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蛍が丘高校野球部の再挑戦 ~悪夢の舞台『甲子園』へ~  作者: 日下田 弘谷
第1章 復活戦!! VS強豪・大野山南高校
7/122

第6話 ジャイロボールを打ち崩せ!!

 日野は立ち上がりが不調ではあるもよう。2番の因幡をカウント3―1からのキャッチャーフライで打ち取るも、3番の寺越はフォアボール。なんとか続く猿政を空振り三振に切って取ったが、この回だけで20球近い球数を放った。


 一方の蛍が丘高校・最上は1回の裏から好調である。1番バッターに対して、2球目を甘いコースの棒球に見せかけたシンカーでショートゴロ。続く2番も同じような手法でピッチャー真正面のゴロに打ち取り、わずか5球でアウト2つを奪う、節電・節水好きもビックリな省エネピッチング。とはいえこれまでのバッターは所詮、前座であると言っても過言ではないバッターが左打席へ。


『3番、ピッチャー、日野君』


 バットの先でホームベースの隅を軽く叩き、体を大きく振って構えに入る。


『(う~ん。初球から入れるのは怖い気がするけど、下手にボール球放ってカウント悪くすることもないだろ)』


 ランナーはいないがセットポジション。最上はコントロールが付けやすいため、そしてランナーを出した時にリズムが崩れにくいために、ランナーのあるなしに関わらず常時セットポジションを好む。


『(よし。初球は今まで通り。ど真ん中の抜け球っぽいシンカー)』


 クイック気味のモーションから初球。ど真ん中と言うよりはややアウト寄りの120キロ棒球。それを日野は中途半端なスイングで3塁方向へのファールとする。


『(ん? やっぱり前々から投球見てて思うたが、鮭様のボール少し手元で変化しとるか? 今のかてファールねらいやけんど、普通ならライナーになるはずやろ)』


『(これは日野さん、ちょっと考えながらか。もしかしてシンカー放ってるのばれたか?)』


 たかが練習試合に頭をこれ以上ないまでにフル回転させたやり取り。これこそキツネとタヌキの馬鹿試合……もとい化かし合い。


『(マズイな。変にばれてもいかんし、球道見られてもまずいし、かといってストライクへのストレートは怖いし、投げる球がねぇぇ。いやいや、ここはストレート。バックに任せる)』


 クイックモーションから一転、足を高々と上げるモーションに変えることでバッターのリズムを狂わせる。そこからいつものようにストレートを投げ込む。


「うわっ。マズイ」


 日野は高めに浮いたストレートをジャストミート。最上はふと口に出しながら右中間方向へと振りかえった。


「セカン中継、ボール3つあるぞぉぉぉ」


 皆月はスタンドに入らないこと前提での指示。そして打球はフェンスを――越えない。フェンス直撃の長打コース。


「あかん。入らんか」


 日野は1塁を蹴って2塁へ。そうしていると打球に対して素早く反応していたライトの楓音が追いついた。


「かのぉぉん。ちゅうけぇぇぇ」


「近江ちゃん」


 楓音は右中間深くまで追ってきていた近江へと送球。その近江は外野の浅い位置で手を上げている相方へ。


『(春馬君。任せたぁぁ)』


 日野は3塁突入の意思を見せている。春馬は近江からのボールを受け取ると、振りかえって3塁へ送球。しかし日野はその中継に対し2塁へと戻り滑り込む。ボールの流れを止めるどころか、中継のたびに加速していく上手い中継プレーに3塁への進塁を諦めたのだ。


「ほんま、守備に関しちゃ上手いなぁ。なんでこんな上手いのに42点も取られたんや?」


 日野はユニフォームの土を払いながら、ショートの守備位置に戻る春馬へと目を向ける。


「甲子園には魔物が住んでいるんです」


「魔物って言われてもよぉ分からんなぁ」


 甲子園のスタンドに立った瞬間の緊張、圧迫感、威圧感、そして学校や同県からの期待。それらの全てを背負った結果があの崩壊だとは、日野は知る由もない。甲子園出場相応の実力があるだけで、未だに甲子園の土は踏んだことが無いのだから。


