第6話 犬猿の二遊間
「大崎。どうだった?」
「凄かった」
「近江かよ」
春馬の問いに近江のように薄いっぺらい感想を返してくる大崎。というのも最上のゲッツー崩れと盗塁でチャンスこそ作ったものの、大崎はまたも空振り三振に倒れる。これは決して大崎が無能なバッターというわけではなく、手を抜ける状況ではないと察したのであろう赤月がギアを上げてきたのである。結果、セットポジションにも関わらず150キロを超える、そんな規格外のストレートでねじ伏せられた。
「しかしそうなると厳しいなぁ。あいつの本気を捉えたのは近江だけ。あとバットに当てたメンバーは手を抜かれた下位打線だけか」
「上位打線、特に1番バッターの面目を保ちたいんだけどね。あれはさすがに・・・・・・」
その下位打線についても手を抜いたせいでピンチを招いただけに、次からは本気でねじ伏せにくる可能性は否定できない。果たしてこのイニングはヒントを得た突破口のイニングとなるか、自らを追い込む自縄自縛のイニングとなるか。
「いや、まだ1点ならなんとかならなくもない、か。いくぞ、大崎」
「うん。無失点に抑えて、点の取り方は別に考えよう」
内野の要と外野の要、両者3回の裏の守備へ。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
3回の裏は蛍が丘高校が堅牢な守備で無失点。4回の表は大田山吹が飛びぬけた投手力でシャットアウトと、赤月の一撃以外なかなか動かないこの試合。
「セカン」
4回の裏。3人目のバッターである赤月を、低めのストレートでセカンドゴロに打ち取った最上。振り返りつつガッツポーズ。ここに打たせればまず安心だ。
正面で受けた近江が1塁へ転送してスリーアウト。この回も3者凡退で抑えたことで2回に受けた赤月のホームラン以外に出塁は許さない好展開。それだけにあの一発がもったいなかったところである。
「さぁ。反撃だ」
「反撃だぁぁぁぁぁ」
意気揚々の最上と、飛び跳ねながらベンチに戻る近江。
「最上。確認は任せた」
「おぅ」
そしてベンチに帰り次第、円陣を組み始める最上を含めた部員たち。だが、その中に春馬は入らない。
なにせこの回の打順は・・・・・・
「なんとか突破口を開かないと。近江だけには頼れないからな」
「むふふ。頼ってもいいよ?」
「近江ちゃんと一蓮托生なんて願い下げ。かな?」
「まぁな」
「『いちえんたくよー』って、なんか馬鹿にされてる気がする」
「「一蓮托生」」
5番・近江美優、6番・新田春馬、7番・新田楓音の打順。さらにその後ろには唯一の安打記録者である皆月、スコアリングポジションに進んだ最上と、下位打線ながら期待のできる名前が並ぶ。もっとも結果を出したのは相手投手・赤月が下位打線だからと手を抜いていた可能性も否定できないが。
「分かってると思うけど、ここまで相手は変化球を投げていない。だから打席に立った人はストレート一本に絞ってOK。相手の守備は甘いから、もし塁に出たら積極的に先の塁を狙え・・・・・・で、いいか? 新田」
「あっ? なんつった?」
円陣前の打ち合わせとして皆に言い聞かせた最上だが、春馬はまったく聞こえていない様子。別に春馬が難聴というわけではなく、そもそも円陣に入っていないのだから当然である。
「何言ったか知らんが、だいたい最上の言うことなら問題ないだろうよ。近江の姉ちゃんじゃあるまいし。なんで妹とこんな差がついたかね?」
「あははは・・・・・・」
苦笑いを浮かべるのは、蛍が丘高校1年生トップの学力を有する妹。
「ただ最上。一応、2巡目の打席に立った上位4人の話も聞いといてくれ」
「おぅよ」
もう気付けば5回の表。攻撃回数で言えばとっくに折り返し地点である。弱点を見つければ必ず点が入るというわけでもあるまいし、余裕のあるうちにできるだけ早く突破口を見つけていきたい。
『5回の表、蛍が丘高校の攻撃は、5番、セカンド、近江美優さん』
