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蛍が丘高校野球部の再挑戦 ~悪夢の舞台『甲子園』へ~  作者: 日下田 弘谷
第1章 復活戦!! VS強豪・大野山南高校
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第3話 近江の好き嫌い

「ただいま~」


 入学式翌日。4時間目が終わっての昼休憩。春馬・最上・楓音の3人がクラスメイトの机を借り、一か所に固まっての昼食中。近江がビニール袋を片手に教室に駆け込んできた。


「おかえり~って、お前、なんでまだ体操服なんだよ」


 振りかえった春馬は目を丸くする。4時間目は体育であり、普通なら終わってすぐに着替えているはず。現に春馬や最上の男子グループは教室で、楓音の女子グループは空き教室で着替え終わっている。しかし近江は左胸に『蛍が丘 近江』と書かれた体操服を未だに身に付けている。


「そう言えば近江ちゃん、着替えずに出て行ったような……」


 2日前の絶不調はどこへやら。楓音は完全復活を果たしいつもの調子に戻っていた。


「うん。売店が混雑しない内にパンを買っておこうと思って」


 それで着替えるタイミングを逃したようである。もっとも体操服の上から制服を着る手段をとれば、今すぐにでも着替え終わるわけだが。


 彼女は何食わぬ顔で自分の席に座るなり、持参した弁当箱をカバンから取り出して3人の元へと駆け寄り、そして楓音の隣の席へと座る。


「はぁ、疲れたぁぁ」


「疲れたって、今日は何もやってないじゃないか。せいぜい今年の授業予定とかチュートリアル程度だろ」


「そのあとの余った時間でのサッカーが疲れたぁ」


 春馬に反論して3人より遅れて2段の弁当箱を開けると、わざわざ音をさせて手を合わせ「いただきます」と口にする。弁当箱の中身は1段目に白ごはん、2段目には大量のおかず。さすがに男子の弁当よりも量は少ないが、同年代女子としてはかなり多い方だ。さらに忘れてはいけなのが、それにくわえて売店で買ってきたパンがあることだ。


「それなら他の女子とドッチボールでもしてればよかったのに。わざわざ男子の中に入らなくても」


「男子とスポーツしてる方がレベル高くて楽しい。女子のドッチボールなんてワーキャー言いながら逃げてるだけだもん」


 ワーキャー言いながら逃げ回っていた楓音は近江から視線を逸らす。


「そう言う割には、近江は上手くなかったよな」


「したての横好き」


「『へたのよこずき』な。どうせ覚えるなら読みもしっかり覚えとけ」


 春馬がさらに訂正。するとその流れに最上が便乗。


「新田は新田で凄まじすぎたけどな」


「何が?」


「本気のサッカー部からボールを奪って、味方ゴール前から敵全員をドリブル突破した挙句、ゴールに蹴り込むなんてサッカー部だろ。お前」


「小中学校だと、冬の時期は野球部でサッカーしてたからなぁ」


 春馬は口には出さないが、蛍が丘のサッカー部自体が大したことないのも一理。


「サッカー部よりもサッカーが上手い時点で、そういう次元の話じゃないよな?」


「不公平だと思う。勉強もできて、スポーツもできて、そこそこ恰好いいって、なんとか超人すぎる」


「案ずるな。勉強は全国レベルなら偏差値60足らず。得意なスポーツは野球とサッカーで、それ以外は壊滅だ」


「例えば?」


 最上の振りに春馬は少し悩みこむ。


「ドッチボールは春日虎綱(かすがとらつな)


 近江と楓音は誰それ?と首をかしげる。


「逃げの達人か。よくその名前を知ってるな。学校で習ったわけでもないのに」


「映画で覚えた。それに友達に戦国大名がいれば、多少なりとも詳しくなる」


「戦国大名って、オイオイ。まぁいいけどさ」


 春日虎綱とは、武田信玄の重臣の1人。風林火山の『林』であり、主に撤退戦を得意とすることから逃げの弾正と呼ばれる。一見すると非常に情けないようなあだ名ではあるが、撤退戦の難しさからして十分すぎるまでの褒め言葉と受け取って差しさわりは無い。


「バスケはドリブルが上手くできないし、卓球は台の上に打ち返せないし、バレーはいろいろ上手くいかない」


「新田ってそんな奴だっけ?僕の印象だとウルトラ人間なんだけど」


「完璧超人なんているわけないだろ。得意なものは確かに人並み以上だと思うけど、苦手なものは完全に人並み以下。ならして平均値取れば平凡だろうよ。野球だってバッティングは壊滅。守備もエラーばっかしだからな。そもそも僕が完璧超人なら、日野さんはどうなる。プロ入り注目の高校球児で、なおかつ進学校の大野山南の特進クラスで偏差値65オーバーだぞ」