「義光。気楽にいこうぜ」


「分かってるよ」


 3番バッターを塁に出しての4番だが最上に恐怖心はない。大野山南高校は3番にチーム1の強打者を置く高校。日本式であれば4番にチーム1の打者を置かないのはおかしな話だが、メジャー式の打線だと考えれば何もおかしな点は無い。


『(4番、白柳(しらなぎ)。見た感じだと皆月の上位互換って感じの体型だな)』


 春馬にさりげなく右手で牽制のサインを送り、タイミングを合わせて2塁牽制。


「セーフ」


 余裕のセーフであるが、しかし大きなリードを取っていなかったため。日野はあまり足が速くないのだろう。


『(あの程度ならワンヒットで1点は……ライトに打たれればありうるか)』


 レフトの因幡は強肩。センターの大崎は弱いが、中継に春馬が入ることを考慮すれば問題にならない。しかしライトの場合、楓音自体も肩が弱く、中継に入る近江・寺越もかなり肩が弱いメンバーだ。


『(下手に流し打ちされないように。とはいえインコースは一発が怖い。一か八か。近江。セカンドゴロ、任せたぞ)』


 狙うはセカンド正面のゴロ。できる事ならば3塁方向に引っ掛けてもらえればそれがベストである。


『(よし、狙い通り外のシンカー)』


「ストライーク」


 いいコースに決まったが、それを白柳が見逃してワンストライク。最上としては早々に打ってほしいものなのだが。


『(同じとこ投げるか。よしきたと打ってくれるだろ)』


 ロージンバックに手をやり、間を取っての2球目。狙うは外のシンカー。


『(まずっ、ちょい浮いた)』


 アウトコース高め。ホームランボールではないがそれでも長打は免れない失投に白柳が食いついた。


「セカンドぉぉぉ」


 打球は一二塁間。ファースト寺越が横っ飛びも打球はその左を抜け、さらに近江も飛びつくが打球はグローブのわずか上をかすめてライト前ヒット。一番打たせたくないところへ打たせてしまった。


「バックホームっ」


 皆月がホームで返球を待ち受け、最上はその後方へ回ってカバーリング。楓音は前へと走りながらすくい上げるように捕球すると、すぐさまに中継プレーの体勢に移っていた近江へと低く速いワンバウンド送球。さらに近江も3塁を蹴った日野を視界に入れるなり、キャッチャー皆月のミットめがけてバックホーム。ノーバウンドのストライク送球が彼のミットへと突き刺さる。


「っしゃあ、アウトだ」


 日野がスライディングも皆月がしっかりと左足でブロック。その足へタッチし、審判へとミットのボールを見せる。


「スリーアウト、チェンジ」


「っしゃぁ。楓音も近江もナイスプレー。あ、おまけに皆月もな」


 審判の右手が高々と上がり、その背後にいたホームバックアップの最上は両手を使い全身でガッツポーズ。


「ナイス近江」


「いえぇい」


「はいはい。いえぇい」


「あ、春馬くん。私も」


「へいへい」


 春馬と近江はグローブでハイタッチ。さらに遅れてやってきた楓音も続いてハイタッチをかわす。続く2回の表は5、6、7番。この3人から始まる打順だ。喜ぶのもほどほどに、打席へと入る準備を急ぐ。


