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蛍が丘高校野球部の再挑戦 ~悪夢の舞台『甲子園』へ~  作者: 日下田 弘谷
第2章 『蛍光祭』開催 そして夏大へ
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第5話 春馬とジュリエット

「あ、春馬君。口元にソースついてる」


「え? マジで?」


「動かないで~」


 近江は春馬の口元についたソースを見ながら顔を近づけ……


「で、お前は何をしようとしてるんだ?」


「あう~」


 春馬は即座に近江の頭を押さえて接近を阻止した。


「春馬君の口元にソースついてるから、ペロペロしようと」


「するな、馬鹿野郎」


 3年4組のたこ焼きを分けて食べていた2人。文化祭でも変わらず仲のいいコンビである。


 春馬は自分のポケットからハンカチを取り出して口元を自分で拭く。


「お前、もしかして昔からそんなことやってるのか?」


「ううん。やってないよ?」


「なんで高校に入っていきなりやりだすんだよ」


「中学校の時にやりたかったんだけど、友達がいなかった……」


「あぁ、中学生はね」


 野球一筋の近江が女子と交友関係があるとは思い難い。かといって、男子は異性を過剰に意識するお年頃。中学時代は今で言う春馬や最上のような親密な関係はいなかったのであろう。


「だから、春馬君は初めての仲のいいお友達」


「正しくは中学校以降で初めてな。それだと小学校でも友達いなかったことになるけど、まさか小学校でも1人か?」


「小学校は友達いたよ?」


 さすがに小学校では仲のいい男子がいたもよう。


「そう言えば、春馬君の高校に入る前の話とか聞かないよね。どんな感じだったの?」


「僕か? 野球をしつつ、授業もそこそこ真面目に受けつつ。これと言って目立ったもののない、いたって平凡な学生だったかな」


「中学生の時?」


「小学生の時も中学生の時も」


「思い出とかは?」


「あまりこれと言ってないかな。あえて言うとすれば小学校6年の冬か」


「卒業前だね」


 近江は校内の自動販売機で買ったジュースを飲み始める。


「卒業前と言うより少年野球引退前。さらに正しく言えば引退試合となった大会か」


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 3番・新田春馬の2打席連続タイムリーで2点を取った、蛍が丘少年野球クラブ。一方の岩泉(いわずみ)少年野球団は4回に1点を奪うも、それ以上の点は取れず、1点リードされた状態で5回裏を迎えた。これ以降のイニングは時間制限の関係で無く、同点に追いつかない限りはこの回が最終回である。


「よし、ナイスピッチ。あと1人、あと1人」


 キャッチャーの小倉(おぐら)が、マウンド上の春馬へと声を掛ける。先頭の2番バッターにフォアボールを許したものの、3番はカウント2―2からライトゴロ。4番はセンターフライに抑えてツーアウトランナー2塁。一打同点とはいえ、あと1人で勝ちが見える状態。


 さらにここでマウンド上の春馬には、勝利を確信する要因があった。


『(ここで2打席連続三振の5番)』


 この5番打者。ここまで大振りを続けており、ファールすら打てずに2打数2三振と絶不調である。


「ストライーク」


 初球の高めボール球を空振りしワンストライク。


「ストライーク、ツー」


 続くアウトローにバットをかすりもせずツーストライク。あっという間にツーストライクに追い込み、あと1球で勝利。このバッターを抑えた瞬間、春馬たち、蛍が丘少年野球クラブは3回戦に駒を進めることになる。


『(さぁ、しっかり最後もいい球こい)』


 ミットをしっかり開いて構える小倉。春馬は間を置くようにセカンドへ1球だけ牽制球を送り、セットポジションに入った。球種は迷わない。変化球が禁止されている少年野球では、投げられるのはストレート一本だけだ。


『(これで……)』


 春馬の足が上がる。それと同時にバッターの足も上がった。


『(終わりだっ)』


 春馬の全力投球はストライクゾーン一直線。


 しかしその渾身の一撃を、一本足打法の彼女はことごとくセンター後方へと弾き返した。


 新田春馬。少年野球最後の投球結果は、女子に許したサヨナラツーランであった。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


