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第7話 近江無き下位打線

 打線の軸であり、センターラインの要たる近江を欠いた蛍が丘高校。この負傷退場により勝負の天秤は一気に大田山吹に傾いたかのように見えたが、さらに死闘の様相を呈す。


 5回の裏。先頭バッターの打球は最上の足元を抜けていく。センター前に抜けそうな打球であったが、これを沖満が逆シングルキャッチ。しかしこの体勢からでは1塁送球は難しい。


『(近江先輩はいろんな話をしてくれました)』


 彼女はボールを手にしたグローブをわずかに右側に引く。


『(その中でもよく春馬先輩の話をしていました。私はその近江先輩の言葉を信じます)』


 そして払うようにして闇雲に2塁ベース方面へとグラブトスした。


『(近江先輩のスイッチトスは、適当に投げているだけだって言葉を)』


 しかし適当とは言っておきながら、2人の間には意識しない相性があったのだろう。彼女の球は誰も捕るものがなく、地面へとワンバウンドしてしまう。傍から見れば沖満の何がやりたいのかよく分からないプレー。単なるエラーとも取れるワンプレーであるが、


「よく止めたっ」


 バウンドした球をベアハンドで拾ったショート・春馬がそのまま1塁へランニングスロー。間一髪でランナーを殺す。


 近江―春馬コンビほどきれいなスイッチトスじゃない。しかし春馬の怪物じみた守備力が、沖満とのスイッチトスを成立させた。


 さらに同イニング、


「俺に任せろ」


 2アウトとなるもランナー2人を置いたピンチ。2番バッターの打球は三塁方向へのファールフライ。マスクを外した皆月が猿政を制して打球に迫る。


「まずい。皆月殿」


「分かってるけど、こいつは落とせん」


 猿政から飛ぶ注意の声も同時に制した皆月は、捕球後に直ちに体を回転させる。そして、


「やりやがった。あの野郎」


 受身を取りながらベンチに飛び込む。近江に次ぐ危険プレーに春馬は気が気じゃない様子でベンチへと駆ける。しかしすぐに立ち上がった皆月がミットの中のボールを審判へと見せた。そして一言。


「あんな二番手捕手がやること、本職捕手ができないわけがないだろ」


「本職だから危険を察してやめてほしいんだがな」


 元気そうな皆月に春馬は額を押さえてため息。


「お前まで怪我したら誰がキャッチャーするんだよ。その二番手捕手はもういないんだぞ」


「守備の名手たる春馬(おまえ)がやればいいんじゃね?」


「無茶言ってくれる。楓音にまで『初々しい』と言われた僕がキャッチャーなんてできるかよ」


 ただ初々しいだけでキャッチャーを卒なくこなすセンスはあるのだが。


「う~ん。チャンスが生かせないねぇ。さすが蛍が丘の鉄壁守備」


 そしてこのファインプレーに意気消沈する大田山吹高校サイド。ナインの1人が愚痴りながらベンチから出るが、その横から赤月も出てくる。


「あの5番ともう勝負ができないのは残念だけど・・・・・・1点あれば十分。さぁ、勝ちに行こう」


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 相変わらずの防衛戦が繰り広げられるこの試合。


 近江の負傷退場以降もなかなか試合が動かない。


 そして1点を追う8回の表、蛍が丘高校の攻撃。


 バッターは5番の沖満から。


 相手はここまで出塁数わずか2に抑えている赤月。残りイニングからしても、そろそろなんとか突破口を開きたいところである。


「沖満。なんでもいい。手段は問わない。なんとか、なんとか塁に」


「高校に入って4か月目の1年生に、3年生が頼るなんて、とっても頼りなくみえます。でも――」


 彼女は深くヘルメットを被り直して打席へ駆ける。


「私は近江先輩と違って一発は打てません。ですから逆に頼らせてもらいます。なんとか私をホームに返してください」


 気の強い彼女はそうして春馬を前に物怖じしない態度。しかし彼女の今の心理はかなり不安である。なにせ彼女にとってはこの試合初打席。しかもつい半年前まで中学生だった女子が、いきなりプロレベルのピッチャーを相手にするのである。


