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第3話 絶望のエース

「さすがに蛍が丘、いや、奇策の使い手・新田監督と言えど、赤月君の攻略は簡単じゃなさそうだ」


 拮抗した試合展開を見つめながら、冷静に次の試合への手を考える日坂。その横で野球部顧問教員の田部はイニングの合間に彼へと疑問をぶつける。


「日坂さん。なぜ、蛍が丘にあれほどの情報提供を? 普通であれば、どこの高校もあんなことはしませんよ」


 提供した情報は、試合の撮影内容からスコアブックなど自作のもの、信英館の情報網・人脈を駆使して他から集めたものなど。その労力が信英館のためではなく、蛍が丘のために使われているというのだから、顧問としては不満があるのも仕方がないところである。


「簡単な話です。蛍が丘は普通に戦えば勝てない。勝機があるとすれば、堅牢な守備で無失点に抑えて、近江さんの計算できない一撃に賭けること」


「ならましてや情報を提供することはなかった。蛍が丘は信英館を一度、破っているんです。あの時に比べると蛍が丘は誰も欠かさず、ウチは主力の3年生を引退させた。いくらこちらもやるべきことをやっているとはいえ、彼らの3回戦進出への背中を押すのは自らの首を絞めるようなことだ」


 日坂監督の主張に猛反論を行う田部顧問。それでも日坂は冷静さを欠かさない。


「えぇ。蛍が丘には3回戦に上がってきてもらっては困る。だが、もう1つ困ることがある」


 彼はここで目を細める。


「蛍が丘が大田山吹を前に、無抵抗で倒れてしまうこと」


 そしてわずかに目線を田部に向ける。


「田部さんは、『二虎強食の計』という言葉をご存知ですか?」


「えっと確か……」


「三国志において、曹操、厳密にはその配下の軍師が用いた策です。劉備と呂布の2勢力を争わせることで、片方を潰し、もう片方も傷だらけにすることができる。いくら強大な敵と言えども、傷だらけとあってはその力は衰えます」


 その瞬間、田部は気付いた。


「蛍が丘は大田山吹に勝てない。だがそれでは片方が潰れるだけで、もう片方を傷だらけにするには至らない。だからこそ信英館が情報を提供し、2つの野球部の力量を均衡させることで、お互いのつぶし合いを演じさせる。それが真の目的です」


 加えて彼は右手人差し指を立てて、


「それともう1つ。新田監督は戦術面において優れた采配能力を持つ。もし赤月君攻略方法を生み出したとするならば、それは間違いなく信英館の追い風となります」


「もし、蛍が丘が大田山吹を降したら?」


「大田山吹は強敵。蛍が丘も無傷では済まないでしょう。きっと、エース・最上を酷使してしまうか……」


 実際、蛍が丘高校は去年の夏。試合間隔が短くなってきた3回戦において、急激に調子を落としている。優れた集中力と守備力を誇る蛍が丘高校であるが、連戦に耐えうる体力面と、それをカバーする選手層には課題がある。選手層については新入部員でカバーしたものの、4人中2人は初心者。経験者の片方は投手であるものの、もう1人は女子の野手。近江の存在がある以上、女子を馬鹿にはできないが、近江級の女子はザラにいないのは確かである。


「唯一の懸念があるとすれば、新田君が確実な攻略方法を見つけて圧勝してしまい、無傷で蛍が丘が抜けてしまうことでしたが――」


 彼はバックスクリーンを見て安堵の表情。


「いらぬ心配だったようです。私の予想通り……」


 彼は断言する。


 その一言は『戦術の春馬』に対し、『戦略の日坂』とでも言うべきものであった。


「この試合の結末は、蛍が丘と大田山吹の共倒れ。その漁夫の利を得るのは信英館です」


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 大田山吹高校の打線は事前情報からしてそれほど強力なものではない。先の天陽永禄戦でも、エラーを絡めて点を取っただけに過ぎない。なんなら結局あの試合は両者ノーヒットという珍しい結果を迎えている。


 1番バッターの打球はセカンド真正面のなんでもないゴロ。捕った近江が難なく1塁へと送球してワンアウト。スイングスピードからしても決して手ごわさを感じるものではない。


