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蛍が丘高校野球部の再挑戦 ~悪夢の舞台『甲子園』へ~  作者: 日下田 弘谷
第1章 復活戦!! VS強豪・大野山南高校
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第5話 さ~いしょ~はパー

 土曜日。ついにやってきた運命の日。監督・春馬とキャプテン・近江、副キャプテン・最上に合わせて楓音も少し早めに大野山南高校へと到着していた。


 校舎は白くとても立派な建物であり、遠くに見えるは大きな校庭だ。正門からは見えないが、それとは別に野球部のグラウンドや全面芝生のサッカー場、そしてテニスコートにバスケットコートなどが存在するのだから、設備と言う点だけで言えば県下トップクラスの1つに数えられる学校。もっとも数年前までは勉学一本道の進学校であり、体育科も含めてのきなみ偏差値は50台。日野が所属し、偏差値60を越える特進クラスなどその片鱗はところどころに見て取れる。設備の割に全国レベルの部活が存在しないのは、未だに勉学重視の考え方があるからであろう。


「おはようございます。蛍が丘高校野球部の方ですね?」


「はい」


 自転車で校門から敷地内に入るなり、4人へと話しかけてくる人がいた。練習試合を嗅ぎつけた取材陣かと思いきや、そこにいたのは大野山南高校の制服に身長160センチくらいの身を包み、野球部の帽子をかぶった女子生徒だった。


 この手の進学校を象徴するような何かと真面目な委員長系キャラでも、四六時中勉強をしていそうなガリ勉キャラでもない。決してそれが不真面目だとか、勉強ができなさそうとかと言っているわけではない。真面目そうで勉強もできそうなのだが、あえて表現をすればしっかりものの幼なじみキャラと言ったあたりだろう。要するに近江とはある意味で対極にある存在だ。


「自転車は向こうの駐輪場にお願いします。野球部グラウンドの場所は分かりますか?」


「去年の春にも練習試合を組ませてもらいましたので大丈夫です」


 手慣れたように接する春馬。すると彼女は彼との話を終わらせるなり、校門を越えて敷地内に入ってきた車に気付いて駆け寄って行った。春馬は彼女の背中をみつめながら、自転車を押して指定された駐輪場へと向かう。


