第八話 『立ち向かう勇気』
「はっ……」
意識が戻ったオレは一瞬何が起きたのか分からなかった。まだぼやける視界で前をじっと見つめると、焦点が徐々に合ってきたのか状況が飲み込めてきている。
そこは川のほとりだった。森の近くには誰も居なかったが、焚き火があることから人が居た形跡がある。そして反対側の川には綺麗な緑色の光球がふわふわと浮かぶ幻想的な風景だ。
「蛍……なのか?」
小さな可愛らしい光を、元居た世界で田舎の祖父母の家の近くにあった小川で見た蛍の光。そんな思い出にふけっていると、
「それは蛍じゃなくて、ライト・ウィスプという小さな精霊系モンスターだよ。何もしなければ襲われないから心配もしなくていいからね」
森の方から声がした。優しい響きを持った声だった。振り向くとそこには一人の青年らしき男の人が立っている。
髪は透き通るようなライトブルーをした癖っ毛で、瞳も同色、そして顔立ちは日本人とは少しばかり違って目鼻立ちがはっきりとしていた。たぶんハーフだろうか? そして耳のあたりは特徴のある魚のヒレのような形をしている。どうやら何か種族の特徴だろうと思えた。
「大丈夫かい? そこの川の上流から流れて来たんだよ。結構ダメージも酷かったし……」
背は高く目測百八十センチくらい、服装は黒の長めのローブに深い青色のズボン、右手に中々精巧な装飾を施された杖を持ち、左手には何か木の実が山盛りになったカゴを持っている。
「ダメージって、そういえば崖から落ちたのにオレ……」
HPゲージに視線を向けると、HP自体は最大でダメージを受けた形跡は残っていない。そんなオレを見ていた青年は笑顔で焚き火の側に座り込んだ。
「僕の回復魔法で治したよ。そこまで君のレベルが高くないのか僕程度の回復魔法でも全快にはさしたる時間は掛からなかった。」
「……ありがとうございます」
立ち上がろうとオレは両腕両膝に力を込めるが、小刻みに震えるだけで動くことさえままならない。溜まりに溜まった疲労と、ギリギリのところであのデモリテから逃げ切った安堵からだろうか。
「ほら、食べるといいよ。美味しいし元気も出るから」
オレの前で屈んで手渡してきたのは赤い果実。大きさや見た目はリンゴのようだった。知らない物とはいえ、さっきまでの緊張とたくさん走ったせいで腹の虫も暴れだしていたので、早速大口でかじりついた。
歯触りの良い食感はリンゴそのものだが、味は濃厚であっても甘すぎないバニラアイスのようであり、溢れだす豊富な果汁は同時に喉を潤してくれる。それは瞬く間に手の上からお腹の中へと消えていった。そんなオレの食べっぷりを見ていた青年は微笑むだけだ。
「これはアップレの実っていうんだよ。ほら、まだ沢山あるから好きなだけ食べてくれ」
山盛りになった赤い果実が入ったカゴをオレの前に置いてくれた。抑えられない食欲に負けてオレはひたすらかぶりついた。
ここで食べたものは朝にハムエッグとトースト、夕方にグレースに奢ってもらったサンドイッチ。どれも店売りの微妙な味で決して旨い訳では無かったが、この果実は本当に美味しかった。心の底から美味しい物を食べられた嬉しさが込み上げてきた。
それと同時に安心したのか心の奥から沢山の感情が噴き出してきた。
思い返してみると、たった一日でこんなに多くの事を体験し、たくさんの感情が溢れた。不安、喜び、怒り、そして……。
「うぐっ……」
涙を抑えることができない。無力なオレの為にたった一人で囮になった少女の姿を思い出した。凛々しい後ろ姿を最後に、どうなったのかも分からない。逃げ切っていたら良いのだが、もしも捕まっていたら……。
「何か……辛いことがあったのかい?」
青年は焚き火で沸かしたお湯で紅茶を淹れると、オレの前に差し出してくれた。飲んでみれば体の芯から温もりが広がっていく。
少しだけ落ち着いたオレは質問に対して無言でうなずいた。
「そうか……僕はフーリエ。初対面で信用してもらえるかは分からないが、まずはお互いに自己紹介といかないかい?」
メニュー画面にプロフィールカードが届く。オレは手早く内容に目を通してみると、すぐに青年がここに居るにはおかしい人物である事が分かった。
「なんで、ウンディーネ族の人がヒューマン族の所に?しかもレベル八十だなんて……」
オレ自身驚く気力も無かったが、初めてウンディーネ族のプレイヤーに会えたこと、そしてあのデモリテと同じ最大レベルのプレイヤーだったのだ。本当ならウンディーネ族のホームタウンに転送されているはずなのに、何か訳があるのだろうか?