「はぁ、懐かしいな。よく、このちっこい体であそこまで飛ばしたもんだ」


「小っちゃくないもん。あの時は、チームでも大きい方だったよ?」


「そうか?試合開始と試合終了の時の整列だと、お前がやたら小さかった記憶があるんだけど」


「そんなことない。絶対にもっと大きかった」


 元蛍が丘少年野球クラブのエースにするだけ無駄な反論をするのは、彼の勝ちを奪った元岩泉少年野球団の5番バッター。


「今思ったんだが、こんなのに打たれたんだよな」


「こ、こんなのって?」


「甘えん坊で、人懐っこくて、泣き虫で、弱気で、子供っぽい女子」


「うぅ、そこまで言う事無いと思う」


「そこまで言う事あると思う。どう考えても高校生じゃないからな。いろいろ」


 5月には授業中に雷が鳴って、大泣きしながら春馬に飛びついたこともあった。あの時は30分近く雷が鳴っていたせいで、春馬がろくに授業に集中できなかった。元々真面目に授業を受けているようなタイプではないが。


「高校生だもん」


「ほぉ。じゃあ夜は1人で寝るのが怖くて、大きな虎のぬいぐるみを抱えて寝ているのは高校生だと?」


「……高校生」


「じゃあ春の選抜の時に、怖い夢を見たって言って、泣きながら男子の部屋に真夜中に飛び込んできて、結局は最上の隣に布団敷いて寝たのは高校生?」


「こ、高校生」


「じゃあ、さっき言った虎のぬいぐるみをクリーニングに出してる間は、怖くて母親や妹と一緒に寝てるのは高校生?」


「うぅ、春馬君は私の事嫌いなの?」


「いや、いじるのが楽しい」


「意地悪ぅ」


 当然ではあるが全て真実。春の選抜の件は春馬達男子一同、および楓音の実体験であり、他の2つは近江母からの情報である。


「小1の頃から虎のぬいぐるみは手放せないんだよな」


「な、なんで知ってるの?」


「これは近江父からの情報。幼稚園時代に米子市民球場で阪神戦見てきた翌日に買ったんだよな。なんでも本当はトラッキーのぬいぐるみが欲しかったんだけど、見当たらなくてそれでごまかしたって言ってた。最初はあまり気に入らなかったものの最終的には気に入って、近江母がクリーニングに出しに行く時は、毎回のように永遠の別れみたいに大泣きしてたって」


「そんな恥ずかしい過去の話しないでよぉ」


「過去の話って言うけど、クリーニングで泣いた奴は、最近だとつい3か月前だろ?」


「だ、だからなんで知ってるのぉぉ?」


「監督をなめるなよ? 保護者会と言う情報交換の場所があるのだ」


 保護者会と言っても、どちらかと言うと親睦会としての意味合いが強い。野球部監督の春馬と、各部員の保護者達で、お菓子を食べたりジュースを飲んだりしながらおしゃべりする程度である。


「春馬君はいろいろ不公平。私だって保護者会行ってみたい」


「勝手に来れば? その代り、近江の場合は暇だと思うぞ。しゃべる相手は親だけだし」


「いい。今度行ってみる。だから誘って?」


「親に聞け。一応、保護者会の日程は毎回メールしてるから」


「今度聞いてみる」


 話がひと段落するなり、近江はポケットからパンフレットを取り出して眺め始める。次の目的地を決めているのだろうか。手持ち無沙汰な春馬はその間、財布を取り出して金券の残額を確認し、そしてあたりを見回す。