「そりゃそうか」


 最上が納得したあたりで、春馬が黙っている近江と楓音に気付く。少しマニアックな話についてこれなったもよう。2人を無視するわけにもいかず話を振る。


「近江の弁当は相変わらずバランス良さそうだよなぁ」


「食べる? あ~ん」


 近江は野菜炒めの玉ねぎとニンジンを箸で摘まむと、最上の口元へと伸ばす。


「いや、僕はいいや」


「じゃあ春馬君? あ~ん」


 続いて春馬へと箸を伸ばすが、彼は視線を自分の弁当に落とす。


「お前が食えって。つーか、絶対に野菜食べたくないだけだろ」


「ち……違うよ?」


「嘘つけ。わざとらしい間を空けやがって。しかもわざわざ摘まんだものを口に入れずに弁当箱に戻すあたり間違いない」


「ふぉんふぁふぉほふぁいお?」


 卵焼きと白ごはんを口に詰め込む。そしてしっかりと咀嚼して、最終的にはお茶で流し込んで口を空にする。


「病気になっても知らんぞ?」


「へへん。病気にならないもん」


「バカは風邪引かないってか?」


「夏風邪はバカが引くけどな」


 近江の揚げ足を取る最上と、揚げ足の揚げ足を取る春馬。


「うぅ、春馬君と最上君が病気になった方が大変だよ? ピッチャーだし。春馬君は監督もやってるし」


「近江が病気になったらもっと大変そうな気が……」


「え? 春馬君、心配してくれるの?」


「「「無理して練習に来た結果、全員に感染させる」」」


 一字一句違わない3人の反応。感動すら覚える大合唱に、果たして近江は驚けばいいのか、それとも内容に落胆すればいいのか複雑だ。


「近江ちゃん、さすがにそこまで野菜食べないと、病気で夏大出れなくなっちゃうよ?」


「でもぉ、野菜おいしくなくて嫌いだもん」


「「「子供?」」」


 彼女は野菜が大嫌いな様子。この調子だと家でも食べていないのだろうが、それでも去年は無遅刻無欠席(野球部の試合などによる公欠は除く)なのだから、本当にバカは風邪をひかないのではないかという考えも浮かぶ。もしくは風邪を引いているのだが気付いていないだけと言う可能性も否定できない。


「野菜食べないと太るぞ?」


「いいもん。体重増えたらホームラン打ちやすくなるし」


 体重を増やしたいとは、年頃の女子にあるまじき発想。


「動きが鈍ったらセカンドから外すぞ?」


「嫌だぁぁ」


 春馬が警告すると近江は本当にセカンドから外されるのが嫌なのか、野菜炒めを見つめ始める。気持ち的にあと少しのところまでくるもなかなか踏み出せない。そこで最上がダメ押し攻撃に移る。


「新田」


「ん?」


 最上は隣の春馬を呼ぶと、口元を隠しながら耳打ち。春馬はときどき頷きながら聞いていたが、すぐに頷かなくなくなる。


「う~ん。マジでやらなきゃダメかな?」


「僕がやってもいいけど、新田の方が仲良いだろ?」


「そうだけどさ……仕方ないか……」


 春馬は箸を弁当箱の上に置くなり、近江の目の前に右手を出す。


「箸貸せ」


 近江が無言で箸を差し出すと春馬はそれを手に、自分の弁当箱の中からハムを1枚摘まんで取り出し、そこに近江の弁当箱の中から野菜炒めを入れて畳む。


「新田って器用だな」


「昔から服のボタン付けとか、ユニフォームの背番号縫い付けとか、破れた練習着の補修とか自分でやってたからな。被服なり、料理なり、こういう細かい作業は慣れてる」


 言いながら準備を終えると、それごと摘まんで持ち上げる。


「近江。口開けろ。はい、あ~ん」


「あ~ん」


「よし。口閉じる」


 近江が口を閉じてから箸を抜き取る。それから噛み始める彼女は、始めこそおいしそうに食べていたものの、ハムに包んでいた野菜が出てきたあたりで顔が歪み始める。それをなんとかお茶で流し込んだ近江であったが……


「うぅ、玉ねぎが苦い」


「辛いじゃなくて?」


「辛くて苦い」


「ちょっと1かけらもらっていいか?」


 近江の頷きを待って、春馬は自分の箸に持ち替えてから近江の弁当箱からタマネギを摘まみあげて口に入れる。


『(……うん、うん、ん? 辛くないよな。これ、新タマネギだろ。かなり苦みや辛みは抑えられてると思うけど)』


 春馬は特別、辛さや苦さに強いわけではない。むしろ彼もカレーの好みはせいぜい中辛程度で、調子に乗って辛口のカレーを食べた時は1リットルの水を30分で飲み干したほどの舌なのだが、それでもあまりその手の味は感じない。


「近江ってかなり辛さとか苦さに弱いんだな」


「辛いのと苦いのは嫌い」


「ふ~ん。食べたくない?」


「食べたくない」


「じゃあ、食べきったらご褒美に頭撫でて、ついでにおかず1個あげるから頑張ってみろって」


「鶏つくね」


「はいはい。じゃあつくねを1個取っておいてあげるから頑張れって」


「頑張る」


 春馬は鶏つくねを1個だけ弁当のふたの上に置いておいて食事再開。その光景に楓音と最上は目を丸くする。


「最上くんの入れ知恵?」


「いいや、僕が新田に言ったのは、『野菜をハムにでもくるんで食わせてやれ』の話までなんだけど」

 つまり頭を撫でるとおかずを1個あげる件は春馬の自己判断と言うことになる。


「面倒見が良すぎるような」


 サバの骨を取り除きながら会話を続ける楓音に、春馬はライスを食べつつ返す。


「そりゃあ、近江の相手を1年間もやってれば多少は面倒見くらい」


「なんだか子ども扱いされてるような……」


 答えるは、頑張って完食を目指す近江。


「近江はいろんな意味で高校生には不相応だからな」


 未熟と言う意味で言えば体の事全般に性格的な面。普段は寂しがり屋で人懐っこく、甘えん坊でそして泣き虫。人肌を求めたがる子供っぽい性格である。大概は後攻に入って最初の友人と言うだけで、春馬が甘えたり泣きついたりする対象である。