いつもどおりの投球練習が終わり、先頭バッターの近江が右バッターボックス。ネクストには春馬が片膝をついてしゃがむ。
「頼むぞ、近江」
近江と一蓮托生の気はさらさらない。だがそれは頼らないわけじゃない。彼女の一打は確かに、いかなる試合をも動かす力を持つ。
「なっ」
初球を投じた赤月は驚いた様子で振り返る。150キロを軽く超えるアウトコース低めのボール球を、いきなり真芯で捉えて弾き返したのである。打球こそ上がらなかったものの、ボールは赤月の足元で跳ねて二遊間へ。
「よし、抜け――」
立ち上がりかけた春馬。しかし、
「と、捕ったぁぁ?」
その痛烈な打球をセカンドが逆シングルキャッチ。一歩、二歩、三歩と少々多めのステップを踏んで体勢を立て直しつつ、1塁へとワンバウンド送球。これをファーストが危なっかしく捕球。大崎ら俊足ならば内野安打にできただろうが、鈍足の近江にそれはさすがに難しかろう。余裕のあるアウトにされる。
「えぇ、今の捕るの~」
「マジかよ。今の捕るとか馬鹿じゃねぇの」
「なるほど。つまりウチの二遊間は大馬鹿なわけだ」
アウトになった近江とネクスト春馬の愚痴に、最上はギリギリ本人に聞こえる程度の独り言で皮肉。実際問題、この両名にとって先ほどの打球はファインプレーにもならない処理対象なわけである。それを捕られて馬鹿だなんだと口にするのは、つくづく現金な人達である。
「やっぱり守備が甘いって言っても野球経験者共か。素人との甘さとはレベルが違うわな」
赤月の鋭い送球・投球には手間取っているが、かといって普通の打球を捌けないとか、ファンプレーはありえないということでもない。
『(しかしあいつでランナー出せなかったのは辛いな)』
近江が塁に出さえすれば、なんとか攻める手段もあったというものだ。しかし近江が凡退、次が貧打の春馬とあっては、攻める手段も限られるというものだ。
『(大崎や因幡といった上位ですら崩せなかった赤月・・・・・・まぁ、今回に関しては上位だからこそ崩せなかったのかもしれないけど)』
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
セーフティの構えで揺さぶる作戦に出た春馬、そして楓音。しかし双方あまりの速さの球にバントに集中できず。春馬は連続ファールの後にヒッティングに出て空振り三振。楓音はすべてに対してバントを敢行するも、バットにかすらず空振り三振。力で抑え込まれ続ける蛍が丘打線の一方で、同じく抑えられているにも関わらず1点リードの大田山吹はいい雰囲気がベンチに立ち込める。
「まさか天陽永禄どころか、蛍が丘高校にまでリードしてるなんて」
「やっぱり太陽はすげぇな」
「よっ、天才」
チームメイトとハイタッチしながらベンチに入り腰掛ける赤月。
大田山吹は組み合わせ抽選の結果、いきなりの天陽永禄との試合。2試合目は十中八九琴ヶ浜女子の勝ちはないということから、蛍が丘高校がほぼ確定。さらに3試合目には信英館が控えるなど、3年生にとっての最後の夏がとてつもなく厳しい状況に立たされた。しかし社会人チームから高校野球部に転向した赤月。彼、たった1人の存在によってその状況が一変した。強豪・天陽永禄相手に勝利を収めた上、ダークホース・蛍が丘相手に1―0とリードしている。加えて相手はまともに本気の赤月のボールを捉えていない。
「5番の近江・・・・・・」
赤月が低い声で読み上げた彼女、近江美優を除いて。
そうして暗い雰囲気を漂わせる彼の一方で、打線は押せ押せムード。
『5回の裏、大田山吹高校の攻撃は、5番、レフト、明星くん』
「よぉぉし、こぉぉぉい」
前のイニングは4番の赤月を打ち取って終わったため、ここからは比較的楽な打順である。押せ押せムードの相手に呑まれかねないかは不安な点であるも、その点についてはこの3年間で鍛えられているのである。いたって落ち着いた様子で最上は初球。