 ヘルメットとバット。右投げ左打ちであり打席では利き腕をピッチャーに向ける楓音は、さらに肘に防具も付ける。


「近江。しっかり見て塁に出ろ、なんて無茶苦茶言わないから、とりあえず1点取ってこい」


「うん。分かった」


「1点取ってこい。の方が無茶苦茶なような」


 楓音は芸歴10年以上の漫才師のような素早いツッコミを見せるが、自身もそれが無茶苦茶ではないと言う事は知っている。


『2回の表、蛍が丘高校の攻撃は、5番、セカンド、近江さん』


「よしこぉい」


 近江は右打席に入ると気合いを入れて構える。5番と言う割には小さく、どう考えても一発狙いの5番と言うよりは後ろに繋ぐ5番である……が。


「うわっ。やりやがった」


「しょ、初球打ちっ?」


 春馬と楓音がレフトを見上げる。打球は大きく伸びて、大きく伸びて――レフトポールの左側で跳ねる。


「ファール、ファール」


 飛距離十分。もし日野の初球がタイミングをずらしたチェンジアップではなく、ストレートであったならばスタンドに叩き込まれていたかもしれない大ファールだ。その一撃に大野山南高校野球部員や監督、さらに取材陣も驚愕の声を上げたり、唖然として口を開けたままにしていたり。


「近江ぃ。フェアゾーンって分かるか?」


 ファールを打つなと言う意味を込めて皮肉気味に声掛け。


「分かってるもん。ホームとマウンドを繋いで左右90度ずつでしょ?」


「うん。野球の勉強はいいから日本語の勉強してこい」


 正しくはホームとマウンドを繋いで左右45度ずつである。右に90度、左に90度では、合わせて180度の超広大なフェアグラウンドが出来上がってしまう。


 日本語の不自由な近江は打ちなおしの右打席。さきほどのスイングでずれてしまったヘルメットをかぶりなおすと、つばの影からマウンド上の日野をひと睨み。


『(怖っ。近江君ってあない目ぇ怖かったんか)』


 さしずめ普段は可愛く小さなメスの子猫。打席に入ると獲物を狙うたくましいオスの虎。


 やや近江の目に気おされながら、日野が振りかぶって右足を上げる。


 すると近江は左足を上げてボールを待つ。そして日野が手を振り下ろすと同時に体重を左足に移しながら、力強く左足を踏み込んでスイング。


「ストライーク、ツー」


 高めの明らかなボール球を空振りしてツーストライク。


 本人曰く一本足打法。正しい区分では振り子打法。頭、つまりは眼が動くためにミートしづらい一方で、体重を掛けながらの打ち方であるため長打が出やすい。それが小柄で非力な近江でもスタンドへ叩き込めるほどの一撃を打てる理由の1つ。他にも手首の返し方が上手い。腰の回転が鋭い。理想的なまでのバット軌道などが理由として挙げられる。要は筋力ではなく技術でホームランを打てるタイプが近江なのだ。


 もっとも……


「ストライクバッターアウト」


 彼女自身、恐ろしいまでのフリースインガーであり、その打ち方が選球眼の悪さをさらに助長させているわけだが。


「近江ぃ。なんつうボール球に手を出してんだ」


「そ、外のスライダー、ひゃう」


「右のお前にそれは無い」


 右バッターにとって左ピッチャーのスライダーは、逃げる球ではなく向かって来る球。


 近江の頭をヘルメットの上から平手で叩くと、走って右打席へ。


『(せっかく日野さんが制球苦しんでるのに、あんなくそボール振ることもなかろうに。点取ってこいって言ったのは紛れもなく僕だけどさ)』


 ヘルメットに手をやって浅めにかぶり直し、ボールを見ることを意識して小さく構える。日野は師弟対決に小さく微笑むと、ワインドアップからの初球。


『(アウトロー、これはっ)』


「ボール」


 最初から見ていくつもりだったこともあり難なく見切ってワンボール。


『(危ない危ない。打つ気だったらきっと手が出てたな)』


 低めのフォークボール。日野の代名詞はスライダー変化のジャイロボールではあるが、そのほかの変化球も高校球界では甲子園レベルの一級品だ。唯一の救いは最後の登板から数えて8か月ぶりの実戦登板であることだ。未だに試合勘が取り戻せていない。


『(もしも超高校生級投手・日野さんの隙に付けこめるとすればそこか)』


 春馬との勝負を意識しすぎたのであろうか。2球目、3球目と連続で変化球が外れてスリーボール。4球目こそストレートでストライクを取ったが、明らかなまでに狙いに行った棒球であった。それに、カウントは3―1と、依然ピッチャー不利のカウントだ。日野にとっては苦しい勝負が続く。