『5番、セカンド、沖満さん』


 そのウグイスの声も耳に入らず右バッターボックスへ。なんとかホームに返せと言っては見たが、その前提たる塁に出る――いや、バットを振れるか否かも怪しい状況だ。


「プレイ」


 球審のプレイ再開宣告を受けて8回の攻撃が動き出す。


 初球、


「ボール」


 球速は相変わらずだがひとまずボール球。ストライクカウントを消費せずに投球を見ることができたのは大きい。


「ねぇ、春兄ぃ」


「どうした、優奈」


 ネクストから試合を見ていた春馬であるが、予期せぬ相手からの声掛けにベンチを振り返る。


「ボール球が多くなったね」


「う~ん。そういわれたらそんな気もするけど・・・・・・武川」


 ベンチ入りメンバーの中で唯一の学生服。スコアラーの武川に声をかけてみると、彼はイニングを遡りながらスコアをチェック。


「確かに序盤はウェスト以外のボール球がほとんどないですね。ただ以降は意味があるかどうか分からないボール球は多いかと・・・・・・」


「いや、状況を総合すると意味ねぇ球だな。特にこれや、これなんかは」


 そしてその背後からスコアブックを指差し指摘するのは蛍が丘の頭脳・最上。


「疲れか?」


 春馬が首をかしげると、最上がベンチ最前へと出てきながら口にする。


「そりゃあ、1戦目は天陽永禄。2戦目は蛍が丘。ウチは貧打とはいえ、ランナーは出してるし、近江がいたし。ロースコアゲームなのもあってピッチャーにはしんどいだろ。それに特に後ろのピッチャーがいないってこともあるだろうよ。延長戦に入ったら選手層のある蛍が丘が有利だしな」


「去年まで選手のやりくりに悩んでたウチが、『選手層のある』ねぇ。鍋島1人でこうも変わるか」


 3塁コーチの鍋島を見ながら感嘆の声。


「もしくは、アレが足にでも来たかだな」


「アレ?」


「バントで揺さぶったろ。まぁ、こっちにしてみれば揺さぶりじゃなくてガチバントだったんだが」


 最上の言うバント。楓音が初回に使った作戦だが、あれ以降、春馬や最上、上位の大崎・因幡までもが狙って使っている。結局、出塁に結びついたのは最上のゲッツー崩れのみだが、そのたびに赤月の足を動かしていることになる。もしもそれの影響が多少なりとも出ているのだとすれば・・・・・・


「フォアボールならありうる。か?」


 打てるではなく、あくまでも相手のコントロールミスに賭ける。そんな春馬の楽観的かつ消極的な意見であるも、いかんせん相手は150キロ越えのストレートを放るピッチャーである。むしろ荒れ球となる方が怖くて踏み込めず、打ちにいけないところはあるかもしれない。


「ストライーク」


 2球目が大きく外れた後、3球目はアウトコースいっぱいのストレート。上手くワンストライク取られたといったところか。


 沖満は今まで見たことのないその150キロに恐怖心を覚えながらも、それを打ち殺すかのように打席の最もホームベース寄りに構える。あまりの意識に少し踏み込みすぎなくらいであろう。こうなるともはやインコースは打てない。それが分かっている赤月はインコースを意識。


 コントロールの甘くなっている赤月が投じた4球目――


「あっ――」


「っく――」


 反射的に体をひねりつつしゃがんだ沖満。それと同時に地面に落ちたのはヘルメットの欠片。


「デッドボール、テイクワンベース」


「マジかよ。優奈」


「はい」


 ネクストの春馬がそのままホームへ、呼ばれた優奈は役に立つかどうか分からない救急キットを肩から下げてベンチを出る。と、座り込みかけて立ち上がった沖満。彼女は球審に声を掛けられながら、一言二言交わしてベンチに戻ってくる。