 2番の打球こそ一二塁間へのヒット性の打球となるも――


「っせい」


 寺越のファーストミットの先を抜けたゴロを、近江が回りこみながらスライディングキャッチ。1塁カバーに入った最上へと送球してツーアウト。


「ナイセカン」


「えっへん」


 最上から指差されながら賞賛されて胸を張る。相手投手・赤月の投手力に匹敵する蛍が丘高校の高い守備力は健在。蛍が丘高校が点を挙げるのが難しいのと同じくらい、大田山吹にとっても点を挙げるのは難しいことだろう。


「セカン、もう一丁」


 続く3番の打球はピッチャー頭上。これを最上はマウンドから引き、セカンドの近江へと任せた。これを最上から指示を受けた近江が代わりにマウンドへと上がって捕球してスリーアウト。結果としてこのイニングはすべてのアウトがセカンドへのものにて終わった。


「ナイスピッチ」


「ナイスセカン」


 最上と近江は両者指差しあいながらの声掛け。


「やぱり大田山吹打線は大したことない。あくまでも毎年1回戦敗退の弱小校か」


 そんな2人の後ろで相手を見下すようなことを口にする春馬であるが、だからと言って油断を仕切っているわけではない。なにせ同じく毎年1回戦敗退ながら、ある年の夏に急に総合鈴征・信英館を破り、大野山南を苦しめた公立高校だってある。それに――


「でも、あいつは要注意、かな」


 4番・赤月太陽。彼の打撃だけはメンバーの中でも段違いだ。前の試合では取り立てて結果を出してはいなかったが、スイングスピードは明らかに周りと異なる。信英館のピッチャー相手にまともに勝負できたのは実質、彼だけだったと言えるだろう。


 ここを三者凡退無失点に落とせたのは、彼に打席を回さずに済んだという点では非常に大きいものとなるだろう。


「さて、なんとか1点を取りに行こうか」


「うむ」


「うん」


 ベンチに戻ってグローブを置き、代わりにヘルメットとバッティング手袋を手にした春馬。彼の掛け声に4番・猿政、5番・近江が答える。蛍が丘高校上位打線が手も足も出なかった相手を主砲、そして5番から始まるくせ者打線が攻略できるか。

『4番、サード、猿政君』


 期待の巨漢打者・猿政が右バッターボックス横で素振り数回。蛍が丘高校のメンバーの中で2番目に一発を狙えるバッター。今現状においては連打での得点が難しいと考えられているだけに、キーマンとはなりうる存在だ。


「ストライーク」


 初球は厳しいコースを見送ってワンストライク。落ち着いた雰囲気をかもし出しつつ、堂々たる態度でバットを構えなおす。


「うにゅう。速い」


「そりゃあ150オーバーなんて島根でも唯一だろうしな」


 ネクストで球速に驚く近江の後ろ、春馬は赤月から目を離さずつぶやく。


 とにかく150オーバーが出せることもそうだが、赤月はコンスタントに150を出しているピッチャーである。それだけに体力が続くものなのか疑問ではあるものの、前の試合では完投するに至っている。球速もさることながら体力もあるのであろう。


「ストライク、ツー」


 2球目のストレートにバットを出すも間に合わない。ワンテンポ遅れた空振りに、猿政は珍しくボックスキャッチャー寄りに立ち位置を変える。


「ストライクスリー、バッターアウト」


 しかしそんな手を打つ主砲・猿政をもってしても手が出ない。


 蛍が丘上位打線が沈黙を続ける中、秘密兵器が声をあげる。


『5番、セカンド、近江さん。背番号4』


「わたしの出番だぁ」


 嬉々としてネクストバッターボックスから飛び出していった彼女は、楽しそうに右バッターボックスへ。マウンド上の赤月がキャッチャーとのサイン交換を済ませて構えると、彼女もしっかりバットをいつもの高さにて構える。


 初球。


「ストライーク」


 アウトコースのボール球ストレートを空振り。151キロをマークしたその球は、いくら近江とあれどもそう簡単には打てないように見える。しかし赤月はその空振りに対して違和感を覚えた。


 2球目のサイン交換。


「ん? 首、振ったな」


「首振るのおかしい?」


 ネクストで意味深につぶやく春馬に、さらにその次打者として準備中であった楓音が問う。サインが合わずに首を振ることなんて珍しいことじゃない。好き勝手投げる最上は首を振るどころかサイン交換すらない例外中の例外だが、以心伝心・信頼感の塊たる春馬―近江バッテリーですら首を振る場面があるくらいである。


