第4話 思い出深き『春』の一コマ
高校生活も残り3ヶ月となった1月1日。
いつもの4人は近くの神社へと来ていた。去年と違うことがあるならば、着物姿の楓音が春馬と手を繋いでいるくらい。近江も後ろで不満そうな顔を浮かべているが、隣の最上から「空気を読め」と鋭い視線での牽制を受け続けている。
「ねぇ、春馬くんはどんなことお願いするの?」
「言わずもがな大学合格かな。神頼みする暇があるなら、その時間を勉強に使った方が有益なのかもしれないけど」
楓音は信英館学院大学理学部へ推薦入試で合格を決めている。さらに近江も信英館学院大学社会科学部に推薦入試で合格。学力に不安はあったものの、野球部での目まぐるしい活躍が決定打となったらしい。センター試験を受ける予定の春馬と最上に関して、滑り止めはまだしも本命の合格はまだと言った具合。さらにセンターは2週間後であるため、割と大事な時期なのである。
「でも息抜きも大事だよ。ね」
1年ほど前に1人で全力疾走し続けてぶっ倒れた経験がある春馬にしてみれば、楓音にその点を念押しされては弱いところがある。確かに勉強も大事であろうが、根を詰めすぎなのもまた問題だ。なにより何も東京大学に行こうと言っているわけではないのである。もちろん国公立なりの難しさはあろうが。
「で、楓音は?」
自分の右腕に抱きついた楓音へと視線を落とす春馬。
「う~ん。私は大学は決まっちゃったし・・・・・・」
彼女は春馬と目線を合わせ、
「春馬くんと仲良くいられますように。かな」
「もう可愛いなぁ。こいつ」
「ふふふ」
右手で頭を撫でてもらいつつ嬉しそうな楓音。
その後ろでは、
「むぅ、ずるい」
「やべぇ。超うぜぇ」
近江はいつもどおり嫉妬。一方の最上は今まで楓音の恋を応援する立場を取っていたが、相手たる春馬の惚気っぷりにうざさを感じ始めた様子。今までの性格からなにやらまでが全て崩壊しているあたり、『恋は盲目』の言葉を象徴しているのは春馬なのではないかと実感させられる。
「ねぇねぇ、最上君も私より楓音の方がいいの?」
「う~ん?」
上着の袖を引っ張られた最上は少し考えつつ2人の後姿を眺める。
「僕は一途だから楓音の方がいいかって言われたら難しいけど・・・・・・」
未だに亡き恋人の幻影を追いかけている愛の求道者・最上。
「ただどちらかといえば楓音かなぁ」
「えぇぇ、なんでぇぇぇ」
「だって、近江は口を開けば野球の話だし」
「好きだから仕方ない」
楓音は野球方面となればよくしゃべるが、野球を封じても普通の女子高生らしく話せる子である。が、近江は野球以外となればろくに会話のネタを持たない。因幡あたりとドラマで盛り上がることもあるが、それだけでは10分ともたないではなかろうか。
「それと人によるかもしれないけど、近江は疲れるよな。頼られる一方で。楓音なら頼られもするけど、頼れるし」
「楓音ってそんな頼れるの?」
「新田の守備くらい頼れるな」
神である。
「私は?」
「新田の打撃くらい頼れない」
ゴミである。
「新田は黙っとけばなんでもかんでも背負いこんでしまう人間だからな。あぁして、頼らせてくれる相方の方が新田自身の心労から言っても楽だろうし。ベストコンビだろう」
「むぅ・・・・・・」
「あと」
「まだあるの?」
既に近江の心はツーアウトである。
「近江は体型が子供だからな」
「え? このボンキュッボンなナイスバディに不満が?」
「もう突っ込まないぞ」
散々、グリーンモンスターだの、広島市民のラバーだの言ってきたわけで、さすがにもう突っ込むのも面倒になってくる。
「身長は近江よりも少し大きいくらいにしても――」
最上は少し視線のやりどころを気にしながら、
「その、楓音はあそこがお前よりな」
帯による締め付けで体のラインが浮き出ている今の姿。だからこそ太っているわけではない、標準よりはやや痩せ型の体型がよく分かる。近江のような大食漢ではなく、それでいて野球部で体を動かしていたためにこの体型を維持できたのであろう。
もっとも最上が気にしているのはそこではなく、近江との決定的違いは胸部である。さすがの楓音も比較対象が近江だから大きいと言われるが、決して大きいわけではない。それでも彼女が春馬の腕に抱きついている関係で、彼は今のところ彼女の無いよりはある胸部の柔らかさを実感できているのではなかろうか。