 成長しすぎと言う意味で言えば野球の技術面。体格に恵まれない以上、どうしても筋力などに頼らない技術一本の方向性になるのは必然でもある。しかしどう考えても同級生の高校生、それどころか高校生以上ではなかとうかと思わざるを得ない技術を持ち合わせる。


「新田の図太い神経の方が高校生不相応な気がするけど?」


「最上の頭の方が高校生不相応だろ。お前は諸葛亮孔明か」


「そこはせめて羽州の狐と言えよ。せっかく漢字だけなら名前同じなんだから」


「と言う事は、相応なのは私だけかな?」


 1人勝ちしそうな楓音に、そうはさせない春馬。


「楓音。好きな野球選手は?」


「阪神の永久欠番で村山実。それと二刀流の景浦。村山実だったら投げ方のモノマネもできるよ? 腕を振り下ろした後、右足をグッと地面に突き刺すように……」


「お前も年不相応だな」


 まっとうな高校2年生はこの4人の中にはいないという結論に達した。


 この話もある程度オチに向かうと、しばし無言の空白があった後に弁当を食べる。そこで最上が静かな空気に耐えられなくなって今まで温存していた話題を引っ張り出す。


「で」


「で?」


 弁当を半分ほど食べきった春馬は箸を止めて、お茶を飲み干す。


「なんか、面白いマンガとかない?」


「これまた唐突な」


「いや、だってさ。普段から口を開けば野球の話がメインだろ?他に話すならだいたい勉強の話だし。それ以外に何かないのかよって」


「悪いな。僕はマンガを読まないタイプでな。ガリ勉ではないけど、家にあるのはほとんど野球の本と参考書だ。楓音と近江は?」


「「野球漫画」」


「最上。この話はやめよう。野球の話に帰結しそうだ」


「だな。じゃあどうしようか」


 最上の言うように口を開けば勉強と野球であった。


「他に野球と勉強以外と言えば……」


「う~ん。家族の話とか?」


「何が悲しくて友達と家族の話をしないといけないんだよ」


 楓音の提案も最上が即却下。


「恋バナとか?」


「「「……」」」


「やめようか。誰も話にならなそう」


 最上の提案も無言をもって続かないと判断した春馬が却下。


「だったら~、どんな人がタイプか、とか。これなら経験なくてもOKだよね」


「修学旅行じゃあるまいし」


「そうだなぁ。僕は……」


「言うのかよ」


 最上は既にはっきりとした好みがあるようで、自分の夢を話し始める。


「幼なじみかなぁ。アニメでよくある暴力的な奴とか、ツンデレとかじゃなくて、感情はストレートなタイプ」


「近江とか感情はストレートだろ」


「感情はストレートだけど、近江は性格的に言えば妹系じゃないか?どちらかと言えば楓音に感情のストレートさを足したあたりが僕の好みだな。新田は?」


「僕はだな……性格的には分からないな。合わないと思っていた人と合うこともあるし、合うと思っていた人と合うこともあるし。それよりも性格とか趣味とかを認め合える仲の方が良いかな」


