第3話 バント攻勢?
「プレイ」
審判のプレイ宣告がかかり、総合鈴征バッテリー間でもサインがかわされる。
ピッチャーの足が上がり、その初球。
「ボール」
大きくアウトコース高めに外すスクイズ警戒のピッチドアウト。バッターの寺越も、ランナーの因幡もまったく動かず。
『(わざわざ春馬がスクイズはしないって大声で言ったのに……)』
寺越はボールを投げ返す立花を見ながら微笑む。
さらに続く2球目も、
「ボール」
アウトコース高めに外れるピッチドアウト。今度もバッター・ランナー共々動かず。
『(なるほど。そういうことか)』
あれほど大きな声で「スクイズはしない」と言えば、むしろかえって気になってしまう。するとカウントが不利になっていき、フォアボールの可能性が増す。フォアボールを避けて勝負しようとストライクを取りに行けば、ボールは甘い棒球になりがち。いずれにせよピッチャーとしては不利である。
『(だったら……)』
寺越は打席の最もピッチャー寄りに立つ。
『(カウント2―0。スクイズはしてこない。次はそれっぽいけど、これを外せば……)』
立花はスクイズの可能性を感じながらも、ここで外すことはできないためにストライクの指示。ピッチャーは頷き、ランナーを警戒しながらモーションを起こす。
『(あっ)』
ピッチャーは寺越がバントの構えをするのを見てしまった。とっさにボールを低めに投げ、ワンバウンドさせることでスクイズ対策のピッチドアウト。が、
「ボール、スリー」
寺越はバットを引いてカウントスリーボール。立花がなんとか体を張って止めたためにワイルドピッチにならなかったが、圧倒的に不利なカウントになってしまった事は否定できない。
『(ナイス、寺越。次は甘い球入れてくるかも。カウントスリーボールだけど、甘いなら思い切って打っちゃえ)』
『(了解)』
カウントスリーボールから1球見逃すのは定石。しかしその定石を逆手に取り、ノースリーからの甘いボールを狙い打つのが蛍が丘高校。総合鈴征は、定石通りの配球をしてしまった。
『(ど真ん中の棒球。も~らい)』
寺越は甘く入った緩いストレートを強打。打球はバックホーム体勢で前進していた内野手の間を抜いてライト前ヒット。3塁ランナーの因幡が楽々生還。
「よっしゃ。ナイバッティン、寺越。猿政、続けよ」
三連打で2点を取って逆転し、なおノーアウト1塁でバッターは主砲の猿政。さらにその後ろには一発のある近江、さらに打率は低めだがその割に出塁率が高めのクセ者・新田コンビが控える。
『(でらぁぁっ)』
猿政は立ち直ろうとしたピッチャーの初球を狙い打ち。インコースの甘い球を叩いた打球は、ショート真正面もあまりの痛烈な打球にボールを弾いてしまい猿政も出塁。記録はショートの強襲ヒットで4連続ヒット。
ノーアウト1・2塁。大チャンスでバッターは……
『5番、セカンド、近江さん』
「3塁に送る?」
「打って来い。自信が無ければ送ってこい」
「打つ」
5番の近江が右打席。一発が出れば怒涛の5連続ヒットで5点目。蛍が丘打線大爆発でビッグイニングになるだろう。
春馬はネクストバッターサークルに入りながら今後の作戦を考える。
『(近江がホームラン打てばいいけど、仮に三振だったらどうするかな。バントをしても次は楓音と皆月だし。強行策を取っても下手すりゃゲッツー。僕として一番気楽に打席に入れるのは、近江がホームランかゲッツーかなんだけど……)』
「って、あの馬鹿ぁぁぁぁ」
冗談交じりでゲッツーとか言った結果、近江は2球目のアウトコースボール球に手を出してファーストへの速いゴロ。
「ゲッツーだけはやめろぉぉぉ」
春馬の切なる願いは届くのか。ファーストは捕球するなり2塁へと送球。鈍足の猿政は間に合わずにアウト。さらにショートが1塁へと送球。
『(間に合ってぇぇぇぇ)』
近江が1塁へ頭から飛び込む。すると、
「セーフ、セーフ」
ショートの送球が逸れ、ファーストの足がベースから離れて間一髪のセーフ。