「ま、新田がどのくらいの胸のサイズが好きかは知らな――」
「春馬君、大きくもなく小さくもない方がいいって言ってた。手に収まるくらいのがいいって言ってた」
「ふ~ん。外から見る分には分からないが、額面どおりに受け取れば楓音くらいだな。つーか新田、そんなこと言ってたのか」
「言ってた。去年の夏」
「よく覚えてるな」
夏大の開会式の時、他校の女子マネージャーを見ながら他の男子勢と盛り上がっていた件である。おそらく話していた当人や、一緒に会話をしていた野郎共ですらそのことを覚えていないのではなかろうか。よく近江は覚えているものである。
「そういえば……」
「ん?」
「最上君。いっつも楓音の胸の話してる」
「今のは絶対に近江のせい」
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
「で、みんなは何をお祈りした? 自分は大学合格だけど、新田も?」
最上は春馬と楓音が先ほどどのような話をしていたか知らないため、お参り後に改めてその話題を引き出す。
「もちろん。大学受験の年に大学合格以外のお願いをする人は・・・・・・状況によるか」
近江あたりは仮に大学受験であっても大学のお願いはしそうである。もっとも彼女は既に大学受験を終えているが。
「楓音は?」
次に楓音へとお祈りの内容を問う最上。すると楓音は春馬の手を握って、
「遠く離れても春馬くんとずっと仲良くいられますように。春馬くんのお願いが叶っちゃうと、遠距離恋愛になっちゃうからね。遠距離って言っても隣県くらいかもだけど・・・・・・」
「新田の志望校は県外だもんな。それなら受験失敗を祈った方がいいんじゃないか? 新田の滑り止めは信英館の教育学部だろ?」
「これから受けるやつに受験失敗とか言うな。そりゃあ既に合格もらったけど」
最上に拳骨を落とす春馬。彼も本命国公立大学の合格はまだにせよ、信英館からの推薦合格はもらっている。『本命の国公立に落ちたら信英館に来る』という条件で、信英館大付属野球部の監督から話を通してもらっている。コネはしっかり使う子なのである。
そんなやや怒り気味の春馬にくっつきながら、楓音は笑みを浮かべる。
「そうだね。春馬くんが受験に失敗しちゃったら、学部が違うとはいえ一緒に同じ大学に通えるね。なんなら近くに一緒に部屋を借りて共同生活でもいいかも」
むしろ楓音としてはそれが一番幸せなのだろうと思うのだが。
「でもね、大学って人生を決める大事なものだもん。そんな私なんかのために進路を変えるようなことはしてほしくないかな。好きな人には幸せになってほしいもん。例え私が大学4年間で寂しい思いをしてもね」
「まぁ、長期休暇には島根に帰ってくるよ」
「うん。待ってるね」
ふと発した『寂しい思い』の言葉。それに反応した春馬に頭を撫でてもらいながら、満面の笑みを浮かべる楓音。その横で最上は近江に視線を向ける。
「これが近江と楓音の差だよなぁ」
「ど、どういうこと!?」
「近江なら、新田と同じ大学に行きたいってなったら、こいつに受験失敗しろって言うだろ」
「言わないもん。頑張って春馬君と同じ大学に入るもん」
「「「無理」」」
3人の声が重なる
新田春馬 理系偏差値50強
近江 理系偏差値40弱
当然の反応である。
「無理じゃないもん。そこまでいうなら私もセンター試験受ける」
「あれ? 春馬くん、センター試験の申し込み期限っていつだっけ?」
「10ヵ月後」
「まだ間に合う」
手遅れである。それとも近江は仮面浪人でもするつもりなのだろうか。
「因みに近江のお願いは? どうせ――」
「野球」
「だろうなぁ」
春馬の想定どおりである。
「どう、楓音。私と春馬君は楓音以上に以心伝心――」
「私も野球だと思った」
「右に同じ」
楓音・最上ともに頷く。別に春馬と近江が以心伝心というわけでもないらしい。
「しかし野球って大学野球の話? 大学野球なら高校よりは気楽にできるだろ。ルール的には昔から女子参加に制限はないし。個別の大会規則は知らないけど」
春馬はこれでも女子を含む高校野球部の監督である。そこらのルールに関する知識は十分である。
