第六話『初めての対人戦』
開始のアラームに合わせてオレは地を蹴って飛び出す。想像とはかけ離れたゲームの中とは思えない普通のダッシュに、内心ガッカリしていたが、始めたばかりでそんな超人能力を期待したところで意味などない。
「まずは……先手を取る!」
初めてのフルダイブでの戦闘、そして相手は圧倒的な格上だ。オレには先手を取って少しでも優位に立ちたいという思考があった。
「動かないのか?」
対する猫耳少女のレナは動く気配も無い。腰に帯びた剣を抜く様子もなく突っ立っているだけだ。様子見なのか? はたまた嘗めてるのか?
もし後者ならその隙を突けば勝機があるかもしれない。オレは猫耳を剣の間合いに収めたところで、勢いよく剣を上段から振り下ろした。
「せやっ!」
真新しい両刃が鋭い風切り音を立てて猫耳に襲い掛かる。だが相手はなんて事なく鋒すれすれで回避した。
そのまま剣を振って上下左右と攻撃の手を緩めなかったが、相手は見切っているのかあっさりかわしていく。しかも顔には余裕そうな笑みまで見えた。
「くっそ……だったら」
オレは剣を左に構えて先ほど素振りで撃った技『ホライゾン・スラッシュ』をイメージした。すると剣が白く光り加速を始める。ポジションを下辺りにしたために相手の脇腹を狙った格好になっていた。
だが完全に剣技スキルを見抜いていたのか、レナはスキルが発動してから刃が届く寸前の一瞬、剣を少し抜くだけで対応してしまった。
鞘から僅かに抜かれた剣はオレでも知っていた。確かレイピアという細身の剣だ。白銀の刃はオレのブロードソードよりも細く頼りないはずなのに、火花を散らしてオレのスキルをあっさりと防いでいる。
「ぐっ!」
剣を握る左手に必死に力を込めるが、びくともしない。
僅かな時間でのほんの少しのやり取りだが、オレの額から大きな汗の玉がこぼれるのに対し、全く動じる様子の無い猫耳の眼には焦りどころか、最早オレを敵とも見ていないように感じる。
「所詮初心者よね。ステータスはもちろん、プレイスキルも何もなっちゃいないわ」
その言葉の後、鞘と刃の擦れる音が響くと同時に抜き出されたレイピアによってオレの剣は簡単に弾かれ、そのまま一太刀の下に斬られていた。
「あっ……」
閃光のように迸るダメージエフェクト。大ダメージの被弾によるノックバックで後ろに倒れていくオレの耳には、オレの名前を呼ぶコーネリアの声が聞こえる。
ゲームだからか初めての戦いによる興奮状態からか、斬られたのに痛くはないものの、斬られた箇所からは血のエフェクトが滴っている。しかも結構再現率が高い。
「はあっ……はあっ……! これ……マジかよ」
剣を振り回したせいか息も上がっている。久し振りに体を動かしたせいか、サッカーをしていた頃の体力は影すらも消えてしまっていた。
こんな派手なエフェクトが出ていて、どれだけダメージを受けたのか気になったオレは視界の右上にあったHPのゲージに焦点を合わせてみる。
「うっ、嘘だろ!?」
あまりのダメージ量にオレは息を呑んだ。三百程度の体力がたったの一撃で二百も奪われたのだ。剣技スキルを使わずにこれでは、スキルをまともに受けてしまえばHPが最大でも間違いなく一撃でやられる。
それでも初心者が相当なレベル差のあるプレイヤーに挑んだのだ。それくらい気が付いて当たり前だろうが、オレがあの場で引き下がれる程の冷静さは無かった。
「もう止めたら? これが私との力の差であって、君を始めとした初心者をここまでに育成するのは、下手したら一年は掛かるのよ? だったらここが本当にゲームの世界だとして、強制ログアウトをただ待っている方が楽なんじゃないの?」
レナの声が聞こえた。擬似的な疲労によって震える腕で体を起こすと、剣に付いた血のエフェクトを剣を振って飛ばし、呆れた様子でオレを見下ろしている。
「確かに、ここに来たのが分かってから既に八時間は立つな。本来なら発覚してすぐに行われるべき強制ログアウトってやつすら出来てないなら、無能運営、もしくは意図的に行われたものになる」
体を起こすも、オレにそのまま止めを刺してこないレナは試合開始と同じだけ距離を取った。どうやらただ勝負を着けるのでなく、心を折るのが目的だろうか?