「ふぅ、危なかったぁ」
安堵のため息を漏らす近江。
「本当だな。今日は向こうのショートの守備が荒れてて3回助かってる。もしも向こうのショートが新田だったら、出塁3つ、こっちが損してる。もしかしたら大崎のプッシュも損してるかもな。ともかくナイラン」
落ちたヘルメットを拾って近江に手渡しする最上。直後にアウトになった猿政とランナーコーチを交代する。
『(本当に助かったぁ。春馬君、怒ってないかなぁ?)』
恐る恐る春馬の方へと目を向ける近江。すると春馬は特に怒っている様子もなく、平然とあるサインを出した。
『(よかったぁ。春馬君、怒ってなかったぁ。それでサインは……)』
そのサインを見た瞬間、近江の顔が歪んだ。
『(本気で?)』
思わず聞き返したくなるサインだった。
キャッチャーの立花は打席の横でサインを出す春馬を見ながら悩んでいた。
『(あれは何かのサイン?いや、でも、ベンチでも何度かサインを出してはいたけど、特に何も仕掛けてきてないこともあった。ダミー?)』
彼の頭はこんがらがってきたが、むしろそれで潔くなれた。
『(ええい。スクイズ警戒だけど勝負。勝負でいこう。もしも内野ゴロならセカンドゲッツーが取れる。ゲッツーを恐れてランナー走らせたら僕が刺してしまえばいい)』
ストライクゾーンにミットを構える立花。ピッチャーがセットポジションに入ると、サードランナーの因幡とファーストランナーの近江がリードを取る。
ピッチャーは近江のリードの大きさだけ確認しておき、左足を上げた。それと同時に近江が動いた。
『(1塁ランナー走った。盗塁)』
立花は近江に目を向けた。が、遅れて春馬がバントの構え。
『(しょ、初球スクイズ?)』
ピッチャーの投球は低めのストライク。完全にやられた。
が、総合鈴征に勝利の女神がほほ笑む。
春馬がバントを空振りしたのだ。
『(よし、儲け~)』
立花はボールを捕るなり3塁ランナーを挟みにかかった。
ランナーは2塁に残るだろうが、2アウトを取ってしまえばどうにでもなる。
かと思った瞬間。
「え?」
立花は3塁ランナーを挟もうとしていたが動きを止めた。3塁ランナーが動いていない。1塁ランナーの近江が2塁へと滑り込む。
『(サインミス? 3塁ランナーがサインを見逃した?)』
だとしたらあまりに運が悪すぎる。そこでふと春馬の顔を見た立花は気付く。
スクイズを失敗したにも関わらず、悔しそうな表情ではない。むしろ微笑。
『(もしかして、偽装スクイズ?)』
だとしたら説明が付く。
偽装スクイズとは、ランナー1・3塁において1塁ランナーのみスタートし、バッターがスクイズのフリをしてバントを空振り。キャッチャーがバントを失敗したと勘違いして3塁ランナーを挟もうと注意を引かせることで、1塁ランナーの盗塁を助ける作戦である。
『(まさかそんな策を使ってくるなんて)』
この回は様々な策を駆使して打線が繋げられている。プッシュバントにバスター、スクイズ警戒の裏をかく強行策、偽装スクイズ。だが総合鈴征としても黙って見ているわけにはいかなかった。
「立花」
監督がキャッチャーの立花にサインを送る。彼はそのサインを受け取ると、やや悔しそうに立ち上がった。
「敬遠、か」
春馬も残念そうに力を抜く。ここで春馬が歩かされれば、1アウト満塁で楓音・皆月・最上と下位打線。塁を埋めることでゲッツーが取れる事、そして何より、どんな手を打ってくるか見当もつかないクセモノ・春馬との勝負を潔く諦めることで得点の可能性を減らすことができる。
「ボール、フォアボール」
特に敬遠球を無理やり打つような事もなく、春馬は歩かされて1アウト満塁。バッターは7番の楓音。内野はゲッツーシフト。わざわざバックホームせずとも、3塁や2塁でもダブルプレーが取れるからだ。
「すみません。タイム」
「タイム」
春馬は1塁ベースに着くなり、1塁審判にタイムを要求。その場にしゃがんでスパイクのひもを結び始めた。別にほどけているわけではない。状況が状況だけに、これからの作戦を考える時間がほしかったのだ。