「どうした? 何か面白いものでも見つけたか?」


「いいや。別に」


 最上は足を速めて彼に並ぶと、顔を覗き込む。春馬はそんな同級生のにやついた顔を見て目線をそむけた。


「新田的にはさっきの女子マネどうだった?」


「どうって言うと?」


「好みかって話」


「なんでいきなりそんな話になるかな?」


「好みじゃなければ否定するだろうし、わざわざそう話を逸らそうと言う事は満更でもないってとこか?」


 読みの鋭い最上に春馬は一瞬言葉を返す事ができなかった。少しだけ誘導尋問じみた事をしている化け狐の表情を探ると、仕方なしにその話に乗っかる。


「最上的には?」


「ストライクゾーンはストライクゾーンだけど、ツーストライクじゃないと手を出さない感じの厳しいコースかな?もしかするとボールゾーンかもしれないレベルのな」


「ふ~ん。面白い事聞いたかも」


「因みに新田は本音、どうなんだ?」


「なぁに。ただ、ちょい制服が似合うなって思ったくらい」


 春馬が返しながら自転車の鍵を掛けていると、既に止め終わった近江が近寄ってきて彼の制服の裾を引っ張る。


「うぅぅ、春馬君」


「どうした? トイレか?トイレは1回の職員室横か、体育館裏な。食堂や講堂もあるけど、休日は開いてないかもしれないから注意な」


 大野山南高校の生徒でもないのにやけに詳しい。だが近江はそんな事などどうでもいいかのように裾を強く握る。


「違うもん」


「あぁ。新田、あれだ」


 近江の曖昧な反応に最上は閃いたように指を鳴らす。


「お前が他の女子の話してたから妬いてんだ」


「ちがっ、そ、そんなんじゃなくて」


 顔を徐々に色濃く赤く染めて行きながら春馬の背に隠れる。


「ほぉ。近江は新田の事が好きだったか?」


「ち、違うもん。好きだけど、大好きだけど、そんなんじゃないもん」


「と、近江文部科学大臣は主張しておるが、どういう事かね?新田国土交通大臣」


「単純に構ってもらえなくて寂しいだけだろ。そんな簡単な事だって言うのに、話をややこしくするんじゃない。最上防衛大臣」


「なるほど。では女性視点として、楓音経済産業大臣はどう見る?」


「へ?わ、私?私は多分、春馬くんの言う通りだと思う……かな」


 歯切れの悪い返答の楓音は、自転車のチェーンロックを掛けるのに手惑う。


「ほぉ。近江厚生労働大臣は構ってもらえなくて寂しいと?」


「文部科学大臣じゃなかったのか?」


「男だろ。そんな細かい事気にすんな。そんなことよりも構ってやれよ。もしかしたら春馬のコレになるかもしれないからな」


「小指?」


 小指を立てている最上に首をかしげる楓音は、その意味をまったく知らないのだろう。


「馬鹿なこと言うなよ。あり得ないだろ」


「僕はあり得ると思うけど? かなり仲良いし」


 野球道具の入ったエナメルバッグを左肩から斜め掛けし直しながら、顔を真っ赤にして春馬の背後に隠れる近江を覗く。恥ずかしそうな彼女は春馬の制服の裾を握る手に力を入れて身を縮こませる。


「少しくらい撫でてやればいいのに」


「撫でてやったら調子に乗るからやめとく。ほら、さっさとグラウンド行くぞ」


「頭ナデナデしてくれないの?」


「しません」


「ポンポンは?」


「しません。さっさと行くぞ。分かってると思うけどあっちな」


 近江の要望にも拒否を示すと校舎と体育館の間にある中庭を指しながら、カバンを肩から掛けてグラウンドを目指す。春馬に続いてその後ろに近江、横には楓音。


『(つくづく仲のいい奴らだよなぁ)』


 そしてやや離れて後ろに最上が着いて行く。


 校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下を通り過ぎ、中庭を通ってさらに今度は校舎と食堂を繋ぐ渡り廊下を通り過ぎる。そうしていると校舎の端も見えて次第に視界が開けてくる。その先、山を切り開いた校舎やメイングラウンドのある場所よりも1段下がった平地には、様々な部活の専用グラウンドがいくつもある。


「うわぁ。久しぶり。つくづく思うけどいい設備だよね」


 楓音は左から右へと見渡しながら感嘆する。


「全部、作られて5年経ってないような設備だからな。聞いた話によると全部がプロ規格のサイズだったかな。もっとも収容人数とか、興業的な意味では規格は知らないけど」


「特に野球場は凄いよね」


「電光掲示板に外野スタンド、照明設備。1塁側、3塁側両サイドにベンチとブルペン。バックネット裏にもスタンドと、放送設備付き。いったいどこにそんな金あるんだか」


「私立だからじゃない?」


「そうなんだけどさぁ。これだけやろうと思ったらどれぐらい金かかるんだろ?」


「10億とか20億とか?」


「それで済んだら安いもんだな」


 話しながら階段を降りる春馬と楓音。さすがに階段を降りるときまで背中にくっついているわけにはいかない近江もとりあえず離れ、最上はのんびりと1段飛ばしで降りてくる。サッカー場を正面に見据えて右に曲がると、すぐに野球部専用グラウンドが見えてくる。その正面には道具を積んだ『猿政建設』の軽トラックが止まっており、助手席では巨体の猿政がアイマスクを付けて居眠りしている。


「なぁ、ちょい荷物任せていい?」


「いいけど、どうしたの?」


 楓音に荷物を任せた春馬は野球場の方へと目を向ける。


「ちょっと監督さんにあいさつ。ついでに日野さんがいれば先攻後攻決めてくる」


「うん。それじゃ、行ってらっしゃ~い」


「おぅ」


「わ、私も」


「近江はトラックから荷物降ろす係」


 春馬はついて来ようとする近江を楓音や最上に任せて、大野山南の選手が出入りしている3塁側ベンチへと走って向かう。大野山南高校のユニフォームを着た選手を見つけると、彼らが3塁側ベンチに入っていくのを目に入れる。そしてものの20秒程度でベンチ裏へと来ると、開いているドアから中を覗き込んだ。


「すみませ~ん」


「あれ?たしか、蛍が丘の新田監督?」


 とりあえず声を掛けると振りかえった背番号7の選手。あっさりと名前が当てられるとは、さすがに多少なりとも有名となっているようである。


「はい。その、監督は?」


「監督はブルペンかな? 行き方分かる?」


「はい。ここ、ですよね?」


 一礼してベンチの中に入るなり横にあるドアを開く。


 開けたドアから毎度のように中を覗く。そこには2人用の投球練習スペースがあり、手前がピッチャー、奥がキャッチャーだ。向かって左側を使って日野が投球練習中であった。彼は集中しているようで春馬が来ている事に気付かずに投球練習を続ける。


