第五十八話『春へと移り……』
ムサシの下で修行を始めたのは確か十月直前だったろうか。気がつけば年を跨ぎ、スレジアの森には桜によく似た花が咲いて雪が解け始めていた頃合いだった。
その景色は日本のそれと大きな違いはなく、命の芽吹きと呼ぶにふさわしい壮観なものだ。
この日も剣の稽古を終え、オレは息も絶え絶えに地べたに座り込み、対するムサシは息一つ乱すことなく傍らの石に腰掛けて空を仰ぐ。
「うむ、これならば多少はマシだろうな。多少は実感できるくらいには使い方を叩き込めたはずだ」
「はあ……どうも」
半年近くもの間剣を振るい続けたからか、ムサシの攻撃を防ぐという課題は何とか達成したものの、その後に課せられた【スキルなしで一撃でも攻撃を当てる】という課題は一度たりとも成功しなかった。
「誇るがいい、お前はこの儂から剣をその身に味わった。生きた剣を体感するなんてそうはないものだぞ」
「生きたって……別にそんな言い回ししなくったってどうやって相手の攻撃を受け流すとか、テクニック的なものを教えてくれれば良かったんじゃ?」
そのまま言葉を返していたオレへとムサシはポツリと呟いた。彼は怒りやあきれたものではなく、無知なのであろうオレに対する教えの意味を込めたような遠い目をしていた。
「お前少し前に人を殺したことがあるのかという質問をされたといったな?」
「……ああ」
そう、ゴーレム事件の後にフレリアとルルとレナを交えて会話した時にフレリアに問われた。
その時はこれ以上の問いをルルに制止されたのだが、あの言葉にどのような真意があるのかはオレには図りかねるものだ。
「お前はモンスターをたくさん倒してきたな?」
「そうだけど、レベルを上げるには当然じゃないのか?」
「これも似たようなものだ。真に人を斃す刃は人の屍の上に成るんだ」
この言葉の意味はオレでも何となく理解できる。モンスターを倒すことでレベルを上げるのならば、人に対する戦闘の質を上げるのであれば、人を倒すのがいいということだろう。
実際にオレよりも対人戦に慣れたイーヤとかグレースにはレベル差を差し引いても、今の段階でまともな試合になっていなかった。そういったのも経験不足な部分も多かったのかもしれない。
「対人ならあんたとだけでも嫌というほどしただろ? 色々と見て盗めたこともあったし、少しくらいなら強くなったとは思うけど……」
「そういうことではない。言っただろう? 屍の上とな」
そこでムサシはゆったりとした動きで立ち上がると、近くにある彼が住んでいる木造のあばら家に歩いて行った。
「それもう一つ、明日お前を連れて来いとエレノアの奴から言ってきた。今日で稽古は終わりにするから荷物はまとめておけよ」
突然の宣告だが、だからこそ生徒としてなら大丈夫という言葉だったのだろう。しかし彼の話にはいろいろと引っかかるところもあった。
そうではあっても剣の扱いの一端を教わった身だ。あまり詮索をするのもよろしくないと感じたオレはそのまま疑問を喉奥へと飲み込んでから、この八か月寝泊まりしているムサシの家へと歩き出す。
帰る途中でメールの通知が来ていたことを確認して内容に目を通すと、そこにはグレースからのいつものニュース的な報告だった。大方がクラヴィスやデネボラを中心にしたトラブルが主ではあったが、中には攻略に関するものもあった。
しかしこの世界に閉じ込められてからの時間よりも長い時間をかけた修業にもかかわらず、この間の攻略の情報は芳しくないものだった。
一つに精霊人族のミラとの話の結末だ。
話の段階での協力は攻略状況のやり取り程度で、細かい話はいずれ行うという【七種族会談】で詰める予定だという。
アレスティアのプレイヤーの救出に否定的だったミラたちに対する印象は悪いが、恐らく相手側もオレらが非力なプレイヤーであることを見透かしたうえでの態度だとも思える。何しろ少人数の犯罪者プレイヤーらに街を奪われてしまっているのだ。そんな足手まといに時間をかけるほど余裕がないということだろう。、