『(きたきたぁぁぁ)』
ハーフスピードのど真ん中、甘い球を弾き返す5番バッター。しかしそのバットはわずかに沈み込むボールの頭を叩き、打球はピッチャーの足元へ。これに対してピッチャーの最上は無理に捕球せず。二遊間の打球に逆シングルでキャッチした近江が、テンポよく1塁へと送球してワンアウト。
特にファインプレーでもなんでもない処理であったが、彼女の守備センスだからこそ危なげない守備であったとも言える。
『6番、ファースト、弓張さん』
そしてバッターボックスには大田山吹の女子部員。決してバッティングの上手そうな選手に見えないだけに、ここは安心して攻めていけそうではある。実際に初球の最上のハーフスピードに詰まらされてのファール。
「ふぅ」
彼女は打席を外してバックスクリーンへと目をやる。
『(たった1点差。もしあの5番に次の打席、一発を食らえば・・・・・・)』
順調に抑えていけたならば、近江の打席は次がラストのはずだ。だがその最後の最後に一発を食らったならば延長戦に持ち込まれる。そうなった時人数スレスレであることにくわえ、赤月以外まともなピッチャーのいない大田山吹。一方で、エース・最上以外に鍋島・春馬などリリーフを有する蛍が丘高校。どちらが有利かなど言うまでもない。
だからこそ太田山吹の勝利のためには、一発を打たせないか、一発を浴びても大丈夫なように点差を開くか。
彼女はもう一度打席に踏み込んで構える。
少し間を置いた最上の2球目。外す気のない淡々とストライクを取ってくる彼の球を、彼女は思いっきりひっぱたく。その打球は5番と同じくボールの頭を叩いたもの。むしろ前打者以上に頭を叩いているのではないか。
「新田っ」
「チッ」
最上は潔く春馬に任せるも、任された彼は舌打ち。あまりにも打球が死にすぎているのである。止まりはしないものの勢いの緩いボールに対して、走りながらにベアハンドで掴んだ春馬はそのまま1塁へランニングスロー。しかしあまりにも雑なプレーに送球が大きく逸れる。寺越が1塁ベースを離れて捕りに行き、打者走者・弓張は寺越との接触を避けるようなスライディングでベースを触れに行く。
「セ、セーフ」
審判の手が横に開く。それどころか春馬の送球は大きく外れての悪送球。それに気付いた彼女は立ち上がって2塁へ向かおうと言う意志を見せるも、1塁側ラバーに当たって跳ね返った打球を処理したのはライト・楓音。2塁に向かいかけたランナーを見て、ファーストに素早く送球を返す。受けた寺越は飛び出したランナーに飛びつくようなタッチも、こちらも頭から飛びつくようにベースに戻ったランナーが早い。
「セーフ」
再び審判の手が両サイドに開いた。
「うおぉ。危なかった。楓音、助かった」
「どういたしまして~」
春馬にとっては珍しい悪送球であったが、楓音の素早く的確なカバーに助けられた。ショートの守備位置から大きな声で楓音に感謝を示すと、彼女は手を振って応えてくる。もっとも春馬のエラーというわけではなく、記録上はヒットであり、いわばラッキーヒットである。
1アウトでランナーは1塁。ランナーを許してしまったわけだが、一方でこれから打順は下位打線へ。赤月単独で天陽永禄に勝ったようなチームなだけに、中軸さえ乗り切ってしまえば大したチームじゃない。
『(1塁ランナーのリードはまぁまぁ。バッターも足は速くなさそうだし)』
最上の狙いはサード方面のゴロを打たせてゲッツー。
まずは少し厳しめのコースに見せ球のストレート。これを見送られてワンストライク。送りバントでランナーを進めてくるくらいはあり得るかと思われたが、その動きすらも見せない。
2球目。インコース低めへの遅い球を気持ち引っ張り気味のタイミングで捉えられる。しかしそれは想定通り。打球は三遊間へのゴロ。
「新田。ボール2つ」
振り返った最上が春馬を指さす。
猿政も潔く諦めてショートに任せる。
いつも通りの打球反応で追いついた春馬は逆シングル。