『(コントロールも安定してる。球速もそこそこか)』


 キャッチャーの構えたミットが少し動く程度で、音も最上に比べればあきらかにいい。


「すみません。蛍が丘高校監督。新田春馬です」


 3球ほど球筋を見せてもらったあたりでようやく声に出す。気付いた日野や監督が彼の方を向き、キャッチャーもマスクを外した。


「なんや。新田君、おったんかいな」


「いましたよ? てか、気付いてなかったんですか」


「気付けへんかったなぁ。さすがに集中してたからなぁ」


 春馬と日野の間にはネット1枚がある程度。誰かがいるくらいは気付いてもいいはずなのだが、日野はまったく気付かなかった様子。


「ほんと、日野の集中力は凄いんだか、良く分からないな。天才とバカは紙一重って言うからけどまさしくそれだな」


 監督がゆっくりと春馬の方へと歩いてくる。彼は口調からして春馬が来たのに気付いていたが、日野が気付くかどうかあえて黙っておいたのだろう。


「バカて、それはヒドイで監督。それはそうと、新田君は何しに来たんや?」


「何しにって、今日は練習試合ですよ? え、今日ですよね?」


「嘘や。今日は練習試合。それくらいは知っとるて。さっき、おったのに何も言わんかった奴の仕返しや」


「本当に焦りましたよ」


 話はほどほどに大野山南の監督へと向き直った。


「監督。今日は、よろしくお願いします」


「あぁ、よろしく」


 監督同士握手を交わす。


「ベンチは1塁側を使ってくれ。鍵は開けてたと思うけど、開いてなかったら誰かに聞いてくれ。もちろんここに来ても構わん」


「はい。ありがとうございます。それでは」


 春馬は振りかえりブルペンを出ようとした。しかしそこで日野が思い出したように呼び止める。そして2度3度と手招き。


「ちょい、ちょい新田君。ちょい待ちぃ」


「なんですか? そのリズムのいい呼び止めは」


「そんなことど~でもええんや。そんな事よりこれ、やっとかへんか?」


「これ? あ、そうだった」


 日野が腕まくりして左手の拳を出したことで春馬も思い出したように右腕の袖をまくり上げて拳を前に出す。お互いに深呼吸をしながら心を静めていると、一瞬だけとはいえ周りが静かになったように思える。


「殴り合いですね」


「そうや。新田君なんてワイの左アッパーからの、右ストレートで、ってドアホ。んなわけあるかい」


「お、本場関西のツッコミ」


「悪いなぁ。ワイ、確かに昔は兵庫におったが日本海側や。それに関西弁はまったくと言っていいほどしゃべってなかったからなぁ」


「へぇ。それでなぜに関西弁を?」


「小学校の時に島根に引っ越したんやが、クラスメイトにやたらと関西弁しゃべれぇって言われてなぁ。なんとなくそれっぽい事しゃべってたら、いつのまにやらこんなしゃべりになってもうたんや」


「なるほど。エセ関西弁ですね?」


「せ、せやな……」


 図星発言に肩を落とす日野は、前に突き出していた左拳を降ろす。しかしすぐに思い直したように左拳を再び掲げた。


「ちゃうねん。そない事言おうとしたんやない」


「先攻後攻ですね?」


「そや。はい、そいならいくで?」


「いいですよ?」


 日野は目を閉じて出す手を考えると、5秒ほどで目を開く。


「準備ええか?」


「はい」


「ほな、最初は」


 一度引いた左手を前に出す。


「パ~」


 小学生並に卑怯な手である。


「「日野……」」


 しかしそれを傍から見ていた監督とキャッチャーが目を伏せ、日野が頭を抱えていたのは別にそれが理由ではない。


「新田君。なんで、チョキやねん」


 卑怯な手を使った結果、あっさりと読まれて負けてしまったのだった。


「後ろに引いた時にパーにしたのが見えたんで、日野さんの事だからやるなって確信がありました」


「うあぁ、いろんな意味で負けたぁぁぁ」


「仕切り直ししましょう。日野さん、最初はグー」


「ジャンケン、ホイ」


 春馬のフリに元気なさそうに日野が答える。今度は春馬がグーで日野はパー。


「なんやろ。この釈然としない勝ちは」


「勝ちは勝ち、負けは負けです」


 春馬に諭された日野は頭をかきながらも無理矢理に納得。


「監督、どないやろか? いつもどおりでええか?」


「いいんじゃないか?」


「ほな、大野山南は後攻や」


「だったら蛍が丘は先攻ですね」


 春馬は口の両端をわずかに釣り上げて微笑んだ。それはお互いに知り合いであって、今ここが和やかな空気であるからと言うだけでもない。彼自身が笑顔の可愛い監督を演じているわけでもない。思いは1つ。


