。
「……一応ね、反対の意見もあったことはあったんだよ」
柔らかい眼差しで、セイリュウがそう話し出す。
「あの提案はさ……グリフィスって頭良さそうだもんね。絶対自分達の安全を竜族に確約させるのが目的なんだろうな、なんていうのも思ったし」
「そうだろう! あの男の目はなんだか信用できんのだ! ……まぁ、グウィンもリョウもあいつを信用しているみたいだから口にはしなかったが……」
スイレンが思わず身を乗り出して食らいつくような勢いで相づちを打つ。
「あ、やっぱりね。君、ほんとはそれが本心なんだろ? 単にグリフィスが気に入らないっていう……」
セイリュウがニヤリと笑う。
人の悪い笑みだ。
途端にスイレンが頬を赤らめて視線をそらす。
「まぁ、ね。本能的に好きになれない奴っていると思うしそれはそれでいいんじゃない? でもね、そういう感情はさておき皆にとって何がいいかを考えるのが頭たる者の責任だろ?」
「……ぐ……っ」
正論を突きつけられてスイレンが次の言葉を失う。
「土の部族としてはね。命のあるべき姿が保たれるならば特になにも求めない。っていうのが究極の結論なんだ。人にとっての敵が無くなり、人同士が戦うことの愚かさに気づくなら、暫くは人の社会も平和になるだろう、って。平和が続いた後、またいざこざが起こることもあるとしても、今のところは、暫しの間、平和を楽しむのもいいのではないか……ってね」
穏やかなセイリュウの眼差し。
若者の外見には似つかわしくないほどの穏やかさだ。
それを見つめるスイレンはもう、反論する気力さえなくしていた。
そこには竜族と人間の時間の流れに対する概念の違いさえも含まれている。
きっといずれは。
そう、長い時を経ていずれはまた再び人の社会は歪んでいくのかもしれない。
それでも。
今、確立した調和と平和。
しかもこの我らの世代で造り出した新たな時代。
それを楽しむのもいいのではないかという、そんな意見だ。
そんなもの、なのかもしれない。
セイリュウの穏やかな瞳に見つめられ、その声の響きを聞くに及んで。
スイレンはなんとなくその穏やかさの影響を受けている自分と、それを心地よく感じている自分にほんの少し驚いていた。