 5球目。そこで春馬が仕掛けた。日野が上げた右足を降ろすとバントの構え。内野陣がセーフティバントに対して前へダッシュし、日野も投げ終わると前に駆けようとしたのだが。


『(わっ、アカン)』


「ボール、フォアボール」


「よし、儲け」


 日野の投球はキャッチャーのミットをかすめるワイルドピッチ。春馬はバットを放り投げると1塁へ全力疾走。そして1塁を踏む寸前で後ろを振り向くと、オーバーランしてあわよくば2塁へと向かう意思を見せる。しかしキャッチャーはボールを手に春馬を目で牽制。2塁は諦めた。


「春馬、上手いな」


「余裕、余裕」


「俺も次の打席でやってみようかな?」


「やめとけ。日野さんは2度も引っかかるピッチャーじゃないぞ」


 1塁コーチの寺越と軽く会話を交わすと、7番の楓音が打席横で自分を見ている事に気付いてサインを送る。サインと言っても打てのサイン。1アウト1塁で7番であればバントも有りだが、相手が制球に苦しんでいる状況で、わざわざアウトを1つ献上するのはおいしくない。


『(任せたぞ、楓音。女子の力を分からず屋に見せてやれ)』


 楓音が左打席であらかじめ右足を引いて構える。春馬は日野と目を合わせながらゆっくりとリード。


「リーリーリー、バック」


 いきなりの牽制に1塁へ足からのスライディングで戻る。ピッチャーを兼ねる春馬としては、頭から戻ることによる腕や手のケガのリスクは負いたくない。


 そんな春馬は再びリードを取り日野と目線を合わせる。


「リーリーリーリー、ゴー」


 日野の投球と同時にリードを大きく広げる。楓音への初球はインハイストレートでワンストライク。打席を外した楓音は春馬のサインに目を向けると、ヘルメットのつばをさわってOKサイン。


『(楓音。援護頼んだぞ)』


「リーリーリー……」


 寺越の合図を耳にしながら大きめのリード。日野はそれを気にしながらも目線を向けるだけで牽制をする気配はない。日野の目が春馬から外れた。


『(盗んだっ)』


 春馬スタート。直後に日野が投球モーションを始動したのだが、完全に盗まれたタイミングであった。


『(アカン。これは相棒に任せたで)』


 日野は左腕を振り下ろす。バントの構えをしていた楓音が外に外れる変化球にバットを引くと、白柳はやや大きなモーションで2塁へと送球。ノーバウンドの送球が1塁側に送球が逸れ、タッチができずに2塁はセーフ。


「うぉぉぉ。ナイスラぁぁぁン」


 1塁側ベンチで雄叫びのような歓声を上げる近江。春馬は軽く右手を上げてそれっぽい返事だけはしておく。


「日野」


「あ、おぉスマンなぁ」


『(しっかし新田君。完全に盗んだなぁ。もしかして顔に出てたか? それとも投球フォームにクセでもあるんかいな?)』


 それとなく春馬に目をやるも、彼は目が合ったにも関わらず依然として無表情。春馬はそのまま2塁ベース上で楓音へとサインを送る。


『(日野さん、あまりにも顔に出過ぎだし牽制も下手)』


 何はともあれこれでワンヒット先制の場面。ここからの楓音・皆月はあまり信用ができないが、ピッチャーが乱調の日野であることを考えると可能性は無いとも言い切れない。むしろ下位打線で安心するポイントだからこそ勝機はあるのかもしれない。


 春馬は1歩、また1歩とリードを広げる。1塁にいた時よりも2歩ほど大きなリード。これは1塁と違い、2塁には常時野手が着いていないため。そして、左ピッチャーの2塁牽制は1塁牽制よりも時間がかかるためだ。