二つ目はリリヴィオラの攻略の進捗。
半年もの長時間での攻略で円環山脈の内側へ進み、シンフォニアにも到着しているみたいだ。
その結果として、シンフォニアに到着しているのがミラのいる【Kronos】の率いる精霊人族の一団。同じく精霊人族だが、協力することなく別行動をとっているウンディーネのグループ。【Kronos】を嫌っている他の精霊人族で構成している【解放軍】に加え、リリヴィオラのチームとなる。
シンフォニアに到着した際、他の団体といろいろと情報交換をしていたようだが、この世界からの脱出につながるような情報は得られず、九か月が経過した今でも大きな情報はないということだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして翌日、一通りの支度を終えるとムサシが風呂敷に包んだ何かを手渡してきた。それは重く、木製の箱のようなものだが、彼はそれを開けないように言いつけてくると、家のそばにあった井戸で顔を洗ってタオルで顔を拭いていた。
「儂とお前には体の練度の差が大きいが、それ以上に剣を振るうことを知らなさすぎる。経験を積め、そうすればいずれお前の剣も儂に届くはずだ」
手渡されたものをストレージに置いてから、オレは今までの感謝を込めるように大きく頭を下げてお辞儀をした。この半年間で彼から得られたものは本当にたくさんある。できなかったことも今ならきっと対処できるはずだ。例えばスキルを使わない戦闘の立ち回りとかだろうな。
「その……本当にお世話になりました」
「まあ、次はエレノアの奴も連れてこい。儂直々に稽古を付けてやると言っておけ」
一体どのような稽古なのだろうか、ムサシの口角に浮かぶ笑みからはオレの時よりもはるかに興を待ち望んでいるかのようだった。
「……そっか、伝えておくよ」
この半年間の地獄のような特訓を思い出して渋い表情をしていたのか、ムサシの眉間に皺が寄る。
獲物を定めるような眼光に気圧され、一歩後ろに下がってしまったオレを見てつまらなそうに小さくため息をついた。
「そんなでは相手の気に呑まれるぞ。お前の持ち味は諦めの悪さと、光明を見出す思考の柔軟さだ。そこは意識しておけ」
「そうだな、もう少し強気に行ってみるさ」
その言葉を背にしてオレはスレジアの森を後にした。リリヴィオラまでは歩いておよそ二時間かかるのだが、修業期間中は二回しか行っていないし、グレースをはじめとした知り合いに会うこともなかった。
「結構久しぶりだな、いつ振りだっけ?」
ムサシからの修行をしていた時には気にしていなかったが、数か月ぶりに森を出てみると季節の移り変わりがはっきりと読み取れた。春の始まりを告げるかのような動植物の活発な姿は待望の時が訪れたような喜びを見て取れ、白雪を乗り越えた先にある朗らかな日の光を受け取っている。
「しかしまあ、コートもすっかりボロボロになってきたものだな」
歩きながらオレの愛用のコート【ヴァン・フレリア】を脱いで確認してみると、所々が擦れたり、穴にまでなっている箇所もある。メンテをしていたとはいえ、現実世界と同じように一張羅を長く愛用しているとさすがに生地とかにガタが来るのだろう。
一応メダル武器はコアが本体ということもあるので、レア度に見合った素材で新しいコートをメダルコアの受け皿にしてしまえば、その力をまた奮ってくれるようになると聞いている。
「とはいえ、これももう少し使えそうだしまだ頑張ってもらうか」
オレはコートを羽織り直してから空を見上げ、丘の上から見える眼前に広がるリリヴィオラのその雄大な街に向けて脚を進めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「久しぶりに来てみると、ホントに大きな門だな」
街の入り口を担っている頑丈な金属製の門の前にはモンスターの襲来イベントのような街を襲うイベントに対処するべく、プレイヤーらが防衛線を引いている。
