最終話 私「が」甲子園に連れて行く
月曜日。朝。
「……まったく。お前が早く来たせいで」
「だってぇ」
春馬と近江の2人はいつもより15分ほど早く学校に来ていた。
去年の今頃からだ。自分の通学路上に春馬の家があると気付いた近江が、毎日のように一緒に登校しようと家に来ている。それも今日は近江が早く家に来たことで登校時間が前倒しになり、非常に暇な朝会前の空白時間を過ごしているのだ。
「本当ならあともう少しで今日の株価指数がだな」
「だったら、前みたいに家に上げてくれたらよかったのに……」
去年の4月頃は近江が早く家に来た時そうしていた。しかしそうしなくなったのはちゃんとしたわけがあるのだ。
「それやったら親からの視線が痛いんだよ」
「そんなの気にしなくていいのに」
「気になるわぁぁぁ」
親とは毎日会うのだから気にしない方が無理である。誰もいないと言うわけではないが、春馬と近江を合わせて10人もいない教室で騒ぎ合う。
「寝てたら、幼なじみの女子が起こしに部屋まで来るってやつできたのに」
「悪いな。僕は遅寝早起きだ。そもそも、お前は幼なじみじゃない。それに、お前に起こされるのはいろいろ怖い。他人が寝てるのを見て自分も寝そうで」
「うぅ、冷たい。別に起きなかったら布団に潜り込むとか考えてないもん」
「考えてたのか、お前」
春馬は今後も絶対に近江が来るより前に起きることを決意する。
「で、何を思って早く来たんだ? 別に今日は遠足でも運動会でもないぞ」
「そうじゃなくて、昨日、買ったんだぁ」
「何を? 株?」
「これ」
春馬のボケをスルーした近江は、勉強道具の他に練習着や野球道具なども入ったカバンからある物を取り出した。
「買ったのか」
「うん、買った。少し遅れたけど、お母さんから甲子園の出場祝い」
近江が手にしているのは黒色のキャッチャーミット。自前のミットを買ってくるあたり、完全にキャッチャーをやる気のようである。近江は春馬のとなりへ椅子を並べると、そこに座って彼の肩へともたれかかり密着する。
「それで、私のリードどうだった? 投げやすかった?」
「リードは0点だな」
「0点満点だよね?」
「だったらマイナス100点だな」
「うぅ……酷い」
落胆する近江。自分のミットも買ってキャッチャーへのやる気を出したところで、相方からのキツイお言葉。これはさすがの近江でも心に突き刺さって痛いようで。
「とりあえずリードは0点」
近江はその春馬の言い直しにふと気づいた。
「リード『は』?」
リードは0点と言うことなら、もしかするとリード以外で評価できる点があったと言う事ではないか。近江は落ち込んだ気を持ちなおす。
「ランナーを刺す力と言う意味ではかなり高いし、そこは十分かな。それと……」
「それと?」
聞き返す近江。ところが春馬はどことなく続きが言いにくそうに顔をそむける。
「その……だな」
「うん」
「リードは壊滅的だけど、投げやすかった」
前半部分をやや強調させながら言い切った春馬。
「本当?」
「本当。改めて言うと、リードは壊滅的だったけどな」
「投げやすかった?」
「な、投げやすかった。もう1回言うと、リードは壊滅的だったけどな。ついでに、コーナーを突いた時にミットが流れがちになるみたいな技術面での未熟感が……」
近江の心の底から嬉しさが湧き上がってくる。その後も春馬が何やら話してはいたが耳に入らず、約10秒程度の間をおいてその嬉しさが表へとあふれ出た。
「やったぁぁぁぁ」
「お、近江ぃぃ?」
土曜日のように飛びつき抱きついてくる。今度は彼女に汗臭さなどなく、しかも学生服スカート姿と言う女子らしい格好。春馬曰く、女子の一番可愛い姿は学生服であるからして、なおたちが悪い。
