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第1話 気合、根性、努力

 本当は30分程度かかるであろうところを電話から15分程度で到着。やはりバイクで車の間を縫いつつやって来れたのは大きかった。


 入場料も払って階段を駆け上がる。ゲートを抜けた先に広がっていた光景は……



 大田山吹 1 ― 0 天陽永禄



「嘘だろ……」


 天陽永禄とは度々勝負しているが、蛍が丘が未だに勝てたことのない強豪校。その強さは分かっているはずなのだが、その天陽永禄が苦戦している。それどころか負けている。


「新田君。ここだ」


 日坂監督が手を振って合図。隣に座っていた部員をわざわざ他のところへと移動させてまで彼の座る席を確保する。


「電話ではノースコアとのことでしたが、得点方法は?」


「7回の表。エラー絡みで出たランナーが、スクイズで生還」


「だから未だノーヒットですか」


 恐ろしいことに未だ両チームノーヒットの試合展開である。


 春馬は腰かけながら試合を見つめる。


 ちょうど8回の表が始まったところのようで、キャッチャーが2塁へと送球練習を終える。


「大田山吹のノーヒットは単に貧打だからだと思いますけど……天陽永禄のノーヒットは意外ですね」


「ピッチャーが、な」


「ピッチャー?」


 春馬はバックスクリーンに目をやる。


『(4番ピッチャーの赤月。どっかで聞いた名前だな。確か……)』


 振りかぶった右ピッチャーは初球。


「ストライーク」


『155㎞/h』


「なっ」


 春馬が反射的に身を乗り出す。


「ほれ」


 日坂が夏大出場校一覧の冊子を『大田山吹』のページを開いて差し出す。受け取った春馬はその苗字からフルネームを探し出して……気付いた。


「赤月太陽。島根県社会人野球最強投手。都市対抗に補強選手として出場を打診されるも、高校の授業との兼ね合いから辞退」


「聞いたことがあります。150キロを越える速球派右腕。高校生でありながら社会人野球に所属していたことと、去年まで豪打を誇る軟球派左腕の日野さんがいたことで、知る人ぞ知る程度だったとか。どうしたそんなヤツが……」


「それは分からない。だが、新田君。蛍が丘の次の相手は、大田山吹になるかもしれない」


 マウンド上の赤月は先頭バッターを空振り三振に切って取った。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 大田山吹と天陽永禄の試合は、赤月太陽が9回にヒットを打たれノーヒットノーランは逃がすも、最終的には無失点に抑えて1対0で大田山吹の勝利に終わった。


「と、言うのが次の試合の相手なんだ」


 学校の視聴覚室を借りての作戦会議。


 本当は実質ノーデータのはずだったが、信英館がダビングした試合映像やスコアブックを提供してくれたことで、このような事前対策会議が行えるに至った。もっとも対策を打てるかどうかは別問題であるが。


「それにしても、信英館は優しいよね。春馬くんに天陽永禄が負けそうって教えてくれて、データを持っていない蛍が丘に、映像やスコアブックを貸してくれるなんて」


 なんならこれらのデータを貰った後、春馬は日坂監督に「欲しい情報があれば言ってくれ。できる限り提供しよう」とまで言われたとか。信英館にとって蛍が丘は紛れもなく敵であるだけに、このような行動は一見すれば敵に塩を送るがごとき行動である。


「何か裏があることは間違いないんだが……突っぱねる理由もないしな」


「信英館にとっては、大田山吹よりも蛍が丘の方がやりやすいとか、かなぁ?」


 前の席で食い入るように映像を見ていた楓音は、頬に指を当てながら考えるポーズ。


「ホームラン狙いの重量打線に弱いっていうウチの弱点は、前の山口工科戦で露呈したからな。松江水産ほどじゃないにせよ打撃のチームである信英館にとっては、蛍が丘の方が相性はいい……の、かもしれない」


 信英館は一度破っている相手だけに、そこの自信はいまひとつである。


「いや、今はそんなことどうでもいい。なんとかこの対策を考えよう」


「新田。質問」


 と、話を戻した春馬に対して早くも最上が手を上げる。


「はい、最上」


「変化球は?」


「赤月が高校野球に参加する事自体がイレギュラーだったせいで、結構ノーデータなんだよな。ただ前の試合や、社会人野球でのデータを見る限り、沈む球と緩いカーブは確認されてる。それ以外については、な」


 つまり今現在で分かっているは、150キロのストレートと、タイミングを外すカーブ。そしておそらくは三振を狙うフォーク系統か。


 皆がそれに頭を悩ませる中、春馬がふとつぶやく。


「野球は投手力、か」


 よく野球は1人じゃできない。チームプレーだ。と言われるが、実際はピッチャー1人の力によって大きく左右される。まさしく今の大田山吹は1人のピッチャーとその他大勢によって成り立っているチームといえるだろう。