 やはり高校生不相応な何か深い回答である。


「質問なんだけど、男子的には見た目ってどうなの?」


 近江が食べることに集中しているために、時折近江が口を突っ込む以外話は楓音と春馬・最上の3人が中心になり始める。


「見た目?どう言えばいいのか分からないな」


「性格第1なのか、見た目第1なのかみたいな話なんだけど」


 楓音の補足になるほどと手を打つ最上。


「僕は性格7割・見た目3割。性格優先だけど、なんだかんだ言っても第1印象は大きいだろ」


「最上って、意外と恋バナ好きなのか?」


「嫌いじゃないけど特別好きでもないぞ。ただ野球以外の話に比べればまだできないわけでもないかなって程度」


「あと最上にできそうな話と言えば近所の伊達さんの話とか?」


「そうそう、僕の家の近所の伊達さんなんだけど、息子の政宗がどうもアニメの影響で眼帯にはまったらしくて。景綱がその件に関して相談を……なぁ、誰かツッコんで?」


「「えぇ、面倒くさい」」


「おい、新田コンビ」


 ため息を吐く春馬&楓音にうるさくツッコむ最上。


「話を振った僕も悪いと思うけどさ、政宗とか景綱とか最上の嫁の義姫とか知らんし」


「名前は知ってるじゃないか。つーか、義姫は義光の妹。輝宗の嫁で政宗の母親」


「へぇ。最上くん、妹いたんだぁ」


「いや、そう言う意味じゃなくて、あぁ、本当に面倒くせぇぇ」


 さすがの最上。戦国武将・最上義光(もがみよしあき)の身辺情報はきっちり頭に入っているようだ。


 そんな時だった。いままで少ししか話に入ってこなかった近江が話し始めた。


「春馬君、春馬君」


「どうした?」


「食べ終わったぁ」


 近江が主張する弁当箱の中はきれいになっており、野菜炒めがあった場所も今は何も残っていない。


「食べれたじゃん」


「頑張ったからご褒美」


「はいはい。じゃあそこのつくねを」


「あ~ん」


「自分で食えよ」


「箸を出すの面倒」


 驚異の早食いで完全に食べ終わった近江は、既に箸を片付けていた。


「仕方ねぇな。はい、あ~ん」


「あ~ん、はぷ」


 春馬が自分の箸で近江の口の中に入れると、彼女は幸せそうに噛みながら頭を下げる。


「お前はこういうことだけは記憶力いいんだな」


「えへへぇ~」


 頭を撫でられた近江はさらに幸せそうな顔に変わる。


「なんだかんだ言って食べさせてあげたり、なでたりするところ、新田も満更じゃなさそうだな。そこんとこどうなの?」


「だってやってやらないと後々うるさいし」


「その通りっちゃあ、その通りか。ところでさ」


「まだ何か?」


 わずかに残った弁当を食べ始める春馬に、最上は右手で彼の箸を指さす。


「それ」


「箸がどうした?」


「間接キスとか考えたりした?」


「……」


 静かに箸と弁当箱を置くと、右拳を勢いよく上に掲げて振り下ろす。


「くたばれ、野良狐ぇぇぇぇ」


「キュ~~~~ン」


 最上義光・討死 神の国・出雲の地に散る


「まったく考えてなかったというのに。せめて食い終わってから言えよ」


「春馬君は気になるの?」


「そりゃあ、気にならなくもない」


 春馬はこれが近江との間接キスになるんだよな。と、かんがえないように努力するもかえって考えてしまいながら食事継続。唯一の救いはかなり残りの量が減っていた事だろう。とにかくなんとか食べ終わった春馬は、大きく深呼吸しながら弁当箱と箸をしまう。


「そ、そこまで?」


「そりゃすげぇ食いにくいだろうよ。まだ気付いてないならともかくさぁ」


 もしかして嫌われているのではないかと間違った考えに向かう近江。そこで楓音がふと思いつく。


「ねぇ、春馬くん」


「余計な事じゃないよな?」


「違うと思うけど、気になるなら箸をひっくり返して食べればよかったんじゃ……」


「なぜそれを早く言わないんだ……」


 それに気付いて頭を抱える。


「ご、ごめんね。私も今さっき気付いたことで」


「いや、いいんだ。これが全て悪いんだ」


 指さすのは狐の死体。


「春馬君が気にしすぎなんじゃない?赤の他人としたならともかく、私と春馬君は親友だし大丈夫だと思う」


「そう言う問題じゃないんだけど」


 親友だとか親友でないとかの問題ではなく、異性同士でやったことが問題なのだ。同性ならいいのかと言う問題に関してYESと言うとこれまた語弊がある可能性が存在するのだが、少なくともNOではない難しいところ。


「でも、『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って言うし、過ぎた事を気にしても仕方ないと思うよ?」


「近江ちゃん……その言葉を知ってるのは凄いと思うよ。とっても凄いと思うよ?でも」


「残念なことに意味が全然違うんだよな」


「はぷ、そーはほ?」


 弁当箱を片付けるなり買っていたジャムパンを、大口を開けて食べ始める。


「あ、春馬君。さっきのお礼。食べる?」


「やめとく」


「ジャムパン嫌い?」


「嫌いじゃないけど今はいい」


 あれほど間接キス騒動があった後だというのに、平然と勧めるあたり近江は本当にその手のものを気にしていないのであろう。彼女は不思議そうに首をかしげながらも、パンを食べ進める。


「はっ。僕は今まで何を……」


 わざとらしい記憶喪失を演じながら起きあがる最上に、春馬はトンボの目を回すように人差し指を彼の前で回転させる。


「お前はついさっき伊達政宗に敗れたところ。すぐに追手が来るぞ~」


「な、なんだと? 伊達め。盟友だと言うのに攻め込んできたのか?」


「そうだ。政宗は1万の軍勢を率いてお前を討ち取りに来たんだ」


「……引っかかるわけないだろ。いってぇな。マジで気を失ってたぞ」


「んなわけあるか。実際、そんなになるまで殴ったら病院行き確定。小学生の死にかけた発言並に説得力ない」


 そうは口にしながらも気になるのか、頭の殴ったあたりに手を当ててチェック。出血もなければたんこぶができている様子もない。痛かったには痛かったのであろうが、これと言って外傷はないように見える。


「春馬君の拳骨痛いもん。殴られたことあるから分かる」


 その時の光景を思い出して頭を両手で隠すのは、春馬から週3以上のペースで拳骨を落とされている近江。


「へぇ。そんなに痛いの? 私は殴られたことないから分からないなぁ」


「不公平」


「不公平って。だいたい殴られる時って近江ちゃんが悪いわけであって、私にはどうしようも無いような気が。それに殴られたくないなら距離を置けばいいんじゃない?」


「だって殴ってくることもあるけど、なでなでしてくれる時もあるし、優しいもん。春馬君みたいな人、大好き」


「はいはい。どうも」


 面倒くさそうに目を閉じながらあしらう。


「時に話は戻るけど、近江ちゃんって恋人いたことあるの?春馬くんみたいに親友として好きな人じゃなくて、恋愛的な意味で好きな人」 


 近江は一般的な女子と比べれば、やはり普通ではない。見た目で言えば男子ウケの良さそうで、保護欲をかきたてる顔やスタイルだが、口を開けば野球の話。男女でどうしても壁ができる中学時代も常に男子の輪の中。これも別にモテていたという意味ではなく、バッティング時の体重移動や守備時のポジション取りなどの野球談議に花を咲かせていたからである。