確かに最早『決闘』なんて聞こえの良いものとは到底言えない。猫耳や先ほどのコーネリアの言う通り、誰の目から見ても分かるほどの一方的な初心者いじめに捉えられるのだろう。
――このままオレは何もできずに負けるのか?
そんな思考が頭を過った。このままでは絶対に一撃を入れることなど無理だろうが、それでも諦めたくは無かった。ここで負けたら、この先オレはただ他のプレイヤーに守られたままだろう。
――そんなの……嫌だろ。
「私だってこんな事するのは気が進まないわよ……」
少女の声が小さく聞こえた。彼女を見てみると、その瞳には憂いのような色が浮かんでいる。そんなことを考えているとは思わなかったオレは不意を突かれていた。
「どういう意味だよ?」
「そのままよ。こんな事、本当なら許されないのは分かってる。それでも私は……」
どうやらただ身勝手な行動をしている訳ではないだろう、罪悪感がある口振りだ。
「こんな事になって、運営にメールをしても何も返答が無いって言う人が居たわ。勝手にゲームに入ってしまいログアウトが出来なくて、子どもの出産に立ち会えないって言う人もいる。今の状況に不安になっている人たちは、山のようにいるのよ……」
静かな口調に固い決意があるように思えた。相手にも相手なりの想いがあるのだ。
「だからこそ私たちが頑張らないといけない。誰かに謗られようと、卑怯だと罵られようと、他のプレイヤーより強いなら皆より辛い思いをしてでも、私たちはこの状況を明かさなくちゃいけないの」
オレを見下ろすレナの強い言葉に、覚悟に、周囲から感嘆の声が漏れる。そうかもしれない。それでも彼女の言葉にオレには共感しかねるところがあった。
「正しいかもな……。それ……」
剣を地に突き立てオレは立ち上がる。初めてリアルなノックバックを受けたからか足元がふらつくし、なんとなく目眩も感じている。
そうであってもあの強い言葉を持つレナに対して、オレにも無謀な戦いを挑むだけの理由がもう一つ生まれていた。それをぶつけるべくオレは大きな声を出した。
「あんたらがただポーションを独占したいだけじゃないのは分かったよ。すごく立派だし、正しいなって思った。」
剣を掴んでいた右手に強く力を込める。レナにそれだけの覚悟があるなら……
「だからこそオレにも……いや、初心者たちにだって戦う権利はあるはずだ!」
彼女の持つあのレイピアのように、鋭い視線がオレを突き刺した。
それでも、オレの口から言葉が次々と溢れ出てきた。
「あんたの言う通りオレは初心者だ。でも、オレは現実世界では今まで誰かの助けが無いと駄目だった。友達に助けられて、家族に助けられて、そうじゃないと生活が難しかった」
車椅子生活を余儀無くされて、初めて思い知らされた己の無力さを噛み締めていた。あんな気持ちを味わいたくない、味わせたくない。
「だからこそ、次に誰かが辛かったら、助けが必要なら、オレは手を伸ばしたい、全力を懸けて助けたいんだ!」
浩介たち学校の友達に母さんや父さん。皆に助けられてきたからこそ、オレだってその想いに報いたかったのだ。
あの時、脚が動かないオレには当然のように助けられる毎日が苦痛にすら思う日があった。
あんなに親切にしてくれるのにオレには何も出来ない。たった一歩、それだけを踏み出すことすら難しい。それが『当たり前』だったはずが、『当たり前』を失うことがこんなに苦しいのだ。
だが今はこうして脚が動く。大地に立ってオレよりずっと強い相手に面と向かっていられる。誰かの為に戦う事ができる。
「あんたたちがこうして皆の希望になるために先に進みたいのは分かるよ。でもこうしてポーション買いに来た人の中にだって、皆の為に戦いたい人はいるはずだろ? そんな覚悟を持った人たちを簡単に切り捨てないでくれ……」
オレの言葉に力があるのか分からないが、相手から目を逸らして気持ちまで負けてしまいたくなかった。
当たり前を失って初めて分かる辛さ、それを今はここに居るプレイヤー全員が味わっているのだ。