「コントロールもいいし、確認できた変化球もなかなか」


「ふっ、春馬君にしては大事なところを見てないね」


 そこで野球脳の高い近江が鼻で笑って春馬の言葉に割ってはいる。


「ほぉ、近江は何か気付いたか?」


「ボールが速かった」


「お、おぅ」


 分かりきっていたからあえて言わなかったことを言ってきた。野球脳は高いが、基本的に頭が悪いところは変わらない。


 そして蛍が丘のマルチコアCPUである春馬、最上、野球脳は高い近江、経験不足も知識だけは豊富な楓音。彼ら彼女ら3年生が何も意見を出せない中で、ふと鍋島が手をあげる。


「あの~」


「どうした、鍋島」


「皆月先輩と、近江先輩に質問が」


「え? 俺?」


「なに、なに?」


 これまた質問相手としては意外だが、すぐに春馬はその2人の共通点に気付いた。


「先輩たちはあのボールって捕れますか?」


「あのボールって赤月の球か? ストレートなら捕れるかもしれんけど、変化球は難しいなぁ」


「ちょっと練習したら捕れる」


 皆月は変化球については難しいらしい。近江は捕れるらしい。


「まぁ、近江は才能で取れそうだなぁ」


 なにせキャッチャーを始めて数日後の近江は、その時点でキャッチャー経験10年の皆月よりもキャッチング技術が上だったのである。彼女であればあの球について「練習すれば捕れる」というのは、見栄ではなく本当のことであろう。


「あのぉ、自分の中学校時代もそうだったんですけど、変化球ってモノによってはキャッチャーが簡単に捕れないことがあるみたいで。僕の球ならまだしも、僕よりも遥かにすごいあの球を簡単に捕るキャッチャーって……」


 鍋島の問いに最上が眉をひそめる。


「新田。赤月がチームに参加したのはいつだ?」


「確認できるのは今夏から。春大では名前がなかったはず。登録が間に合わなかったとして、ウチの1年生ですら登録は間に合ったから、それよりも後に入部したってことになるかな」


「4月入部で3ヶ月、か。なぁ、新田。近江クラスのキャッチングセンスを持つキャッチャーが、あんな高校にいると思うか?」


「逆に聞くが最上。近江クラスの選手が平凡な公立野球部にいると思うか?」


「……いるな」


 というより、近江自身が蛍が丘高校にいるのである。なんならアマチュア最高の守備センスを持つ新田春馬もついてくる。


「という揚げ足取りはさておき、普通ならいないわな」


 その件については春馬も例外としておく。あくまでこの高校に2人の守備の名手がいたのは、女子の高校野球参加が一般的でなかった数年前、近江は名門校では受け入れがなかったためである。そして春馬は名門校への受験も視野に入れたものの、信英館のセレクションで落選し、大野山南は学力試験で落ちたことが理由にある。いわば選んでわざわざここに来たというより、やむを得ず蛍が丘を選んだという経緯が強い。


「キャッチャーねぇ。こっちでも打開策を考えてみようか」


 春馬はスクリーンに映し出している映像。その中のキャッチャーに視線を固定しながらつぶやいた。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 試合数の少ない島根県大会は、そのせいで1回戦から日程が詰まっていた時期があった。しかし最近ではむしろその試合の少なさを生かし、長期間で余裕を持った日程にて大会を行うようにしている。選手の負担を考えてのことである一方で、7月という梅雨や台風で日程がずれやすい時期であることも理由にある。


 そこで蛍が丘高校はその余裕ある日程を生かして次試合の対策を――


「優奈。じゃあ投げるぞ」


「お願いします」


 しているわけではなかった。


 試合が近いにも関わらず1年生たちの練習に付き合っていた。


「新田も覚悟を決めたか?」


 近江は試合前に対策をしないなんてなんてことだ。と主張しているが、最上はその彼の考えを読んでいた。


 今年の夏は今までの夏とは違う。負けたらその場で引退が決定する。だからこそ立つ鳥跡を濁すまいと、次の世代に受け継げるものは受け継いでおこうとの思い。それはつまり自らの引退が決して遠くないことを悟った者の考えではないか。


 との推測である。


 しかしさすがにそれは深読みしすぎであった。


『(せっかく1年は琴ヶ浜戦でいい経験したからな。しっかりものにしてほしいな)』


 もちろん自らが引いた後のために次の世代を育てておく目的もあるが、わざわざ今であるのは『琴ヶ浜戦の後』であるためだ。決して『大田山吹戦の前』であるためではない。もっとももう1つ今年につなげるための目的もあった。


『(できるなら選手層を厚くしたい。今後の夏場の連戦を考えると、選手が多くて損はないからな)』


 春馬がセットポジションから投じた緩いストレート。それを優奈が芯を外しながらもバットに当てる。打球はショート真正面の弱い打球。それを捕った沖満が素早く1塁へ転送する。