 ここまでは予想通りの展開だと。


「それじゃあ、僕は道具の積み下ろしがあるので、そろそろ戻ります」


「あ、それと女子の更衣に関してはマネージャーに聞いてくれ」


「はい。うちの女子陣にも伝えておきます」


「じゃ、ええ勝負しよや」


「日野さんも。次は試合で、とは言っても1時間後くらいですけどね」


「因みに先発は鮭様かいな?」


「鮭様?最上のことか。それは言えません。一応はシークレットですから」


 ブルペンを出る前に1礼をすると、大野山南高校野球部員の視線を集めながらベンチの中を通って外へと出る。ようやく敵だらけの状態から解放され、小さくため息に見えないように一息つく。


『(先攻、か。勝ったとは言わないけど、幸先良好かな)』


 統計的な証拠など確実である理由は無いが、一般的には野球は後攻が有利と言われる。しかし蛍が丘高校は珍しく先攻派の野球部でもある。


 その理由としてあげられるのが、蛍が丘は甲子園で大量得点されたものの、基本的には打低守高チームであると言う点。守備に自信があるだけにリードされて相手を追いかける展開よりも、1点を守り抜く方が圧倒的に楽である。よって基本的には逆転展開などが少なく、ほとんどの試合で先行逃げ切りの試合となる。つまり先制点の価値が非常に大きいのだ。


 ではなぜ先制点の価値が大きいと先攻がいいのか。これはもはや自明の理でもあるわけだが、先攻は必ず攻撃イニング数が相手以上になる。そうなると、それだけ先制の確率が上がると言うものだ。


「どうだ? 先攻取れたか?」


「一応、な」


「上出来じゃないか。そういや、もうベンチのドア開いてるぞ」


「知ってる。さっき監督に聞いた」


 バックネット裏を通って1塁側ベンチ裏まで戻ってくると、軽トラから荷物の積み下ろしをしていた最上が春馬に気付く。一番に気付いて飛んできそうな近江はベンチの中にいるのであろう。


「むこうのエースはどうだった?」


「まぁまぁ、じゃないかな。もっとも……」


「ブルペンとマウンドでは違うかも、か?」


「さすがウチのエース。僕よりピッチャーの事は詳しいな」


「任せとけ。これでも小学校から続けてピッチャー経験は8年。しかも甲子園出場経験ありの」


「そのくせして球速は120そこそこ。球種も曲がらないシンカーひとつ」


「大きな変化球や速いストレートは才能も関わってくるかどうしようもないだろ」


「そりゃそうだ。残念ながら最上以上に才能に欠けた僕にいたっては、中学校の時点でピッチャーを諦めたわけだし」


 雑談をしながら1塁側ベンチへと入る。するといきなり……


「春馬く~ん。会いたか、ふぎゃ」


「鬱陶しい」


 拳骨1つ。


「うぅ、大事にしなきゃダメだよ?」


「仏の顔も3度まで。しっかりと覚えとけ。今のが3度目かどうかは知らん」


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――



 フェンス裏には女子高校球児目当てのマスコミ陣、さらに日野に注目のプロスカウトが集まっており、芝の敷かれた外野スタンドには大野山南の2軍と新入生たちが陣取る。蛍が丘の相手をするには日野啓二率いる大野山南高校1軍(3年生中心)である。


「強そう」


 近江の端的な感想である。先攻の蛍が丘高校は試合前ノックを終わらせ、後攻の大野山南高校の試合前ノック中。非常に動きが俊敏であり、甲子園出場候補としては妥当な実力を持つようにも見える。だが、何よりも甲子園出場候補と言われる要因は彼らではない。