 しかし近江はわずかに口の端を吊り上げる。


「いるよ?」


「「「マジで?」」」


 過去形ではない。現在形だ。


 近江は息を吸い込んで自信満々に、


「野球が永遠の恋……」


「しっかし、新入部員0は辛いなぁ。一応、2年生だけでも試合に出れるからいいけど」


「たしかにそうだね。控え0ってことは、誰か1人怪我したらその瞬間に終わりだもんね」


「今年も僕と新田のリレーで逃げ切ることになるのか。新入生のピッチャーを期待していたというのに」


 全員無視。


「あ、あの、みんな? 私、野球が永遠の……」


「僕が思うに、試合直接の意味じゃなくて、ランコーにスタメンが出なくちゃいけないのが」


「あぁ、それは確かに厳しいかもね」


「ピッチャーから帰って即ランコーとか、今年もやらないとダメなのか」


「ちょ、み、みんな。話聞いてよ」


「よ、よ、よ、横浜」


「マイク」


「クオリティスタート」


 近江の『野球が永遠の恋人オチ』を意地でも言い切らせない3人の連係プレー。会心のオチを潰された近江は注意を引こうと手を振るも、しりとりを始めてしまった3人はまったく反応しない。


「カレー」


「レンジファクター」


「田んぼ」


 もはや近江は蚊帳の外。高校生による本気のしりとりが徐々に加熱していく。


「バント」


「得点圏打率」


「ツーベースヒット」


「盗塁」


「インフィールドフライ」


「インターフェア」


 さらに意地になった野球部監督、博士、キツネの2人&1匹は野球用語限定に切り替える。


「ねぇ、ねぇ。無視しないでよぉ」


「なんか用?」


 春馬の体をゆするとようやく反応。


「野球は永遠のこ……ごめんなさい。恋人いない」


 くだらないプライドを捨てて本性を現した近江。何はともあれ昼休憩の騒動は、そんな彼女によって終わりを告げた。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 蛍が丘高校は底辺の高校である。


「要するに、この集合Aは集合Bの……」


 2年4組の教室では、数学教師が問題説明をしているがそんなこと聞いている人はほとんどいない。聞いているのはせいぜい楓音のような真面目なタイプか、大野山南高校の受験に失敗して蛍が丘高校に来たような学力上層部メンバーのみ。


 そして学内テスト成績1位の春馬はと言うと。


『(えっと……貿易黒字。と言う事はCが日本か? それで、食料品輸出のあるBがアメリカで)』

 数学の時間だというのに地理のセンター過去問を解いている。彼が学内1位の学力成績を誇るにも関わらず、進級も危ういほどの内申点しか取っていないわけがこれ。一般大学入試には一切の内申点が関係なく、センター試験&個別試験の点数が絶対的な合格判断基準。彼は1年生時点で内申点を捨て、自分流の勉強に切り替えているのだ。春馬にとって高校とは、野球をするための場所と、大学入学のための踏み台に過ぎない。


「というわけで、ここの問題を……新田春馬」


「楓音。任せた」


「え? えっと、えっと……必要条件」


 まったく乱されることなく前の席の楓音へと任せると、戸惑いながらも答えをひねり出す。


「コラ、新田」


「ご、ごめんなさい。間違えてましたか?」


「楓音の方じゃなくて春馬の方」


 彼に対して怒鳴り声を上げるも、反応はなく問題集と向き合っている。


「おい、聞いてるのか?」


「うるさいなぁ。今、センター過去問解いてんの。教師とあろうものが生徒の勉強の邪魔をするとは、本当に教員免許持ってんの?」


「あ、その、すみません」


「分かればよし」


 自分の方が正しいはずなのに春馬の話に反論するポイントが見当たらず、なぜか謝ってしまう数学教師。彼の発言を思い出しつつなんども考え直すのだが、隙がありそうでまったくもって見当たらない。


 ここで「今はセンター過去問を解く時間ではない」と言ってしまえば多少なりとも反論らしい反論にはなったものの、残念ながら春馬の反撃に気が動転した教師はその発想にいたることがなかった。


「ふわぁ。どうしたんだぁ?」


「も、最上(もがみ)。寝てたのか」


 灯台下暗し。目の前で寝ていたもののかえって気付いていなかった。


「先生。僕は『さいじょう』です。一応、下は『よしみつ』です」


「さ、最上」


「先生。名前間違えるなんて失礼なことしたんだから、ごめんなさいは?」


「ごめんなさい……あれ?」


 春馬に続いて寝起きの最上にまで手玉に取られる。


「そうじゃなくて、お前、寝てたのか?」


「寝てましたよ?」


「寝てましたって、そんな正直に……」


「あっ。閃いた」


「何を?」


「昼間の眠気と掛けまして、高校数学と解きます」


「その心は?」


「2時(二次)がクセモノです」


 どうやら最上は寝ぼけているらしい。口を開けたままで、うつろで焦点の定まっていない目が虚空を見つめる。


「どうしてウチの野球部はこんなにおかしな」


「野球部は変じゃない」


 教師に対して怒り立ち上がるのは、窓際・前から3番目の席に座っていた近江。バカにされたような発言に目を吊り上げて教師を睨みつけ、歯を食いしばる姿はいつもの彼女とは大違いである。


