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第7話 春馬不在のダイヤモンド

「さて、オーダーを発表するぞ」


 春馬はマネージャーの武川が書いたばかりのオーダー表を手に読み上げる。


 相手は琴ヶ浜女子。寸前までフルメンバーを組むか、1年生主体とするか悩んだところであるが……


「1番、センター、新田楓音」


「はい」


 いきなりのベストオーダーを崩す打順。それも寄りによって楓音がトップ。


「2番、ファースト、寺越」


「はいはい」


「3番、サード、猿政」


「うむ」


 本日の蛍が丘打線。2番の因幡が外れたことで、打順がひとつずつ繰り上がる。と、言うことは……


「4番、セカンド、近江美優」


「は~い。は~い」


 近江が4番へと座る。


「5番、キャッチャー、皆月」


「おぅ」


 さらに普段は8番の皆月が5番へと上がる。そしてそれ以降の打線は、


「6番、ピッチャー、鍋島。先発頼んだぞ」


「はい。なんとか無失点に抑えます」


 元気な声を発する未来の選手兼任監督。


「7番、ショート、沖満」


「はい」


 こちらは暗い声のキャプテン候補。しかし近江との二遊間が成立したことで、小さくガッツポーズ。


「8番、レフト、島沢」


「はい。頑張ります」


「9番、ライト、近江優奈」


「私も頑張ります」


 ラスト2人は初心者コンビ。


「以上。ひとまず今日の僕は監督業に専念、最上は休養。ベースコーチは大崎と因幡に任せる。けど、何かあったら交代あるからな。気持ちの準備だけはしておけよ」


「う~い」


「任せて」


「任せろ」


 最上はベンチに寝転がりつつ、大崎は大きな返事で、因幡はサムズアップしながら答える。


「それと3年生。1年生にとっては初の大会だからな。しっかりフォローしてやれよ」


「「「はい」」」「「「おぅ」」」


 準備万全。するとさながらタイミングを計ったかのように控室のドアがノックされる。


「蛍が丘高校の皆様。前の試合が終わりましたので、ベンチに入る準備をお願いします」


「はい。それじゃあみんな行こうか」


 春馬はベンチスタートとあり、自ら荷物を左肩に掛ける。さらに大崎・因幡そしてマネージャーの武川もそれに倣う。その様子に1年生が自ら荷物を引き受けようとするが、


「いや、1年は先発だしここはベンチ入りに任せろって。ただし、最上。お前は持たなくていいからな」


 自分の元へ来た優奈を制する春馬。振り返って最上を見ると、


「大丈夫」


 何も持っていなかった。


「せめて何か持つ態度くらいしようぜ」


「無駄なやり取りは時間の無駄だぜ? 新田」


「まぁな」


 あながち間違いでもないから困る。


「さて、今夏の初試合だ」


 最初に廊下へと出た春馬の横に近江が並ぶ。そして振り返り右腕を突き上げた。


「目指せ甲子園。絶対勝つぞぉぉぉ」


「「「おぉぉぉぉぉ」」」


 ついに最後の夏が今、始まる。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


〈蛍が丘高校〉


 1番 センター 新田楓音

 2番 ファースト 寺越

 3番 サード 猿政

 4番 セカンド 近江美優

 5番 キャッチャー 皆月

 6番 ピッチャー 鍋島

 7番 ショート 沖満

 8番 レフト 島沢

 9番 ライト 近江優奈


 発表のあった蛍が丘のオーダーは、上位打線の大崎・因幡、さらに守備の要である春馬、エース・最上を欠くもの。明らかな手抜きであるとも言えるものである。


「新田。相当不安にしてたけど、今見た限りではどうよ?」


「1年生の名前もあるみたいだな。言っても何人かは去年の秋と同じだけど」


 春馬の見つめるのは、相手からもらったオーダー表。



1番 ショート 岩井

2番 セカンド 筑後

3番 キャッチャー 橘

4番 ピッチャー 石井

5番 ライト 白雪

6番 センター 近郷

7番 ファースト 瀬戸

8番 レフト 村雨桃花

9番 サード 村雨さつき


「8、9番は姉妹かな?」


「姉妹で野球ってどんな野球家系なんだろうな?」


「あんな感じじゃない?」


 興味深そうに相手ベンチを見つめる最上に、春馬は近江姉妹を指さす。


「もしくはこっちのパターンかも」


 と、今度は自分と楓音を指さす。


「そりゃあ、親族か赤の他人かしかないだろう」


 そこまで話したあたりで顔を上げる。


「ただ琴ヶ浜女子も強くなった印象だな」


「守備がまともにはなった感じか?」


「あぁ」


 去年の秋はショート・岩井を除いてまともに野球が成立している言えない状況であった。しかしながら今現在、シートノック中の琴ヶ浜女子はまともに野球をしていると言える。ただもちろんのこと、島根県下トップクラスの守備力を誇る蛍が丘高校とは比べるまでもないが。


