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蛍が丘高校野球部の再挑戦 ~悪夢の舞台『甲子園』へ~  作者: 日下田 弘谷
最終章 蛍が丘高校野球部 最後の舞台へ
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第1話 三振覚悟のフルスイング

「それじゃあ、僕らは帰るからな。じゃあ明日の学校で」


「あぁ。なんとか夏休みの宿題が全部終わってよかったよ」


 手を振り春馬の家を先に出る最上に春馬は本当に疲れた様子。一方の女子勢は、


「楓音。春馬くんと変なことしちゃだめだからね」


「へ、変なことって」


 顔を一瞬で赤く染める。その様子を見た近江。


「やっぱり私も泊まる」


「やめろ。お前のお守りなんてもう勘弁だ」


 監視目的で宿泊を提案するも、今日ずっと近江の対応をしていた春馬は拒否。


「だって楓音が変なことするもん」


「馬鹿か。しねぇよ、おめぇじゃあるまいし。なぁ?」


「う、うん」


 不安げに返事する楓音により不安感を増す近江。


「やっぱり泊まる」


「帰れ」


「泊まる」


「最上。連れてけ」


「了解。これは任意同行じゃない。分かるな?」


「やだぁぁぁぁぁ」


 最上に首根っこを掴まれた近江はじたばたしながら連行されていく。春馬はようやく面倒ごとが済んだとため息混じりにドアを閉め、鍵をかけるのも忘れない。そうして春馬と楓音の2人だけとなった家の中は、まるで学校1クラス分いた人間がいなくなったかのように静まり返る。つくづくアレはそれだけうるさい子だったのだと感じさせられる。


「はぁ・・・・・・」


 もう一度ため息をもらした春馬に楓音が顔を覗き込む。


「お疲れ様」


「ほんと疲れた。でもこれで本当に夏にやるべきことは終わった感じかな」


 背伸びしながら部屋に戻る春馬を楓音は追う。


「うん。この夏、ほんと早かったよね」


「3年生の夏は勉強漬けだもんな。ガチ受験生は特に」


 蛍が丘高校は近江がいる時点でお察しだが、結構な馬鹿の巣窟である。一方で、春馬を含めた成績上位陣のように「進学校・大野山南に落ちたから」という理由で滑り止めに来ている優秀な学生もいる。また大野山南レベルに及ばずとも、最上や楓音のように「近いから」という理由で来ている学生も少なくは無い。そのため大学受験を本気でしようというメンバーも一定数はいるのである。それでも全体に比べると少数派であり、国公立を目指すレベルとなるとせいぜい10人前後である。


 そんなガチ受験生の楓音、そしてその中でも選ばれた国立志望者の春馬にとってこの夏は勉強の夏であったことだろう。それと同時に、


「もしあそこで勝ってたら、この夏は変わったのかな?」


 高校球児としての最後の夏でもあった。


 春馬は自分の部屋に入ってベッドに腰掛けながらつぶやく。対する楓音は机の上に出したままの勉強道具を、明日の学校の準備を済ませたカバンにしまいながら考える。


「変わった、かもね」


「本当に?」


「数パーセントくらいの確率で。でも、あそこで負けるか次の試合で負けるかは違うんじゃない?」


「間違いないな」


 春馬は取っておいた地元新聞のスクラップを手に取る。


「信英館学院、大田山吹を破る・・・・・・か」


「大田山吹の赤月くん、途中で降りちゃったもんね」


 大田山吹高校が蛍が丘高校を破った後の第3試合は、勝者である大田山吹と信英館の対決であった。この試合では蛍が丘戦で14回1失点の好投を見せた赤月が先発。しかし貧打の蛍が丘とは比べ物にならない強力打線と、情報を元に綿密に立てられた戦術が彼を阻んだ。加えて赤月自身も蛍が丘戦で疲弊していたため、5回を投げて2失点。6回ノーアウト満塁にて降板したところ、後続が打ち込まれてそのイニングのうちにコールドゲームが成立したのである。