『(外野は前進守備シフト。内野はセカンドとショートが2塁寄りのゲッツー体勢か。ファースト、サードは定位置。まぁまぁそんなもんか)』
春馬はスパイクのひもを結んで立ち上がると、2人のランナーと楓音の視線が自分の方を向いているのを見てサインを送る。
ランナーもバッターもヘルメットのつばをさわって了解のサイン。
直後に投げられた楓音への初球はインコース低めに外れるボール球。
『(デッドボールを恐れないインコース攻め。それともコントロールミスかな?)』
次のサインを出しながらリードを取る。1塁ランナーである彼は、ファーストがベースに入っていないために大きめのリード。外野の間を抜ければほぼ100%ホームに帰ることができるほど。
「ボール」
続く2球目はアウトコースのボール。楓音はスイング始動しつつも途中で止めて見送り、カウントは2―0とボールが大きく先行。
『(さてと。しっかり頼んだぞ)』
『(うん。分かった)』
楓音は春馬のサインに了解サインを送り返し、大きく深呼吸して左打席に入る。打席の位置はもっともキャッチャー寄り。
ピッチャーがセットポジションに入ると、春馬、近江、寺越はリードを取り始める。近江と春馬はやや大きめのリードを取っているが、ピッチャーは牽制を入れようという素振りを見せない。
「「リーリーリー」」
ランナーコーチの猿政と因幡の声が緊迫したグラウンドの空気をさらに際立たせる。
蛍が丘高校としては追加点を挙げたい。総合鈴征学院としては今後に望みを繋げるためにも既に取られた2失点で終えたい。そんな1点を争う思いが交錯する20数メートル四方のダイヤモンド。その中心でピッチャーの足が上がった。
「「ゴーッ」」
ランナーコーチ2人の合図とほぼ同時に全ランナーがスタート。楓音は少し遅れてバントの構え。
寺越のスクイズに見せかけた揺さぶり。春馬の偽装スクイズ。ここまでスクイズすべきタイミングでスクイズしてこなかった蛍が丘高校が、1アウト満塁と言う状況でついにスクイズを仕掛けた。
ピッチャーはあえて外したりはしない。満塁と言う事はホームがフォースプレー。タッチプレーではないので、アウトが取りやすいのだ。
『(頼んだ、楓音。追加点はお前に任せた)』
『(頑張って、楓音)』
『(俺をホームに迎え入れてくれ)』
3人のランナーの期待が楓音に集中する。
『(絶対に転がす)』
インコース高めのストレート。楓音は自分の顔のあたりに向かってくるボールの恐怖心を押し殺し、左手でボールを捕る感覚でバットの芯にボールを当てた。
「「「転がったぁぁぁぁぁ」」」
ベンチ及びネクストバッターサークルにいた皆月・最上・大崎の3人が身を乗り出す。ボールは勢いがしっかり殺され、3塁方向に転がる絶妙なバント。
『(ホームは間に合わない)』
「ボールファーストぉぉぉ」
立花が1塁を指さす間に寺越はホームへと滑り込み、ついでに楓音の投げ捨てたバットを拾う。
サードは捕球して迷うことなく1塁へと送球モーションに入る。
「あっ、まずい。投げるなぁぁぁぁ」
立花が気付いたが遅かった。サードは腕を振り下ろして1塁へ送球。
「バックホーム」
スタート良く飛び出した近江が3塁を蹴っている。
1塁へとボールが転送されたが、ベースカバーのセカンドは1塁を離れて前に飛び出し送球を捕り、1塁ベースを踏まずにバックホーム。ホームベース付近では、しっかりとブロックした立花が送球を待ち受ける。
「近江ぃぃぃ、左だ、左だ」
先に生還していた寺越がキャッチャーの背後に回り込めと指示を送る。近江はブロックしている立花の背後へと回り込む。そして頭から飛び込みながら、精一杯に左手をホームベースへと伸ばす。そんな彼女へ、ボールが握られた立花のミットが迫る。
「うらぁぁ、アウトぉぉぉ」
立花は気合いの入った声を出しながら近江の背中へとタッチ。
だが審判はその声にも騙されず、落ち着いてホームベースを見つめる。