それならオレは皆の当たり前の日常を取り戻したい。その為に脚が動くようになったのなら、全力を賭して当たり前を奪った奴らと戦いたい。
――ここがオレの……セイリアの始まりなんだ。
オレの言葉を聞いた猫耳は目を瞑り、一つ深呼吸をする。何を思っているのか知ることはできないが、再び目を開いた猫耳からさっきまでの殺気のような鋭い雰囲気が和らいでいた気がした。
「そう……。君が心に秘めた覚悟ってやつかしら? そこまで大口叩くなら……」
緩やかにレイピアの鋒を上げていく。それがオレの正中線を捉えた時、レナの姿がそこで止まった。
そう、忽然として辺りが制止する。
周りの野次馬、空気の流れ、森羅万象の時が凍結したかのように感じられた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「君の覚悟聞かせてもらったわよ。良いじゃないの、男の子らしくてカッコいいって思った」
時間が凍結した世界の中で誰かが語りかけてきた。心の中に響くように伝わってくる。
止まったままのレナを視界に入れておく為に僅かに視線を声の方向に向けることしかできなかったが、オレのすぐ左側に知らない女性が立っているのが見えた。
背中には銀色の柄と鞘が精緻な装飾を施された剣を、そして萌木色を主としたコートを羽織っている。それはオレの持つ『ヴァン・フレリア』と全く同じ物だ。
背はオレよりも少しばかり高く、顔は綺麗に目鼻立ちが整っており、凛とした精悍な雰囲気を漂わせる女性だった。
「でも足りないわ。言葉だけじゃ答えじゃないのよ」
「……何が言いたいんだよ?」
隣に立つ女性が何を言いたいのか分からない。すると女性はレナの方へと指を向ける。
「あの子は自分の言葉と覚悟の重さを君に、そして周りの人に剣で示そうとしている。何故ならここが戦場で、君は相対する言葉を持った敵だから……」
真剣な響き、そして女性の言葉からはオレに何を伝えようとしてるのか、ようやく読み取れた。
「君も今言った覚悟を、ちゃんと剣で示さなければいけないの……」
つまりは勝てって事なのか? しかしさっきの打ち合いでオレはあの猫耳剣士との実力の差を痛感していた。
「どうやって? オレはあいつに届かないんだ。実力が足りないんだよ!」
わざわざ正義ぶってまで強い相手に挑んでおきながら、我ながら情けない言葉を出してしまった。
しかし女性から笑う声が聞こえるだけだ。
「それは違う……違うのよ。まだ君は自分の力を思い出していないだけ……」
女性はオレの肩に手を置き囁きかけた。不思議な響きで、体の奥から力が湧いてくる感覚が沸き上がる。
「相手の剣をよく見て鋒の一点までよ。あの子は強いけど、それでも君なら一矢報いるくらいならできるはず」
「何を根拠に……」
オレの言葉を遮り、女性は話を続ける。
「大丈夫、剣技には弱点がちゃんとあるから。君の反射ならそこを突くチャンスは必ず来る」
「そんな事言っても、そもそもあんた誰なんだよ?」
そう言いオレは女性に振り向くと既に女性は姿を消していた。再び猫耳の方を振り向くと、心の中に女性の声が響いてくる。
「そうね……。私は君が持ってるメダルに宿った英雄と呼ばれた者の魂よ」
「な、何を……」
重要な事を最後に語った女性をオレは問い詰めようと口を開いた瞬間、
「私に剣で証明して!」
澄んだ声が辺りに響き、凍結した時は再び熱を加えられて動き出す。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
さっきまでと同じような鋭い雰囲気を纏った猫耳はレイピアを持つ手を肩まで深く引き、腰を落とした構えをとる。すると剣は黄色の輝きを放ち始めていた。
――剣技スキル……。
そうオレは確信してから謎の女性の事を頭の中から閉め出して稚拙な構えで剣を握るが、肝心の相手のスキルがさっぱり分からない。
それでも必死に対策を練ろうと脳みそをフル回転させるも、考えをまとめる前に猫耳の足は地を蹴り出していた。
――剣に集中しろ、動いた瞬間に反応するんだ。