「仮に僕らが勝ってたとしても、最上というエース、鍋島という2番手を揃って消耗。近江という攻守の軸を喪失した蛍が丘高校に、信英館に勝つだけの力は無い。勝てたとしても限りなく確率は低い」


 スクラップを投げ捨てた春馬はベッドに倒れこむ。


「してやられたな。蛍が丘高校と大田山吹との潰し合い。辛うじて生き残った一頭の傷だらけな虎を、信英館は労せずしてしとめたってわけだ」


 その結果、信英館は準決勝、決勝を勝ち抜き甲子園大会へとコマを進めた。その甲子園大会では2回戦にて、蛍が丘高校と春のセンバツにて対戦経験がある龍ヶ崎新都市学院と激突。壮絶な打ち合いの果てに3回戦進出を決めた。その3回戦にて敗退したが、あの高校に勝ってしまうあたりやはり蛍が丘高校とはレベルが違う。1回勝ったことで勘違いしてしまいそうだが、あの高校は紛れも無く名門なのである。


「最後の夏に甲子園には行けなかったけど、でもやりきった感じはあるんじゃない? 延長14回の死闘。お互いに死力を尽くして戦って」


「まぁな。おそらくみんなもそう思う」


「だよね」


 笑みを浮かべる楓音。しかし春馬はやや眉をひそめる。


「1人を除いて・・・・・・な」


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 実際、楓音と一緒のお泊りは決して初めてではない。しかし今までは最上や近江が一緒にいるパターンだけであり、親すらいない『楓音と2人だけ』でのお泊りは初めてである。


「あっ、これはいった」


「いや。入らないだろ」


 黙っておけば絶え間なくしゃべってくる近江相手なら、話のネタに困ることはなかっただろう。しかし寡黙な春馬と、やや緊張気味の楓音ではすぐに話のネタ切れで静かになること必至。今でこそ野球中継という共通の話題をおかずに夕食を取れているからいいが、その中継が終わってしまえばどうなることか。


『あっと、フェンスダイレクト。1塁ランナーは3塁を・・・・・・回った、回った』


 熱い実況を耳に画面へ視線を固定する2人。


「おっ、この当たりでホーム突くか」


「きわどそう?」


 強肩のライトがフェンス手前から内野へ返す。低い球筋となった送球をセカンドがカットしてさらにバックホーム。


「いや、送球がそれたか?」


「あっ、これは」


『セーフ、セーフ。追加点っ』


「「おぉぉぉぉぉ」」


 好走塁で1点を追加した先攻チーム。そのワンプレーに静かに盛り上がる2人。


「今の当たりでよく回したなぁ」


「暴走っぽい感じはしたけどね。私は回さないかも」


 それでもセーフになったのだから、結果論で言えば3塁コーチの好判断だったのだろう。


「チャンスは時に一期一会だし、思いっきりって大事だよなぁ」


「なんだか実感こもってるね」


「そりゃあ最後の夏を思い出せばなぁ」


 いくら相手投手が怪物だったとはいえ、春馬がチャンスを掴んでいたのは間違いない。もっとも結果としてそのチャンスを生かすことには至らず、むしろ相手にチャンスを生かされ、あの試合が最後の夏となったわけであるが。


「でも私も分かる気がするなぁ。思い切りが大事って話」


「楓音も何かあったの?」


 春馬は夕食のおかずに箸を伸ばしながら楓音と目を合わせる。と、目線を合わされた楓音は心臓を高鳴らせ緊張させながら、こちらもおかずに箸を伸ばす。


「う、うん。少しね」


 と、はぐらかして詳しくは何も言わず。


 思い切りは大事という話をしている時に思い切れないのはまた滑稽なところではあるが、まだチャンスではないと言えばおかしな事ではないのだろう。その何も言わない様子を見て踏み込むような話ではないと悟ってくれた春馬は、特に深く聞くことも無く話を切り出す。