 極力ランナーを気にしないように。しかし無警戒にならないように絶妙なバランスで春馬へと目で牽制を入れる日野。ランナーの位置が背中の側になるのが難しい所だ。


 足が上がった。春馬は思い切ってリードを広げる。


「ストライーク」


 外寄りのストレート。バックスクリーンの球速表示は135キロ。やはり怪我の影響で球速自体もあまり速くはなっていない。


「ちょっ」


 春馬はすぐに2塁へと戻り滑り込む。ややリードが大きかったのを見てキャッチャーが2塁へと牽制。結果論的に余裕でセーフにこそなったが、油断を確実に突かれた。


『(あぶねぇ、あぶねぇ。キャッチャーも油断ならねぇな。そこそこ肩いいし)』


 今度はしっかり集中しながらリード。日野は小さくなったリードに気を軽くして4球目。外のハーフスピード。際どいコースに楓音はハーフ気味のスイングでカットしに行くのだが、


「ストライクバッターアウト」


 逃げていくスライダー。楓音のバットが空を切り三振でツーアウト。続くバッターは皆月とあまり信用できない。チーム内の打撃の信用性で言えば楓音に次いで下から2番目である。


 三振で気が緩んだのか日野は再び荒れ始めた。2球目の変化球こそ皆月が空振りしてワンストライクとったものの、それ以外は全てはずれ……


「ボール、フォアボール」


 皆月が出塁。ツーアウト1、2塁のチャンスでバッターは9番でピッチャーの最上。9番とはいえ、チーム1のくせ者であり策略家である。


 いつものように軽い近江のバットを借りて右打席へ。まったく打ち気のない打撃フォームだが、ここから何かをやらかすのが山陰の狐・最上義光だ。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 無策のようで空振り三振。だがこの凡退が次なる勝負への布石。肉を切らして骨を断つ作戦であると自信満々に言いだしそうなのが最上である。


 そんな彼は打撃から一転、本職の投手として好投を見せ始める。


 2回の裏。5、6、7番を連続のショートゴロに抑え込み、1イニングをわずか7球で無失点。


 ならばと3年生・日野も負けてはいられない。1番から始まる3回の表、蛍が丘高校の攻撃を三者連続三振。未だに制球のばらつきは否めず、15球を要してはいるがそれでもは肩も暖まり、ある程度は試合勘が戻ってきている。


 こうなると序盤で1点が奪えなかった事が苦しい蛍が丘。


『(まじっ。セカン)』


 3回の裏。8、9番を連続で凡退に打ち取った最上は1番に痛烈な一打を自身の足元へ食らう。打球はマウンドで高く跳ねあがりセンター前へ……


「てぇい」


 抜けない。近江が二遊間に滑り込み、必死に伸ばした左手でボールを掴む。そして地面にスパイクの歯を突き刺して立ち上がると、ボールを右手に持ち替えてワンバウンド送球。


「アウト、チェンジ」


 セカンド・近江の好プレーでスリーアウト。1点を取れないならば意地でも1点を与えない。


 序盤終わって0―0の好勝負。お互いに打順が1巡し、勝負が動いてもおかしくないあたりだ。


「近江、助かった」


「頑張った」


「よしよし」


「えへへ」


 助けてもらった最上、そしてお礼に撫でてもらった近江。お互いにご機嫌だ。


「あ、新田も助かった」


「何がだ?」


「8番の打球。高く跳ねて危なかっただろ。よくアウト取ってくれた」


「なぁに。ただ拾って投げただけだろ」


「格好つけやがって。撫でてやろうか。よしよし」


「やめぃ。気持ちわりぃ」


 手を払う春馬。すると代わりに近江が後ろから右手を伸ばす。


「よしよし」


「えぇぇい。鬱陶しい。さっさとネクスト入る準備しろ」


「うぅ、せっかくナデナデしてあげたのにぃ」


「そんなんいいから打って来い」


 日野の調子が上がってきて連打が期待できない中盤戦。この状況下でなにより期待できるのは4番の猿政か、5番の近江による一発であろう。春馬は打席に向かおうとしている猿政を捕まえると耳打ち。