「いや、いいんだが……赤月が首を振る場面って、前の試合でも見なかったなって」


 次のサインには首を縦に振る。


 そうなると彼の選択した球は――タイミングを外す変化球。彼の右手から放たれた緩い球に、150キロオーバーのタイミングで待っていた彼女はリズムを崩される。はずだった。


 一閃。緩いチェンジアップをしっかり引っ張りのタイミングで、それも真芯で捉え、体重を乗せきって押し込む。弾丸ライナーとなったその一撃は、瞬きの合間にレフトポール上部をかすめる。


「ファール、ファール」


 推定飛距離130メートルオーバーのファールボール。あと数センチ右であったならば、ポール直撃の先制弾であっただろう大当たり。


「くぅぅ、惜しいぃぃ」


 この当たりにはさすがの最上も悔しがる。


「今のが切れたかぁ。いきなり均衡が崩れたかとも思ったけど……」


 相手が相手だけに、ネクストの春馬も悔しいことには変わりない様子。もしもここで1点が取れていれば、その1点で勝負が決まった可能性だってあるのだ。


「むむっ。あの球を引っ張るとは近江殿も只者ではないの」


「やっぱり速いか?」


 一発になりかけた打球である以上に、レフト方向に引っ張りきったことに感心を示す猿政。彼がそういうからにはただ速いだけではないのだろうと思った春馬は、ネクストから振り返りつつ問う。


「うむ。手元での伸びが尋常ではないの。近江殿の打球を見る限りは当たれば飛ぶ球かもしれぬが、当てることが簡単ではないの」


「確かにあれは、なぁ」


 となると、今現状であれを当てられるのは近江くらいのもの。その近江も安定して当てられるわけではないため、打てる策はとにかく彼女に打席を回すことだろうか。


 その近江は今の一撃に首を傾げつつ、ゆっくり時間をかけて打席へ。一方の赤月はあわやホームランの大ファールを浴びたことで、自らの違和感を確信へと変えたのであろう。目つきを変えてキャッチャーのサインを覗き込む。今度は最初のサインに頷いた。


「ボール」


 その3球目はアウトコースに外れたボール球。これで勝負を決めようと言うよりは、近江の出方を見た1球であろう。ここまで積極的に攻める気満々でストライクを取り続けた赤月を見ていると、そのたった1球で慎重な攻めに変わったとも見える。


「近江。頼む。今はお前だけが頼りだぞ」


 ネクストで近江にただただ信頼を寄せる春馬。そうとは知らない近江は一呼吸置いてバットを構える。ここで一発が出れば早くも試合を動かすことができる。この好投手相手にである。


 4球目。


 赤月が歯を食いしばりながら投じた全力の一投。


「ストライクスリー、バッターアウトっ」


 インハイへの152キロストレート。恐怖心からのけぞるのも当然の投球にも関わらず、近江は臆することなくバットを振り切る。しかしバットにはかすらず空を切った。


「うにゅう。速かった」


 駆け足ながらとてもしょんぼりした様子で戻ってくる近江であるも、彼女にネクストの春馬が打席へと向かいながら声を掛ける。


「ナイススイング」


「春馬君も頑張る」


「あぁ。やるだけやってくる」


 ここまで上位5人の内、近江以外まともに捉えることができなかった赤月の投球。そんなピッチャーに果たして春馬がどれほど食い下がれるのか。


『6番、ショート、新田春馬君』


 5者連続三振を食らっている中、なんとか突破口を開いてもらいたい。その思いから、打撃下手の春馬に対してもベンチから声援が飛ぶ。


『(決して相手の守備は上手くない。なら、バットに当てさえすればもしくは……)』


 厄介な近江を抑えて一息ついた赤月。彼はなんとかしようとやる気満々な春馬を前に、ややリラックスしながらサインを覗き込む。そして頷いた彼は早くも投球モーションへ。おそらく投げる球はストレート一本。投げてくる球がひとつなのは日野相手の時よりも楽であるも、それだけ自信のあるストレートでもあると考えられる。


