手を組む
ある夏の夜、いや、時間帯としては既に明け方だったのかもしれない。
仰向けに横たわって寝る私の両手を、握ってくる者が有った。指の間に指を滑り込ませてくるように、するりと自然に、それは私の手に手を重ねようとしていた。
上からでも横からでもない。
私が寝ている背中の下からである。
いつも私が寝ているのは低いベッドで、ベッドの下には十センチほどの隙間しかない。仮にその隙間に身を潜り込ませることが可能だったとしても、私との間には分厚いマットレスが有る。まさか、ベッドの下に穴を開けて私に手を届かせているというわけでもあるまい。(今現在、誰かの身体の上で眠っているなんていう事態は身に憶えが無い。残念ながら全く。)
常ならぬ状況であると判断した私は、その手から逃れようとした。
心もち指から力を抜くようにして手首を持ち上げ、ごくさりげなく、何者かの手から手を放そうとする。
すると、その手は私の手に更に強く指を絡めてきた。
そして、私の左右の手を下方に引っ張るように力を加えてきたのである。
両手だけでなく身体全体がベッドに沈み込むような感覚だった。
脳裏を、生者を死者の世界に引きずり込む白い手のイメージが横切った。おそらくテレビか映画で見た映像の印象なのだろう。
私は精一杯、抗った。何者かに絡め取られた手を、振り解こうと力を入れる。
しかし、得体の知れない二つの手は、執拗に私の両手を下方へと引っ張り続ける。
背中には感触が無く、身体の下には真っ暗な深淵だけが広がっているような気がした。私の手を引く二つの手の持ち主の気配は無い。そもそも二つの手が同じ人物の両手なのかどうかも判らない。
次第に不安が募ってくる。このまま引っ張り込まれてしまったら、私は一体どうなるのだろう。
そのとき私の頭のすぐ後ろで唸り声が聞こえた。くぐもった、ううー、という低い音である。
不安が恐怖へと変わり、一瞬だけ気が動転した。
私は思い切り引きはがすようにして手から逃れた。
同時に目を開いて、今まで自分が眠っていたことに気が付いた。
すると、今のは夢だったのか。
左右の手に意識を向ける。身体の両脇に有ると思い込んでいた両手は、実際には胴の上で組み合わせた形になっていた。
胸の上で手を組んで眠ってはいけないよ。それは死んだ人を寝かせるときの姿勢だから。
ぼんやりと、そんな謂い回しを思い出した。私が手を組んで眠っていたから、死者と間違えて迎えに来たのだろうか。何かが。折しも亡くなった人がこの世に戻ってくると謂われる季節のことである。
例えば私の部屋の前の居住者が、眠っている間に不自然な死を遂げたとかいう過去が有ったりするのか。その寝床が偶々このベッドと同じ位置で、高さだけが違っているとか。だとすると、私の両手を引っ張っていたのは先住者の幽霊なのか。
私はベッドから身体を起こした。
いや、ただ単に、組み合わされた自分の手の感触が夢となって表れただけなのだろう。
だが、あの唸り声は何だったのだろうか。さすがに自分の声だとは思えない。考えるうちに、十年ほど前に死んだ飼い犬のことを思い出した。あの唸り方は犬のように聞こえなくもなかった。今になって、私の危機的状況に駆け付けてきてくれたのだろうか。
まぁやっぱり、両手によって腹部が圧迫された私が苦しくて呻いただけだったのかもしれないけれど。
夢での体験に真相など無く、有るのは表象に過ぎない。
身体の上で手を組んで寝てはいけないと曰く有りげに注意してくる人がいたら、もしかするとその人は、眠っている間に誰かに手を引っ張られた経験が有るのかもしれない。