オレはそのプレイヤーらに挨拶しながら門をくぐると、数か月ぶりのリリヴィオラの街並みが広がってきた。建物を構築している純白の石は【アリアグラニット】というリリヴィオラ近くにある採石場でしか採れないという希少な石で、光を受けることでエネルギーを蓄積し、発光や発熱したりと便利要素があるという。
ひとまずエレノアさんに呼び出されたということで、タウンホールに向かうことにしたオレは腹ごしらえにのり弁を買ってから近くの馬車に乗り込む。馬車はグレードによって中での飲食をメインとしたものもある。
そうして馬車に揺られながらの食事を楽しみタウンホールに到着した時、そばのカフェから騒々しい言い争いが巻き起こっていた。
「ちょっと! あんたらいつまでご飯食べてるのよ。そろそろセイリア君来るのよ?」
「うるひゃい! こっひは全速力だ!」
「ふん! これだからお前は心が狭いのだ。食事を摂る速度など個体差があるだろうにな」
食事を終えたグレースとイーヤがのろのろとパンをほおばっていたデネボラ、クラヴィスの両名を急かしているところだった。イーヤは何も言ってはいなさそうだが、表情からして不機嫌なのは間違いのない。
「もう来てるんだけどさ」
後ろからグレースに声をかけると、目を丸くして「ひゃあっ!」などと情けない声で一歩分前に跳ねる。
「ちょっと、そういう驚かせ方はなしでしょ……」
少し呼吸が荒くなってはいるもののこちらを睨む視線は鋭い。だがこちらの顔を少しばかり眺めていると、表情を柔らかく変えて椅子に座り直した。
腕組をする彼女は変わらず強気なものではあったが、よくよく見てみると一部の装備が変わっている。服やブーツが真新しいものになっていて、そばのテーブルに立てかけられた弓も色は青のままだが、使っている素材が変わっているのか発色が前よりも落ち着いているようにも感じる。
「ふふ、元気そうじゃない。半年近く帰ってこなかったけど、その様子なら大分修業は良かったようね」
「まあな、お陰で剣の扱いはだいぶ成長したと思うよ。なんか弓が変わった気がするけど作り替えたのか?」
訊いてみると、彼女の表情がスレジアの森に咲いていた桜によく似た花のように満開になった。自分の武器を褒められるのがうれしいのはよくわかる。
「わかるんだ! そうなの、つい最近ヒビが入ったから新しく作り替えることになったのよ。幸い弓に使える素材さえ用意したら作ってくれたんだけど、作ってくれた鍛冶屋さんの腕がすごくてね、前の使っていたものよりも引き絞りやすいっていうか……レベルが上がって力が強くなっても同じ感覚で引けるように弦の素材と張力を調整してくれてるの」
うれしそうに長々と話すグレースだが、それに気が付いたのかいつの間にか手に持っていた弓を再びそばに置き直した。
「えへへ、ごめんね。つい話しすぎちゃった」
「いや、自分の使っている武器が良くなると嬉しいのはオレもわかるよ」
オレもここで剣をグレードアップさせている。新たな相棒は今までのものよりも重くはなったが、力が上がったからか今までのように振ることができるし、その時に出会った鍛冶屋の人の腕はかなりのものだろう、取引画面で出ていた剣のステータスよりも高いものになっていた。
「こやつ、弓のことになるとものすごく饒舌になるよな」
食事を終えて腕組みをしている口をはさんできたクラヴィスに、グレースは無言で冷ややかな視線を射ると、何故かとなりでまだパンをほおばっていたデネボラが喉に詰まらせて胸を叩きながらコップを一気にあおる。
そうして二分ほどが過ぎたところでデネボラが食事を平らげたところでグレースが席を立ちあがった。
「それじゃ、エレノアさんも待っているから会議室にいこっか」
「そうだな、そういやフーリエさんは?」
「一足先に向かってる。シンフォニアであったことの話し合いよ」
「そうか、じゃあ行こう」
オレたちはエレノアさんたちに会いに行くべくタウンホールにある会議室に向かった。