「オレは……セイリアって言います」
フーリエさんはオレから送られたプロフィールカードを一通り見終わると、フーリエさんはオレの前に水色のメニューウインドウを広げた。
「君の辛い事を聞く前に、僕がどうしてこんな所に居るのか聞きたいだろうし教えておくよ」
そう言うとメニューウインドウから地図が現れた。中央に大きな街のアイコンがあり、それをぐるっと囲むように大きな山脈がそびえ立っている。更に外側には山脈を囲むように七つのエリアがあった。
「これはこのメダリオンの世界の全体図だ」
そしてフーリエさんは中央の街を指差した。大きな山脈に囲まれてはいるが、
「ここは僕たちプレイヤーが朝起きた時に居た、『はじまりの街』とも言われるシンフォニアだよ」
そう言うと、次にその外側の山脈を指差した。マップの縮尺は分からないが、山脈の内側の半径よりも数倍はあろうかというのが外側の半径だ。
「これ円環山脈と呼ばれる巨大な山脈。今までのメダリオンではここまでがプレイヤーの行動範囲だった」
「たったのこれだけですか?」
円環山脈までの面積とその外側の面積には恐ろしいまでの差がある。例えるならユーラシア大陸全体とモンゴル位の差の感じだ。
「そうだ。そして、この山脈の外側の超巨大なエリアは僕たちプレイヤーが設定した七つの種族がそれぞれ統治している」
フーリエさんが南の青いエリアを指差した。
「ここが僕が所属するウンディーネの領地だ」
次に指差したのはその隣の紫のエリアだった。
「こっちがヒューマン族の領地だよ」
こんな情報をマップで確認できたのか、オレは驚きの余り口を開けっ放しにしていたのも忘れていた。そしてフーリエさんは紫のエリアを拡大した。そこには更に南から緑、青、赤、黄、茶の五色のエリアが確認できる。
「この緑のエリアが君が属するヒューマン族の風の領地になっている」
「つまり、フーリエさんはウンディーネ族の領地から近いヒューマン族の領地。しかも南側の風の領地に来たってことですね?」
オレの質問にフーリエさんはうなずく。
「ああ、何故かは分からないが、僕はウンディーネのホームタウンではなく、南端の街にリスポーンしたんだ。おかげでヒューマン族側の方が近かったからね」
「マップを見てみてもかなりの広さですからね……」
ここに来た理由が少しは分かった。そうであってもまだ大きな疑問もある。
「でもどうして転送されたばかりなのに街から出たんですか? この状況でわざわざ一人でここまで来る意味なんて……」
その質問にフーリエさんの目が細くなった。何かしらまずかったのか?
「そうだね……。強いて言うなら、僕はウンディーネ族のプレイヤーに嫌われているっていうのが最もな理由かな? だから一人で旅を始めたんだ」
同じ種族のプレイヤーから嫌われている? どうやら本当に訳ありらしい。
「一応僕の理由はこんなところかな。それじゃあ、君がどうしてこんな目に遭っているのか教えてもらえないか?」
肝心な嫌われた理由も聞きたかったが、多分フーリエさんの嫌な部分に触れてしまうだろう。これ以上追求することなく、オレはこの里にやって来て、ここまでに至る顛末を一通り話すことにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「これがオレがここに居る理由です」
話を聞いたフーリエさんがオレの着ているコートを一通り眺めてから大きくため息をついた。
「なるほど。それは大変だね……」
オレへの同情の言葉を口にしてから上を見上げる。そして満天の星空の下、フーリエさんはあることを呟いた。
「メダリオンは自らを使う者を自らで選ぶか……。ただのゲーム設定かと思ったけど、中々に面白いかもしれない」
「使う者を……選ぶ?」
意味の分からない言葉に、オレは問い掛けるように疑問の言葉を呟く。するとフーリエさんは薪を焚き火に据えてから口を開いた。
「僕が暫く前……大体十ヶ月くらい前に、とあるダンジョンで一つの石碑を見つけたんだ。そこに刻まれていた一文は解読系スキルの熟練度を上げないと読めないものだったけど、僕はそういった事に興味があってね、なんとか読むことができたよ」
「どういう内容だったですか?」
訊ねてみると、フーリエさんは腰のポーチから一枚の紙を取り出して読み始めた。
『この大地に悪しき存在現わるとき、五つの精霊を統べる長である龍、精霊人と人間に自然の力を封じた武器を込めたメダリオンを与える。メダリオン、その力を使うに相応しい者を選び共に悪しき存在を駆逐す……』
「という内容さ。意味も恐らく、このゲームのタイトルにもなっているメダリオンというものが龍に与えられ、それは人を選ぶ要素があるということだろうね」
「じゃあ、このコートも……」
オレが今着ているヴァン・フレリアもSSRの強力な装備だ。もしかしたら、これもオレを選んで今ここにあるのか?
