最終話 流した涙のその意味は・・・・・・
「春馬く~ん」
試合が終わってベンチから退却。球場の外にいると保護者の車で病院に行っていた近江が帰ってきた。手首を固定されているあたりまったくの無事というわけではなさそうだが、元気そうなあたり大怪我というわけでもなさそうである。
「試合どうだ・・・・・・た?」
むしろ皆以上に近江の方が元気なくらいに。
やはり女の勘は鋭いものである。女子らしくないと近江もその例外ではなく、皆の反応からその試合結果を察する。隣にいた近江母には既に連絡が行っているはずなのだが、おそらくは何も話してはいないのだろう。
「ごめん・・・・・・」
勝つと約束していたにも勝てなかった。その後ろめたさから彼女と顔を合わすこともできず、背を向けて座り込んだままで謝る春馬。自らのバットが空を切り、自らのグローブがわずかに打球に届かず、試合の要所で『わずか』が足らなかったことを自覚している分その辛さは並みじゃない。
「ごめん・・・・・・勝てなかった」
改めて謝りながら俯く春馬。他の3年生も彼女と目を合わせることはできないまま。ただそんな中で春馬の背中に重さがかかり、彼の肩上から胸前まで2本の腕が回される。それは紛れも無く今まで度々感じてきたものである。いつもと違うことがあるとするなれば、右手首が固定されていることくらいか。
「ありがとう」
謝る彼に対し彼女は礼を述べた。
「みんな、9回まで頑張って戦い抜いてくれたんだよね」
延長戦に持ち込んだとは知らないようであるが、最後まで戦い抜いたことには違いない。
「近江・・・・・・」
このチームで一番の泣き虫なはずの近江。しかし彼女の声はこのチームの中で、今一番はっきりしている。
「最後まで一緒にみんなと野球できなかったけど、それでも楽しかったよ。一緒に甲子園に行って、もう一回あの舞台に行こうって頑張って。夏大会で信英館に勝って、秋は中国地区大会に行って」
彼女がさながら卒業式の答辞のように思い出を振り返るのを、春馬は涙を流しつつ静かに聞く。
「最後に春馬君と、みんなと同じグラウンドにいられなかったのは残念だったけど、とっても楽しかったよ」
一番悔しいはずの彼女が楽しいと言って喜んでくれている。そう思った矢先、彼の首元に冷たい感覚が走った。
「あれ? 楽しかったのに、楽しかったのに、なんで」
口では楽しいと言ってくれた近江。しかし本当は悔しくて、悔しくてたまらないのだ。この場にいる3年生の誰よりも。誰よりも野球を愛し、誰よりも野球に情熱を注いでいたからこそ、最後の瞬間に野球と共にいられなかったこと。それが悲しくて・・・・・・
「近江。ごめん」
春馬は自分の前に回された彼女の両腕をしっかり掴んで離さない。近江は背番号『6』が刺繍された彼の背に顔をうずめる。
「やめてよ。謝るの。私、私、悲しくなんてないんだからぁぁぁぁ」
怪我すらしてないのに転んだ時、野外活動の肝試しの時、とにかく事あるごとに泣いた近江。最も涙を堪えようと努力したこの日、高校に入って一番泣いたようである。そしてそれは彼女が最も信頼した春馬の背で、彼自身と共に・・・・・・
全国高等学校野球選手権 島根県予選 2回戦
蛍が丘高校 1 ― 2× 大田山吹高校
甲子園大会出場経験を誇る蛍が丘高校の黄金世代の最後の夏が終わりを告げた・・・・・・