近江の入学する信英館大学は、強豪野球部のある高校からある一定の生徒がエスカレータ方式でやってくる。そのためそれなりの強豪チームである。それでも怪物級はプロなり首都圏などの大学に推薦で引っこ抜かれてしまうことから、近江であっても十分レギュラーは狙えるレベル。そこでレギュラーが欲しいとか、神宮に行くとか言い出すかと思った春馬だが。
「大学の4年間。最後まで悔いが残らないように野球がしたい。って」
今年の初詣で今後4年間分のお願いをしたらしい。
「なんでまた? 大学すら入ってないのに、大学4年間のお願いなんて気が早すぎだって」
半笑いで問う春馬。ところがその理由は近江だからこその答えであった。それは決して馬鹿馬鹿しいものではなく、近江だからこその。
「いつ怪我で野球できなくなるか分からないから」
「・・・・・・」
「数ヶ月野球できないくらいならまだいいと思う。それでも大事な時期だったら最悪だけど。去年の夏みたいに」
返しに困る春馬の前で、近江はやや暗めの声で話し始める。
「でも、もし数年間野球ができなくなったら。って思うと」
「プロでもいるもんな。そういう人・・・・・・しかし、近江。やっぱり夏は心残りだったか」
「うん・・・・・・」
当然である。誰よりも野球を愛したのは近江だ。甲子園への思いを最も持っていたのは逆襲の執念を持った春馬だろうが、純粋な高校球児としての清らかな思いで言えばこれも近江だ。野球部の中で最も野球を思い、野球に生きてきた者が、最後の舞台に立ってはいられなかったのである。それも理不尽な、不完全燃焼な形での退場で。
「春馬くん」
楓音は彼の服の袖を引っ張り何かを訴えようとするが、彼は楓音に対しては何も答えず。
「そっか・・・・・・」
ただそうとだけ言って、御守りを買いに向かった。それに釣られるように御守りを探す他3人。
『(えっと、合格祈願、合格祈願)』
合格祈願の御守りを探すのは楓音。もちろん彼女は既に大学合格を決めているだけに、もう合格祈願などそれほど意味が無いものである。しいて言えば大学に入ってから資格試験を受けるかもしれないが、そうだとしても今から買うものではない。これはもちろん春馬へのプレゼントである。
春馬にバレないように、春馬と少し離れたところにいる巫女さんに話しかけて御守りを買った楓音。彼女が渡すタイミングを計って待っていると、
「お~い、楓音」
「なぁに?」
楓音を呼び止める最上。すると、
「ほら。多分、僕ができるのはこれくらい。後は頑張ってな」
先ほど惚気にイラついていたわりに、気を使うところは気を使う。
「恋愛成就?」
「安産祈願」
楓音が顔を赤らめつつ袋の中を見てみると『恋愛成就』の御守り。冗談だと気付いた楓音は割と勢いよく最上を引っ叩く。
「いてて」
「い、言っていい冗談と悪い冗談があるよ・・・・・・べ、別に嫌じゃないけど」
「じゃあ言っていい冗談じゃないの?」
「ダメな冗談っ」
乙女心は複雑である。
「悪かったって。で、その御守りは新田だろ? 行って来い」
彼女の背中を押して春馬の元へと送り出す。今までならすぐに立ち止まってしまうところだが、もはや恋人である人のもとへ向かうのに足を止める必要は無い。そのまま駆ける様に春馬の元へ。
「春馬くん。これあげる」
「お、おぉ。なに?」
「合格祈願の御守り。大学受験、頑張ってね。私も応援してるから」
「あ、ありがとう。まさか楓音からもらえるとは」
「あれ? もしかしてもう自分で買っちゃった?」
彼の手には御守りが入っているのであろう紙袋。
「いや、これはな・・・・・・」
と、春馬の視線が他のところに向くのに気付いた楓音。ここで楓音が女子の勘らしい素晴らしい鋭さを見せる。
「行ってらっしゃい」
「え?」
「あげるんでしょ。分かってるから。愛情で勝てても、友情で勝てないって」
「うん。ごめん」
と、春馬は自分のものでもなく、楓音のものでもない御守りを手に別の場所に。と言ってもその距離たかだか数メートル。
「近江。パス」
「ふにゃ」
至近距離で投げられた袋に驚く近江だが、問題なく片手でキャッチしてしまうあたりさすがである。
「無病息災。無茶すんなよ」
「う、うん」