「さて。そろそろ終わりそうかな。始まるぞ。準備しろ」


 琴ヶ浜女子のナインも守備練習を終えてベンチへと引き下がる。前の試合が1回戦にして延長に突入したことで、時間的には押している。本部としては早く試合を開始したいところだろう。春馬はただちに準備を整えさせる。


「分かってると思うけど後攻だぞ」


 ベンチ前では春馬が中腰に。彼を先頭にするように近江や最上らが整列。マネージャー登録の武川だけは、制服姿にてベンチ内で起立。


「新田。明らかに早いぞ。まだ琴ヶ浜、準備してないじゃないか」


「いいんだよ。いきなり守備なんだ。1年生はできるだけ早くグラウンドに出て、その空気に慣れておいて損はない。ノックで多少は慣れたと言っても、な」


 平日の試合とあって、蛍が丘サイドのスタンドには親や、大学に行った先輩の姿があるくらい。一方の琴ヶ浜女子は総動員で応援に来ているもよう。明らかに応援の大きさが違うが、そんなもの3年生にとっては慣れたものである。


 長らく整列していると、急かされたように思えた琴ヶ浜のメンバーも整列。審判団も少し早い時間だがグラウンドに姿を現す。


「集合」


 球審のコールに先んじて飛び出したのは蛍が丘。


「さぁ、行こうか。気合入れてこう」


「「「おぉぉぉぉ」」」


 遅れて琴ヶ浜女子。


「絶対勝ちましょう」


「「「おぉぉぉぉ」」」


 野太い野郎共の声が主体か、黄色い声オンリーかは異なるが、いずれにせよ球児たちの声がグラウンドに響き渡る。


 蛍が丘高校野球部13名、琴ヶ浜女子高校野球部18名が整列。


 両チーム合わせて総勢31名中22名が女子だというのだから、本当に女子野球に男子が混ざっているかのように錯覚させられる。


「先攻・琴ヶ浜女子高校、後攻・蛍が丘高校、試合を始めます。攻守交代は駆け足で。礼」


「「「お願いします」」」


 31名に加えて蛍が丘ベンチの武川、琴ヶ浜ベンチの霧島監督、マネージャーも礼。


 少し早いタイミングで頭を上げた春馬は、ベンチへと振り返りながら近江の背中を叩く。


「僕はベンチだからな。声だし頼むぞ。キャプテン」


「うん。頑張るから見ててね」


 彼女は短く返してから表情を変える。


「よ~し。無失点に抑えていこ~」


「「「おぉぉぉぉ」」」


 8人+なぜかベンチスタート・大崎の声。それを響かせながら9人がグラウンドに散る。


 時間にうるさい高校野球であるため、先発のマウンドに立った鍋島はすぐさま投球練習を開始。


 外野は楓音を中心に初心者勢のキャッチボール。


 内野は比較的いつも通りであるものの、蛍が丘内野陣の代名詞たる春馬が不在なのはまた人数以上に異なる状況である。


「近江。監督も副キャプもいないからな。お前がまとめろよ」


 投球練習の合間に近江へと声を飛ばす春馬。すると彼の声を聞いた彼女は手を振って答える。


「は~い。春馬君、私を見ててね~」


「沖満。ラストボールはお前が入れ」


「あ、はい」


 寺越から投げられたゴロを捕った彼女は送球の前に返事。そうして事務連絡を済ませていると、規定投球練習数を1つ残して終了。


「ボールバック」


 皆月の大きな声に、寺越・楓音が1塁側ベンチへとボールを投げる。それを大崎が受け取る。前までは1塁側ベンチなら寺越、3塁側なら猿政がわざわざ片付けに行ったのだが、その必要性が無くなったのは非常に楽になったものだと思う。


 セットポジションの鍋島はクイックモーションにて皆月へと投球。受けた皆月が2塁に入った沖満へ送球。少し高めに浮いたものの、しっかり通した送球を受けてタッチの素振り。