相手の剣先に集中した刹那、周りの時間がスローモーションになった感覚が訪れる。オレの眼がレナの初撃を繰り出す瞬間を捕らえたのだ。
――右肩……。
それに合わせて体を捻ると、さっきまでオレの体があった地点をレイピアが通り過ぎる。
上手く回避したことでほっとする間もなく、目の前には二撃目が迫っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
レナがセイリアを捉えたはずの剣技スキル、トライデント。刺突系の剣技の初級技で単調な突きの三連技だが、技の出が速いので対人でもよく使われる技だ。
そしてそれは、彼女の得意とするマニュアル起動の加速を加えた圧倒的な高速突きへと昇華されることで、とても初心者が回避できるようなレベルのものではないはずだった。
「三発全部捌かれた?」
だがその初心者であるはずのセイリアは右肩を狙った初撃を体を捻って避けると、そのままの勢いで二撃、三撃目を剣で的確に弾いてしまった。
剣技スキルでも的確なタイミングでずらされれば攻撃を弾くことが出来る。しかし全くの素人が完璧にやってのけたステップ回避とパリィ防御は、ちょっとやそっとこのゲームに親しんでも難しいものだ。
本来は基本の動作をある程度出来ているプレイヤーでさえタイミングを取ることが難しい技術だが、それ故に初試合で偶然とはいえ、上手く成功させたセイリアにこの場に居た全員が目が離せなかった。
そして剣技スキル使用後に与えられる、ある弱点がレナを襲う。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
オレの剣がレイピアの三つの突きを受けきった瞬間、レナの驚いた目をはっきりと捉えた。
そういえば昔から反射神経には自信があったが、さっきのスローで見えた感覚はよく漫画とかアニメで言われているものなのか? どちらにせよ攻撃を凌いだ今が最大のチャンスだ。
レナは剣技後に与えられる僅かな硬直時間に体を動かせないのか、一瞬全身に力を入れたのか小刻みに震えているが、すぐに悔しさの滲み出た表情を露にした。この硬直時間は今のオレが使える最初等の剣技スキルには与えられないが、さっきの三連続の突きにはあるようだ。
最大かつ最後のチャンスにオレは一気に距離を詰め寄ると、片手直剣の基本技の一つであるスラストを撃ち込んだ。白く光る剣の鋒が猫耳少女の顔目掛けて飛翔する。
「嘘だろ!?」
そこまでこのゲームは甘くなかった。オレの下手な突きは思った軌道を大きく外れ、猫耳の顔の側を通過するだけで終わってしまった。
最初等の剣技には硬直時間を与えられないようだが、それでも攻撃を外して体勢を崩したオレの隙に猫耳は反応し、体を沈めて体勢を整えて、
「せやあっ!」
気合とともに放った突きがオレの腹に突き刺さると、反動で体が宙に浮き、後ろへと流れていく。その時には痛みではなく、酷く痺れるようや不快な感覚があった。
結局この一撃でオレのHPは赤点滅していた。残り一である証拠だ。
たった二分程の決闘で、オレはまともな攻撃を当てることすらも出来ずに負けてしまったのだ。
「これで私の勝ちね……」
猫耳が剣を引き戻して背を向けたその時、「あっ」と小さな声がオレの鼓膜を震わせる。
すぐに視点をレナに向けてみると、HPゲージが極僅かに減っているのが確認できた。理由を考えて下を向くレナの横顔から頬に切り傷が付いているのが見える。どうやら外したはずの突きがかすっていたらしい。
そして決着のブザーが鳴り響き、空中にレナの勝利を示す文が現れた。だが今のダメージによってレナ側は誰も喜ぶ者はいない。
一時の静寂、その後にレナが口を開く。
「あの時に完全に突きが外れるのを確信して、そのまま回避行動を取らなかったのは失敗だったわね」
レイピアを鞘に納めてため息を漏らす。そして再度オレに向き直った。
「君の覚悟ちゃんと見せてもらったわ。……私の負けよ。ポーションも買わないし、ここから消えることにするわ」
「……え?」
「セリア、ポーションの注文を取り消して。HP管理はパッシブスキルとかヒーラーで各々管理すること」