『(なんとか、なんとか目が追いつければ)』


 球道を見ようという春馬に対し、赤月の指から弾かれたボールはアウトコースへ。春馬は一切バットを振らずに見送り、そのボールがミットに音を立てて飛び込む。


「ストライーク」


『(見える、けど……)』


 守備が上手く、選球眼も優れている春馬。元々、動体視力は悪くない選手である。そのため150を越える球にも目がついていけるようだが、それを生かす打撃センスがあるかどうかは別である。


『(さすがにしんどいかな?)』


 猿政のように立ち位置を最もキャッチャー寄りへと変える。これで稼げる距離はせいぜい1メートル程度であるが、それでもそのわずかな距離で成否が変わることもある。馬鹿にならない距離である。


「ストライク、ツー」


 2球目に手を出した。だがわずかに振り遅れた。


『(ふ、振り遅れた? 猿政の言うように手元で伸びてきてるか。ほんと、近江はよくこんなのを引っ張れたな)』


 なんなら引っ張ることができた上に、『彼女のマイ・ストライクゾーン』が基準であるもののしっかりストライク・ボールの見極めもできていた。つくづく彼女の野球センスに驚愕するのみである。


 マウンド上の赤月は対近江時と異なり淡々としたリズムで投球を展開。今の彼にとっては近江のみが要注意打者であり、他の打者はその他大勢くらいの認識なのだろうか。


『(させるか。少しでも、少しでもチームにヒントをっ)』


「ストライクスリー、バッターアウトっ」


 高めに浮いたボール球。投げた瞬間にボール球だと分かってはいたが、振り出したバットは止まらなかった。彼には珍しくはっきり外れるボール球に手を出しての空振り三振である。


「な、なんだよ。あれ」


 普通に打っていてはスイングが間に合わない。かといって早めにスイングを始動するとボール球に対応できない。日野のスライダーも凄かったが、あれはまだ分かっていれば打てるかもしれないという希望があった。しかし赤月のストレートはどうしたところで打てる気がしないのである。


 文句を口にしながらベンチへと引き返す春馬。その原因は相手にあるわけではなく、自分の力不足にあるのは間違いない。だがこれほどまでの理不尽な実力差の相手をさせられれば、そう思いたくなるのも当然である。


「春馬くん、やっぱり凄い?」


「こりゃあ、上位が手も足も出ないのも当然だな」


 次々とメンバーが守備に移ろうとベンチから出て行く中、ラストバッターであった春馬とネクストの楓音は一旦ベンチに戻る。


「そんなに?」


「あぁ。猿政が言っていたけど、近江はよく当てたと思うよ」


「ふ~ん。そんなに凄いんだ」


「あれはな」


 バットをケースに放り込み、ヘルメットも置いてグローブを手に。楓音も同じように守備の準備を整えていたが、帽子を被りながらふと彼の横へと並ぶ。そんな彼女が発した一言は。


「春のセンバツとどっちが上?」


「春のセンバツと?」


 すべてが変わった去年の春のこと。


「春のセンバツ1回戦。龍ヶ崎新都市学院戦。2回途中試合放棄、42対0」


 忘れもしないそのスコア。それを彼女は丁寧に伝える。


「あの時と今。どっちが上?」


 超強力打線有する龍ヶ崎新都市学院と、大エース・赤月有する大田山吹高校。それを比較するならば、


「野球は投手力。それだけに赤月のいるこの試合のほうが辛いかも。でも――」


 春馬はベンチから足を踏み出す。


「あの時とは僕らも違う」


 1年前の自分たちが龍ヶ崎と戦った場合と、大田山吹と戦った場合ならばきっと後者の方がしんどいのかもしれない。しかしもし1年前の自分たちが龍ヶ崎と戦った場合と、今の自分たちが大田山吹と戦った場合なら?


「今の僕らなら、なんとか抵抗できる」


「だったら大丈夫。切り替えていこう」


 楓音はこの絶望的な状況の中でも笑みを浮かべながら彼の背を叩き、ライトの守備位置へ走り出す。


「おぅ。まずは無失点に抑えるぞ」


 そして春馬もショートの守備位置へ向かう。


 確かに楓音の言うとおりだ。赤月という大投手を前に打つ手の無さを感じつつあるも、そもそも蛍が丘高校はそれを遥かに上回る悪夢を見たのである。それを考えれば決して目の前の絶望感は覆せないものではない。


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