「投げやすいって言ってくれて嬉しい~」
「あ、ちょ、え?」
周りを気にする春馬であるが、他のクラスメイト達は「あいつら仲良いな。また2人で騒いでるよ」みたいに日常を見るかのような目。あまり周りは気にしていない様子。
「私、これからも春馬君がなげやすくなるように頑張る。リードの勉強も頑張る~」
「分かった。分かったから」
「えへへ。春馬君。だ~い好き~」
胸に顔をうずめてきたり、頬を擦り付けたりしてくる近江に春馬はあわてふためく。
「おまっ、好き好き言いすぎ。ここ1週間で10回くらい言ってんだろ。多分」
「好きなんだも~ん。大好き、大好き」
近江が長期型回帰性突発欲情病を発症したあたりでタイミングよく登校して来るは山陰の狐と、野球博士。狐は2人の光景を見ても何事もないかのように席へと座り、博士は顔を紅潮させつつ目を丸くする。春馬が目で助けを求めるも、各々の理由で援軍を寄こそうとはしない。
「最上~ヘルプミ~」
今度は言葉で直接の援軍要請。
「わりぃ。今、山形城が上杉軍に攻め込まれていてな。援軍を出せる余裕がないんだ」
「なんだよ、上杉軍って」
「上杉軍って言うのは当主上杉謙信。旧名・長尾景虎の軍だな。主要な戦力としては直江兼続、宇佐美定満、村上義清、あとは柿崎景家などが挙げられて……」
「いやいや。マジな答えは期待してないから。あぁ、もう楓音。助けてぇ~」
最上軍の助けを得られないと悟った春馬は、続いて楓音へと救援信号。
「え、助けてって言われても……ど、どうすれば……」
戦力外であった。さしずめ戦経験のない村の娘Aくらいの立ち位置だ。
「仕方ない。陽動部隊くらいは放ってやる。後は自分でなんとかしろ」
何やら言いながらも最上軍は、近江軍に襲われている新田春馬軍へと陽動部隊を放つ。
「なぁに? これ?」
目の前に放り投げられたある物に、注意が引き付けられる近江。
「日曜日の新聞。地方欄。チェック」
「地方欄、地方欄、地方欄……ってどこ?」
「「「知らんのかい」」」
最上・春馬・楓音からの鋭いツッコミ。ようやく近江から解放された春馬が最上の言うように地方欄を開くと、近江や楓音も覗きこむ。そこには1面ほど使って土曜日の試合が大々的に報じられていた。さすが地元紙とあって内容は地域密着型の内容だ。
「『蛍が丘健闘もあと一歩及ばず』だって」
近江が大見出しを読み上げる。
「そうだな。あそこで新田が4番に初球をバックスクリーンに運ばれたせいで僕の勝ち星も消えて」
「あのさ、少しだけ言い訳していい?」
「どうぞ?」
「近江のサインがど真ん中ストレートだった」
「首振れよ」
「くっ。正論過ぎて言い返せない」
近江のサインが悪かったのは事実だが、首を振らなかったのも事実だ。
「でも、近江ちゃん。なんで、あんな状況でど真ん中ストレート?」
「だって、みんなが春馬君に声掛けしてたよね?あんな感じに盛り上がってる時はど真ん中全力投球のストレートでズバッと三振を」
「「「マンガの読みすぎ」」」
それをやった結果、三振どころかサヨナラスリーランを食らったわけだが。
「また少しだけ言い訳していい?」
「どうぞ?」
「近江のリードがどれくらい通用するか挑戦してみたかった」
「いや、あんな状況で挑戦するなよ」
「くっ。またも正論過ぎて言い返せない」
再びの言い訳も最上にあっさりとねじ伏せられてしまう。
「それで最上君。私のリード、どうだったぁ?」
「ボール球、多過ぎね? 僕としては、ボール球は投げなくてもいいと思うんだけど」
持論を展開する最上に、春馬は冷たい目を向ける。