そう言ってポーションを買っていた女の子に伝える。
既に周囲は予想外の勝利に沸き立ち、コーネリアは大喜びしてこっちに駆け寄って来る足音が聞こえていたが、
「くっそ……」
オレは拳を地面に叩き付けた。いくら相手が強いプレイヤーだったとはいえ、失敗した攻撃がたまたま当たっただけのラッキーで勝ちを拾った事への悔しさが満ちていた。
更にはさっきの謎の女性と話をした時、情けない言葉を漏らした自分に対する嘆かわしさはあれど、勝利した喜びなど微塵も沸き上がることなど無い。
そんな俯くオレの耳にブーツの鋲を鳴らす音が聞こえてきた。顔を上げてみると、そこには表情を引き締めたままのレナが立っている。
「最後の反応は良かったわ。正直私も君をただの初心者って見くびっていた……」
「いや、あれはただのマグレだよ。あの攻撃しかちゃんと見えなかった」
そう言い返すと猫耳は首を振った。
「普通の初心者が、私みたいにある程度コツを知っているプレイヤーの剣技を見切るのは難しいの。私もまだまだって思い知らされたわよ」
落ち込むオレにフォローをしているのか、最後の攻防について評価の言葉を述べてきた。そして突然レナはオレに頭を下げる。オレも驚く暇も無く、ただ座って見ているだけだ。
「それと……ごめんなさい」
「なんで謝るんだよ?」
理由を問いかけると、少しの時間を置いてレナが口を開く。
「戦ってる間、君に色々悪いこと言ってしまったもの……」
「別にいいさ。オレだってただマナー違反する卑怯な奴等と思って色々キツい言葉使ったし」
なんか気まずい空気になってしまった。さっきまで揉めに揉めた後だけに、オレには良い落とし所が見つけられなかった。
そんな中で一人がこの居心地の悪い空気に飛び込んできた。
「じゃあもう良いだろ? ちゃんと決着ついたし、お互いに悪いと思って謝ったし」
上手いところでフォローを入れてくれたコーネリアのお陰で悪い空気も断ち切れた気がした。そしてレナはオレから顔を背け、首に巻いたボーダーのマフラーを口元まで上げる。
「君の名前、教えてくれるかしら?」
突拍子も無いことに何を言えばいいのか分からず、ただ「あー」とか声にして時間を稼いでみるも、ここで冷静に考えてみて一つ疑問が湧いて出た。
「それならどうやってオレに決闘の申請を出したんだよ?」
レナに聞こえないように、小さい声で呟いた一言を聞き付けたのかコーネリアが耳打ちしてきた。
「あいつ、相手に興味を持ったら名前聞いてくるらしい。前にちょっと戦った時に俺も名前聞かれたし、同じことをクリスタルローズのやつから聞いた」
それを聞いてこれ以上レナに聞くことはしなかった。恐らく癖のようなものだろうし、実際に聞くと不機嫌になる気しかしなかったからだ。
「オレはセイリア。今日初めてゲームをしたバリバリの初心者だ」
簡単な自己紹介を聞いた後に、猫耳を折り畳むレナは口元まで上げたマフラーを下げ、透き通るような声で自己紹介をした。
「私はレナ。クリスタルローズをまとめるギルドマスターよ。あれだけの事言って勝ったんだから、ちゃんと強くなって私達に負けないようにしなさいよ?」
そのやり取りを見ていた周囲から、さっきの戦いと今の和解に拍手が起こった。どうやらこの場は一件落着となったらしい。
そしてレナの差し出した手を掴もうと、オレが手を伸ばしたその時、どこからか低く腹の底を震わせる鐘の音が響いた。
「これ……時計塔のやつだろうけど、鐘が鳴るのは初めてじゃないのか?」
コーネリアが記憶を紐解くために頭に手を伸ばすと、この場にいたプレイヤー全員から光がおもむろに出てくると、その勢いが増していきついには全身を包み込み始めたのだ。
「何なんだこれ!」
「まだ変な事が起こるのかよ?」
突然の出来事にプレイヤーからはどよめきと怒り、そして不安の声が巻き起こる。
『プレイヤーの皆様、この世界はいかがでしょうか?』
そこに何者かの声が響き渡った。くぐもっていて男か女の声か判別出来ないが、そんな謎のアナウンスはプレイヤー全員を黙らせるだけの力を持っているようで、嘘のように市場は静寂を与えられている。