「最後の打席。確かに結果は出なかったけど、思いきりのいいスイングはできたと思うな」


「だったらよかったんじゃない? 最後の最後でやるべきことができたって言うのは」


「そうだな・・・・・・ありがとう、楓音」


「え? 私?」


 春馬自身がよかったと感じた。めでたしめでたし。で終わる話かと思いきや、唐突にやってきた春馬からのお礼である。楓音にとってはまさしく青天の霹靂と言ったところで、食事中の箸が止まってしまう。


「楓音があそこでかけてくれた短いタイムと声掛けだったけど、あれで冷静になれた気がする。楓音がいてくれてよかった」


「そ、そう? だったらよかった、かな?」


 近江がいたならば近江が気付いたかもしれない。近江がいなくても自分が出なければ、副キャプテン・最上が気付いて春馬の元へと走ったかもしれない。それでも近江と違って彼女はそこにいた。最上と違っていち早く動いた。自分がやらなくとも誰かがやったかもしれないが、少なくともあの時あそこへ向かってタイムを掛けて走ったのは紛れも無く楓音だ。


 素っ気無い返事をした楓音は、照れ隠しのようにまた箸を動かし始めた。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 彼女は一糸まとわぬ姿で水滴の付いた天井を見つめる。


 先に行かせてもらったお風呂はこれまで何度か遊びに来た際に入ったことがある、多少は慣れた場所である。ただ今夜についてはまったく別の意味を持つ。自分の部屋を持たない今この場において、風呂は1人で自分の考えをまとめたり、心を落ち着かせたりできる限られた場所である。決して春馬と一緒にいたくないわけではなくむしろ逆なのだが、ただ少なくとも気持ちを落ち着かせる目的で今この瞬間は1人でいたいところだ。


「春馬くんは私のこと、どう思ってくれているんだろ?」


 彼の自分へと接する態度を考える限りは、好きか否かはさておき嫌いではないだろうと思われる。少なくとも嫌いな相手であれば、調子の悪い日に膝枕で休ませてはもらうようなことはしないだろう。もっとも彼女のその判断を狂わせるのが近江である。単に春馬は近江のせいで女子慣れしているだけなのではないかとも思ってしまう。


「もう、こんな時まで近江ちゃん・・・・・・」


 彼女は自分の足を抱えて考え込む。


 引退まで押さえ込んでいた告白したい強い思い。最後の夏は甲子園に賭けるそれ以上に強い思いのおかげで気にすることもなかったが、今はその思いが押さえるものなくあふれ出そうとする。今ならば言いたいことを言えそう。そんな気もするが状況は決してそう簡単ではないのだろう。


 きっと1人で考えている『今』だからそう思える。だがその場を前にすればきっと足が竦むのではなかろうか。さながら勝負を決める大チャンスを望んでいながら、いざチャンスを掴んで打席に立つと気が気ではないかのように。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 やるべきことは済ませ、それこそ眠くなればいつでも寝られるような状況だ。だからこそ楓音は意を決した。もしこの後、春馬が「もう眠くなった」とでも言ってしまえば、気弱な自分はもうその言葉を言う事はできない。そう思っていたからこそ、一切の障壁が無い今だからこそ、彼女は最後の一歩を踏み出した。


「春馬くん」


「ん?」


 彼は読んでいた野球の本から視線を外して楓音の方を見る。


「あっ、その――」


 視線が合ってしまったことで「なんでもない」としり込みしてしまいそうになった。だが、彼女はもう引き返さないと決めたのだ。言わば今は最終回でツーアウトツーストライクと追い込まれた状況。しかしランナーは満塁とチャンスでもある。


 ならば、


「春馬くん。大切な話があるの」


 三振覚悟でフルスイング。ストライクを逃さず弾き返すのみ。


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