そこには、ホームベースにわずかに触れている近江の左手の小指と薬指。
「セーフ、ホームイン」
主審の手が開いた。
「「「っしゃあぁぁぁぁ」」」
「痛い、痛い、痛いぃぃ」
歓喜の声を上げる蛍が丘選手陣。好走塁を見せた近江は、寺越・皆月・最上・大崎にもみくちゃにされる。
ツーランスクイズで2点を追加。さらに春馬は3塁。楓音は隙を突いて2塁まで陥れており、依然チャンスは続く。
『8番キャッチャー皆月君』
皆月が力の入った素振りをしながら右打席。周りが頑張っている姿を見ると、自分もなんとかしなくてはと、大きな焦りが生まれる。
『(大崎から楓音まで頑張って4点。9番の義光はここまで守備で頑張って3回1失点。俺もなんとかしないと)』
春馬のサインを軽く眺め、ピッチャーに視線を戻して睨みつける。
「なんとか打つ」
気合いを入れて構える。打者7人の猛攻撃で4点を入れられて動揺が隠せないピッチャーは、袖で額の汗を拭う。さらにはセットポジションに入った後も3塁へと2度の牽制。
1分近い間を置いて、ようやくピッチャーの足が上がってバッターに向かっての投球。
『(絶対に打って、打点を挙げてやる)』
投球は真ん中やや外寄りの甘い球。
『(狙い通り。あっ、逃げる)』
スイング始動した瞬間、ボールが外へと逃げて行く。皆月は体を泳がせながらなんとかバットに当てる。しかし打球はセカンド真正面のハーフライナー。
「あぁ、くそっ」
バットを放り投げる暇すらなくアウトが確定して俯く皆月。
「アウト。チェンジ」
「え? なんで?」
さらに飛び出していた楓音が2塁で刺されてスリーアウトチェンジ。
『(何やってんだよ、楓音の奴。スクイズ決めて浮かれてたんじゃないのか?)』
凡打になった皆月にも問題があるが、打球を見ずにスタートを切った楓音も問題がある。そう思ってベンチに帰ってきた皆月に待っていたのは、呆れ顔の最上だった。
「馬鹿が」
「う、うるさい。仕方ないだろ」
凡打になるのは仕方ない。打率3割のバッターだって、裏を返せば70%近くは凡打だ。反論した皆月ではあったが、最上の返しは彼にとって意外だった。
「サインミスが仕方ないか?」
「は? サインミス?」
「お前、新田が出したサイン見た?」
「えっと……」
思い出してみようとした。しかし何かのサインを出していた記憶はあるのだが、何のサインを出していたかが思い出せない。焦りが先行して、サインをしっかり確認できていなかったのだ。
「み、見てない」
「初球スクイズ。向こうはまさかここまで徹底したスクイズ攻めはしないって思っていただろうし、かなりいい作戦だったと思うんだけど。見事にお前が潰したな。それも2回の近江みたいなサイン見間違えじゃなくて、元々サインすら見てないなんてタチが悪い」
「や、やべぇ……春馬、怒ってる?」
皆月は春馬がいるであろう方向に背を向けたままで防具をつけ始める。
「あいつ、寛容な奴だしなかなか怒らないだろ。それはそれで怖いわけだけど」
「うわぁ。すげぇこえぇぇ。あとで謝っといた方がいいかな?」
「知らね。あえて謝らないか、近江と同じでサイン見間違えってごまかすか、それとも潔く謝るか。そいつはお前次第だ。グッドラック」
「ひ、ひでぇよ。相棒」
「悪い。僕の相棒は新田だから」
相方に裏切られて孤立した皆月。不安な気持ちを持ったままで守備が始まる。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
4回の裏はクリーンアップからの好打順。バッターボックスには三藤が、ネクストバッターボックスには強打の立花道雪。三藤は1打席目にヒット、立花もショート・春馬の好守に阻まれたとはいえ、普通ならばヒットの当たりを放っている。
「ストライクバッターアウト」
「っしゃぁぁ」
初球ストライク、2球目ファールと追い込んだ最上。最後は低めに外れるワンバウンドのボールでハーフスイングの空振り三振を三藤から奪い取りワンアウト。