「猿政。繋ごうなんて考えるな。連打で1点は難しい。お前と近江の2人だけはとにかく一発狙って行け」


「うむ。分かり申した」


「ただし、ボール球には手を出すなよ」


「善処いたそう」


 猿政は長打一辺倒の近江と違い、長打力と巧打力を併せ持つタイプ。常時フルスイングでホームラン狙いの近江ほどではないが、去年もホームランを放っている。


 4回の表。巨体を揺らしながらゆっくりと右打席へ。ホームよりギリギリいっぱいに立ちスライダーを投げにくくする。その作戦が早くも功を奏したのか、日野は不機嫌そうに目を細めサインを覗き込むと、1回首を振った後に頷く。


 その初球。


「ストライーク」


 容赦なくインコースにストレートが決まり、まさかのイン攻めに戸惑う猿政は少しだけ身を引いてしまう。2球目を投げる時点では先ほどよりも足1つ分だけホームベースよりも離れて立っている。


『(おっ、ちょいコントロールミスしてもうたが、これは結果オーライやな。これでインのスライダー使いやすくなったで。アウトから真ん中に入るスライダーは怖いからなぁ)』


 今度はキャッチャーのサインを最初から頷く。内の次はもう1球内側を意識させるためにインにシンカー。


「ボール」


 インローに外れるボール球。元々から野球ゲームのような百発百中のコントロールを持っているわけではないが、今日はあまりに荒れすぎだ。


 続く3球目。サインはここでストライクを貰おうと、おそらくはバッターにとっては意識の外であろうスライダー。


『(これで、ツーストライクもらいや)』


 振り抜いた左腕から投げ出されたジャイロボール。またの名をスライダー。それは真ん中からインに落ちるはずが、狙いよりも外に逸れた。


『(アカン。いっちゃんマズイとこや)』


 やや抜け球気味のボールを猿政はジャストミート。打球は三遊間へ球足の速いゴロ。直線で打球に向かえばレフト前ヒット。回り込めば内野安打。いずれにせよノーアウトランナー1塁かと思われた、が。


 回り込んだショートがボールを捕球。1塁へと大遠投。ショートバウンドでファーストが捕ると同時に審判の右手が上がる。


「アウト」


 異常なまでに猿政のスタートが悪く、そして足が遅く、1歩間に合わずアウト。明らかなヒットかと思わせて、なんでもないショートゴロである。


「……猿政、遅い」


「面目ない」


 因幡に面と向かって言われて反射的に謝る猿政。連打を期待できないとしても、出せるランナーは出しておきたかっただけに、このアウトはもったいない。しかしそうは思っていないバッターもいる。


『5番、セカンド、近江さん』


「ふっふっふ。猿政君を抑えるとはやるね」


「そんなラスボス的な発言はいいから早く打席に行け」


 春馬から後押しなのかよく分からない後押しをもらって打席へ向かうは近江。右打席に右足を入れるとヘルメットを深く被り直し、1打席目のようにつばの影からピッチャー日野を睨みつけながら左足を置いて構える。


『(最初の打席は空振り三振。だけど、次こそは)』


 狙うはバックスクリーン。


 調子の上がってきた日野は、振りかぶって近江への初球。


「ストライーク」


 インハイへのストレート。臆することなく近江がフルスイングも、バットはボールの10センチ下を通り空振りワンストライク。近江にとっての打撃結果は当たれば天国、空振りゃ地獄の二者択一だ。


『(ええスイングや。でもな、近江君。1打席目みたいにはいかんで。まぐれはそう何回も続かへん。続かへんからまぐれなんや)』


「ストライクツー」


 2球目は低めのワンバウンドするフォークを空振り。これでツーストライクと追い込み、しかもノーボールと圧倒的なピッチャー有利カウント。この打席の近江は一向に当たる気配を見せないが、そんなものは今に始まったことではない。