「ナイスボール」


 沖満がファースト・寺越へ。そこからセカンド・近江、ショート・沖満、サード・猿政とボールが回ってマウンドの鍋島へと返ってくる。


「1回の表ぇぇ。3者凡退に切るぜ」


「「「おぉぉぉぉ」」」


 皆月の号令に8人が応え、スタンドも沸き立つ。


『1回の表。琴ヶ浜女子高等学校の攻撃は、1番、ショート、岩井さん』


 先頭の岩井が左バッターボックスへ。


「さぁて。いきなりいいバッターだぞ。踏ん張れよ、鍋島」


 先頭の岩井ひなたは謎の野球センスを誇る選手。前回の勝負では1番が石井だったが、今回は1番・4番を入れ替えている。この打順にどのような意味があるのかは不明であるが、鍋島にとってはいきなり怖い勝負であると言える。


「プレイ」


 球審のプレイ開始宣告。


 最後の夏の第1戦が幕を開いた。


 皆月の最初のサインに頷いた鍋島は投球モーションへ。


 その左腕から放たれたこの夏の初球は、


「ボール」


 アウトコースに外れるボール球。


 岩井は迷わず見送りワンボール。ベンチの春馬からはあまりよく分からなかったが、決してはっきり外れたコースではなかったはず。やはり彼女は琴ヶ浜ナインの中では別次元か。


 2球目、皆月のサインに初々しさ残る鍋島が頷き投球モーションへ。


 カウント1―0から放たれる次の球。


 左ピッチャー相手という不利な状況の中、やや甘く入ったストレートを岩井が弾き返す。痛烈な打球は鍋島の左足元を襲う。守備巧者の春馬ならまだしも、普通のピッチャーならばこれに対応するのは不可能。案の定、鍋島も処理が間に合わずに打球を抜かせてしまう。


 しかし、蛍が丘はピッチャーの足元=ヒットとするほど甘い守備をしてはいない。


『(近江先輩っ)』


 振り返った鍋島の視線の先には近江。彼女は春馬並みの打球反応で二遊間へと飛び出すと、早くも打球へと迫る。


『(春馬君の位置は――)』


 彼女は打球から目を離さないまま、その広い視野を生かして春馬(ショート)の位置を確認。しかし彼女の目に映ったショートは春馬ではない。沖満だ。


『(スイッチできないっ)』


 走りながらの逆シングルキャッチに出ようとしていた彼女は、直ちにその場へと足から滑り込む。その上での逆シングルキャッチで打球へと追いつくと、右足を地面に突き立てて起き上る。そして今までの動きと逆モーションとなりながらも1塁へと送球。


 しかしただでさえ肩が弱いことに加えての逆モーション。山なりとなった送球は1塁到達までにワンバウンドし、寺越のミットにようやく届く。


「セーフ」


 普通ならばセンター前ヒットとなる打球をもぎ取った近江。しかし送球は間に合わずにセカンドへの内野安打。


「むぅ」


「近江先輩。ナイスプレーです」


「惜しい、惜しい。ナイスプレー」


 不満そうに頬を膨らませる近江に対し、沖満は目を輝かせつつ、送球を受けた寺越はミットで彼女を指しながら盛り上げる。しかしそれでも彼女はなおもその態度を変えずに小さくつぶやく。


「春馬君ならアウトにできたもん」


 内野安打で先頭を出したのが相当悔しかったのであろう近江であるも、野球に関してはしっかりした性格をしているのが彼女である。


「バント、盗塁警戒。外野抜けたら3つあるよ」


 2番バッターが打席に入るなり切り替える。


『(と、近江は言ってるけど、監督さんは?)』


 皆月はさりげなくベンチへと視線を移す。いつもは監督がグラウンドにいるわけだが、本日はベンチにいるのである。


『(ひとまず皆月に任せる。前の琴ヶ浜は強攻策をとっていたけども、今年はどうかな?)』


『(おいおい。任せるなって)』


 久しく扇の要を任された感じである。


 皆月はバントの構えすら見せないバッターに、ダブルプレーを狙った低めの投球を要求。ただバントも気になるが、先ほど近江が口にした盗塁も気になるところ。なにせ1塁ランナーは要注意選手の岩井ひなたである。


 左の鍋島がセットポジションに入ると、彼女はそこそこのリードを取る。お互いに対峙し、鍋島は慣れた様子の目で牽制。一瞬だけ皆月の構えたミットに視線を動かした直後、右足を前に踏み込んで1塁牽制。