「次は4番の立花、か」
最上は右打席に入った立花に対して初球。最初の打席、初球を見ただけで2球目を打ってきたことからして、初球打ちの可能性はあると考え、真ん中へのシンカーを放る。
「まずっ」
ところが打球は三遊間への痛烈な当たり。春馬が飛びつくも追いつけず、あっさりとレフト前ヒットを許してしまう。
『(予想通り。初球の配球は甘いストライクの可能性が高い。できればホームランにはしたかったけど)』
立花が読み通りの一打でワンアウト1塁。総合鈴征の監督は選手たちにサインを送る。5番は打席に入るなり早くもバントの構え。立花の足の速さ、そして5番の打撃技術から言って、盗塁・バスターエンドランなどは想定しづらい。有り得るのは単なる揺さぶりか、それとも本当に送りバントか。
『(内野、バントシフト。皆月、サイン出せ。今度は見逃すなよ)』
春馬からのサインを受け取った皆月は、内野陣へと肩や腰をさわってバントシフトのサイン。
『(マジかよ、新田。5番だぞ?)』
最上の足が上がる。ランナー立花は大きくリードを広げ、バッターはさらに体勢を低くしてバント体勢を取る。
『(マジでやってきたか)』
初球の高めストレートをバント。マウンドとホームの間に転がった打球を皆月が素手でキャッチ。一瞬だけ2塁ベースカバーの春馬を確認しつつ、間に合わないと判断した彼は1塁ベースカバーの近江へと送球。
「アウト」
「セカンド」
1塁はアウト。さらに近江はオーバーランした立花を殺すべく2塁へと送球。
『(うそっ。投げてきた)』
油断していた立花はすぐに2塁へと頭から戻った。
「セーフ、セーフ」
春馬がタッチするも、彼の手の方が明らかに早かった。
「惜しいなぁ」
春馬は立花のスライディングで土が被さった2塁ベースを気にしながらマウンドへと駆け寄っていく。そこにはなんとかツーアウトを取った最上がいる。彼は無言でグローブを差し出してくるので、春馬もボールを渡すようにグローブを重ねた。
「ツーアウト2塁、か」
「頑張ろうや。ここさえなんとか乗り切ればどうにでもなる」
「そうだな。任せたぞ、新田」
最上はグローブを胸前にやりつつ、ロージンバックへと手をやる。その間に春馬はショートの守備位置に戻ろうとして2塁ベースへと向かった。
「ちょいちょい、えっと立花?」
「え?」
「いやぁ、2塁ベースが土被ってるからさ。見えにくくなるのもアレだし、ちょっと払うために足をどかして」
「あ、はい」
春馬が2塁ベースの手前でしゃがみこむと、立花もそれにしたがって2塁ベースから足を離す。そして右手で土を払っていたのだが……
「タッチ」
「「え?」」
彼はいきなりグローブで立花の足にタッチ。何が起こったか分からない2塁審判とランナー立花。春馬は審判へとグローブの中身を見せた。
「審判。インプレーだからアウト、ですよね?」
「あ、アウト、アウト」
2塁審判が右手を上げた。いったいどういうことなのか分からない他の審判にもボールを見せる春馬と、マウンドを降りながら空のグローブを見せる最上。
「か、隠し球……」
「そっ。隠し球」
唖然とする立花へと、得意げな笑顔を見せる春馬。
「さてと、スリーアウト、スリーアウト~」
マウンド上にボールを置きベンチに戻る。
アウトにされた立花は悔しそうに3塁側ベンチへ。まだリードを取ったところをアウトにされたなら分からなくもないが、口でもって騙されたプレイだっただけに受け入れがたい。
「な、なんだよ。あの卑怯者……」
蛍が丘高校における策士と言えば最上だが、その陰に隠れてしれっと一計をめぐらす策士が新田春馬。しかし彼は自ら隠れているわけではなく、それをほのめかす発言もしているのである。
ルールに反しない限り、いかなる手段をもってしても勝って甲子園に行きます。
組み合わせ抽選会の直後。出雲新聞社の高波記者に言った言葉だ。
そして今この場面。湧き上がる総合鈴征を砕く一手を見せたのだった。