「沖満。どこ当たった?」


「ここです」


 そう言って見せるのはヘルメットのつばの部分。確かに欠けたのはその部分である。一歩間違えば頭部どころか顔面デッドボールであっただけに、当たった部分は不幸中の幸いというべき場所であった。


 さすがの赤月も1回戦の天陽永禄戦に続き、2回戦は蛍が丘戦とロースコアの接戦を演じてきただけに精神面での負担が大きいのだろう。急激に制球の揺らぎを見せ始め、その結果が沖満に与えた頭部デッドボールである。


「春馬先輩、やりました。あとはお任せします」


「あぁ、できることをやってやる」


 控えのヘルメットを被った沖満が、ベンチからそのまま1塁に向かってノーアウト1塁。


 赤月はその沖満から目を離さず、視線が合うなり頭を下げていたが、彼女から平手を挙げて大丈夫のジェスチャー。


「せっかく5番が塁に出たんだ。なにかしねぇと6番の意味がねぇ」


『6番、ショート、新田春馬君』


 ここで選手兼任監督兼キャプテン代理の春馬が打席へ。


『(正直、連打は望めない。なら――)』


『(なんでもいいです。私にホームを踏ませてもらえれば)』


 春馬からのサインに沖満も了解とのこと。


「プレイ」


 プレイ再開宣告と同時に漂うその異様な雰囲気に、何かを察するのは大田山吹。ただそれは何かしらを仕掛けてくる雰囲気なのか、それとも味方を潰されたことによる意地の雰囲気なのか。


 1球目はアウトコースにはっきり外すウエスト。しかし何も仕掛けてはこない。初球だからか、本当に何もしないのか。


 思慮と緊張が交錯する中で、春馬はまたも打席を外してサインを送る。相手方の選手にしてみれば、こうして目に見えるところでサインを出してくることは、「何かしてくるのでは」との思いを増長させ、精神的負担に繋がる点では嫌なところである。


 仕掛けてくるのは次か。それともまだ先か。そもそも何もしてこないのか。


 セットポジションの赤月はサインに頷いた後、牽制も挟むことなくクイックモーションを始動。その時、沖満の足が動いた。


『(走った)』


 視界の隅でランナースタートを確認したキャッチャー。送球へと意識を傾けるが、動いたのは彼女だけじゃない。


 春馬はバントの構え。疲れが見え始める終盤戦にして未だ150キロ近くをコンスタントに出し続ける赤月。彼の球を3塁方向に転がした。彼の球の勢いを生かしてバットがボールに弾かれるように、いわばバットを引くようにバントしただけに、勢いを殺した絶妙なバントとなる。


「2塁は無理だ。ボール1つ」


 キャッチャーの指示にサードは捕って1塁へ送球体勢。


 しかしここが今まで甲子園を競ってきた蛍が丘と、1回戦突破を目指してきた大田山吹の差である。その思いとノウハウは間違いなく1年生にも伝わっている。


 スタートを切っていた沖満が勢いそのままに2塁を蹴った。


『(バントエンドラン。春馬先輩(バッター)が1塁で殺される間に、3塁を狙う)』


 しかも春馬がサード方向に転がしたこともあり、3塁はがら空きになっている。ピッチャーの赤月がカバーに向かうが、バント処理からの一転、3塁カバーである。ノンストップで2塁を回った沖満に対して時間がかかる。


 その結果、春馬は1塁でアウト。ところがこの間に沖満は3塁に達して1アウト3塁のチャンスへと変わる。得点圏どころか、内野ゴロやバッテリーエラーでも1点が入る状況が整った。


「くそっ。無理だったか」


 バントならできると読んだ春馬の狙いはセーフティ気味。沖満こそ3塁に進めたものの、自らはアウトになってしまった。しかし得意のバントが決まって得点圏にランナーを進めることには成功した。


『(この場面。どうする?)』


 近江が引いた今、5番・沖満、6番・春馬、7番・楓音、8番・皆月の打順は打撃下手のお荷物打線である。しかし沖満がなんとか出た以上、これを生かさないわけにはいかないのである。