てっきり春馬は楓音に渡すと思っていた近江は目を丸くする。
するとその横で最上が気付く。
自分が楓音に御守りを手渡し、楓音が春馬に御守りを手渡し、春馬が近江に御守りを手渡した。この流れは近江が自分に御守りを――
「春馬君も合格祈願。頑張って」
渡さなかった。
「だよね~」
近江が最上に御守りを渡す理由がないのである。
なおその後のこと。
「あぁ、そうだ、最上。忘れてた」
「ん?」
帰り際、春馬に呼び止められる最上。
「合格祈願の御守り。一緒にセンター頑張ろうな」
「意外なところから来たな」
「何が?」
「いや、こっちの話。それはそうといいのか? 恋人の楓音だけ何もなしで」
こうなると春馬は近江と最上に御守りを渡して、楓音にだけ渡していないことになるのだが。
「大丈夫、大丈夫。御守り1つあげるあげないで揺らぐほどの関係じゃないから」
「恋愛成就効いてる・・・・・・のか?」
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
『島根県立蛍が丘高等学校 卒業証書授与式』
「う~ん」
「やっぱりか」
「やっぱりだね」
春馬は唸り声を上げつつ、最上は声を上げて笑いつつ、楓音は微笑む。
「うぅぅ、だって、だってぇぇぇ」
近江、号泣。
「びえぇぇぇぇぇ」
そしてそのまま泣きながら春馬に飛び込む。
「あぁ、はいはい」
「卒業式くらい許してあげようかな」
「お前ら寛大だな」
近江が抱きついてくるのを平然と受け入れる春馬と、それを許す恋人の楓音に驚く最上。これがいわゆる『正妻の余裕』というものなのか。
「お姉ちゃん、やっぱり泣いちゃったかぁ~」
「おぉ、優奈。久しぶり」
横から飛び出し、お姉ちゃんの頭を撫でる妹・近江優奈。在校生は出席自由だったはずだが、姉が卒業とあって出席したらしい。首からは一眼レフのカメラが見える。
「お久しぶりです。3年生の皆さんももう卒業。私は2年生で、来月には新入生を迎えるんですね」
「野球部のほうはどう?」
3年生並みに感慨深く話す優奈であったが、春馬は野球部の話に持っていく。引退してかなりの時間が経っているとはいえ、これでも元々野球部の監督である。
「秋大での連合チーム出場では先発しましたけど、あまり上手くなってないです。来年、いっぱい経験者さんが入ってきたら、レギュラー取られちゃうかも」
「大丈夫、大丈夫。ウチ、そんなに入ってこないから」
「でも皆さんの世代みたいに9人も入って来ちゃったら……」
「僕らの世代、入部希望者は4人だぞ。僕と姉ちゃん、最上と皆月。以上」
「え? じゃあ他の5人は?」
驚きの声を上げる優奈に対し、最初に答えたのは楓音。
「私はマネージャーだよ。なぜか選手登録されちゃったけど」
女子マネージャーとして入って、甲子園のグラウンドに『選手として』立った子がいるらしい。
「あとは全部近江の勧誘だったよな、新田」
「大崎と因幡あたりは半分誘拐だったけどな」
「頑張った」
泣きながらピースサインの姉ちゃん。
「沖満あたりが頑張って勧誘しなければ大丈夫だろ。あいつが頑張ったら知らない」
野球談義で盛り上がる一角。ここのところずっと野球から離れ、普段の学校生活での話ばかりであった。と、野球談義で思い出した春馬。
「あっ、そうだ。優奈」
「はい?」
「せっかくだから一眼レフで野球部の集合写真撮ってくれる?」
「いいですけど、私でいいですか? 多分、探したらカメラマンの方いると思いますよ?」
なんなら教員の中に写真撮影が上手い人がいるのではないか。そう提案する優奈であるも、春馬は首を横に振る。
「任せた。最後に後輩に撮ってもらうというのもいいだろ」
そう答えた春馬は近江、楓音、最上に続けて言う。
「そういうことだから野球部を呼んできて。僕と優奈は場所を探しておく。と、言っても正門で間違いなしだろうけど」
やっぱり『卒業式』の看板と一緒に写すのがベストであろう。
「は~い」
「うん」
「へいへい」
楓音と泣き顔の近江、そして最上。3人は他のクラス目指して向かっていく。
そして残された春馬は、同じく残された優奈に話しかける。
「そうだ、優奈」
「はい」
「後で少しいいか」
「あのことですね。では後ほど」