「お前みたいなイレギュラーはな。普通ならボール球も有効に使うべきだろうよ」
「ほほぉ。新田大監督は、セイバーメトリクスでボール球は不要と出ているのにも関わらずそれに反対しますか?」
「当然。セイバーはあくまでも一般的なプレーによって得られた結果であって、セイバーを実行した結果じゃないからな。ピッチャー有利カウントにおいて打率が下がるのは、ボール球が頭にあるから。バントが有効視されないのは、バント警戒シフトはヒッティング時の穴が大きく打率が上がるから。ついでに言うと、通常のプレーでバントは普通ならクリーンアップでは仕掛けない。バントの有り無し論って、つまり上位と下位で得点力が違うって言うバカバカしいくらい普通な話だろ。セイバーを普段から使っていれば相手も手を打つ。ボール球を意識から外すとか、バント警戒シフトを敷かないとかな。その数値的な誤差も計算にいれない内は、セイバーはあくまで机上の空論でしかない」
「うおぉ。サヨナラスリーランを食らった新田に論破されたぁ」
「それは言うなって。それに、セイバーを鵜呑みにしないってだけで、そこそこは僕も認めてはいるし」
サヨナラ負けを食らったと言う事実だけが4人の間に強調され、暗い空気が蔓延し始める。その空気を変えようと、楓音は新聞の記事へと目を通し始める。
「記事の内容は近江ちゃんと、あとは最上くんの好投がメインだね。あとは日野さんのケガの状態について」
「ちょ~っとだけなら楓音の事も書いてあるだろ。7回の追加点について」
「うん。少しだけ書いてあるね」
最上は記事の内容が頭に入っているようだ。春馬は楓音へと新聞を渡すと、椅子から立って背伸びや屈伸など体を軽く動かす。
「負けたけど当初の目的は果たしただろうし、よかったんだろうな」
「当初の目的って言うと、なんだっけ?」
「おい、最上。本気で言ってるのか?キツネそばにするぞ?」
「冗談だ」
記事の内容を見るに、近江の先制ホームランや度重なるファインプレー。最終回にキャッチャーに回った事などに続き、楓音の地味な活躍も小さく書かれている。それらはどこからどう見ても高校野球の女子参加を否定している内容ではなく、肯定的な内容が並べられているように思える。試合前はあれだけの批判、批判、また批判だったことを考えるに大きな1歩になったのは違いない。
「でも……」
「でもどうした? 何かまだ引っかかるところあるのか?」
未だスッキリできていない近江がいる。春馬や最上にしてみれば問題解決なのだが、女子にしか分からない何かがあるのだろうか。
「なんだかなぁ」
「何が言いたいんだ?」
はっきりしない近江に春馬は少しだけ強い口調。
「負けたのにきれいに収まるって、なにか違う気がする」
「違うって?」
「負けたら廃部の野球部が、負けたけど存続みたいな」
試合前の校長との会話で予言じみた発言をしていたことを思い出す春馬。近江の頭に手を乗せると、あまり変な事を言わないように撫でて黙らせる。気持ちよさそうに目を細めていた近江も、すぐにその程度では騙されないぞと上目づかいで春馬を見上げる。
「でもぉ」
「要するにどうしたいの?」
「こう、勝っていい感じに」
具体的なように見えて非常にアバウトな回答。春馬は少しだけ悩んだ末にふと閃いた。
「近江、帽子出せ。楓音、ペン持ってる?」
「え、うん」
「持ってるけど、黒?」
「黒でOK」
春馬は近江の帽子とペンを受け取ると、彼女の帽子のつばの裏へと何やら書き始めた。
「しゅ、春馬君?」
「……」