「セーフ」


 足からのスライディングで生還。


「ん? 牽制で足から戻るか」


「最近はよくいるよな。足から戻るタイプ」


「そりゃあ、僕や最上なんてまさしくそれだけどさ」


 春馬&最上の両名はそう言っているものの、珍しい事には変わりない。主にケガを抑止する目的であったり、ピッチャーが指を保護する目的であることが多い。彼女のポジションを考えるに前者であろうか。


 初球。アウトコース高めに外したボール球。バッターは一瞬だけバントの構えを見せるも、すぐに引いてしまう。皆月が捕球後に1塁へと投げるフリを見せたが、岩井は大きなリードから駆け足で帰塁するに留まる。


『(やるか?)』


 座っていた春馬はベンチのラバーから身を乗り出してプレーを見守りはじめる。


 するとサイン交換を済ませたバッターは早くもバントの構え。


 皆月はただちに変化球のサイン。相手の野球経験は不明だが、その雰囲気からして浅いと見た。鍋島クラスの変化球ならばそう簡単にバントは成功させることはできないだろう。


 セットポジションにて岩井と対峙する鍋島。お互いに目で相手にプレッシャーを掛け合いながら――足が動いた。


「走った」


 鍋島の足が上がるとほぼ同時に岩井がスタートを切る。


 バントの構えをしている2番に対して蛍が丘内野陣は猛チャージ。しかし、


『(ひ、引いたっ?)』


 近江がいち早くストップ。


『(まずい。バスターエンドランっ)』


 春馬も相手の作戦に気付いた。バント・盗塁・強行のいずれかと読んでいた蛍が丘にとっては、予想しない空白地帯を突かれたおうな感じ。まんまと裏をかかれて崩れた守備体系の中、バッターはスイングに移る。


「ス、ストライーク」


 しかし投球はフォークボール。手元で沈むキレのいい変化球に、バッターは泳ぎながら空振り。ワンバウンドした投球を皆月が体で止め、拾い上げるなり2塁へと送球の構え。だがそこへはスタートを切っていた岩井が滑り込んでいる。


「形としては単独スチール」


「でも、相手の策としてはバスターエンドラン失敗」


 腕組みしてベンチ後方の席で休んでいた最上。彼の一言に春馬も補足。


「単純なヒットエンドランじゃなくてバスターエンドラン。しかもこっちの裏をかいてきた。向こうの監督の差し金か?」


 相手ベンチへと目をやるが、サインを出しているのは霧島監督のみ。高校野球では当たり前の光景だが、蛍が丘のように学生監督が存在するパターンもないわけではない。ただこの様子を見る限りでは監督だろう。


「やるな、あの人。初心者集団にいきなりあんなプレーをさせたか。でも、野球は作戦だけで勝てるほど甘くないな」


「ここまで作戦勝ちしてきてる新田からは想像ができない台詞だな」


「煽るな、最上。そりゃあ作戦勝ちしてるけどさ、別に作戦だけで勝ってるわけじゃないからな」


「ふ~ん。じゃあ何だ?」


 直後に響いた金属音。右方向のゴロに岩井は迷わず3塁を狙う。ところが打球はセカンド真正面。近江はベアハンドで捕って3塁へと送球。受けた猿政は滑り込んでくる岩井にタッチ。


「あ、アウト」


「ベ、ベアハンドっ?」


「近江、あの速い打球に器用なことするなぁ」


 春馬は彼女のプレーに感心半分、呆れ半分でベンチに座り込む。


「因みに最上。僕らは別に作戦だけで勝ってるわけじゃねぇよ。信英館に勝ったのも、大野山南と善戦したのも、すべて『実力』があったからだ。それがあったから作戦が展開できたし、生きたんだよ」


 春馬はチャンスを潰した安心からか笑みを浮かべる。


「琴ヶ浜が多少の策を打ってきても、こっちは策を力でねじ伏せる。それが一番簡単で分かりやすい。これならひとまず初回は一安心かな?」


 3番は鍋島の変化球3連投を前に三球三振。4番の石井は意地でバットに当てるもピッチャーフライを打ち上げる。


「えっと、先輩。お願いします」


「先輩ばっかりだから。近江」


 他の内野手に処理を任せてマウンドから避ける鍋島。いったいどの先輩が頼まれたか分からないため、ファーストの寺越は最も落下地点に近い近江を指示。言われる前から動いていた彼女は、落下地点にてフライをしっかり捕球した。


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