『(さすがに人も増えてきたか。たしかにそろそろ6時で、生徒会の企画前だもんな)』


 そうしていると袖を引っ張られた。


「春馬君、春馬君、春馬君」


「どうした。何か行きたいところでもあったか?」


「生徒会の企画ってどこで何やるの?」


「校庭で。6時が企画の開幕式で、6時半からカラオケ大会。最後は9時頃、花火を上げて終わり」


「ふへぇ。花火?」


「本当はカラオケ大会じゃなくてクイズ大会って考えもあったんだけど、クイズ大会だと参加者が次第に減っていくからな。カラオケ大会と言う名のライブだな」


 近江の目が輝き始め、春馬は長年の勘で彼女の思いを察する。


「近江は花火、見るか? 時間が遅くなるから親に言わないとダメだけど」


「大丈夫。今日は遅くなるって言ってるから」


「そっか。じゃあ見て帰れや」


「春馬君は? 一緒に見るの?」


「どうするかな?見ようと思えば家からでも見れるし」


「一緒に見たい」


 と、言うと思った春馬。


「じゃ、一緒に見るか」


「うん。それまではどうする? 生徒会の企画で一緒に歌う?」


「僕はあまり得意じゃないからやめとく。1人で歌ってこいや。副会長権限で早いタイミングで歌わせてやるから」


 実際のところ副会長権限など職権乱用寸前だ。しかし事実、生徒会のかじ取りをしているのは春馬であり、要するに『春馬の声は神の声』なわけでありまして。


「うぅ、文化祭なんだよ? 1度しかない高校生活なんだよ? もう、思い切っちゃおうよ」


「やだ」


「えぇぇ、なんでぇぇ」


 何を思ったか近江。スカートの裾をまくって、きれいな白い太ももを出すと、春馬の胸に指で8の字を書き始める。しかも上目づかいで胸元強調と言う意味不明行動。


「お前は何をやってんだ? 色気攻撃のつもりか?」


「色気攻撃のつもり」


「悪いがな、お前に色気は無い」


 残念な事に近江は未発達女子高生であり色気が存在しない。あえて異性を引き付ける要因があるとすれば、小動物のような体・性格から来る保護欲や愛らしさだろう。しかし、彼女が無理に色気攻撃に出てしまったせいで、結果として今はそれすらも失ってしまっている。


「少しショック」


「少しで済んだならいいじゃないか」


 しかし近江は口で言う以上にショックだった様子。今まで楽しそうだった雰囲気は一気に沈み、目も力なく細めてしまう。そしてやや低めの落ち着いた声で話し始める。


「私ね、楽しみにしてたんだよ?大好きな春馬君と一緒に文化祭を回れるのを」


『(だ、大好きって……まぁ言いたいことは分かるけどさ)』


 一瞬だけとはいえ心臓が飛びあがりそうになった春馬。制服を直すフリをしながら胸のあたりを抑える。やはり体は正直なようで、心拍数が上がっているのがよく分かる。


『(そこまで言うなら仕方ないか。無条件で承諾もこいつが調子に乗るから、条件ありでいこうか)』


「しゃあない。近江、条件ありでならいい」


「条件?」


「今度の夏大の組み合わせ抽選あるだろ?」


「来週だっけ?」


「そう。それで、くじ引くのがお前ならいい」


 春馬は去年の夏の新人戦以降、春のセンバツも合わせてくじ引きを行っている。しかし、どうも春馬は独特のあの張り詰めた空気に慣れず、ステージ上に上がるたびに憂鬱になる。もしも近江が代わりにくじを引いてくれるのならば個人的には大きい。


「うん。分かったぁ。私がくじ引けばいいんだね」


 近江はあっさりと承諾。彼女にとっては好条件過ぎるトレードだったようだ。一方の春馬は絶妙なトレードであっただけに、WIN―WINとは言えない。しかし春馬自身が損をしたわけではないので、1人勝ちでもない。


「えへへ。春馬君とジュリエット~」


「ジュリエット? デュエットじゃなくて?」


 ロミオとジュリエットの同人誌のようなタイトルに突っ込まざるを得ない。



「春馬。おぉ、春馬。どうしてあなたは春馬なの?」

「知らん。母さんか父さんに聞いてくれ」



 春馬とジュリエット、有名なシーンも呆気ないものである。


 その作者である近江はどうも自分の世界に入り込んでいるようで、春馬の声に耳を貸そうとしない。彼女に振り回され続けている彼は、ため息を吐きつつ、携帯電話を取り出した。


『はいは~い。私が島根県立蛍が丘高等学校生徒会長様ですよ~』


「南。近江がどうしてもって言ってな。僕と近江でカラオケ大会出ることになったんだけど、予約は空いてる? 空いてなかったら無理しなくてもいいからな」


『ごめんねぇ。それがあいにく……』


「そっか。だったら無理だな」


『予約開始は3分後の予定。なんだけど、副会長の特権で予約入れとくね』


 春馬、撃沈。


『曲は何にする? CDあるなら流せるけど、一応はカラオケの機械借りてるから、それからも選べるけど』


「……行って選ぶ」


 電話を切って落胆する春馬。最後の望みも断ち切られ、結果としてはあまり得意ではない歌を歌うと言う行為をすることになってしまったのだ。


「近江~」


「なになにぃ~」


「予約入れといた」


「本当? 何番目?」


「先頭バッター」


「ひゃう、い、1番?」


 さすがの近江もそんなに早くに歌う事になるとは思っていなかったようで。

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