『(ちょっとランナーのスタートがいいか。けど、十分に2塁で殺せるな)』
既に2塁へは近江が入っている。決して体勢が悪いわけではなく、これならば十分にゲッツーは取れることだろう。
「よし、セカン」
春馬がサイドスローで2塁へと送球。
2塁に右足をかけて送球を受けた近江は迷わず1塁へと転送姿勢へと入る。
しかしその時だった。
『(私たちの最後の夏。手段は――)』
1塁ランナーの弓張はスライディング。その先にあったのは2塁ベースではない。
『(選んでいられないっ)』
近江の足。
彼女が1塁へと送球した直後、スライディングしてきた弓張の足が彼女の左足を刈る。小柄な近江はいとも簡単に体勢を崩さる。慌てて手を突こうとしたが、運が悪いことにその先にいたのはランナー。右手で反射的にランナーの肩に手を突いたが、すぐに手を滑らせてその先の地面へ。
「あ、アウトっ」
送球こそ1塁に届いてダブルプレー成立。
ところが2塁ではゲッツー崩しを仕掛けたランナーによって近江が転倒。
意地と意地のぶつかり合いとはいえ、非常に危険なプレーであった。
「っぶねぇことしやがるな」
春馬はまだ倒れたままの近江を横目にベンチへと踵を返す。
そしてランナーの弓張は、体を起こして1塁へと振り返る。審判はアウトコールを行っており、彼女のゲッツー崩しは失敗であったといえる。さすがにショックだったか、ため息を漏らしてベンチへと帰り始める。
「タ、タイム。タイム」
すると春馬が駆け足で内野のラインを越えようとした時、大崎の声がマウンドに響く。スリーアウトでチェンジ。プレーは動いていないだけに、わざわざタイムを賭ける必要はないわけだが。
「どうした、大さ――」
センター方向、正しくはセカンド方面を目にした春馬が気付いた。
近江が起き上ってこない。
「近江っ」
春馬の慌てた声に、蛍が丘ベンチ、加えてスタンドもざわめく。
普段の彼女ならまだしも、野球をしている時の彼女は冗談を言うタイプじゃない。そして何より心配なのが、彼女はフライを追ってベンチに飛び込んでも、気にせず試合に出続ける子である。そんな子が起き上らないのはただ事じゃない。
「近江、大丈夫か」
腰を落として覗き込んだ彼女は、涙を流しながら右手首を押さえていた。
彼女の泣き顔は幾度となく見ている。痛がる顔も見ている。
しかし、野球のプレーに関することで、これほどまでに痛がり泣いていることは初めてだ。
最も近くにいた2塁審に加えて、他の審判団も駆け寄ってくる。球審がすぐに担架を要請すると、運営スタッフが直ちに搬送準備。見ると医療関係者であろう女性も近寄ってくる。
「いい。少し手を見せて」
彼女はすぐに近江の横にしゃがみこむと、彼女が右手首を押さえていた左手を静かに外す。
「近江、ドクターが来たからな。大丈夫だからな」
そしてその左手を両手でしっかり握る春馬。
すると直後、ほとんど一瞬見ただけで判断する。
「蛍が丘の監督さんは?」
「選手兼任なので僕です」
「彼女ですが、以降の出場は不可能……交代を」
端的な要請に対して、冷静に応えそうな春馬。しかし彼の反応は彼らしくなかった。
『(嘘だろ。近江が、よりによって、近江がプレー上の怪我って)』
打撃の負担で腱鞘炎になったことはあるが、こうした事故による怪我は考えていなかった。
「しゅ、春馬君。出られる。私、出られるよ」
涙声になりながらの主張。しかし体勢の変化でわずかに手首が動いた瞬間、その表情は歪む。
「か、替えないで。私、私、まだみんなと野球がしたいよ。甲子園に行きたいよぉ」
彼女の痛いほどよく分かる、悲鳴にも似た、耳だけじゃない、心に響く声に、春馬もその返事が絞り出せない。
「新田」
ただその最上の声が春馬を呼び戻す。
「最上……」
「あぁ」
「沖満に伝えろ。打席が回るか、次の守備か。いずれか早いタイミングで近江と交代。準備しろと」
「分かった」
最上は先に戻って沖満へと指示に向かう。