そんな非科学的なことを考えていると、フーリエさんが突然表情を改めた。
「とりあえず今は君の恩人がどうなっているのか……」
「知りたいのはやまやまなんですけど、どうやったらわかるんですか?」
「そうだな……フレンド通話はしてみたかい?」
そういえばグレースがレナと通話して状況をやり取りしていた事を思い出した。オレはフレンド欄からグレースを選択し、通話の欄をクリックてみる。するとよく耳にする電話の音が鳴り出し、それを聞いて待っていると、
『……セイリア君?』
グレースの小声が聞こえてきた。無事だったグレースの声が聞けてガッツポーズをとるオレを見ていたたフーリエさんは笑みを返してくれた。
「今どうしてるんだ? 大丈夫なのか?」
グレースの周囲に気を遣って声を抑える。少しの静寂間の後、同じようにかなり抑えめの声が聞こえてきた。
『ごめん、ドジって捕まっちゃった……。君は大丈夫?』
答えは考えられる中でも最悪と言ってもいいだろう。
「どうすればいいんだよ……」
「少し代わって欲しいんだがいいかい?」
「……分かりました」
肩を落として気落ちしていたオレの代わりにフーリエさんが話しはじめた。
「セイリア君は大丈夫だ、僕が保護している。それよりも君を救出したい。何か外とか見えないかな? 目印が欲しいんだ」
突然フーリエさんがグレースの救出を手伝う意思を示してくれた。オレは驚いたが、それはグレースも同様だった。
『あなたは誰ですか? どうして私なんかを……』
「それより何か目印になる物とか見えないか?」
困惑するグレースの言葉を遮り、改めて質問をして彼女の発言から居場所のヒントを探ろうとするフーリエさんに、オレはどうにも理解出来なかった。
「何で初対面で? 頼んでもいないのに……」
途切れ途切れのオレの言葉に、フーリエさんの不敵な微笑みと共に返ってきた答えは意味不明なものだった。
「君に興味が湧いたのさ。そのコートに選ばれた君がどんな人間で、どんな行動でこの先を戦っていくのかをね……」
「そんな理由で……」
さっきの会話からメダリオンは人を選ぶというのは分かったが、あくまでもゲームの設定であるはずなのにそこまで出来るのだろうか?
そんなことを考えていたオレとフーリエさんのやり取りを聞いていたのか、グレースから返事が来た。
『……外は恐らく三階です。目隠しとかされずに縄でぐるぐる巻きにされて運ばれたので、運ばれた階も数えてましたし、相手は近くの広場でメダルを回収しているところなので、ここら辺は警備もかなり手薄だと思います』
「そうなんだね? 分かった、状況は把握した」
「グレース、絶対にフーリエさんと助けに行く。だから待っててくれ!」
正直心強かった。こんなすぐにフーリエさんが手伝ってくれるなど思いもしなかった上に、まさかオレから頼む前に助けてくれるとは思わなかった。
「それとHPは大丈夫なのか?」
捕まったなら結局負けたことになる。危ないならなるべく早く助けたい。
『そうね……HP全損まではいかなかったけど、かなり痛め付けられたわ。SPもほとんど残ってないから、冗談じゃないくらいピンチよ』
時計を確認してみると時刻は既に二十三時。さっきみたいな目に遭っておいてまたアレスティアまで戻るのはさすがに怖いが、こうして心強い味方がいるなら可能性はきっとあるはずだ。
『無理……しないでね』
その一言を最後に通話が切れた。グレース側から切ったので恐らく監視が回ってきたのかもしれない。こうなると、なるべく早くグレースを助けに行かなくてはいけないだろう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
通話が切れた後、グレースはセイリアを保護したというフーリエなる男について考えていた。
――フーリエ……。どこかで聞いた名だけど、そんな人が風のヒューマン族にいたかしら?