「近江。あと1球あるぞ。とにかくフルスイングして来い」


 頷く近江は構えなおす。


『(当たらへん。最後は足元に外れるスライダーや。打てると思うなやぁぁぁぁ)』

 フリースインガーの近江にとっては最後になるであろう投球が、乱調の日野にとっては奇跡的に狙ったコース。インから足元に落ちていくコース。


『(打てる。この程度……余裕で打てるっ)』

 足を開いて強引に振り抜く。手には何も感じない。しかし耳には気持ちいまでの金属音が伝わってくる。


「いったぁぁぁぁぁ」


「アカン」


 打球は第1打席目と同じくレフトポール際へと伸びていく。近江はバットを左手に持って打席の上で立ったまま見送り、日野はマウンド上で両手を放りだして打球から目を離さない。飛距離は十分。あとはファールかホームランか。


「はいれぇぇぇぇぇ」


「入るなぁぁぁぁぁ」


 2人の声がグラウンドで重なる。互いの思いを乗せた打球がポール上空を通過し、ファールグラウンドに落ちる。


「ファールや」


「ファール……」


 左手でガッツポーズの日野と、落胆する近江。しかしそこで春馬が大声で叫ぶ。


「巻いた、巻いたぁぁ」


 最終的にドライブしてファールゾーンに落ちたが、打球そのものはポール内側を通っていたのではないか。球場の全員が3塁審へと注目する。


 彼は右腕を挙げると……大きく天に円を描くように回した。


「ホームラン、ホームラぁぁン」


 そして声に出して宣言。


「うそやぁ。ファールやろぉ」


「きたぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 日野はマウンド上に崩れ落ち、近江はバットを放りだすと右手を突き上げながら走り出す。


 あれほどまでにはっきりとした三振狙いのボール球をスタンドに叩き込まれては落胆しないわけがない。三振しないにしても、普通ならばスタンドに入るようなコースではない。


「お、おい。写真撮ったか?」


「す、すみません。驚いて忘れてました」


「馬鹿。塁を回ってるところでいいから撮っとけ」


 取材陣もマンガを見ているのではないかと思うほどで目の前で起きた事が信じられない。試合前はあれほどまでに高校野球で通用しないと言っていた女子高生が、男子高生の頂点に近いピッチャーから飛距離十分の先制弾だ。


 突き上げていた右腕を降ろして1塁、2塁と回っていく近江。ふと背中へと手を当てる。


『(痛たた。少し無理やりすぎたかな?)』


 ただでさえインコースに弱い自称・一本足打法の振り子打法。それにもかかわらずインコースどころかデッドボールになろうかと言うコースをレフトスタンドまで運んだのだから、体に負担がかかるのもわけはない。


「これで、先制」


 3塁を回りホームイン。


「タイム」


 白柳は近江がホームを踏むのを目視するとタイムを掛けて日野を励ますために駆け寄る。一方の近江はネクストバッターサークルから打席に向かっていた春馬へ駆けて行く。


「ぴょ~ん」


「うおぃ」


「1点取ったぁ。ジャイロ打ったぁ」


「えらいえらい」


 そしてハイタッチと見せかけて抱きつくとご褒美をもらってベンチへと帰り、ランナーコーチに出ている因幡・寺越以外の全員とプロ野球のノリでハイタッチ。


「はぁ。ほんま、近江君はよぉあんなコース打ったなぁ」


 諦め気味にハイテンションでチームメイトと騒ぐ近江を見つめる日野。


「仕方ない。日野の投げてるコースは普通なら打たれるコースじゃない。つーか、普通なら振るようなコースでもない」


 場外に飛ばされたボールに代わり、新しいボールを日野のグローブの中へと入れる。


「せやなぁ。近江君は規格外や。女子としても、球児としても」


「そうそう。悔しがることはない」


「悔しいことあるかいな。近江君との勝負は面白いで。どこ投げても抑えられるけど、その代りどこ投げても打たれる可能性あるんやから」


「矛盾してるようで矛盾してないんだよな。さっきの打席を見るからに」


「ま、そういう事や。それとシラナン」


 日野がいつも通りの呼び名で相方の名前を呼ぶと、白柳は少し落としていた視線を彼の目へと合わせる。


「ん?」


「もうちょい変化球使っていこうや。なんとか制球も安定し始めたとこや」


「了解」


 素っ気なく答えた彼はマスクをかぶりなおしてホームまで戻る。そして再びマウンドで1人の日野はロージンバックを手の上でころがし足元に放り投げると、手のひらを息で吹いて余分な粉を取り除く。