「で、近江の机にあるそれは何?」


 席に近づいた教師は彼女の机の上にある物を指さす。


「す、数学の本」


「はい、没収。授業後に取りにくること」


「あうぅ」


 数学の教科書に隠して読んでいたプロ野球名鑑を取り上げられた近江は撃沈。机にひれ伏してしまう。するとその直後に計ったようにチャイムが鳴り響いて授業が終了。


「やったぁ。名鑑返却ぅ~」


 授業後半を野球部の首脳陣3人衆に潰されて頭を抱える数学教師へと近江が駆け寄る。そんな彼女とは裏腹に、真面目に授業を受けていた楓音は後ろを振り向く。


「必要条件と十分条件が分からない」


 今日は1年生の復習だったわけだが、楓音は数ⅠAでぶつかる壁の1つにぶちあたっているようだ。あいにくその壁は、最上の謎掛けと一切関係のない場所。


「簡単な話。例えば、松江市は島根県であるための十分条件。その逆は必要」


「へ?」


「手紙を送ることを考えろ。島根県に手紙を送ろうとするとき、『島根県松江市』まで書けば十分すぎるだろ?松江市に送ろうとするとき、『島根県』だけでは不十分だけど、それは『島根県松江市』を特定するには必要なものの1つだ。つまり内の集合体は外の集合体であるための十分条件で、その逆が必要条件。OK?」


「うん。よく分かった」


「分かっていると思うけど、島根県に手紙を送るとき、『島根県』と書くのが必要十分条件。同じく島根県に手紙を送るとき『鳥取県』と書けば、いずれでもない」


「分かりやすかった」


 楓音は赤ペンを取り出してノートにメモを始める。


「一応、将来の目標は数学教師兼任で野球部監督だからな」


「その目標の半分は満たしちゃってるんだよね。就任約半年で甲子園出場のおまけつきで」


「少し宿題もおまけとして付いてきたけどな」


 センター問題集を片付けた春馬は一呼吸つきながら席を立つと、野球名鑑の奪還に成功した近江と、上手くもない謎かけを披露した最上の元へ。ついでに楓音も教科書・ノートを片付け、彼の後ろを付いてくる。


「おいおい、近江。授業中に野球名鑑なんて読むなよ。それだから赤点ばっかりなんだよ」


「そうだよ? 近江ちゃん、今度のテストは本当にヤバいんじゃない?」


 春馬と楓音の忠告に、近江はそっぽを向いてしまう。


「いいよね。勉強も運動も得意な天才は。私、まったく才能ないもん。馬鹿だもん」


「そうか? 少なくともお前に勝る野球の才能を持つ奴は、生まれてこの方見たことないんだけど」


 最上のフォローにも近江は耳を貸さない。


「案ずるな。この世になんでもできる天才や、なんにもできないバカなんかいない。いるのは一長一短の奴らだけ」


「そんなことないもん。春馬君、テストも野球もできるのに、私は家事も、勉強もできないもん」


「この前、言っただろ。僕は超人じゃないと」


 春馬は頭をかきながら人差し指を立てた。


「1つ、いい言葉を教えてやろう。『天才とは分かりやすい才能を持つ者。バカとは分かりにくい才能をもつ者。例え自分がバカと思っても悲観することはない。むしろバカは天才以上に希少価値のある力を得る可能性がある』」


「誰の言葉?」


 近江が首をかしげた。


「僕の父さん。因みに工業高校出身で一般企業に勤める万年係長」


「それって要するにどういう意味だよ?」


 今度は最上。


「今の日本だと、数学・国語・理科・社会みたいな学問の才能は分かりやすい。学力テストをやってるからな。でも例えば、将棋の才能は? 会社経営の才能は? スポーツで言えば、野球やサッカーの才能なら体育の授業で多少は分かるかもしれないけど、アメフトの才能は? ゴルフの才能は?」


「それでもある程度は分からないか?さすがに政治経済が分からない奴に会社経営は無理だろ」


「どうだかな。世の中には、『理屈で分かっていても実践はできない奴』と『実践はできるが理屈が分からない奴』ってのがいる。学問ってのはいわば理屈であって実践じゃない。つまり学問で全てを判断するのは、後者の才能を潰すことになる。もしも自分に才能が無いと思うなら、それは自分が自分の隠れた才能に気付いていないだけ」


「うわぁ。春馬くん、凄いこと言うね……」


「実際に言ったのは僕の父さんだけどね。でも僕も思うよ。近江が特に『実践はできるが理屈が分からない天性の野球センス保持者』だろ」


「でもそれだけペラペラ話せるって、さすが教員志望というか。そう言えば、教員志望って言うの、今日初めて聞いた気がする」


「志望大学の件があるから進路の先生には伝えてあるけど、楓音には言ってなかったな。そもそも言う必要性が無かったように思えたし」


「え? プロ行かないの?」


「行く予定はないな」


 近江は目と口を開け放つ。


「希望としては広大か岡大の教育学部」


「ひろだい?おかだい?」


「広島大学、岡山大学」


 広大・岡大の意味が分かっていない近江に、最上がさりげなく補足を入れる。


「春馬君とプロに行きたい」


「プロ志望届出さなきゃ断る以前に指名もないけど、仮に指名されても入団拒否だな。そもそも、どこが僕みたいな貧打の内野手が欲しいかよ。取るならもっと打てる奴を指名するだろうし。僕はおとなしく教師しながら、高校野球の監督やって甲子園目指すよ。プロは近江1人で目指せや」