「日野さん。調子はそこそこってところか」


「球速的には140弱ってところかな?」


 楓音は3塁側フェンスの向こう側。ブルペンへと目をやりながら彼の投球に注視する。しかしやはり遠目でありフェンス越しのため、あまりはっきりは見えない様子。


「そんなところだろ。過去最速は142らしいけど、怪我明け復帰登板でいきなりそれはないだろうよ」

 あまり速くはないが、日野の真骨頂は変化球とコントロール。ストレートで三振を取るようなピッチャーではない。


「勝てる、のかな?」


「楓音。弱気はダメだよ。何としてでも勝たないと。負けたら廃部」


「廃部は無いけどな」


 勝手に窮地に追いやる近江へと冷静かつ鋭いツッコミ。


「だけど」


「「「だけど?」」」


 ベンチ内8人からこだまのように戻ってくる繰り返し。


「勝てない相手じゃない。だからこそ相手に大野山南を抜擢したんだ」


「そう言えばそれ前々から言ってるけど、どういう意味なんだ?」


 ファーストミットを開け閉めする寺越。春馬は視線をグラウンドから逸らさない。


「とにかく、全力でやるだけ。結果と理由は試合終盤で分かる」


 大野山南の選手が引き始めたのを見て立ち上がる。


「さぁ、円陣組むぞ」


 彼に続いてベンチ前へと8人の部員が出てくる。そして肩を組んで円を作る。昔は肩を組んでなどいなかったのだが、「そっちの方が青春っぽい」などというわけのわからない理由をキャプテン近江が提唱し、それが様々な経緯を得て採用されたのである。


「あの甲子園大会以降で最初の試合だ。いろんな人も見に来てるからな。ただの練習試合じゃないぞ」


 8人が一斉に頷く。


「サイン確認な。これがバントで、これがエンドランな。それで……」


 一旦組んでいた肩を解き、いくつかのサイン確認。


「以上だけど、基本的にはノーサインで、盗塁も|ランナーの判断に任せる《グリーンライト》」


 そこから間をおいて、春馬は深く深く息を吸い込み、それを短時間で一気に吐き出す。


「絶対に勝つぞぉぉぉぉぉ」


「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉ」」」


 朝9時前。早朝の島根に男女9人、若き高校2年生の声が響き渡る。


『先攻の蛍が丘高校。先発オーダーの発表を行います』


 それに一歩遅れてスピーカーから大野山南高校女子マネージャーの声。


『1番、センター、大崎君。2番、レフト、因幡君。3番、ファースト、寺越君。4番、サード、猿政君』


 ここまでは普通の高校野球らしいオーダーだ。しかしここから蛍が丘高校特有のメンバーが名を連なる。


『5番、セカンド、近江さん』


 これで1年目とはいえ、初めて見た人にとっては正気の沙汰とは思えないオーダー。男子にパワーで劣るはずの女子がクリーンアップの一角である。


『6番、ショート、新田春馬君。7番、ライト、新田楓音さん』


 続く打順は新田コンビ。


『8番、キャッチャー、皆月君。9番、ピッチャー、最上君』


 そしてラスト2人はバッテリー。


 春のセンバツと同じオーダー。しかし5番に女子高生・近江が入っていることが何よりもこのオーダーのバカらしさを際立たせる。


 一方の大野山南高校はと言うと……


『3番、ピッチャー、日野君。4番キャッチャー……』


 プロ注目のピッチャーであり、さらにはバッターとしても目を引く日野が3番。状況は知っていながらも知らないも同然。全力でつぶしにかかってきている。


『(ま、その方がこちらとしては好都合だけどな)』


「よっしゃ。全員、ベンチ前に並べ。試合始まるぞ」


 1塁側ベンチ前に蛍が丘野球部9人。3塁側ベンチ前に大野山南野球部18人。そして3塁側ベンチよりややバックネット方向にいるのは、審判を務める大野山南野球部のベンチ外メンバーだ。


 腕時計を見ながら時間を計る主審の男子部員。そして突然に顔を上げると一言だけ発してホームへと走り始めた。


「集合」


「元気出していこうぜ」


「「「おぉぉぉぉ」」」


「本気でいこうや」


「「「よっしゃぁぁぁ」」」


 両チームの選手が飛び出し、ホームベースを挟んでそれぞれ1列に並ぶ。そうしてみると明らかな体格の差が露呈する。蛍が丘には猿政と言う規格外な体型もいるが、彼を除けば大野山南と比べて全員小柄体型だ。


 主審はそんな彼らと、見知った仲間を目に入れて宣言。


「ただいまより、先攻・蛍が丘高校対、後攻・大野山南高校。練習試合を始めます。選手、礼」


「「「お願いしま~す」」」


 スタンドからの音には拍手にシャッター音が混じる。


 顔を上げた後も春馬と日野は睨みあい、そして2秒ほど間をおいてお互いの持ち場へと走っていく。


「よし。みんな、先制点取るぞ」


「ほな、無失点に抑えようや」


 日野も含めて大野山南高校のナインが各々のポジションへ。蛍が丘高校は最上が3塁コーチボックス、皆月が1塁コーチボックス。大崎は左バッターボックスの横で日野の投球練習を見つめる。