「うぅ、ヒット打てない……」


「野球博士の楓音でもヒットを打つのにしばらくかかったからな。そう簡単に打てねぇよ。でもちょくちょくいい打球は飛んでる。その調子、その調子」


「はい。ありがとうございます。もう少しお願いします」


 いつもは壁のない優奈であるが、部活のときは先輩後輩を意識しているのか、強い敬語で春馬に返してくる。彼も彼女の心意気に答えようと、しばらく投げ続ける。


『(むぅ、春馬君も試合前なのに優奈にばっかり構ってぇ)』


 そして春馬からの投球を受け続ける近江姉は、キャッチャーミットを構えて自分の仕事をしながらも、内心は不満を溜め込み続ける。ただその理由は試合前に初心者の相手をしていることよりも、むしろ自分よりも妹に構っていることに関する不満だろうか。優奈が入部して以降、彼もこちらに構うことが多くなっているだけに姉も寂しいのである。


「そろそろラスト」


 あまり1人相手に長々とやっているのも考え物ではある。適当なところでラストコールをし、ノーワインドアップからハーフスピードのボールを投じる。わずかに振り遅れつつも打ち返したボールは、セカンド真正面への打球。セカンドに入った武川が難なく捕球して、ファーストの寺越へと転送。


「さて、そろそろ昼休にでもしようか」


 ひとまずこれで打撃練習も終了。いつもなら午前なり午後なりで終わってしまうため、昼を跨ぐのは珍しい。それだけ今の練習が重要な意味を持っているということであろう。


 春馬はマウンドから降りながら近江とキャッチボール。


「ねぇねぇ、春馬君。なんで1年生の練習ばっかりしてるの?」


「せっかく人数増えたのに、今のままじゃ実質的な選手層は変わらないし。戦力になる交代要員を作っておかないと」


 近江の頭でも理解できるようなレベルに話の質を落として説明。これでもまだ高すぎる気もするが、近江は野球に関して言えば頭がいいのでそれほど問題ではないかもしれない。


「みんなフルイニング出場すればいいと思う」


「できるならな」


 野手のフルイニング出場は決して難しいことではないが、問題は炎天下で投げ続けなければならない最上である。ただ彼については鍋島という2番手や、3番手に春馬が控えていることから大きな問題にはなりづらい。一方、


「誰かが調子を崩したり、怪我したら交代しないといけないからな。それでも今日明日でなんとかできるレベルにするのは難しいけど」


 今日の練習で島沢や優奈が少しでも戦力に近づいてくれたなら短期的目線としても嬉しいが、さすがに数日でまともになるほど野球は簡単なものではない。そんなことができたとするならば、それはもはや才能である。


「私は調子悪くしないし、怪我しないもん」


「風邪引いたりするなよ」


「それは心配かも。馬鹿は風邪引かないってことは、私は風邪引いちゃうし」


「確かに『夏風邪は馬鹿が引く』って言うしな」


 自慢げな言葉をしっかり皮肉で返す春馬に、軽めのキャッチボールを終えた近江が飛びつく。


「で、で、で、次の試合はどーするの?」


「赤月か。どうするかなぁ」


 と、今までいろいろな話をしていたが一番の問題はそこなのである。赤月太陽に関して、選手登録されていたことが明るみに出たのが、あまりにも最近すぎる。そうなると各野球部、まったくと言っていいほど対策ができていない。天陽永禄・信英館に代表される名門校なら、県外遠征で150キロクラスのピッチャーがいる学校と練習試合をする手もあった。だがそれすらもできなかった状況で、信英館が情報網を駆使してデータを集めたのが最大の勲功。それらよりノウハウも資金力も劣る蛍が丘高校に関しては、まさしく無策で当たって砕けろくらいしか打つ手がないのである。


「ほんと何も策がないんだよなぁ」


 春馬は日陰のベンチに腰掛けてカバンから弁当を取り出す。


 どんな策を打ったところで、策ごと力でねじ伏せられそうな気がするところ。さしずめ諸葛孔明が石兵八陣を作ったはいいものの、攻めて来た軍隊が航空機からの空爆でぶち壊してしまった。くらいの理不尽さを感じる。


 ただ唯一、鍋島が「キャッチャーがあんなすごい変化球を捕れるのか?」という点について疑問を持ち活路を開きかけたものの、そもそも天陽永禄が負けている時点でその点はクリアされている可能性が高い。


「でももう日数はないよ?」


「う~ん」


 春馬の横に腰掛けた近江と考えるも何も思い浮かばない。


 と、近江が左手を右の拳で「ポン」という自分の口でのセルフSEと共に叩く。


「おっ、どうした。近江」


「気合、根性、努力」


「なんだかそれが一番の結論に思えてきた」


 もう春馬もお疲れである。


 しかしまさしく近江のそれが一番の答えなのかもしれない。


 圧倒的な力を持ち、そして策も通じない相手に対しては、そうした精神論で立ち向かわざるを得ないのもまた事実。最後の最後で昭和的高校野球らしさを出してきたのは、春馬政権蛍が丘高校野球部にとって非常に意外なことである。


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