「むぅ、1人でプロ目指すの寂しい」


「じゃあ、最上とでも一緒に目指しとけって」


「最上君程度じゃプロに行けないもん」


「え、そこまで酷いか? 僕」


 正面切って言われると非常にショックを受ける。


「一緒がいい。私がセカンドで、春馬君がショートで、日本球界ナンバーワン二遊間」


「最上。怠いから、お前、今日からショートな。近江と二遊間を組め」


「嫌だ。僕、ピッチャーがいいもん」


「「「気持ちわるっ」」」


「気持ち悪いのは認めるけどそこまで引くか?」


 近江の口調を真似した最上は春馬および女子2人、さらに周りにいたクラスメイト数名からドン引きされ、数秒ほど距離を置かれる。


「引く。すげぇ引く」


 最上を諭していると、近江が春馬の袖を引っ張る。


「春馬君は私の事、もしかして嫌い?」


「なんでまた?」


 目を潤ませる彼女に、彼は少し距離を離して聞き返す。


「一緒にプロに行きたくないのは、私が嫌いだから?」


「近江は人の話を聞いてる? 教員になりたいから。ついでに言えば高校野球の監督をしたいから。今もしてるし、続けたいが正しいのか?」


「じゃあ、私は嫌いじゃないの?」


「嫌いではないから安心しとけ」


「うん。安心する」


 近江は春馬との仲を再確認できて、さらに頭を撫でられて一安心。


「時に最上はプロに行く気はあるのか?」


「僕か? 行けたらいいけど、難しいだろうな。それよりも」


「それよりも?」


「NPBからの指名は無く、自棄になってメジャー挑戦。するとそこで大成功を収めて、最終的に世界大会でアメリカ代表として日本代表を抑え込む。みたいな日本球界への復讐展開とかできたら面白いと思う」


「はいはい、妄想だな。楓音は?」


「私は、できれば野球関係の仕事に就ければいいかなってくらい。NPBは当然だけど女子プロも難しいと思うし、球団職員になれればベストかなぁ?」


 大学進学の後の教員かつ野球部監督の春馬。プロ志望の近江。メジャー志望の最上。球団職員を含めて野球関係の楓音。夢の実現性としては上と下の差があまりにも大きい組み合わせではあるものの、みんな野球関係者の仕事ではある。


「高校球児なのにプロ野球選手を目指さないのはダメだと思う」


「近江、全国の高校球児の9割以上を敵に回したな」


 実際問題としてプロ野球選手になることができる高校球児は1年で3ケタにも満たない。プロ野球を目指す球児自体はそれよりも多いだろうが、ほとんどが名門校でレギュラーを張るレベル。名門校自体が少なく、そしてその中でもレギュラーを張れるほどの人は少ない事からして、本気でプロを目指す高校球児は全体の1割どころか5%もいれば多い方であろう。


「目指すだけなら自由だもん」


「否定しておいて自由を主張って、言ってることが違うぞ」


 言い換えれば目指さないのも自由だ。


 連続して春馬の揚げ足取りも、近江は一切の聞く耳を持たない。仮に聞いていたとしても、いったい何が矛盾した主張なのかは分からない可能性も少なからず存在はする。


「だからプロを目指すべきだと思う」


「ねぇ、近江ちゃん。なんで、そんなに春馬くんにこだわるの?」


「1番の親友だから」


「1番、ねぇ」


 近江が簡潔に楓音へ言い返すと、春馬は腕組み。


「近江って、他に友達いる?」


「春馬君と、最上君と、楓音と」


「野球部以外」


「えっと、えっと、えっと……」


 指折り数えようとする近江。一向に右手が開いた状態から1本も折られない。


「近江ちゃんもしかして……」


「まさか、な」


 楓音と最上も今まさに驚愕の事実を知る。


「因みに中学校からの友達でもいいぞ。ただし野球部以外」


「えっと小山君は野球部。市野君も野球部で、それで、えっと、ジェニファー」


「誰だよ?」


「トエルプリコの人」


「プエルトリコな。野球好きならそれくらいしっかり覚えとけよ。お前、さては野球部以外で友達いないだろ」


「そんなことない。それ言ったら、春馬君だって……」


「田中と佐藤と高橋と鈴木と斉藤と」


「そ、そんなよくある名前挙げてもダメだよ。そんな人いないって分かるんだから」


「ついでにクラスメイトの名前くらいも覚えておこう。3人ほど他クラスの奴もいるけど、半分は同じクラスだぞ?」


「だって、新クラスになったばっかりだもん」


「あれ?もしかして、前の学年での友達も?」


「あうぅ、意地悪ぅぅ」


 近江は春馬の胸を2度3度と弱く両手の拳で叩く。別に友達と同じクラスにならなかったという意味ではなく、本当にこの学校には野球部以外の友達がいないらしい。


「気持ちは分からんでもないな。僕だって小学校だと野球部以外に友達いなかったし」


「最上が?結構モテそうな顔と性格じゃないか?」


 意外な告白だ。あえて欠点を挙げると少し人を騙したりするのが好きだったり、目的のためには手段を択ばない節もある。が、春馬以上のモテ顔であり、普通にいる分には性格も気になるほどのものではない。