記憶のどこかで引っ掛かるその名前を思い出せなかった。そして見回りの男の声が聞こえてきたのを確認してから、グレースも脱出の算段を練るべく思考を続ける。
「セイリア君に無茶はさせるべきじゃないわね」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「すみませんフーリエさん。こんなことに巻き込んでしまって……」
頭を下げるオレにフーリエさんは掌を向ける。
「お礼を言うのは彼女を助けてからだ。それと今回、流石に他のプレイヤーを助ける余裕は無い……良いね?」
「……分かりました」
このことについては承諾するしかなかった。いくら強い人がいようが、流石に目測百人以上の敵に加えて、恐ろしい攻撃力を持つデモリテまでいたらどうしようも無いだろう。
「でも、今後絶対にこの街を取り戻せるチャンスは来るはずだ。今は人数的にも、実力面も足りない。だから他の人は今だけは諦めて欲しい」
絶望的な言葉だ。それでもチャンスはあるという言葉は気持ちを奮い立たせてくれるものだ。
「ただ、今回はグレースさんを僕の全力を以て助ける事を約束するよ」
立ち上がって杖を持つと左手を差し出してきた。その手は初めて会う相手にしては友好的すぎる手だったが、一応信頼できる人間の手でもあった。
その直感を信じてオレは差し出された手を握って立ち上がる。
「お願いします……。絶対にデモリテに好き勝手させたくないから!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それじゃあ具体的な作戦を決めよう。時間が無いから手早く情報を整理ないと」
オレは夕方に歩き回って作ったアレスティアのマップを出してどこから侵入するか相談した。流石に二人だけなので隠密行動が必須だったのだ。
「そういえばグレースが居る建物が分からないな。結局建物の中、三階、中央広場の近くってことしかヒントが無いし……」
オレは頭を抱えて知恵を絞ろうとするが、初めて一日にも満たないプレイ時間では何かが出るわけも無い。
「フレンドなら『フレンドの現在地』という項目があるはずだよ。プライバシーに関わるからほとんど出来ないように設定しているけど、今は緊急だから取り敢えず見てごらん」
神のお告げを聞いたオレは早速フレンド欄からグレースの名前を押すと、そこから探していた項目が見つかった。そして現在地をチェックしてみると、ある一点でマーカーが点滅していた。
「ここは……街の中心部か?」
表示されたマップには、グレースの居場所を示す赤い点が建物に重なっていた。
マップの倍率を下げて広い範囲を表示してみると、建物が里の中心部にある一番高いタワーの近くにある広場からおよそ30メートルの場所にあった。
「どうやってここまで見つからずに行けば……」
マップとにらめっこしてルートを考えていると、フーリエさんから何か提案があるのか指を鳴らす。
「僕なら魔法を使ってサポートは出来るよ」
このゲームに触れてから初めて『魔法』の言葉が出てきた。そういえばここに来て一度も魔法要素に触れていない気がするが、そもそもオレの出会った人に魔法を使うプレイヤーはいない。
「魔法って難しいものなんですか?」
「いや、魔法スキルを設定して使うために必要な呪文を詠唱出来れば、簡単に発動するお手軽なものだよ」
呪文を詠唱する作業がどのようなものか分からないが、剣を振るとかスキルを立ち上げる為に構えるという単純な動作ではないのは手間が掛かるだろう。
「それってどんな魔法が使えるんですかね?」
「そうだな……僕が使えるものとしては『水魔法・攻撃』、『水魔法・防御』、『妨害魔法』、『支援魔法』、他にもいくつかの魔法は使えるよ。魔法職をしている人ならば、大方自分の種族が使える属性の魔法と特殊な魔法スキルを設定しているさ」
胸をポンと拳で叩く様子はどこか自慢気だったが、なんというか頭を使う役割なのは分かる。たくさんある魔法から戦闘中に最適な一つを詠唱して使うのは色々とタイミングを考えるだろう。
こうしてオレとフーリエさんはグレース奪還への作戦を組み立てていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
時刻は午前零時、その三十分前から雨が降ってきていた。オレとフーリエさんは一通り作戦を立ててアレスティアの南門、オレが逃げてきた門の近くに居た。
「とりあえずこの作戦は時間との勝負だ。僕の使える魔法もどちらかと言えば攻撃が得意な構成だから、魔法に頼りすぎない隠密行動を心掛けることだ」
「……分かっています」
「恩人さんはまだ大丈夫かな?」
オレはマップを開いてグレースの場所を検索してみる。まだ移動はしていなかったことに安心してフーリエさんに向いて頷く。
「それならこのまま作戦通りに動くことにしようか」
「……分かりました」
フーリエさんがアレスティアを囲む壁に手を付けて、集中の為か目を閉じる。これは侵入者を感知する魔法の有無と、あった場合にその解除をするためだった。
「良し、魔法反応は無いようだ。以前は村とかにモンスターが襲い掛かるイベントもあったから、こういった魔法を使うのが常識だったんだけど、随分と適当な防御だ」
苦笑するフーリエさんだが好都合なのは間違いない。さっき怖じ気づいてしまったデモリテへ立ち向かう決心を固め直し、オレはフーリエさんのサポート魔法でジャンプ力を上げてもらってから、五メートルはある街を囲む壁をジャンプでひとっ跳びした。