「やだ。やだよぉ。春馬君。私、春馬君と一緒に、一緒に野球が――」
そこまで言った時、彼は人差し指を彼女の口に当ててその先を封じる。
そして彼女の頭から外した帽子。そこには春馬が書いてあげた『全国制覇』の文字。それを確認して自分の頭にかぶせる。少しキツイ気がする、サイズ的に無理ではない。そして彼女のお腹に自分の帽子を置いておく。
「近江。勝ってくる。だから、治して戻ってこい。それまで僕らがお前の夏は、絶対に終わらせはしない」
「春馬君、指切り」
「あぁ。絶対に負けないから、な」
「うん。負けたら……私とデートね。春馬君と、やってみたかったんだ」
「分かった。だから戻ってこい。嘘ついたら1日8時間の勉強な」
「うぅ、頑張る」
彼女はゆっくりと春馬を握っていた手を弱め、春馬も近江を握っていた手を緩める。
「近江をお願いします。それと、近江の母がスタンドにいるので連絡を」
「はい。彼女はお任せください」
スタッフが協力して担架に乗せると、そのままバックネット裏まで搬送。途中まで春馬も同行する。
「春馬君、絶対に勝ってね」
「分かってる」
「信じてるから」
「あぁ、僕もお前が戻ってくると、信じてる」
彼女が完全にバックネット裏に消えると、春馬は全員がベンチに戻った蛍が丘ベンチを向いた。そこにはベンチ入りメンバーの中で最も存在感のあった、ムードメーカーのキャプテンの姿はない。だからこそ、彼女の意思は彼が受け継ぐ。
春馬は一度帽子を外し、つばに書かれた『全国制覇』の文字を見つめる。
きっと彼女は自分が書いたこの文字を見て、全国制覇を目指していたのだろうと。
『(近江。一緒に戦おう)』
そして大きく息を吸い込むと、人生で一番ではないかというほどの大声を発する。
「絶対勝つぞおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
その思いは春馬だけじゃない。
「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉ」」」
この気合を、この思いを、ベンチ裏に消えた近江まで届ける。
その強い意志を持った気合がグラウンドに響き渡り、近江の負傷交代で沈んだ空気に喝を入れる。
「待ってろ、近江。大田山吹は、蛍が丘が降す」
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
『5回の裏、蛍が丘高校、選手の交代です。セカンド、近江美優さんに代わりまして、沖満さん。背番号11』
「沖満。あいつのためにも負けるわけにはいかん。頼んだぞ」
「先輩。私、近江先輩といちゃついてばかりいる先輩が嫌いです。大嫌いです。世界で一番嫌いです。けど――」
彼女はさながら近江のように右手を突き出す。
「先輩の、近江先輩を思う気持ちには同意です。そこには好感を持てます。ですから、今日はその点だけで先輩を信頼します。絶対に勝ちましょう」
「あぁ、絶対に勝とう。できればそのまま、その嫌いって気持ちもなんとかしてくれたらいいけど」
「それは無理です。犬と猿くらい仲悪いです。因みに私は犬の方がいいです。チワワかトイプードルが好みです」
「じゃあ僕は猿か。しかし、犬猿の仲とは、そいつは仲良くは無理だな」
春馬もさすがに諦める。
しかしその『犬猿の仲』ともいえる沖満と春馬も近江の存在によって鬼退治に向かう旅仲間となる。あいにく指揮官のももたろうはいないが、ここは春馬が監督を兼任である。向かう先は甲子園と言う名の鬼が島。その先には大田山吹という赤鬼が立ちふさがると言ったところか。
「5回の裏ぁぁぁ。近江に勝ちを届けるぞぉぉぉぉ」
「「「おぉぉぉぉぉぉ」」」
皆月のいつもと変わった気合の入れ方にもしっかり応える蛍が丘ナイン。
蛍が丘は絶対に勝てないと言っていた信英館の日坂監督だが、決してそんなことはない。蛍が丘高校は負けるわけにはいかないのである。