『これからプレイヤーの皆様には、今回のアップデートで新たに解放された種族別のホームに転送させて頂きます』
「なっ、何だよお前は……姿を見せろよ!」
プレイヤーの一人が拳を突き上げ叫ぶ。しかし声の主からはなんの返事もない。
『これは強制で拒否権はありません。そしてプレイヤーの皆様にはそのホームタウンを発展させながら、ある場所を目指して頂きます』
一人のプレイヤーの怒号を皮切りに、プレイヤー達からは謎の声に向けて早くここからログアウトさせろと、が飛び出しているが、それでも声の主からは返答は無い。
『それはとある場所に存在している古代の神殿です。そこには皆様の目的である、現実世界に戻る為の自動ログアウト機能があります』
その言葉にプレイヤーから安堵のため息が溢れた。恐らくは運営側のイベント的な事だと考えているようだ。
だが次の言葉でそんな思考は脆くも崩れ去ることになる。
『これはイベント、もしくはゲームの新要素などではありません。あくまでも我々は現時点でこのゲームに要素を加えられる状態であり、あなた方はこの世界に生きる』
プレイヤーたちが静まり返る。来るべきその日という言葉が何を意味しているのか理解できないまま、プレイヤーらを包む光が強くなっていく。
『あと数分もすれば皆様が属する種族のホームタウンに転送されます。それでは皆様の未来にメダリオンの加護を……』
こうして謎の声は消えていった。次の瞬間、
「冗談じゃないぞ! こんなの前代未聞の事件じゃないか!」
「現実世界の私たちは一体どうなっているのよ! ご飯も食べられないし、病院にでもいるんじゃ……」
プレイヤー達から一斉に絶叫が飛び出した。こんなアナウンスではいつになれば帰れるのか見当も付かないし、そもそも今回のログアウトの出来ない状態は運営側で仕組まれたものであることも判明したのだ。
しかしこの場にいた中で少なくとも一人は冷静だった。
「今のでこの状況は運営によるものだと断定できたわね。しかも帰る方法まで提示している。でも種族別のホームタウンに転送されるなら、このギルドも少しの間はバラバラになるはずよ。だから転送されたら、すぐにメンバーと連絡を取ってちょうだい!」
レナは今の情報からギルドの仲間に指示を出していた。今の言葉の後にもいくつか適切な指示を出していくその冷静っぷりには流石のカリスマ性を感じる。
「それに……」
突然レナがメニューを出して操作すると、現れた三本の瓶を器用に手に取って二本をオレに、一本をコーネリアに投げる。
「結局ポーション買い損ねたみたいだから分けとくわ。コーネリア君は一本で我慢してよ?」
「……ありがとう」
「すまねぇな!」
オレとコーネリアはレナに感謝を伝えると、最後にオレの方に指差し、
「また君と会えたら今度はもう少し楽しい決闘がしたいわね」
そう言って笑みを浮かべ、光に完全に飲み込まれてしまった。そこから別れも近いと察したコーネリアもオレの肩を掴む。
「俺とお前も種族が違うからここでしばらく会えなくなる。とりあえずフレンド登録はしているから、なんかあったら連絡しろよ」
「あっ、ああ。分かったよ」
そう言い残して光に消えていった。他のプレイヤーたちも運営への罵詈雑言、嗚咽、焦燥を吐き出しながら、次々と消えていく。
オレもとうとう視界が白一色になってしまった。でも不思議と不安などのマイナス感情は無く、むしろ心の奥にはざわつかせるプラスのもの生まれている。
「始まってから一日も経っていないゲーム……なんだよな?」
オレはこのわずかな時間に出会えた親友と追い付くべきライバル、そしてレナとの決闘の最中に姿を現したメダルに宿る英雄と出会い、そして感じた。
「オレだって戦えるんだ……みんなの為に、そしてここから脱出するために!」
また会ったときに少しでも成長した姿を見せられるよう、そして再び現実世界に戻ってきたとき、脚の動かせないことに絶望しないオレになるため、決意を左手に持ったヴァン・フレリアのメダルに込めるように強く握りしめる。