『(しっかしシラナンはこの呼び方嫌いなんかいな?)』


「ワンアウト、ワンアウト。バッター6番」


 一方の白柳はアウト確認を済ませると座り込んで配球を考える。


『(アイツ、シラナンって呼ぶなよ……なんつーか響きがわりぃし。いやいや、試合に集中しようか。初球はストレート、じゃなくてアウトのシンカーでどうだろうか?)』


 バッターの春馬の初打席は立ち上がり不調の日野の弱点をしっかり突いてフォアボール。唯一のストライクである投球も見逃しのため、いったいどのようなバッティングをするのか白柳にはあまり分からない。


「プレイ」


 審判から試合再開宣告。


 初球は白柳の要求通りにアウトコースのシンカー。春馬は微動だにせず見送ってワンストライク。彼がどんなバッターかに関わらず、とにかく初球に通せたのはおいしい。


『(次は……スライダー。外から真ん中低めに落とそう)』


『(任せとけや。今なら細かい制球も利く……と思うで)』


 サイン交換を済ませると、背伸びするように振りかぶる。2球目に対して春馬はバントの構えを取る。セーフティバントかと内野陣は猛ダッシュ。


「ボール」


『(ありゃ、ちょい外れてもうたか?)』


 首をかしげる日野。対してバッターの春馬は一度打席から足を外すと、片目を閉じつつ天を仰ぐ。


『(日野さん。調子的な意味では完全復活か。こうなると中盤での追加点はもう難しいだろうし、近江の一発はかなり大きかったな)』


 長く持っていたバットを短く持ち直して再び打席へ。カウントは1―1と平行カウント。次がストライクならバッターとしては苦しいカウントになるところ。


 キャッチャーからのサインに頷いた日野。春馬も狙い球を絞り構える。


 第2球……


『(まずっ。外されたっ)』


 速い変化球を狙っていたが、日野の投球はチェンジアップ。緩いボールにタイミングを外されるも、体勢を崩されながら芯でボールを捉える。


「ファール」


 打球は横っ飛びしたサードの左。長打コースになろうかと言う一打ではあったが、バウンドしたのはラインのわずか左。審判の両手が上がってのファールコール。


『(カウント1―2か)』


 追い込まれた。こうなると日野の三振を狙う球は分かってはいるが、少なくとも今の自分には打てる気がしない。自分が投げる球であるが、自分が投げる球だからこそ打ったことは無い。


 4球目は外のストレート。三振狙いではなく、コースのハッキリした様子見の遊び球だ。再び平行カウント。おそらくは次で勝負を仕掛けて来るであろうと覚悟を決める。


『(最低限、当てる)』


 日野の左腕から投球がはじき出される。わずかに回転軸が上向きのジャイロ回転。それが手元に来て……


「ストライクバッターアウト」


 足元へ大きく落ちて空振り三振。それもファールチップならともかく、バットとボールの差が20センチと、完全に空を切っての呆気ない空振り三振。


『(打てねぇ)』


「ドンマイ、ドンマイ」


 ベンチに戻ってくる春馬とすれ違いざまに励ます楓音。その声には裏に自らの不安をかき消そうと言う思いが見え隠れ。彼を励ましは表向き。本音は自分への励まし。


 ツーアウトとなって打席に入る。このままでは調子がしり上がりは避けられない状況だけに、なんとか流れを挫いておきたいところ。しかし野球経験1年間にとってはあまりにも日野啓二の存在は大きすぎる。


「ストライクバッターアウト」


 2球目のチェンジアップをファールにするも、最終的には3球で空振り三振。


 近江のホームランで1点を先制した4回の表。とはいえ続く2人は連続の三振に切って取られ、非常に厳しい展開への序章を見せつけられたようなイニングとなった。

ジャイロボールと聞いて「浮くストレート」を想像した方は残念

要はただのスライダーでした

そして今回、『歩く主人公』の新田君が歩きました(フォアボール的な意味で)

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