自分の帽子に何やら書かれ始め、止めた方がいいのか止めない方がいいのか戸惑う近江。そうして近江があたふたしている間に目的のものをかき終えると、ペンは楓音のポケットに差し込み、帽子は彼女の頭へと乗せる。
「ま、頑張れや」
帽子を取った彼女は帽子のつばの文字を読む。
「……お、おぉぉぉぉ」
少しだけ間が開いたのは漢字が読めなかったからであろう。
「きれいに終わらせたきゃ、頑張ってきれいに終わらせろや」
「うん。頑張る。すごく頑張る」
楓音と最上も後ろから彼女の帽子のつばを覗き込むと、意味を理解したように頷く。
「新田はこれ、できると思うか?」
「不可能じゃない。島根はせいぜい5試合勝てば全国だからな。大阪や東京に比べれば達成しやすいだろ。単純な数字の上ではな」
『(もっとも、島根県勢では未だかつて達成したことないけど)』
近江はつばをずっと見つめつづけ目を輝かせる。
「それが、近江が思う1番のラストじゃないか」
「うん。でも、私だけじゃ無理だと思う」
遠回りに協力しろと頼んでくる近江。しかしここにいる3人は頼まれずとも協力するし、ここにいない野球部員も協力するだろう。いや、むしろ近江の帽子のつばに書かれたその言葉は、高校球児であれば誰しも目指すであろうものだ。
「私も。近江ちゃん、これからもよろしくね」
「まかせとけ。僕だってそれは夢であり目標だからな」
楓音と最上は強力の意思表示。そして春馬も、
「この熱血野球漫画的なバカっぽいやり取り必要?」
「うぅ、必要」
「はいはい、協力しますよ」
『(たしかに甲子園での試合放棄のマイナスと、地元の練習試合でのプラスが釣り合うとわけがない。真
に女子高生球児の力を知らしめるためにはこれが1番なのかもな)』
近江の顔が一気に明るくなる。そして帽子をかぶると空いた右手で春馬の手を握った。
「それじゃあ今日から頑張ろう。『全国制覇』を目指して」
「書くには書いたものの、甲子園に行けるかどうかもなかなか難しそうだけど。敵は信英館に、今度は調子を上げてくるであろう大野山南。天陽永禄に松江水産」
「無責任すぎるよぉ」
両手で春馬の手を強く握り直し、しっかりと彼の目を見据える。
「でも、春馬君が自信ないなら、私が春馬君を甲子園に連れて行ってあげる」
「はいはい。連れて行ってください。できるものなら」
「できるもん。頑張るもん」
子供の非現実的な夢をあしらうような言い方に、反抗を示す近江は頬を膨らませて彼へと顔を近づけて目を凝視する。
「はいはい。頑張ってくださ~い」
「頑張る」
男子から女子ではなく、女子から男子に向かって甲子園へ連れて行く約束。近江、最上、楓音、そして表向きはやる気なしだが、本音は春馬も甲子園に対して決意を新たに。
『(甲子園から逃げたままの引退は気持ちよくないしな。やってやるよ。甲子園の悪夢を取り払ってやる)』
3か月後に控えるは、甲子園への出場権を奪い合う夏の島根県大会。さらに来週末には、今年の夏のシード権を賭けた春季大会。戦いは既に始まっている。
蛍が丘高校野球部は、部員が各々の気持ちを胸に2度目の甲子園を目指して第1歩を踏み出した。
とりあえず、大賞投稿分は以上となります
「面白くない」「つまらん」と言った辛辣なものでも
感想をお待ちしています
できれば「どこが面白くない」か「なぜつまらないか」
を指摘してもらえると嬉しいです
そこを考えるのも自分の役割でしょうが、
読者サイドと、執筆サイドでは視点が異なりますから……ね
第2話は大賞に送る物を完成させてから、
暇を見つけて作成・投稿します
そして最後に……
まぁ、今年は阪神が日本一やろうな(阪神ファンの確信)
<次回予告(予定)>
蛍が丘高校文化祭&夏大組み合わせ抽選会