「文武両道のお前に比べれば負けだけど。中学以降であればそこそこはモテた。バレンタインとか本命チョコを2桁単位でもらった事あるし。僕が言ってるのは小学校以前、な」


 非常に意味深な強調。


「小学校以前ってことは、思春期に何かあったの?」


 教卓にもたれかかる楓音。思春期は異性を気にし始める、いわば精神的な成長期。その早さには個人差があり、早い人であれば小学校卒業・中学校入学の時期に重なることもあり得る。


「実はな、幼なじみの恋人がいたりしてな?」


「「「恋人ぉぉぉ?」」」


 3人の急な大きな声にクラス中の視線が一か所に集まる。それに気付いた4人は、マウンド上での会話のように小さく円を作り、唇を読まれないように手で口元を隠す。


「そういえばこの前、幼なじみが好みとか言ってたような。どんな子なんだ?」


 それ以降は声を可能な限りで押し殺し、4人の間柄だけで聞こえる最低限の声で話す。


「小さい、のは小学生だから当然か。当時のクラスメイトの女子と比べて同じくらいだったかな。具体的に言うのは難しいけど……ほんのり茶髪がかった髪で、ふっくらした感じの可愛い奴だったぞ?」

「で、で?どこまでやった?」


「ちょっと近江、ストレートすぎないか? 言ってしまえば、どこまでだろ。キスもしたし、一緒にお風呂とか入ったし、同じ布団でも寝たし。子供の約束とはいえ、結婚も約束したな。まぁ、幼稚園前からの長い付き合いだったし、恋人関係じゃない時からキス以外は普通にやってたけど。あ、キスって言っても頬に軽くな?」


 マウストゥマウスを想像した楓音は顔を真っ赤にし、心臓の鼓動が早くなり、体温が急激に上がっていく。一方の春馬はいつになく冷静で、近江はむしろ好奇心にあふれている。


「学校の行き帰りも一緒。因みに野球も好きで同じ少年野球チームに入ってたな。僕がピッチャー。あいつは6番で、試合によってライトかレフトでまちまち」


「上手かった?」


「打撃は巧打タイプ。守備は堅実。元々、運動神経自体は良くなかったけど、なんとか努力してレギュラーもぎとってた」


「へぇ。会ってみたいなぁ。今はどこにいるの?」


 近江の連続質問に最上は、机の上に出したままにしていた数学の教科書やノートをカバンに収め始める。


「中学受験前に別れた。今は、そうだな……」


 腕組みして悩むそぶりを見せる。


「近江にも分かりやすいように言うと、すごく遠い所にいる」


「近江にもって、まぁたしかに地理とか壊滅っぽいけど。しかし中学受験か。最上が、じゃなくて彼女がだよな?」


「当たり前だろ? 蛍が丘に来るくらいに勉強がダメな僕が、中学受験に合格するわけがない」


 最上は社会科を得意とするものの、あくまで蛍が丘レベルでトップクラス。全国的なレベルでは平均に毛が生えたと言った程度だ。


「会いたい?」


 近江の端的な問いに、一瞬だけ最上の手が止まる。


「会えるものなら、な。でも、あいつはあいつでもう新しい人生に踏み出してることだろうし、僕が関わることもないだろ。少なくとも僕は、いまだにあいつのことを思ってるよ」


 今の最上は普段の彼ではなく、口調や顔に優しい雰囲気が漂う。


「と言う嘘、にしてはスラスラ出てきすぎか」


「おぅ。掛け値なしでマジな話だぞ。マジだからこそ少しさみしいけどな。恋した相手と別れたんだからな。夢なら夢で空しいけど。そう言う事だから、特定の人物と入れ込むと他の友達ができないとか、仲良くなればそれだけ別れがつらいから別れたくないって近江の気持ちはよく分かる」


「仲間」


「だな。仲間」


 彼には珍しく、近江並の笑みを浮かべて彼女と肩を叩き合う。


「って、わけで新田。近江は大事にしてやれよ? お前にとっても大事な親友なんだから」


「卑怯なり最上。そんな話を聞いた後でNOって言えないだろうが」


「だてに羽州の狐・最上義光の名前を継ぎし僕ではないですよ? コンコン」


 両手に握り拳を作って手首を曲げる。キツネと言うよりは両手を上げた招き猫のようだ。


「そうだよ? 大事にしなきゃダメだよ。スリスリ~」


 自分の頬を春馬の腕に擦り付ける近江。春馬はいつものように払いのけたりせずに、鬱陶しがりながら少し身を引いただけにとどまる。


「僕が余計な事を言わなかったら……」


「墓穴を掘ったってとこか。近江も、ほどほどにしとけよ。多少なら新田も男子だから喜ぶだろうけど、あまりやってると鬱陶しがられるからな」


「は~い」


 最上の忠告に素直な甘い声での返事と同時に、担任が教室に到着。SHRと言う救世主により、春馬は近江の擦りつき攻撃から解放されたのだった。


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