「春馬くん、ナイバン」


「任せた。内野ゴロでも場合によっちゃ同点だ」


「うん。どうせ死ぬにしてもただでは死なないから」


 不穏な決意を胸にした楓音がバッターボックスへ。


 野球好きゆえの膨大な知識こそあれ、実際の野球経験はわずか2年ちょっと。しかしその間に限られた人しか踏めない甲子園の土を踏み、プロ入りするほどの投手と対戦し、またしてもプロ間違いなしの投手と対峙する。


 波乱万丈の高校野球生活。


 こんな面白い生活を、島根の地で終わらせはしない。


 この生活のラストは兵庫県――甲子園で


 赤月のセットポジションにあわせてリードを取る3塁ランナー・沖満。盗塁を狙う場面でもない以上、ここはやや小さめであろうか。いや、それでも内野ゴロでも1点を奪うという決意の現われか、3塁ランナーにしては広めにも感じる。


「ボール」


 初球はアウトコース高目へのストレート。スクイズ警戒のピッチドアウトというよりは、やや抜け気味の球といったところか。それでも球速がいまだ150程度出ているあたり、楓音にはまだ厳しいところは続く。だが、


『(見えてる、か?)』


 春馬が目を細めつつ感じ取る。近江のクジ運の悪さで事あるごとに強投手と対峙してきたせいであろうか。彼女の動体視力は洗練されているようで、しっかりボールを追えているようなのである。


「ストライーク」


 ど真ん中の抜け球を空振りしてしまうあたり、打撃技術が追いついていないようではあるが。


「ボール、ツー」


 きわどいコースを見送ってツーボール。


 つくづく意外性のある子だ。


『(強攻策で前に飛ぶ望みは低い。かといって待球で乗り切れる相手でもない。こうなると読まれているかもしれないけど――)』


 帽子のつばをキーとしてサインを送る。


『(カウント2-1。仕掛けるか)』


『(勝負、ですか)』


『(が、頑張ってみる)』


 春馬のサインに沖満・楓音の両名が了承サイン。


 楓音が打席に足を踏み込むと、間髪入れずに赤月がゆったりと投球モーションを起こす。内野手も動かない。


『(よし、いける)』


 春馬は確信。


『(GO!!)』


『(最低でも当てる)』


 沖満がスタート。楓音もバントの構え。


 同点を狙うスクイズだ。


 しかしまるでそれが分かっていたかのようにキャッチャーが立ち上がる。


 赤月の投球はアウトコース高めへのピッチドアウト。


『(まずい。読まれた)』


『(うわっ。そんな――)』


 キャッチャーのその動きを見た春馬は失敗を確信。ホームに突入する沖満もなかば憤死を覚悟する。


 だが、


『(スクイズの時のバッターは――)』


 楓音は諦めていなかった。


『(自分が死んででもランナーを生かさないとダメっ)』


 直後、投球はミットの中にボールはなかった。


「あ、当てた⁉」


 バットに当てた打球はフェアグラウンドを転々。ボールに飛びついたその勢いで楓音は右バッターボックス後方に倒れ込み、その横を沖満が通り抜けてホームへと滑り込んだ。打球を捕った赤月は、女子に点を取られた悔しさに顔を歪めながら1塁へと送球する。が、1塁審判が両手を挙げているのを見てモーションを止める。


 打球は紛れもなくフェアである。にも関わらずボールデッドをコールしている理由とは、


「反則打球。バッターアウト」


 その球審のコールがすべてを物語る。


 楓音はピッチドアウトをバントできないと見るや否や、打席から足を出してまでなんとかバットに当てたのである。もちろんこれによって反則打球で楓音はアウトとなる。しかしこれで3塁ランナーがどうなるかと言うと……


「ランナー、3塁に戻って」


 元の塁に戻される。つまり生き残る。


 わずかコンマ数秒の間にそのプレーを導いた、楓音のファインプレー。


 だがこれでツーアウトとなったのは厳しいところだ。


『8番、キャッチャー、皆月君』


「た、頼む。なんとか、なんとか繋いでくれ」


 こうなると春馬はもう祈るのみだ。


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