『(新田君の指示は、方法は問わないからとにかく出ろ。左腕の変化球投手を相手にそれは過酷な指示を)』


 あまり速いようには思えない。これなら春のセンバツで戦った龍ヶ崎新都市学院のエースピッチャーの方が明らかに速い。


 投球練習、キャッチャーの2塁送球練習が終わると大崎が打席へ入る。そこで主審は右手を挙げる。


「プレイ」


 直後に日野は頷くなり、振りかぶっての投球モーションに移る。非常にきれいな動きから、左腕をムチのようにしならせてボールを投げだす。


『(打てる)』


 1番だから見ていくなどと言った考えはない。初球からでも甘い球は打っていく。


 大崎はアウトローのややボール球ストレートを叩く。打球はサードの頭を越え……


「アカン」


「よし、抜けたぁ」


 振りかえる日野と、片手でほんのりガッツポーズの大崎。


「ファール」


 しかし3塁審の両手が上がった。スライスした打球はギリギリ3塁線を割ってのファールボールだ。大崎はほんのりガッカリ気味に止まってバッターボックスまで戻ると、バットを拾ってくれたキャッチャーに礼をして再び打席へ。


『(できれば初球攻撃でなんとかしたかったけど……次はおそらく変化球だろうし)』


 その大崎の予感は的中した。2球目はインコースいっぱいのボールになるシンカー。3球目は低めワンバウンドのボールと連続して変化球。4球目は甘いコースであったが、チェンジアップにタイミングを崩され、1塁線を割るファールボールとカウント2―2と追い込まれてしまう。


『(あれほどの変化球投手。きっとウィニングショットは変化球。フォークか。シンカーか。それとも……)』


 5球目。日野は人差し指と中指を縫い目と平行に掛けた握りから、中指でボールを切りつつ、指の付け根で押し出す。振り降ろされた左腕から放たれた投球はアウトコース低めのハーフスピード。


『(打てる。抜け球……えっ)』


「ストライクスリー」


 アウトコースでワンバウンド後、キャッチャーは捕球後に大崎へとタッチ。


「バッターアウト」


 走るのが遅れた大崎はアウト。記録的には空振り三振だ。


「……大崎、惜しい」


「う、うん」


 ベンチに戻りながらも大崎は最後の変化球の軌道を思い出さずにはいられなかった。いや思い出せない。途中からボールが消えたように見えたのだ。


「大崎君。どうしたの?」


「多分だけど外のスライダーかなぁ」


 近江の予想に首をかしげながらバットをしまう大崎。


「日野さんのスライダー。自称・ジャイロボールか」


「え?あれがジャイロ?」


「そう。お前が最後に三振したあれが日野さんのジャイロ」


 春馬は非常に簡単に口にする。


 ジャイロボールと言えば、投手と捕手を結んだ線を中心にらせん回転をする球。アニメや漫画においては空気抵抗が無い=ストレートほど落ちない=浮くように見えるなどという考えの結果、手元で浮いてくる魔球ストレートのように表現される。しかし……


「実際問題、ジャイロは空気抵抗が無いのは一理あるかもしれんが、その一方で普通のストレートに働く揚力が存在しないからな。あんな魔球じみた浮くストレートなわけねぇ。そもそも無理に変な回転掛けると球速落ちるし、150、160のジャイロ投げれるくらいなら、180のストレート投げれるだろ」


「さすがジャイロ2世」


 皮肉なのか本気で褒めているのか分からない近江。しかし言っていることは間違いではなく春馬の持ち球が、去年の春に日野から教わったスライダー変化のジャイロボールであるのは紛れもない事実である。事実ではあるのだが、一方でジャイロボールとは言い難い面もある。ジャイロボールは理論上、真下に落ちるフォーク軌道。しかし日野や春馬のジャイロボールはスライダー変化。それは回転軸が少しずれて横変化成分が出ているからなのだが、要するに純度100%のジャイロボールではないのだ。


「ま、ジャイロジャイロって言っても、要は球速120後半のスライダー。9イニングもあれば後半には打てる。たかがジャイロだ」


「されどジャイロだよね」


「やっぱり近江か。言うと思った」

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